第6話 メイドと皇女
翌朝、モースタント卿の死は自死として兵士たちに公表された。今回の叛乱の責任を取ってのこととして理由は説明されたものの、兵士たちの目から見ても何らかの策謀の結果であることは明らかだった。
もっとも、そうと分かっていても主君の敵討ちをしようというものも、義憤に駆られるものもいなかった。今回の戦に動員されたのはモースタント卿の子飼の兵ではなく傭兵や徴兵されたものが大半だったのだから、当然と言えば当然だった。
それでも、事態を収拾し、ファレルが軍の指揮権を掌握するまでは半日ほどの時間を要した。然るべき褒賞を分配し、捕虜の処遇を決めるまでにはさらに半日。結果として、砦からの帰還準備に丸一日を費やすことになった。
「よろしかったのですか?」
ようやく天幕で一息ついたファレルに、テレサが声をかける。さすがのファレルも一日で軍の撤収準備と政治工作を済ませるのにはいささか以上の労力がいった。
帝都に向けて出立するのは翌朝早く。残る後始末は遅れて到着する黒百合騎士団の人員に任せる予定だった。
「なにがだ? 手抜かりがあったか?」
「農奴たちのことです。本当に解放してよろしかったのですか?」
テレサの指摘に、ファレルは困ったように眉を顰める。
確かにファレルは捕らえた農奴たちの生き残りを一人残らず解放した。
帝国の方に照らせば処断してしかるべきだ。今回のファレルの判断は甘きにすぎる。誰かに讒言されれば何らかの咎を受けたとしてもおかしくない。
「どうもこうもない。そういう約束だった、それだけの話だ」
「……はい」
ファレルの答えに、テレサは嬉しそうに頷く。
黒騎士の兜をかぶり、故国を取り戻すための戦いに投じるようになっても主の本質は変わっていない。そのことを確認できただけでも胸のつかえがとれたようだった。
「それにユーリアからも農奴の扱いについては命を受けてない。どう扱おうがオレの裁量だ」
「……そうですか」
しかし、続く言葉にテレサの機嫌があからさまに悪くなる。口にした後にファレルはテレサの前ではユーリアの名は禁句であったことを思い出した。
当然と言えば当然だ。ファレルとの密約があるとはいえ、二人の故国を滅ぼしたのはユーリアだ。彼女がいなければそもそもこうしてファレルが黒騎士に身をやつす必要はなかった。
それを差し引いても、テレサにしてみればユーリアは怨敵も同然だ。恋敵と言い換えてもいいだろう。
「……なんにせよ、農奴どもを生かしておこうが、殺そうが、大勢に影響はない。いや、あとのことを考えれば生かした方が得だ」
あくまでこの後、この地をユーリアが治めるならば、という前提をぼかしたままファレルはそう結論付ける。
もともとこのガルア渓谷周辺は交通の要衝であり、土地も比較的肥沃だ。前任者のモースタント卿のようなやり方をしなければ十分な税収が見込める。
そのことを見込んだうえでの今回の一件だ。この地を手に入れることでいずれ来る内戦における本拠地とするのだ。
「……随分と楽しそうですね」
「…………笑っていたか?」
「ええ、少し」
完全に無意識だった。置かれた立場はどうあれ、帝国という大国を揺るがす謀略に関わるのは確かに愉快だ。時折、何もかもが自分の掌の上にある、そんな錯覚を抱いてしまう程度には。
「よくない癖だな」
「確かに。若様は昔から、横道にそれてしまうことがよくありました」
テレサはおもむろに
身体に触れる柔らかさにファレルの中に久方ぶりの熱が疼く。戦の猛りを治める方法はよく知っている。
「テレサ、今は――」
「ニーナ様は眠っておられます。それに、もし見られていても、今の若様は王子ではなく黒騎士何の触りがありましょう」
ファレルの口をふさぐようにテレサは唇を奪う。舌を挿し入れ、主の熱情を誘い出す。
「今は、私にお情けを。一年ぶりですもの、待たせすぎです」
艶やかな声がファレルの耳朶を叩く。それが最後の一押しだった。
