第7話 勅命

 帝都アルコニア、トライデン城『天覧の間』。

 アルコンの建国神話を描くステンドグラスに囲まれ、黄金と真珠で装飾されたこの広間はアルコン帝国の威信を示すものであり、建国以来皇帝との謁見のために用いられてきた。


 しかし、今、天上の座と呼ばれる玉座は空だ。皇帝が臥せって以来、そこに腰かけることが許されたものは一人としていない。


 代わりに大陸の三分の一を支配する大帝国を支配するのは玉座の側に控える僧衣の宰相。その顔には経験と同じ数だけのしわが刻まれ、眼孔は暗いの洞くつのようだった。


 彼こそが帝国宰相、オーレリウス・カレルヴァン侯爵。僧籍に入ってからは白衣の宰相とも呼ばれる帝国の最高権力者の一人だ。


「――玉座に拝跪を」


 威厳ある深い声が広間に響く。今の侯爵は玉璽レガリアを預かるもの、その命は皇帝の命にも等しい。例え皇族といえども従わざるをえない。


「ユーリア・ステラ・マキシマス。此処に」


 その威に歯噛みしながらも、ユーリアはゆっくりと膝を屈する。背後に控えるファレルも心底うんざりしながらもそれに従った。


 異民族や身分の低いものでも実績さえあれば取り立てる実力主義を標榜するアルコン帝国だが、内実は儀礼と形式を何よりも重んじている。皇帝どころか、空の玉座にさえ敬意を払わなければならないのはその証左だ。


「お顔をお上げください、殿下」


 宰相の言葉を待って立ち上がるユーリア。業腹ではあるが礼儀を守ることはそのまま身を守ることでもある。余計な失点を犯すくらいなら屈辱を飲み下す胆力が彼女にはあった。


「急なことにも関わらず、よくぞお越しくださいました」


「何の。宰相殿のお召しとあらば参上しないわけにもいくまい」


わたくしめは皇帝陛下の代理にすぎず……畏れ多いことです」


 対する侯爵もあくまで臣下としての態度を崩さない。

 実際両者の権力には大きな隔たりがあるが、それにかまけて大柄な態度をとるような愚かな真似はしない。今回の呼び出しに関しても、あくまで病床にある皇帝の要望、という名目であった。


「陛下は、ユーリア殿下をことのほか気にかけておられます。病床にあってもいつもお聞きになるのは殿下のご近況ばかりでございます」


「であれば、私自ら陛下に拝謁し、ご奉公しよう。直接、顔を見ればご安心なさるはずだ」


「それはぜひに。御典医にも検討するように命じておきましょうぞ」


 言葉とは裏腹に、病床での拝謁については検討されることなどない。ユーリアもそれは分かっている。分かっていて、当てこすっていた。

 一年以上前から皇帝は面会謝絶だ。これは容態の問題もあるが、それ以上に侯爵の都合が大きい。皇帝の代理人として権勢を握るには皇族と皇帝の繋がりは断ち切っておかなければならない。


「――しかし、ユーリア殿下、皇帝陛下は昨今、南方についてご憂慮されております」


 不意を打つように侯爵は本題に入る。表情からその真意は読めないが、続く言葉の内容は予想できた。

 皇帝の意とは言っているものの実際には宰相の意だ。ユーリアはガルア渓谷周辺領地の継承について侯爵に借りがある。どのような厄介ごとを命じられるにしても断るのは難しい。


 ましてや、南方とは南方辺境域のことだ。その地域で起きていることに関して噂くらいはこの帝都にも届ている。 


「……陛下の御宸襟ごしんきん騒がすとは不埒なものもいたものだ」


「ええ。殿下もご存じのことと思いますが、畏れ多くもアレク殿下の率いられる南方軍が転進なさいました」


「……将軍の一人が射殺いころされたと聞いた。噂は真であったようだな」


 宰相は転進と濁してはいるが、実際には敗退だ。

 第四皇子アレク率いる南方軍が侵攻中の小国家ペリシテの軍に散々に敗れ、軍を統括する三人の将軍のうち一人が討ち取られた。結果、統制が瓦解した南方軍は撤退を余儀なくされた。

