第10話 互いの覚悟

 ファレルは最初、カトレアが言い放った言葉の意味を理解できなかった。


「……やめろ、カトレア」


 それでもどうにか言葉を絞り出す。困惑と驚きに真っ白になりかけの思考で、説得の材料をいくつか考え出した。


「あの皇女は、ユーリアは、お前の手に負える相手じゃない。いくら王の影が優秀でもな」


 そう言いながらファレルは影たちに視線を走らせる。

 ファレルが命を預けるテレサもまた王の影の一人だった。彼等の優秀さは身に染みている。


 その能力ちからをもってすれば、ユーリアの暗殺も可能かもしれない。だが、それだけだ。


「もし、仮に暗殺が成功したとしたとしても、その後の見込みが甘すぎる。何の正当性も、後ろ盾も持たないオレたちに一体だれが着いてくる?」


「……後ろ盾ならありますわ。第三皇女の排除に成功した時は、その領地をわたくしたちの自治区にしてくださる、と約束を頂いております」


「一体、誰がそんな約束をした? 誰がお前をそそのかした?」


 ファレルの問いに、カトレアは「申せません」としか答えない。兄に隠し事をする後ろめたさからか、悲しげな顔をしていた。


 しかし、ファレルにしてみれば後ろ盾が誰かを明らかにできないということそのものが有益な情報だ。

 ガルア渓谷の一件で敵対している第三皇子やほかの敵対派閥ならば名前を隠す必要はない。その上、カトレアは自治区と口にした。そんなものを承認する権限を持つものはそうはいない。


 これらの条件に当てはまり、なおかつまだ盤上にあらわれていない勢力はただ一つだけ。皇族、ならびに宰相にまで強い影響力を持つ『聖神教会』だ。


 彼等ならばカトレアとの接点があってもおかしくない。旧アルカイオス王国にも聖神教の信徒は大勢いた。


「……カトレア、気持ちは分かる。だが、オレに任せるんだ。お前が危険を冒す必要はない」


「わたくしの気持ち……」


 ファレルの言葉に、カトレアは顔を伏せる。下を向き歯を食いしばる姿には大いに胸が痛むが、説得するにはこのまま畳みかけるしかない。

 そう考え、言葉を続けようとしたファレルを――、


「――もう十分です!」


 カトレアの悲鳴が遮った。涙を流していると思われたその顔には怒りと悲しみが同居していた。


「お兄様にわたくしの気持ちが分かるはずがありません! いつもそうです! 此度のことも! これまでのことも!」


 非難めいた叫びにファレルは戸惑うしかない。妹に対しての負い目はあったが、こんな感情をぶつけられるなどとは思ってもみなかった。


「カトレア、オレはーー」


「ーーこれはわたくしの決めたことなのです!  わたくしも戦い、我が国とお兄様を取り戻すのです!」


 なおも、説得しようとするファレルにカトレアははっきりとそう宣言する。悲しみと怒りの奥には揺るがし難い強い意志が見て取れた。


 瞬間、ファレルは理解する。妹から見た自分もきっと同じ目をしているのだろう、と。

 だからこそ、ここで引くわけにはいかない。


「……お兄様はあの皇女に絆されておいでです。あの女などいなくとも故国の再興は叶います。どうしてもお考えが変わらぬのなら――」


「……わかった」


 今度はファレルがカトレアの言葉を遮る。カトレアの瞳に一瞬機体の色が浮かび、すぐに消えた。兄の目に自分と同じ狂気を見たからだ。


「お前があくまでユーリアを殺すというなら、オレがあいつを守るまでだ」


「……わたくしよりあの女を選ぶのですか」


「いいや、違う。お前も、あいつも守るそれだけだ」


 歴戦の戦士でも震え上がるような殺気を発するカトレアに対して、ファレルは涼しい顔でそう告げる。たとえ妹が相手でも覚悟さえ決まれば、将として振舞える己を内心では罵っていた。


