第5話 慈悲の刃

 ファレル率いる黒百合騎士団が東門に到着した時には、門はすでに開け放たれていた。

 かんぬきは内側から壊され、砦にはすでに火の手が回っていた。


 典型的な内部崩壊だ。おそらく開城派と徹底抗戦派で争ったのだろう。籠城していた農奴たちの死体があちらこちらに転がっていた。


 すべてファレルの狙い通りではある。だが、ここまでの惨状せんかは彼も予期してはいなかった。


「攻め落とすぞ! 敵を生け捕り次第、火を消し止めよ!」


 ファレルの号令の下、騎士たちは瞬く間に砦を制圧した。いかに黒百合騎士団が実戦経験に欠けるといっても、弱り切って争い合っている農奴たちを取り押さえる程度のことは容易だった。

 さらに、その後の迅速な消火作業の甲斐あって、焼失したのは砦の三分の一程度で済んだ。


 捕らえた捕虜の数も籠城していた農奴たちの三分の一以上で、ファレルが到着して以降は塀の犠牲も必要最低限に抑えることができた。結果としては、帝国軍側の快勝といってもよい。


 だが、今回の討伐軍の総大将、モースタント卿の心中は穏やかではない。


「ふざけるな! 何のためにお前たちを雇っていると思っているんだ!」


 砦の陥落とその顛末を報告する兵士たちに向かって、モースタント卿は怒声を張り上げる。


 彼が砦の陥落を知ったのは全てが終わった翌朝のことだ。夜中の間は何があっても自分を起こすなと命じたのはモースタント卿自身だったが、そんなことは忘れ去っていた。


「これでは私の面目は丸つぶれではないか! 小娘の飼い犬が! それが狙いか!?」


 部下たちの目の前だというのに、モースタント卿はあからさまに取り乱している。


 それも当然ではある。こと保身に関しては彼は頭が働く。今回の反乱の鎮圧において本家であるギレルモナ公爵家に助けを求めただけでも大きな失点だというのに、それを挽回する機会さえかの黒騎士に奪われてしまったのだから。


 これが本家に知られれば、モースタント卿は今の地位を失いかねない。それを避けられたとしても、レオネル派閥内での彼の地位は大きく低下する。


「これも叛徒どもとあの腹黒い皇女のせいだ! そうだ! すべて陰謀だ! 私を貶めるためにやつらが図ったのだ! でなければ、叛乱など起こるはずもなぁい!!」


 怒りに任せて、酒の入った杯を地面に叩きつけた。

 自身の課した二度の重税も、その税を帝都に納めず、私腹を肥やしたことも彼の認識から消えている。この程度のことは帝国の貴族ならばみな行っていることだ、自分だけがこのような目に合うのはおかしいと本気で思い込んでいた。


 もっとも、モースタント卿の思い込みもすべてが間違っているわけではない。この反乱の原因そのものは彼の落ち度でも、その後の全てに関してはあらゆる陰謀が渦巻いていた。


「このままでは、私は、私は……」


 崩れ落ちるように椅子に倒れこむ。そのまま絶望打ち沈む網としたモースタント卿の脳裏に、天啓が過った。


「…………まだ本家への報告の使者は出ていないな? 黒騎士の陣からの早馬はどうだ?」


「ま、まだそのような報告は受けておりませんが……」


 兵士が答えた。

 事実、戦が終わったばかりで味方も混乱している。帝都二千勝を報告する使者を出すような余裕はないはずだ。


 借りに使者を出した後でも今ならばもみ消せる。その程度の力は彼にもある。


「おい! おまえ! 手練れの騎士と兵士を集めろ! あと、黒騎士の陣を見張っておけ!」


「は、はぁ……」


「それと捉えた捕虜どもの居場所も調べろ。油と松明もな」


 不可解に思いながらも、兵士たちは命に従う。ここにはモースタント卿に諫言するようなものはいなかった。


 この戦場において黒騎士には味方がいない。仮に彼が死に、黒百合騎士団が壊滅したとしてもその真相をわざわざ帝都に告げ口するものがいたとしても十分揉み消せる。


 やるならば今だ、今しかない。此度の戦では発揮されなかったモースタント卿の果断さが遺憾無く発揮されていた。

 だが、それでもなお、遅きに失した。 


「――ごきげんよう、モースタント卿」


 冷たい声が響く。背筋に走る悪寒に、モースタント卿は咄嗟に振り返った。

 

