女難王子の建国譚~国を救うために頑張ってるだけなのに、なぜか女たらしと呼ばれてます〜

bigbear

第一部 黒騎士と皇女

第1話 第三皇女

 乳白色の湯に、美しい少女が浮かんでいる。彼女は燃えるような赤色の髪を湯船なびかせ、微笑みを浮かべていた。

 あまりも広い風呂だ。帝都アルコン、アルセナ離宮の大浴場はその美しさと豪奢さで知られていた。


 少女の名は、ユーリア・ステラ・マキシマス。アルコン帝国現皇帝の三女にして、皇位継承権第六位に叙せられる皇女だ。


「知っているか? 私の前に誰がここに住んでいたか」


 ユーリアはその皇女然とした美しく威厳のある声でそう尋ねた。相手は浴槽の傍で跪き、視線を伏せている男だ。

 男は風呂場だというのに、甲冑を着こんでいる。兜から脛あてに至るまで黒一色で、この場にはおよそ似つかわしくなかった。

 その姿通り、男は黒騎士と呼ばれていた。


「血塗れ姫、と言えばお前でもわかるだろう。帝都中から若い女子をさらい、その生き血を浴びていたという狂った姫さ」


 返事をしない黒騎士の無礼を咎めることもせずに、ユーリアは湯船に腰掛ける。豊満な裸体を惜しげもなく騎士の目にさらしていた。


「私が生まれてすぐに、血塗れ姫は処刑された。首は切り落とされ、広場に晒された。その罪を咎められてではなく、政治的策謀によってな」


 ユーリアは振り返り、黒騎士と向かい合う。兜の下の顔を脳裏に描いた。

 殺意を堪える苦悶の表情か、あるいは憤怒か。どちらにせよ、良い感情を抱いているはずがない。


 当然ではあるが、悲しくもあり、同時に喜ばしくもある。愛情であれ、憎悪であれ、想い人がそこまで自分を思い返してくれていることがユーリアには重要だった。


「一方、私のあだ名は『血溜まり皇姫』。この離宮はとことん流血と縁があるらしい」


 ユーリアが足を組むと、瑞々しい太腿を水滴が伝う。その魔的な色香も彼女が市井で恐れられる理由の一つだった。


「奇遇なことに、血塗れも私も同じ運命にある。皇帝陛下、我が父がこのまま亡くなり、兄の誰かが玉座を継げば私も首を刎ねられ、広場にさらされ、唾を吐きかけられる。罪状は、そうだな、謀反の疑いあり、そんなところだろうよ」


 謀殺、暗殺の類は帝位の代替わりにおいてはそう珍しいことではない。事実、現皇帝の即位に際してもその兄弟、姉妹は謀反の疑いをかけられ、皆惨殺された。

 権力闘争とはおよそそのようなもの。肉親の情も、良識もそこには存在しえない。


「その未来を避けるためには、私が皇帝となるしかない。権力を握り、政敵を打ち倒し、この国を手にすることで、私は初めて生きることができる」


 掬い上げた指の間から湯が零れていく。神ならぬ身では何一つ取りこぼさずにことをなすことはできない。

 ユーリアは持てる才知の全てを使って生き延びてきた。それでも足りないのならば、人を使うしかない。


「そのためには、お前が必要だ。ファレル・ヴァン・アルケイデン、我が唯一にして最高の騎士よ」


 主君の呼びかけに、黒騎士、ファレルは鷹揚に応じる。ゆっくりと立ち上がると、こう口を開いた。


「今更だな。オレにほかの選択肢はない」


 うんざりだという態度を一切隠すことないまま、ファレルは兜を外す。黒い髪と蒼い瞳が露になった。

 ファレルには大陸では珍しい東方の民族の血が流れている。母方の先祖がその地方の出身であるということだったが、本人にも確かなことはわかっていない。


「それとも、国を返してくれるのか? なら、よろこんでお前を裏切ってやる。首も誰より先にオレが切ってやるさ」


「ふふ、それは無理だな。君の国はすでに皇帝直轄領だ。今の私にはどうにもならない。だが、そうだな、君に殺されるならそれも悪くない」


「……付き合ってられないな」


「まあ、待て。用もないのに呼び出すほど私も暇じゃないさ」


 呆れて立ち去ろうとするファレルを、ユーリアは呼び止める。ファレルは立ち止まると心底めんどくさそうな顔で振り返った。


「二日前、レオネル兄上から私に内々に相談があった」


 レオネル・マキシマスはユーリアの兄の一人であり、皇位継承第三位の実力者だ。しかし、その実力は外戚であるギレルモナ家に由来するもので、当の本人は政治的資質に欠ける放蕩者として知られていた。


