空
ある日いつも通り出勤の準備をしようとベッドから立ち上がった。
さぁっと血の気が引くのを感じたかと思うと目の前が暗くなる。
またいつもの立ちくらみか。と思った瞬間体がなにかに打ち付けられた。
痛みで私は呻いた。何が起こったのか分からない。確認しようとするがまだ目の前が暗い。
見えない、よく見えない。
頭を打ったのか後頭部が痛い。
何も出来ないまま数分私はその場でじっとしていた。
段々と視界がクリアになり私は天正を向いていたことに気づいた。
倒れた…?
その事に理解ができないほど一瞬の出来事だったのだ。
私の隣にはバラバラと近くのローテーブルから落ちた小物たち。
何とか立ち上がろうとするが力が上手く入らない。手で体を支えようとするが手首がガクガクと動いて支えとしての仕事をしない。
それでも何とか背を起こして座ると今度はぱちぱちと視界に光が散った。
それはいくつもあり、どんどん大きくなる。しまいには私の視界いっぱいに広がってまた前が見えなくなる
「なに、これ。」
そのまま私はがくんと首が後ろに倒れるのを感じた。
「あ…今、何時…?」
いつまで気を失っていたのだろう。わからない。
私は手探りでテーブルの上から時計を探した。
床は冷たく私の体温を奪っていっていた。
やっと手に時計の感触があり、手繰り寄せる。
目を凝らせて時間を見ると11時。
朝起きたのは遅くとも7時だったはず。私はこんなに気絶していたのかと思うと震えが止まらなかった。
急いで会社に断りの電話を入れるが上手く喋れない。舌っ足らずに言葉を並べていると電話の先の上司が何があったのかと執拗に聞いてきた。
この状態ではもう誤魔化すことは出来ないか、と私はゆっくりと朝からの出来事を話した。
途中で何度も意識を失いかけていた。
はっと目を開けると知らない天井が見えた。
どこ、ここ。
辺りを見渡すと私の左腕に針が刺さっていた。点滴だとわかるには時間はかからなかった。
手元に置かれていたナースコールを押して私は看護師を呼んだ。
どうやら私は電話の途中でまた気を失ってしまったらしく、上司が救急車を呼んでいたようだった。
申し訳なさでいっぱいになる。次からどんな顔して会社に行けばいいのか…そう考えているとドアが開く音がし、医者が顔を覗かせた。
担当医です。と一礼をしたのを見て私もぺこりと頭を下げる。
その後のことは曖昧にしか覚えていない。
栄養失調だとか脱水症状だとか。
そんなことは何となく分かっていた。分かっていたのだが、次に医師が口を開いた瞬間私は言葉を失った。
「摂食障害…」
私は誰もいなくなった病室でぽつりと呟いた。
テレビで見たことはある。しかし私がそうなっているとは気が付きもしなかったのだ。
それから数週間入院した。
早く退院したい一心で出されたご飯は全て食べていた。
時々体重測定があり、そのたびに目を背けたくなった。
もう私には昔の頃の体重に戻るというのが理解出来ず、恐怖としか思えなかった。
数グラム増えるだけで私の心を揺るがす。
食は私にとって脅威の存在になってしまった。
ある日の体重測定で医師がこれくらいなら大丈夫でしょうと言い、私は退院の準備がはじまった。
カウンセリングもうけていたので退院しても通わなければいけないのは苦痛であるが仕方ない。今の私は異常でしかないんだと自分でも知った。
鏡に映る私を何度も何度も眺めながら過ごす時間は私だって馬鹿らしく思う。
それでも辞められなかった。
今に戻るが私は結局摂食障害から克服はしていない。
1度歪んだ認識は中々戻すことは出来ず食べようとしても辞めてしまう。
仕事には戻れなくなった。毎日起き上がることすらひと仕事であるのに会社へ向かうことなん出来なかった。
ボロボロと涙を流しながらビスケットを噛む。噛む。
生きたいのに体はどんどん逆の方向へと向かっていく。
私はひとつの人生を無駄にしてしまったんだ。
自分で。自分の感情で。
少しだけだったはずなのに。
遠くで携帯の通知音がする。ああ、きっと遥ちゃんだ。
遥ちゃんは私が入院していた時も何度も面会に来てくれていたし、仕事を辞めても定期的に連絡をくれていた。
ああ、遥ちゃんと楽しく笑って会話していた頃に戻りたい。
「私…戻りたいよ。普通に戻りたいよ…。」
空腹 宮田水月 @MiyataMiduki
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