 そこには影が立っていた。

 突如姿を現したのは黒い甲冑の騎士。隣には同じく黒装束に身を包んだ女が立っている。間違いなく件の黒騎士とその従者だ。

 二人の足元には護衛の兵士たちが転がっている。モースタント卿を守るものはもういない。


 先手を打たれた。黒騎士は戦が終わればモースタント卿は自分を排除しようとすることも読んでいたのだ。


「き、貴様! な、なぜここに……」


「なに、戦勝の報告に参ったまでです。それと、あなたのお命を頂戴しにまいりました」


「な……!」


 動揺と恐怖に後ずさるモースタント卿。剣を帯びているというのにそれを抜くという発想さえ浮かんでこない。

 戦場に立っていながら、彼は己の死というものをはるか遠くにあるものと考えていた。


「わ、私を殺してどうする気だ! ギレルモナ家が、レオネル殿下が黙っていない! 内戦になるぞ!」


「否。貴方は罪人として処断されるのだ。いかに第二皇子殿下と言えども口は出せない」


「ざ、罪人? 私が……?」


 モースタント卿には黒騎士の言い分が理解できない。彼にはこれまでの行いに対する罪悪感など一切なかった。


「証拠もここにある。不正な増税に、天上金の着服。ならびに、敵国との密通。これらの罪状、万死に値する」


 黒装束の女が書状の束を取り出す。

 証拠が本物であれ、偽物であれ、罪状にはすべて身に覚えがある。もはや、口先だけでどうこうできるような状況ではなかった。


「ま、待て! 何が望みだ!? 金か!? 地位か!? どちらも用意できる! そうだ! こちらの派閥に乗り換えないか!? レオネル殿下はいずれ皇帝となられるお方だ! 栄達を望むならこちらに――」


「――くどい」


 必死の命乞いを黒騎士は冷徹に切り捨てる。

 すでにモースタント卿の死は決定事項だ。誰にも覆せないし、覆す気もなかった。

 

 もし、黒騎士にあるとすれば戦士としての温情だけだ。


「だが、貴公もひとかどの貴族だ。選択の余地は与えよう」


 そう言うと黒騎士は懐から奇妙な短剣を取り出す。黒く湾曲した刃を持つその短剣は、いわゆる魔道具の一つで『慈悲のつるぎと呼ばれている代物だ。

 この剣は戦場において負傷兵の治療などを担当する癒師の懐剣であり、相手の命を痛みなく奪う力があった。


「ここで自死されるならば名誉は保たれる。貴方の一族にも類が及ばぬように手配すると誓おう」


「な……!」


 帝国においても自らの行いの責任を死をもって果たすということはそう珍しいことではない。同時に、政治的理由から当人の罪がその一族郎党にまで及ぶということもよくあることだ。


 己が命一つでことが収まるのならば、それを厭うことはない。それが帝国における戦士の美徳であった。


 しかし、モースタント卿は戦士ではない。彼はあくまで貴族であり、己の身を第一に考えていた。


「い、いやだ! 私は死にたくない! そうだ、私を間者にすればいい! どんな情報でもお前たちに――」


「――承知した」


 返答を聞き届けた瞬間、黒騎士の剣が抜き放たれる。迷いのない剣閃はモースタント卿の喉元を痛みを感じる間もなく切り裂いていた。


「……若様」


「平気だ。それより後片付けは任せるぞ」


 目の前の屍を直視したまま、ファレルはテレサにそう答える。


 実際、罪悪感はない。確かにモースタント卿に抵抗する力はなかったが、先に自分たちを殺そうとしたのは卿の方だ。ファレルはそれを予測し、襲撃を受ける前に先手を打った。この暗殺は正当防衛、そう強弁することもできる。

 

 けれど、後味の悪さはどうしても残る。そもそもここに来た理由はモースタント卿を失脚させるためだ。どんな言い訳をしたところでそれは変えられない。


 このようなやり方は王道ではない。だが、まつりごととはそういうものだ。故国を取り戻すためにはどんな泥でもすする覚悟が必要だった。


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