第9話 カトレアの陰謀
「――お兄様!」
ファレルが中庭に足を踏み入れた瞬間、カトレアが振り返る。彼女はそのままファレルに駆け寄ると、正面から抱きついた。
「おいおい、はしたないぞ」
妹を優しく抱き止めて、ファレルはそう声をかける。彼にしては珍しくしかめっ面が緩んでいた。
「いいのです! お兄様がいらっしゃるのは半年ぶりなんですもの! これくらい許してくださいませ!」
「……そうだな」
黒騎士としてユーリアに仕えているファレルは政治的に微妙な立場にある。それもあって、ここニ年間、妹たちの暮らすこのペルセポナ離宮にはできるだけ近づかないようにしていた。
カトレアの年齢はファレルより六つ下の14歳。まだ成人していない彼女にしてみれば兄である自分は唯一頼れる相手、ファレルはそう考えて妹を気にかけている。
「少し大きくなったか?」
「まあ。はしたないのはお兄様のほうでは?」
「背の話だ。前に来た時より少し伸びた」
「そちらでしたか。わたくしとしてはそちらよりも育ってほしい部分があるのですが……」
「それこそ心配ない。お前はまだ14だ。いくらでも成長の余地はある」
「もう子供扱いなさって! わたくし、もうすぐ15歳ですわ、お兄様。成人です」
「わかってるわかってる。その日は必ずオレも出席するさ」
妹の笑顔に、ファレルは安堵する。国を失うという苦境にありながらも、カトレアは変わっていない。
「それと、これを」
ファレルは懐から小箱を取り出して、カトレアに手渡す。テレサの気遣いを自分のものとすることに罪悪感はあったが、その気遣いを無駄にしないためにはそう振舞うしかなった。
「まあ、綺麗! ありがとうございます、お兄様!」
「気に入ったか?」
「ええ! とても! 付けてくださいます?」
「もちろん」
ファレルの手で、カトレアの首に首飾りが掛かる。怪しい光を帯びた赤色の宝石は彼女の白い肌によく栄えていた。
「似合うぞ」
「はい!」
カトレアは満面の笑みを浮かべる。彼女にとっては贈り物の中身がどのようなものであれ、兄から送られたものであるというだけで十分に素晴らしい贈り物だった。
だが、そんな感情とは別に彼女の知性はある事実に気付いていた。
「でも、お兄様が贈り物なんて珍しい。それに、この造形(デザイン)はお兄様らしくないですわ。選んだのは、そう……テレサかしら?」
カトレアに視線を向けられ、テレサは思わず姿勢を正してしまう。
彼女はアルケイデン王家そのものに仕えている。いうまでもなくカトレアはその一員だ。彼女を相手に嘘を吐くわけにはいかない。
「……あいつを責めないでくれ。オレが悪いんだ」
「まあ、責めてなどいませんわ。ただ確認しただけです」
そう言いながらもカトレアの声色には微かな冷たさがある。言外に
「それで、お兄様ったら今日はどのような要件でいらしたのかしら?」
「妹の顔を見に来たってだけじゃダメか?」
「お言葉は嬉しいですけど、本当にそうならわたくしのお兄様ではありませんわ」
「それを言われると苦しいな。だが、半分は本当だ」
「それだけでカトレアには十分ですわ。さ、こちらに」
二人は中庭の真ん中にある椅子に腰掛ける。周囲に他の人間の気配はないが、監視の目があるのは明らかだった。
「お茶はいかがです?」
「いや、いい」
それをわかった上でファレルは深く息を吐く。この程度の監視は慣れたものだ。
今はテレサが側に控えてる。彼女ならばどんな不測の事態にも対応できる。
「それで、どうなされたのです、お兄様」
席についてすぐにカトレアは本題に入る。そんなところは兄妹でよく似ていた。
「実は――」
意を決して、ファレルも事情を明かす。
ファレルが黒騎士としてユーリアに仕えていること、国取り戻すために動いていることはカトレアも知っている。それに妹を巻き込むのは本意ではなかったが、そんなファレルの苦悩もカトレアは見透かしていた。
「――お話は分かりました」
事情を聞き届けた後で、カトレアは神妙な顔でそう頷いた。
