第4話 策の二

捕虜たちに食事をとらせた後、ファレルは彼らを着替えさせ、仮眠をとらせた。捕虜の扱いとしてはあまりに丁寧に過ぎるが、それを疑う余裕は彼等にはなかった。


 半日後、目を覚ました捕虜たちを自らの天幕に招くと、ファレルはこう切り出した。

 

「――まず第一に、私は君たちの敵ではない」


 その言葉にはさすがに捕虜たちも怪訝そうな表情を浮かべた。

 彼らは反乱を起こした叛徒であり、目の前の騎士はその鎮圧のために遣わされた。いわば不倶戴天の敵だ。そのことは覆しようがないと思われた。


「君たちの疑念は分かる。だが、私がここに来た本当の目的は君たちの討伐ではなく、モースタント卿の弾劾なのだ。彼が領民から不正に税を取り立てていたという証拠もすでに確保してある」


 ファレルはそう言って、捕虜たちに書状の束を示してみせる。実際には、まだ父性の証拠の確保には至っていないが、もとより文字を読むことさえできない彼らには十分すぎるほどの説得力があった。


「しかし、物事には順序がある。弾劾の前にまずは叛乱を治めなければならない。それはわかるな?」


 三人のうち二人の捕虜が頷く。残る一人はまだ半信半疑と言った様子だが、目が泳いでいる。もう一押しだ。


「そこで私は君たちを解放しようと考えている。その代わりといってはなんだが、君たちには砦の者たちの説得をしてほしいのだ。君たちが開門し、砦から出るなら私の裁量で命は助けると約束しよう。どうだ?」


 本題に入ったことで捕虜たちは互いの顔を見合わせる。目の前の相手を信じていいのか、あるいは信じたとして自分たちにそれが可能なのかと考えているのだ。


「私が信用できない、というのは分かっている。私自身、君らの知る通り帝国内での風聞はよろしくない。実際、今ある包囲そのものを解く権限は私にはない」


 各地の戦場に出没する黒騎士の噂は彼らのような農奴の間にも広がっている。手柄を挙げたい他の貴族たちの間では半ば疫病神ようなものであり、帝国に敵対する者にとっては恐怖の象徴だ。


 そうだからこそ、捕虜たちにはファレルの言が真に迫って聞こえる。彼は己の風聞を最大限に利用していた。


「それでもできることはある。君たちが引き受けてくれるなら、それまでの間、包囲のうち私の軍が担当する場所は空けておこう。もちろん攻撃はしないし、君たちがそこから逃げたとしても止めだてはしない。どうだね? これで信じてもらえないだろうか?」


 最後の一押しに、残る一人も頷く。その後、ファレルは三人に大量の食糧を持たせたうえで約束通りに開放した。

 甘いどころか、処罰されても文句が言えない対処だが、これも砦を陥落させるための策の一環だ。


 そうして、その日の夜。ファレルは自ら動こうとはせず、天幕の中でくつろいでいた。

 彼の従者であるテレサも彼の傍で何も言わずに控えているだけだった。


 一方、気が気でないのは監視役のニーナだ。彼女は主であるユーリアからガレリア砦を落とし、モースタント卿を排除するまでの監視を仰せつかっている。

 同時にそれは、彼女にはその二つの達成のために協力する義務があることを意味している。そもそも砦を落とせなければ、連座して罰を受けることにもありうる。


 名誉や栄達にはそもそも興味はないニーナだが、今の地位を失うのは困る。皇女殿下ユーリアは魔術の研鑽をするにあたってはこれ以上ない支援者だ。

 それを失うのは困る。大いに困る。今回の戦いには彼女の人生がかかっているといっても過言ではない。


 だというのに、肝心のファレルには戦をする気がないように思える。これでは問題外だ。

 自分がどうにかするしかない。そう勇気を振り絞り、ニーナはファレルの本陣に直談判を決意した。

 

