第8話 王子と妹

 帝城からアルセナ離宮に戻る馬車の中は悲痛な沈黙に包まれていた。

 ファレルもユーリアも一言も発せず、黙り込んでいる。二人して頭の中でこれからどうするか必死で方策を練っていた。


「短すぎる」


 馬車が離宮までの道を半分ほど進んだころで、ファレルがそう口を開いた。

 主語の欠けた一言だったが、ユーリアはその意味するところを過たず理解した。


「言うな。ほかにどうしようもなかっただろ」


「まあな。だが、三か月じゃどうやっても無理だ。よしんば数を集められても調練をやる暇もない。役に立たんぞ」


「わかってる。でも、どうにかできる」


 そう答えながらも、ユーリアの目には縋るような色がある。

 いずれカレルヴァン卿に無茶な要求をされることは分かっていたが、もう少し先のことだと考えていた。少なくとも兵を休め、手に入れた領地を安定させる程度の時間はあるはずだ、と。


 それがこのざまだ。まさか黒百合騎士団が帰還してその当日に次の戦に備えることになるとは思ってもみなかった。

 完全な奇襲だ。その場ではどうにか取り繕ったが、さすがのユーリアも落ち着くと動揺と不安が抑えきれなくなっていた。


「……まったく」


 そんなユーリアを見て、ファレルは自分の甘さに嘆息する。国を奪った仇に対して放っておけないなどと感じることをそのものが恥じ入るべきことだ、と己を罵った。


 しかし、それでもすべきことは変わらない。ユーリアを皇帝にすることでしか国を取り戻すことはできないのだ。そこにどんな感情があったとしても最終的な結果さえ整えばいい、そう割り切るだけの度量がファレルにはある。


「幸い、黒百合騎士団の損耗はほとんどない。兵も騎士も装備も少し休めば動ける。つまり、の手元には三千の元手があるということだ」


 オレ達という言葉をあえて強調しながら、ファレルは現状を整理する。ユーリアの瞳(め)に力が戻った。

 どれだけの窮地に合ってもきっかけさえあれば立ち上がる彼女はそういう人間だ。ましてや、それが想い人の言葉であればなおさらだった。


「ペリシテは小国だ。鉱山はあるが、土地は貧しく、兵は精鋭だが数は少ない。国境の守備兵はせいぜいが五千、いや、七千だな。つまり、こっちは一万もあれば国境を抜ける」


「……南方兵団は三万の兵で敗れたぞ。落とせるか、三分の一で」


「やるしかないと言ったのはお前だ。それに、そういうことをさせたくてオレから国を奪ったんだろうが」


 今更疑うなと言うファレルに、ユーリアは唇を噛む。彼女の中では間道と罪悪感、そして喜びとがないまぜになっていた。

 思考が切り替わる。堤が崩れるように考えが巡りだし、世間の風聞に違わずにすぐさま最適解を導き出した。


「――金が要るな。それも大量に」


 単純だが、切実な結論だ。しかし、逆に考えれば、潤沢な資金さえあれば問題は解決するということでもある。


「傭兵を雇うにせよ、兵を募るにせよ、金が掛かる。ましてや、即戦力になるようなものを雇おうとすればかなりの額になる。私の蔵を使い果たしてもせいぜい二千か、三千が関の山だ」


