第3話 策の一

 砦を落とすための策を練り上げたファレルはすぐさまこの地の領主であり、今回の討伐軍の総大将であるモースタント卿の本陣へとあいさつに向かった。


 もとより、討伐軍の戦力には期待していない。ファレルをこの地に遣わしたユーリアとしても今回の件が第三皇子レオネルの派閥の手柄になることは避けたかった。


 しかし、今砦を囲んでいるのはモースタント卿の兵だ。そのため業腹ながら、一点だけ彼らに協力を求めなければならなかった。

 挨拶はそのためのもので、モースタント卿の人柄を直接確かめておくためでもあった。


「――腐れ無能が」


 その会合の帰り道、ファレルは悪態を吐いていた。可能ならばその場で剣を抜きモースタント卿の首を刎ねかねないほどの癇癪だった。


「若様、お声がおおきゅうございます」


 半歩後ろを行くテレサがそう諫める。メイド服ではなく、主に合わせて黒い戦装束を纏い、ヴェールで顔を隠していた。

 さらにその後ろにはニーナが存在感を消している。会見の間もファレルの指示で彼女は一言も発さなかった。


「聞かれる心配はない。そこの魔法使いが防音してるからな。それに無能を無能と言って何が悪い。そのくせ保身にだけは必死ときた。ああいう輩には処刑台がお似合いだ」


「……いいではないですか。その方がことを済ませるにしても心が痛まずに済みます」


「それとこれとは話が別だ。あたら死んでいく兵が不憫でならん。だいたい、あんな初歩的な間違いをするやつだぞ? おかげで無駄に悩む羽目になった」


 会談そのものは結果として、ファレルの思惑通りになった。

 

 無論、そうなるようにモースタント卿を説得するのにはそれなりの苦労があった。

 もとより黒騎士としてのファレルの評判は芳しくない上に、モースタント卿はレオネルの派閥だ。最初から相手方の態度は最悪と言ってもよかった。


 それでもどうにか話が着いたのは、くしくも、ファレルが嫌うモースタント卿の保身への情熱のおかげだった。


「で、でも、よかったんでしょうか? そ、その、なにかあれば責任はすべてユーリア殿下がとるなんて言ってしまって……」


 たまらずニーナが尋ねた。階段の間は黙っているしかなかったが、今回の作戦について理解できていないのは彼女も同じだった。


「ほかに方法がなかったんだ。仕方がないだろ。ようは勝てばいいんだ、勝てば」


 ――自分の言葉に従った結果、軍に被害があればその責任は全て第一皇女の元にある。

 あくまで自己保身を最優先するモースタント卿に向かってファレルはそう宣言した。仮にこの戦に負けたとしても、一切咎を負うことはないと約束したようなものだ。


 普段から腹の探り合いをしている帝都在住の貴族ならば罠を疑うような都合のいい提案だが、モースタント卿は乗るしかなかった。

 ガルア砦落ちないことに誰よりも焦っているのはモースタント卿本人だ。力攻め以外の策を考える能力もない彼にしてみれば、他人の作戦を使いつつ、失敗したとしても責任を取らずに済むというのは渡りに船だった。


「で、でも……」


「しつこいぞ。勝つための策なら考えてある。テレサ、こっちでいいんだな?」


「はい。もう見えてくるはずです」


 テレサの案内で、ファレルは味方の陣内を堂々と進んでいく。すれ違う兵士や騎士たちは一行の姿を認めると、声を潜めて噂した。


「あれが例の黒騎士か……」


「血溜まり皇姫の懐刀……」


「仮面の下には牙があって、夜な夜な人の処女をすすってるって聞くぜ……」


「いやいや、兜の下は絶世の美女だって話だ。おまけにあの皇女殿下の愛人だってよ」


「後の女も化け物らしいぞ。なんでも襲ってきた男の首片手でへし折ったとかなんとか」


 そんな勝手な妄想にはファレルもテレサも慣れっこだ。それに噂されるということはそれだけ恐れられているということでもある。

 恐れは利用できる。現に三人は余計な質問や誰何すいかに煩わされずに済んでいた。


「ここです」


 しばらく歩くと目的に到着する。味方の陣の最後方に置かれた牢だ。もっとも牢と言っても、そう大層なものではない。地面に打ち付けられた杭に鎖で繋いでいるだけの粗末なものだ。