「ではな、カトレア。紹介状はもらっていく」


「ま、待ってお兄様! まだお話は――」


「もう終わった。次来るときは贈り物は自分で選ぶとしよう」


 それだけ告げてファレルは堂々とその場を後にする。背後にはテレサが三歩下がって付き従い、引き留めようにも声を掛けるのがはばかれるほどの去り際だった。



「……お前は知っていたのか?」


 中庭を出てからしばらくして、ファレルはテレサにそう尋ねた。

 テレサはファレルに仕える前は王の影で育てられ、つい最近まではカトレアと共に幽閉されていた。その彼女が王の影の動向やカトレアの企みに気付いていなかったとはどうしても思えなかった。


「……はい」


「…………そうか」


 案の定頷くテレサに、ファレルはそれきり何も言わない。失望も、怒りもあらわにはしなかった。

 それがテレサには余計に労しい。最愛の妹の裏切りともいえる行為に直面しながらも、彼はそのすべてを己が裡に沈めようとしてる。


「……お責めにならないのですね」


「…………お前の忠義はよくわかっている。カトレアに黙っていろと言われてはどうしようもないこともな。それを責め立てるほど狭量じゃない」


「それでも、背信には変わりません」


 主の寛容さに甘えてはならないと己を戒めながらも、テレサ自身は罰を欲している。王家への忠節の結果とはいえ、愛する人を欺いていたという事実は彼女の心に重くのしかかっていた。


「罰は不要だ。それでも気負うなら次の戦でこき使わせてもらうぞ」


「……わかりました。必ずやお役に立ちます」


 そんなテレサに対して、ファレルはそう返す。あくまで王としての返答に徹していた。

 

「…………いてくれてよかった。背中、頼もしかったぞ」


 それでも最後に小さな声で、男としての本音を口にする。

 影たちが姿を現した時、テレサは迷いなくファレルの側に立った。それは話し合いが決裂すれば、あくまでファレルに着くという意思表示だ。


 言うだけならば容易いが、忠義で板挟みになりながらもそれでも選択をするのには強固な意志が必要だ。その源となる愛はファレルに十分すぎるほどに伝わっていた。


「……はい」


 涙を隠すようにテレサは顔を伏せる。型通りの幸せなど望むべくもないが、自分は報われていると心底思えた。


「…………これからはどうなさるのですか?」


「とりあえずは予定通りに動く。影たちの手口は知ってる。すぐ動くことはない、はずだ」


 ファレルにも確信はない。少なくとも、暗殺を行うにしてもカトレアとの関係性が疑われるような状況下で決行することはない、そのように仮定するほかなかった。


「……おそらくは。それで私はどういたしましょう」


「お前には、ユーリアの護衛を任す。これが罰みたいなもんだな」


 そう言われては、テレサも断りようがない。恋敵の身を守るのは胸を切り裂かれるような気持がするが、だからこそ、今の自分に相応しいと思えた。


「カトレアをどうにかするにしても、なんにしても、まずは金だ」


「……世知辛いですね」


 テレサの反応に、ファレルが笑みをこぼす。ようやく調子が戻り始めていた。

 

 暗殺という脅威こそ増えたものの、そんなものは日常茶飯事だ。命を狙われているというなら、それこそユーリア当人にしてみれば生まれてこの方ずっとそうだ。今更一つ、二つ敵が増えたからと言って騒ぐほどのことではないのだ。


 問題は、今回の場合は狙われている当人さえそのことを告げるわけにはいかないという点だ。

 ユーリアがカトレアの行動を知れば必ず報復に出る。たとえ彼女がファレルの実の妹だとしても敵に容赦するほど彼女は甘くない。すべてを丸く収めるにはユーリアにすべてを伏せたまま、暗殺を防ぐ必要があった。


「ともかく、内密に頼むぞ。骨が折れるとは思うが――」


「――それがわたしの役目です」


 それができるとすれば、元王の影でありそのやり口を知り尽くしているテレサしかいない。そのファレルの信頼にテレサは全力で応えるつもりだった。

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