「なにも戦のやり方は一つじゃない。砦や城を落とすなら猶更そうだ」


 そんなニーナの訴えに、ファレルはあくまで冷静にそう答えた。


「これまであの砦が落ちなかったのは、こちらが完全に囲んでいたからだ。それこそ、蟻のはい出る隙間もなくな。悪手だ」


「でも、囲まないと砦は落とせないんじゃ……」


「囲むにしても囲み方がある。今回のように周囲を完全に囲むと、何が起こるかわかるか?」


 ファレルは机の上の地図を指して、ニーナに問う。彼女が首を横に振ると、こう続けた。


「逃げ場のない場所に追い込まれれば、鼠も猫を噛む。人間も同じだ。完全に追い詰められ、戦うか、死ぬしかないとなればどんな弱兵でも手ごわい死兵に化ける」


「死兵……」


「文字通り、死に物狂いで戦うってことだ。こういう輩は降伏しないし、殲滅するにしても時間がいるし、正面から戦えばこちらの被害が大きくなるばかりだ」


 ファレルの言葉の意味がニーナにもようやく呑み込めてくる。同時に、ファレルの着陣してからの行動にも納得がいった。


「遥か東方の兵法書には、城攻めは下策とある。オレも同意見だが、それでも城を攻めるならば敵に一か所逃げ道を作ってやれとも書いてあった。なぜかわかるか?」


「て、敵を死兵にしないため……ですか?」


 ニーナの理解の速さにファレルは満足げに頷く。どこに属していたとしても彼は打てば響く相手が好きだった。


「無論、大陸でも戦慣れした将軍ならばこれを実践している。そうすることで、敵を死兵にさせないだけではなく、逃げ出す敵の背を討つこともできるからな。まあ、例外もあるがな。例えば、敵が聖神の教徒であれば――」


「若様、お話が逸れております」


「む、そうか。いかんな、つい喋りすぎたか」


 混乱しそうになったニーナを見かねて、テレサが助け舟を出す。こと軍略、戦に関してファレルは並々ならぬ情熱を持っていた。


「ともかく、砦を完全に囲んでいたせいで、敵が死兵になってしまった。だから、オレは包囲の兵の一部を下がらせ、わざと包囲に穴を作った。ここまではいいな?」


「は、はい」


「だが、これだけでは三日で城を落とすには足りない。オレが捕虜を解放したのも、やつらに食事をさせ、こちらの事情まで明かしたのは、すべてこれ、砦ではなく砦に籠る農奴たちの心を攻める為だ」


「心……」


「そうだ。砦の連中はこれまで叛徒である自分たちの末路は無残な死しかないと思って抵抗を続けてきた。しかし、そこに捕らえられていた味方が生きて帰ってくる。しかも、その味方は『今降伏すれば助かる』という情報を持ち帰ってきた。砦の連中の反応は想像できるだろう?」


「え、と、緊張の糸が緩む、ですか?」


「その上、内紛が起こる。今更帝国の言うことを信じられるかと反発する者もいれば、降伏して命が助かるならそれに縋りたい者もいるはずだ。この二つの集団は折り合えない。奴らには明確な指導者がいないからな。追い詰められているうちはよくても、一度対立してしまえばもう止められない。それこそ火の手でも上がってくれれば楽なんだがな」


 ファレルの顔に凄惨な笑みが浮かぶ。彼の思惑通りに進めば、今頃砦の内部では悲惨な内輪もめが起きているはずだ。それを理解したうえで、ファレルはこの状況を楽しんでいた。


 そんな主君に呆れているテレサとは違い、ニーナはある人物のことを思い出していた。彼女の主であるユーリアもまたこのような時に笑みを浮かべる人種だった。


「黒騎士殿! ご注進です!」


 まるで見計らっていたかのように天幕の外から兵士の声が響く。火急の用でも、ファレルの天幕に踏み入ることを許されているのはテレサと監視役のニーナだけだった。


「なんだ!」


 兜をかぶりながらファレルが応える。答えは分かっているが、あえて尋ねていた。


「砦から火の手が上がっております!」


「わかった! 騎兵は準備できているな? 東門に向かうぞ!」


 笑い出しそうになる己を押さえつけながらファレルは黒騎士として天幕を出る。その後ろにはテレサが影のように追従していた。


 そうして、天幕にはニーナ一人が残される。

 結局、すべてファレルの思い通りに動いた。彼女にはそのことが空恐ろしく思え、それ以上に奇妙な感慨があった。かの黒騎士は噂通りの人物である、と。


 


 

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