 そこには今回の戦いで捕らえられた捕虜が居並んでいた。 

 誰もが薄汚い服を着て、絶望しきった眼をしている。中にはすでに息絶えているのにまだ鎖に繋がれている者もいた。傷の治療どころか、まともな食事さえ与えられていないのだろう。死んでいるものが大半で生きているのはわずか数人だけだった。


「……むごいことを」


「まあ、おおむね予想通りだな。敵国の兵士ならまだしもこいつらはもともとただの農奴だ。どう扱おうが誰も文句は言わない」


 思わず目を背けるテレサとは違い、ファレルとニーナは目の前の惨状を事実として受け止めていた。

 

 もっとも、ファレルとニーナではその根本は大きく異なる。

 ファレルは滅びたとはいえ一国の王子であり、やがては王となるべきだった人物だ。冷徹さという統治者ならば当然持っている資質を彼は生まれた時から備えていた。


 一方、ニーナは魔術師だ。

 一切の感情を排して、全てをただ観察することから魔法の修練は始まる。帝国魔術院を首席で卒業するほどの逸材であれば、いかな惨状にも眉一つ動かさずにいられた。


「あれとあれと、あれだな」


 捕虜たちを見渡して、ファレルはその中から三人を選ぶ。特に弱っていて、なおかつまだ目が死んでいない者と沈み切っている者、そして重傷を負っている者の三人だ。


「おい! 牢番!」


「へ、へい!」


「鍵をよこせ」


 居眠りをしていた見張りを起すと、ファレルは奇妙な命令を口にする。実際、見張りも自分が何を命じられているのかわからずキョトンとした顔をしていた。


「いいから鍵を渡せ。捕虜を何人か連れていく」


「ほ、捕虜を? なんでまた……それに捕虜の移動には許可が……」


「お前に話す必要はない。許可は得ている。何なら確かめるか?」


「い、いや、結構でさ」


 ファレルに凄まれ、見張りはしぶしぶ鍵を差し出す。それを受け取るとファレルは腐臭のする牢の中に入り、選んだ捕虜たちの錠を外し。彼らを立たせた。


「まずは食事だな。テレサ」


「すでに陣幕に用意を。こちらです」


「そういうことだ。ついてこい」


 捕虜たちは意外なほど従順にファレルに従った。

 彼らの戦意はすでに折れている。拷問にかけられるにしても大人しくしていた方がまだ楽に済むと学習させられていた。


「さ、食べるといい。酒も飲むかね?」


 そんな彼らを出迎えたのは机の上に並べられた山盛りの料理だった。

 どれも出来立てで、スープからは湯気が立っている。匂いを嗅いでいるだけで食欲を誘われた。


 ましてや、会戦当初に捕まった彼らはこの五日間、まともなものを口にしていない。本来ならばすぐにかぶりつきたいが、あまりにも都合がよすぎて空腹に警戒心が勝っていた。


「ふむ」


 見かねたファレルは兜を外し、スープの皿を手にする。そのまま何の気なしに口に含んだ。

 本来ならば食事どころか、人前で兜をとることさえないファレルだが、今は特例だ。顔を見せない黒騎士では相手を安心させることはできない。

 

 そのままファレルはほかの料理を一口ずつ口にして、そのたびに満足げに頷いた。

 

「見事だ、テレサ」


「もったいないお言葉です」


 褒められたテレサは花のような笑顔を浮かべる。二人のやり取りには周囲の空気を弛緩させる効果があった。


「さあ、見ての通り、この料理は安全だ。腹いっぱい食べるといい。私は君たちの味方だ」


 その一言を切っ掛けに、捕虜たちは目の前の食事に食らいつく。祈りや感謝を口にする暇もなく、彼らは飢えを満たしていった。


 そんな捕虜たちを見て、ファレルは満足げにしている。これが作戦の第一段階だ。すべては彼の思い通りに進んでいた。


 これから三日後、ガルア渓谷砦は陥落する。それまでのことがまるで嘘だったかのように、いとも容易く砦は落ちたのだ。

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