第2話 王子とメイド
大陸暦一五九八年、六の月の二十日。黒百合騎士団は戦場であるガルア渓谷に到着した。
帝都から『ガルア渓谷砦』までは馬の脚で二日の距離がある。軍での行軍となればその倍で四日ほど掛かるが、その行程をファレル率いる黒百合騎士団は二日ほどで踏破してみせた。
そのからくりはそう特別なものではない。たった千人という少数精鋭であったことに加えて、彼の率いる兵たちが徹底して軽装であったことも大きい。甲冑を着こんでいるのはファレルぐらいのもので、各小隊を指揮する騎士たちでさえも鎧を身に着けていなかった。
とてもこれから城攻めを行うとは思えない装備だが、速度を最優先する以上はこれが最適解だった。
「――お待ちしておりました」
そうして三日目の朝、戦場に到着したファレルを一人の女が出迎えた。
女は腰まで伸ばした黒い髪と蒼い瞳を持ち、戦場におよそ似つかわしくないメイド服を着ていた。
「テレサ」
彼女こそがファレルの右腕にして傅役、テレサ・ルイーズ。今回の城攻めにあたって幽閉を解かれた彼女は
「……若様」
懐かしさと悲しみの入り混じった声でテレサはファレルを以前と変わらずそう呼ぶ。故国の象徴である蒼を基調としたものではなく、黒一色の甲冑を纏い、兜で顔を隠した主の姿を見るのは忍びなかった。
「すでにお言いつけ通りに陣幕を整えております。もう一つの案件についてはまもなく」
「苦労を掛けた」
「いえ、この程度、若様に比べればなんということはありません」
兵たちに待機を命じると、ファレルはテレサに招かれて陣幕に入る。その背後に人影が一つ追従していた。
「若様、こちらの方は?」
「ただの監視役だ。気にするな」
ファレルの物言いにも人影は動じない。
少女だ。幅広の帽子をかぶり、黒いローブを着こんでいる。年のころは十代前半で、栗色の髪をしていた。
そんな少女に対して、テレサは優しく声を掛ける。
「テレサ・ルイーズと申します。お名前を伺っても?」
「…………ニーナ・ウェルチ、です。ユーリア殿下の選任魔術師、です」
少女は詰まりながらもそう名乗る。帝国の皇族となれば専任の魔術師の一人や二人いてもおかしくはないが、これほど若い魔術師というのは珍しかった。
「では、魔女様ですね。若様ともどもよろしくお願いいたします」
「……は、はい」
にっこりとほほ笑むテレサにつられて、ニーナも笑みを浮かべようとする。しかし、普段は話しかけられることさえ稀なせいで頬を引きつらせるので精いっぱいだった。
「慣れ合うな。オレとお前が悪だくみしないように監視してるだけなんだぞ、こいつは」
「若様はもう少し思いやりを持つべきですね。事実だけを指摘するのは良いやり方とはいえませんよ」
「余裕があれば他のやり方をするさ。良いから始めるぞ」
陣幕の中心には長机があり、その上には地図が置かれている。
テレサが入手したガルア渓谷全体の地図だ。本来は一部の人間しか所有を許されないものだが、テレサならばその写しを手に入れる程度そう難しいことではなかった。
「ここが砦だな。それで味方は……こうか」
ファレルは地図上の砦に印をつけ、その周辺に赤い駒を並べる。味方の配置と陣形を再現したものだ。
「こちらの戦略は一万、相手は砦に篭って二千。で、ここに追い詰めて囲んだのが、七日前……」
それらを俯瞰しながら、ファレルは事実を一つずつ確認していく。ここに来るまでの道程でもなんでも行っていたことだが、こうして実際に地図を目にして見なければわからないこともある。
ガルア渓谷砦はその名の通りガルア渓谷東部に建てられた砦だ。
砦そのものは三十年前に建てられた比較的旧式なものであるという以外に特筆すべき点はない。
問題は砦の立地だ。砦の背後には山があり、東西の道は狭隘で雨が降ればぬかるむ。攻めるに
だが、こうも厳重に囲まれてはその天然の要害も意味をなさない。こちらと敵の戦力差は約五倍、その上、敵方には援軍のあてもない。そもそもが一揆の軍勢であることを考えればまともな将がいるとも思えない。士気を維持することさえ難しいはずだ。
総合して考えれば、楽な戦だ。問題は――、