そうして、夜は更けていく。帝都への出立は早朝のはずが、結局昼間までずれ込んでしまったのだった。
◇
帝都に凱旋したファレルを、ユーリアはアルセナ離宮の私室で出迎えた。
戦勝の凱旋にもかかわらず、葬列のような厳粛で密やかな帰還だった。
黒百合騎士団においてはそう珍しいことではない。ましてや、率いてるのは
それでも、主君であるユーリアにとって今回の戦は大戦果と言ってもいい。多少の計算外こそあったものの、おおむねすべてが彼女の思惑通りに進んだ。
であれば、当然、ユーリアは喜色満面で己が騎士の帰還を迎えるものと思われた。
だが、実際にファレルを出迎えたのは寝間着姿で
足を組んで、頬杖を突いたその姿は明らかにへそを曲げている。ユーリアが機嫌を損ねるのはそう珍しいことではないが、今日は特段虫の居所が悪いようだった。
「――報告は以上だ」
そんなユーリアを無視して、ファレルは淡々と報告を済ませる。
ユーリアが気分屋なのは今に始まったことではない。十年前、初めて対面した時から彼女は気ままだった。それにいちいち付き合っていても仕方がないことは誰よりもファレルが理解していた。
「……待て。話は終わってない」
そのまま退席しようとしたファレルをユーリアが呼び止める。視線を逸らしたまま近くに寄るように顎をしゃくった。
「確かに今のオレはお前の騎士だが、顎で使われる覚えはないな」
「いいから。近くに」
普段ならば皮肉の一つも返ってくるはずが、予想外の反応にファレルは戸惑う。困惑しながらも彼は己の主君の側に歩み寄った。
「……なにがあった?」
「宰相殿だ。横やりが入った」
溜息と共にユーリアは言葉を吐き出す。
寝台に体を横たえると体の線が露になる。猫のように固まった体を延ばし、声にならない息を漏らした。
「なんだ、無駄骨か?」
仕方なしにファレルは主の隣に腰かける。上等な寝台に深く体が沈んだ。
「いや、どうにか話はつけた。だが、疲れた」
ユーリアの声色に疲労が滲んでいる。例え
現皇帝、グライアル三世は病に臥せって長い。そのため帝国の差配を行っているのはユーリア含めた帝族と貴族の中から選任された宰相だ。
その事実上帝国を統治している現宰相が大貴族カレルヴァン侯爵だ。彼の権勢はすさまじく今や第一皇子さえしのぐ勢いだった。
無論、それだけの権勢を維持するのだからその政治的手腕はユーリアをして舌を巻くほどのものだ。そうでなければたった数時間の会談でここまでユーリアが消耗することなどない。
「あのイタチ貴族め。一体どこから嗅ぎつけてきたのか、私の計画を知っているような口ぶりだった。油断できん」
「それでよく話を付けられたな。条件でも付けられたか?」
「今のところは何も。だからこそまずいとも言えるがな」
タダより高いものはない、とファレルは呻く。権謀術数の世界において誰かに借りを作ることほど恐ろしいことはない。弱みを握られているのとほぼ同意犠だ。
「……まあ、よくやったんじゃないか。なんにせよ、前進はした」
「…………そうだな」
そう慰めを口にするファレルの背をユーリアは指でなぞる。自分に国を奪われ、黒騎士に落とされ、それでもなお変わらぬ彼がたまらなく愛おしかった。
そのまま、その背に抱き着こうとしてユーリアはある匂いに気付く。半ば第六感ではあったが、すぐにその匂いの正体を確信した。
「…………女の匂いがする」
「あー……」
言い訳を探してファレルが視線をさまよわせる。半ば八つ当たりのようにユーリアはファレルの背に爪を立てた。
「決めた。あのメイドは幽閉だ。いや、死刑だ」
「おい、いい加減に――」
ノックの音がファレルの言葉を遮る。狙いすましたようなその音に二人は要件の内容を察する。皇帝、ひいては宰相からの呼び出しだ。
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