「だろうな。普段から使い過ぎだ」


「こ、皇族はいろいろ入用なんだ。仕方ないだろ」


「別に責めちゃいない。ともかく、ないなら借りるしかないな。稼ぐには時間がない。あてはあるのか?」


「……ない。そもそも帝国では皇族に金を貸してくれる商人はいない」


「…………それもそうか」


 帝国にも商家が存在しないわけではないが、金を貸す以上は返ってくるという保証が求められる。

 その点において帝国の皇族ほど信用できない相手もいない。皇族を裁く権利が皇帝にしかない以上、借金を踏み倒されるのは火を見るよりも明らかだからだ。


「……金は何とかしてやる。お前は領地ガルアをなんとかしろ」


「…………わかった。任せる」


 考えるそぶりを見せてからユーリアが頷く。ファレルには全幅の信頼を置いているが、彼も元王族だ。商家と、ましてや帝国に拠点を持つ商人と繋がりがあるとは思えなかった。


  それでも任せろと言われた以上は任せる。互いの能力を疑わないことだけが二人の間にある唯一無二の絆だった。


「それと、この前の魔術師、少し借りるぞ」


「ニーナのことか? それは構わないが、なぜだ?」


「少し考えがあってな。あとは――」


 そこでファレルは言葉を切る。ユーリアの顔色を伺って、それからこうつづけた。


「妹に会ってくる」


「…………なぜだ?」


 問い返すユーリアの顔は冷徹な皇女のものではなく嫉妬心を燃やす女の顔だった。

 そんなユーリアに対してファレルはため息混じりに応じる。


「あいつはオレより縁故コネがある。金を借りる相手を探すにしてもなんにしても役に立ってくれるはずだ」


「………………本当にそれだけ?」



「あのな。相手は血を分けた妹だぞ。何が起こると思ってるんだ?」


「そうは言っても腹違いの妹だ。私に言わせれば他人も同然。それにあの子は信用できない。引き込んで寝首を掻かれるのはごめんだ」


「仲介してもらうだけだ。別に引き込んだりしない」


「こっちはそのつもりでもむこうはそうじゃないだろ。私は反対だ」


「私情を挟みすぎだ。それともほかに妙案があるのか?」


「…………ぐぅ」


 白旗を上げたユーリアに、ファレルは頷き、腕を組む。

 ユーリアとは全く別の理由で、ファレルにも葛藤はある。できれば自分の行動に妹を巻き込むようなことはしたくはなかったが、これ以外に三か月で軍を整える方法は思いつかなかった。



 ファレルの妹、カトレア含めて旧アルケイデン王国の王族、要人の大半は帝都の外れにあるペルセポナ離宮に幽閉されている。

 この離宮は古くから迎賓館として活用されており、そこに住まう貴人たちは表向きは賓客として扱われていた。


 もっとも、彼等の実像はいわゆる人質だ。属国であれ植民地であれ、彼等の故郷で反乱の兆しがあれば彼らの首が帝都の広場にさらされることになる。


 ゆえにファレルにとって、この離宮ほど忌々しい建物もない。ここに親族が囚われていなければ気兼ねなく帝国に対して反旗を翻せていた。


「若様」


 翌日、ペルセポナ離宮を訪れたファレルを出迎えたのは、メイド服を着たテレサだ。彼女もまたこの離宮にとらわれた人質の一人だった。

 慣れ親しんだ世話係の佇まいにファレルは安堵の息を吐く。知らぬうちに肩に力が入っていた。


「ここにいらっしゃるのは珍しいですね」


「妹に会いに来た。どこにいる?」

 

「カトレア様は今は中庭でお茶をしておいでです。それとお会いするならこちらを」


 そういってテレサはどこからか小箱を取り出す。ファレルはそれを受け取ると、中身を改め、眉をひそめた。


「……首飾りか。どこから……ああいや、お前、話を聞いてたな?」


 首飾りは流行りの造形デザインのもので、妹の好みにも合致している。手土産としてはこれ以上ないものだ。

 しかし、いくらテレサが有能と言っても事情も知らずにここまでの用意をするのは難しい。どこかに潜んでいたと考えるのが、自然だ。


「自由になった以上、若様の護衛はわたくしの責務ですので」


「…………なら、お前も付き合ってくれ」


「わたくしはいないほうが良いと思いますが……」


「頼む」


「……ではおそばに」

 

 珍しく自信なさげな主の目を見て、テレサは渋々同行を決意する。ファレルの負い目は理解しているが、自分が同席すれば王女がどう反応するかも予想できていた。


 ペルセポナ離宮の中庭はその壮麗さで知られている。

 帝国の象徴たる一対の竜の石像に始まり、魔法による黄金の水があふれる噴水やあらゆる季節の花をつける生垣など帝国を威信を知らしめるために装飾華美ともいえる造形をしていた。


 その花園の中心には、一輪の花が佇んでいる。ファレルと同じ黒い髪を腰まで伸ばしたその少女こそが、彼の妹にしてアルケイデン王国の王女、カトレア・ファム・アルケイデンだ。


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