兄であるファレルにも彼女の心は読めない。
道理で考えれば反発して当然だ。今回の件に協力すれば、間接的にとはいえ故国を滅ぼしたユーリアに手を貸すことになるのだ。旧アルケイデン王国の関係者であれば賛成するはずもない。
「わかりました。わたくしのほうからいくつか紹介状をしたためましょう」
「い、いいのか?」
「もちろんです。わたくしがお兄様の頼みを断るわけありませんでしょう?」
微笑むカトレア。武者修行に出ていたファレルに代わって、社交の場に顔を出していた彼女の交友関係は広い。旧アルケイデン王国の関係者だけではなく様々な国で商いを行う大商人たちにも顔が利く。
そんなカトレアの手を借りられれば、黒百合騎士団の資金難問題の解決にも目途が立つ。目途は立つが――、
「……本当にいいのか? オレが言うのもなんだが、ユーリアに手を貸すことになるんだぞ」
「ええ、構いませんわ。だって、私が協力しなければお兄様が困るのでしょう? なら、書状の一つや二つ、何の苦もありません」
「……だが」
なおも納得できないファレルを遮るように、カトレアは人差し指を立て、そのまま兄の口をふさぐ。その表情(かお)は十四歳とは思えないほどに艶やかだった。
「言ってしまえば、わたくしにはあの皇女などどうでもいいのです。わたくしにとって重要なのはお兄様だけ。そのお兄様が助けを求めている、わたくしにはそれで十分すぎる理由なのです」
「……わかった」
妹の愛情に感謝し、己の不甲斐なさをファレルは悔いる。なんとしても国を取り戻す、と歯を食いしばった。
対するカトレアは兄の苦悶を知ってか知らずか、いたずらっぽく笑ってこう続けた。
「しかし、あの皇女にも困ったものですね。せっかくお兄様がお仕えしているというのにそんな失態を演じるとは……」
「……宰相が介入してくるのは想定外だったからな」
「ですが、不測の事態に備えることも君主の度量です。お兄様とわたくしならばこのような事態にはなることなどありえません」
そう断言するカトレアに、ファレルは苦笑する。
戦場においてはどれだけ入念に準備を整えても、必ず想定外の事態が起こるものだ。
将としての技量はその想定外にこそ問われる。今回にしてもそうだ。ユーリアとファレルは苦しい状況の中で最善とは言えずとも、できうる判断をした。
しかし、それを戦場に出たことのないカトレアに理解しろと言っても無理がある。
「そうです! お兄様とわたくしならすべてうまくいくのです! 帝国を乗っ取って、わたくしたちの国にすることだってできますわ!」
「そう簡単じゃないさ。それに、声が大きいぞ」
あくまで冗談として受け流すファレルだが、カトレアはあくまで本気だ。彼女は本心から自分たち
「大丈夫です、お兄様。
「……なに?」
見知ったはずの
「お兄様はいつも正しいですが、一つだけ誤りがあります。お兄様は帝国を大きく見すぎている。実際には、こんな小娘一人にこれだけのことをやられて、気付きもしない節穴だというのに」
カトレアが左手を上げる。同時に、周辺の物陰からそれらは姿を現した。
瞬間、テレサがファレルの背後に立つ。あくまで彼の側にあることを示すためにか背中合わせになった。
「……影どもか。一体どうやって……いや、お前か、カトレア」
「はい、お兄様。これがわたくしの力、お兄様と共にこの国を亡ぼす影どもです」
カトレアの背後に控える黒衣の軍団は、王の影と呼ばれる旧アルケイデン王国の暗部だ。彼等は代々王族の護衛と要人の暗殺をになっていた。
監視の目がなかったのもうなずける。影たちがすべて始末したのだ。それも決して発覚しないやり方で。
「彼等にはすでに命を下してあります。第三皇女、ユーリア・ステラ・マキシマスを殺せ、と。そうなれば黒百合騎士団と彼女の権益を奪い取るのも簡単です! 二人で全てを手に入れましょう、お兄様!」
カトレアが嗤う。それはファレルの知らない妹の顔だった。
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