「西方辺境域の叛乱についてはお前も知っているな?」


「ただの一揆だろ。大した話じゃない」


「その大したことのない一揆の鎮圧にギレルモナの次男が手こずっている。砦を占拠された挙句、二月も包囲して、まだ落とせていないとのことだ」


「……それでお前に声が掛かったってわけか」


 一揆そのものはともかく、その鎮圧に手間取っているという事実は表に出せない。

 レオネルひいては、ギレルモナ家としても派閥内でことをすませたいところだろうが、彼等が動かせる戦力はそう多くない。

 帝国の国是は大陸の統一。その実現のため各貴族、皇族の抱えている軍の大半は遠征に出ていた。


 皇族直下の騎士団で国内に駐留しているのは、皇帝の親衛隊を除けば、ユーリア旗下の黒百合騎士団のみ。そのため国内問題の解決において黒百合騎士団は便利に使われている。今回の一件もその一環だ。


「おまえに騎士団の一隊を預ける。この一件、五日で治めてみせよ」


「……御意」


 立ち上がり主として命を下すユーリアに、ファレルは騎士らしくひざを折り、そう頷く。

 もとより彼にはユーリアに従う以外の選択肢はないが、騎士として一度誓いを立てた以上は主命は絶対だ。


「それと、現地の領主についてだが、いくつかを聞いている」


 続くユーリアの言葉に、ファレルの表情がますます強張る。彼女がこういう物言いをするときはまず間違いなく、裏がある。


「何でも此度の叛乱の原因は、そもその領主の悪政にあるという。不当に税を取り立てるばかりか、その金を帝都に納めず己が懐にしまっているとな」


「……それで?」


「そのような輩は帝国の貴族として相応しくない。確たる証拠さえあれば、我が手で処断しても問題はなかろう」


 つまりユーリアは領主を始末しろ、とファレルに命じている。それも領主が不正を働いた、という証拠を入手したうえで排除しろというのが彼女の真意だ。

 

 そして、その行為にはもう一つの意味がある。

 配下の失態はすなわち派閥の長であるレオネルの失態でもある。それを暴き立てるということはすなわち第三皇子レオネルへの宣戦布告と言っても過言ではない。


「……皇帝の容態が悪いのか?」


御典医ごてんいは誤魔化していたが、あれでは一年ともつまい。もっとも、皇帝としてはとうの昔に死んでいたようなものだがな」


 ユーリアの父、現皇帝グライアル三世は長く病に臥せっている。その政治的権威は失われ、実権は皇子たちと大貴族の中から選任される宰相に握られている。

 だが、皇帝が亡くなればその均衡は崩れる。血で血を洗う後継者争いが始まるのだ。


 その時のための準備をユーリアは整えてきた。黒百合騎士団があえて国外に出ず、国内の治安維持を担ってきたのもいずれ来る内戦において有利な立ち位置を確保するためだ。


「……ようやくか」


「そうだ。ようやく始められる」


 兄たちを打倒し、帝位を簒奪する。それがファレルとユーリアの共通の目的だ。そのためだけにこの二人は主従の契りを結んでいる。


「皇帝になったあかつきには――」


「――ああ、お前の国を返す」


 ファレルの問いに、ユーリアは改めて答える。

 この誓いを違えることがあれば、黒騎士の刃は主の首を刎ねることになる。

 

「……五日で城を落として、ついでに領主を始末するなら、オレ一人じゃ手が足りない」


「あのはダメだ。ほかのやつにしろ」


 ファレルの遠回しな頼みを、ユーリアはすげなく却下する。少女らしく頬を含ませ、拗ねたようにファレルをにらんだ。

 

「ほかのやつじゃ証拠を盗んでくるような真似はできない。ただ殺すだけでいいんなら、オレだけで済むがな」


「それでもあの女だけはイヤだ。隠密ならほかにも使える人材はいる」


「その中の何人にオレの副将が務まる? だいたいお前の縁故コネで信用できるやつなんているのか?」


 言葉に詰まるユーリア。 

 確かに黒百合騎士団を筆頭とした彼女の派閥は人材不足に悩まされている。兵士の数も少ないが、何よりそれを率いる将の数が不足している。

 くわえて、今回のような後ろ暗い工作を命じられるような相手はファレルこと黒騎士を除けば皆無といってもいい。


「……わかった。あのメイドを連れて行くことを許す。だが、浮気は許さないからな!」


「そもそもオレとお前は主従だ。男女の仲にまで口を出される道理はない」


「ぐ……と、とにかく! 浮気するなよ!」


「命は果たす。いつも通りな。そっちこそしくじるなよ」


 負け惜しみのようなユーリアの言葉を無視して、ファレルは浴場を後にする。  

 

 浴場を出てから玄関に出るまで、護衛の兵士や世話役の女官とすれ違うことさえない。大浴場に、ひいてはこのアルセナ離宮に立ち入りを許されているのは、黒騎士ファレルただ一人だった。


 それは他者にとっては寵愛と信頼の証であり、当人にとっては束縛と戒めに他ならない。

 己が祖国を滅ぼした張本人を前にして剣を抜くことさえかなわず、ただ従うしかない。国そのものを人質に取られている以上、軽挙は許されなかった。

 

 すべての原因は、ユーリア・ステラ・マキシマスという女の情。亡国の王子たるファレル・ヴァン・アルケイデンは女難の運命さだめにあった。


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