「だってのに、何故落ちない?」
そう、この砦は未だに陥落していない。五日間も包囲されていながら、一揆兵たちは頑強に抵抗を続けているのだ。
「普通なら五日どころか、三日ももたない。オレが砦にいたとしても七日が限度だ。砦の裏に山を抜ける間道でもあるのか?」
「いえ、私も確認しましたが、間道の類は見当たりませんでした。敵の将に関しても同じく。率いているのも、率いられているのもただの農奴です」
尋ねられるより先にテレサは主の求める答えを返す。それをファリアも当然のものとして受け入れている。長らく連れ添った主従だからこその阿吽の呼吸だった。
「水源は? 砦の井戸だけか?」
「はい。水量自体は潤沢ですが、食料の方は底を突きかけているはずです」
「とすると、矢もかつかつなはずだ。解せんな、聖神の信徒でもないだろう」
対して、監視役のニーナは二人の会話が何一つ理解できない。帝国魔術院を最年少で卒業した天才でも軍略のことはさっぱりだった。
「やはり、解せん。なぜ降伏しない? まさか、皆殺しでも宣言したわけじゃないよな?」
「いえ、そのような話は聞いておりませんが……」
「敵じゃないならこちらの落ち度だ。いや、何かの魔法か?」
ファレルはそう思い当たると、ニーナに視線を向ける。監視役とはいえ、魔法使い、魔法技術全般の専門家だ。叛徒たちがなにか魔法を用いているなら、彼女に分からないはずがない。
「あの、えっと、どういう……」
しかし、突如水を向けられたニーナは何を答えたらいいのかわからず、しどろもどろになる。
そんな彼女を見てファレルはあからさまにため息をつこうとしたが、隣にいるテレサがそれを制した。
自分の思考の速度に他人が当然ついて来られると思い込んでいるのは、ファレルの悪癖だ。実際、王子であった頃も彼に合わせられる臣下はテレサも含めて数人しかいなかった。
「若様は、相手がなにか魔法を用いているのか確認できるか? と問うておられるのです」
「そ、その兆しは、あ、ありません。ま、魔力は凪いでいます。しょ、初歩的な念話も使ってないと、思います」
テレサが翻訳した問いに、ニーナはとぎれとぎれ答える。ただでさえ人前に出るのは不得手かつ、噂の黒騎士を前にしているにしては話せていた。
「魔法でもない、か。なら、なんだ……?」
答えを聞くとファレルは今度は黙り込んでしまう。完全に考え込んでしまっていた。
「あ、あの何を悩まれているのでしょう?」
「砦が落ちず、敵が降伏しないから、かと」
「え、でも、だから、わたしたちが呼ばれたんじゃ……」
ニーナの当然と言えば当然の疑問にテレサが頷く。砦を落としに来たのに、その砦が落ちていないことに困惑しているというのは傍から見れば不可思議ではあった。
「この状況で砦が落ちないはずがないからだ。四方を囲まれ、兵数の差は明らか。籠っているのはまともな軍略も知らない農奴。なのに、五日も砦は落ちていない。ここまでは分かるな?」
代わってファレルが答える。思考を整理するにも聞き手は必要だった。
「は、はい」
「なら、そのからくりを看破しなければ、城は落とせん。いや、力づくで落とせはするが無駄な血を流す羽目になる。お前の主君も、オレもそんなやり方はしない」
「な、なるほど」
答え終えると、ファレルは地図に視線を戻す。
「だから、こうして考えてる。こうまで囲んでなぜ、砦一つ落とせな――」
そこまで口にしたところで、ファレルは己の過ちに気付く。いや、より正確には、この地の領主たるモースタント卿の過ちにようやく気が付いた。
今や味方は砦を完全に包囲している。それこそがすべての原因であり、敵が五日もの間持ちこたえている理由だ。
それさえ明らかになってしまえばあとは容易い。
兜の下のファレルの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。名も明かせぬ黒騎士の身では栄誉は得られないが、戦の醍醐味はいついかなる時も代わることはない。
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