 隠そうとして隠し切れるものではない。捲土重来を狙おうにも南方軍の立て直しには一年以上かかるというのが大方の見方だった。


 そこまでわかっていれば、宰相の要求の内容もおのずと察しが付く。他の方面軍はそれぞれの敵に掛かりきりで、他に援軍を回せる余裕はない。

 一方、帝都にある戦力で自由に動かせるのは――、


「それで、アレク兄さまの代わりを私に務めろ、ということか」


「そういうわけではありませんが……大陸の統一は建国以来の国是。例え一年たりとて遅延は許されません」


 もっともらしい理屈を述べる宰相に、ユーリアは「なにが国是だ」と内心毒を吐く。

 実際に、南方方面の進行が滞ることを憂慮しているのは皇帝ではなく宰相本人だ。それも国是などというあいまいな理由ではなくもっと実利によってだ。


 宰相、カレルヴァン侯爵の本来の領地は南方辺境域に近い。そのため代々カレルヴァン家は南方のとの交易で富を築いてきた。

 今回の南方侵略はその交易に著しい影響を及ぼしている。信仰が失敗にするにせよ、成功するにせよ、戦が集結しなければカレルヴァン家としては大損だ。


「幸い、ユーリア殿下は名うての戦上手。あなた様とそこの黒騎士、そして黒百合騎士団ならば雪辱を晴らすにたる、と皇帝陛下は仰せです」


 その一言に、ユーリアとファレルはほぼ同時に同じ答えに到達する。不可能だ、と。

 南方兵団は約三万の将兵を有し、第四皇子の外戚を介しての豊富な財源を有している。確かに率いるアレク皇子は将としては凡庸な人物だが、それでも数は力であり、その幕僚には優秀な人物が揃っていた。


 その南方兵団が敗退した。せいぜい五千程度の兵力しかなく、ろくな支援者もいない黒百合騎士団ではどう逆立ちしても南方侵攻は成功しない。


 そんなことは命じている宰相自身も分かっているはずだ。ならば、その意図は明白。ユーリアごと黒百合騎士団を南方侵攻を打ち切るための名目として捨て石にしようというのだ。


「これは畏れ多くも皇帝陛下よりの勅命。どうか拝命くださいますよう」


 予想はしていた。覚悟もしていた。それでもなお、勅命という言葉には重みがあった。

 皇族といえども勅命に逆らうことは大罪だ。それでも何らかの理由を付けて固辞しようにも先のガレリア渓谷の一件ですでに退路は塞がれていた。


 この勅命を受ける以外にユーリアに選択肢はない。そして、勅命を受ける以上は失敗は許されない。勝利は必要最低限の条件だ。


「――謹んで拝命する」


 全てを覚悟したうえでユーリアはそう答える。背後のファレルも騎士として彼女に倣った。

 だが、勅命だからといっておとなしく従うユーリアではない。


「だが、猶予を頂きたい。我が騎士団は遠征を終えたばかりで疲れている。我が新たな領地の人心も安定させねばならん」


「道理でございますな。いかほどあればよろしいですかな?」


「半年あれば軍を整え、南方の諸国平らげてみせよう」


「半年ですか……それは難しゅうございますな。それだけの時を敵に与えることになりますので」


「では、三月でいい。それだけあれば十分だ」


「三月ですか。それならばよろしかろうかと」


 頷く宰相。ただの言葉ではあるが、彼ほどの立場であればその一言一言には価値がある。明確な約束でなくとも言及したというだけで並の証書以上の力がある。


 もっとも、半年という無理な条件から引き出した三月という約束もギリギリの数字ではある。現在の黒百合騎士団を増強したとして間に合うかどうかはかなり分の悪い賭けだ。


「それでは、殿下。御身に帝祖の加護があらんことを」


 そう言って宰相は会談を締め括る。出陣を寿ぐ言葉はそのまま死者を送る詞でもあった。

 宰相はユーリアが再び生きてこの天覧の間に現れることはないと確信している。その余裕が彼の顔に現れていた。


 だが、その余裕こそが希代の宰相、カレルヴァン侯爵の唯一の隙。彼はユーリア・ステラ・マキシマスとその黒騎士ファレルを侮っていた。



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