しらす丼

 何も描かれていない一冊の自由帳。開けばそこに、ナニモノにも穢されていない白が広がっていた。


 まっすぐで純粋で無垢で美しい、白――くすんだ私なんかと、違う色。


 なんだかそれがとてつもなく腹立たしくて、無意識的にペン立てにあった黒のマジックペンを手に取り、太い方の蓋を開けていた。


 そして、そのペン先を穢れなき白に突き立て、思い切り上下左右に動かしていく。


 何かが描きたかったわけじゃない。

 ただ、白くて美しいそれを消し去りたかった。

 真っ黒に染め上げてやりたかった。


 ペンを動かすたびに聞こえるキュッキュッという音だけが、私の耳に届く。


 あと少し、もう少し。消えろ消えろ消えろ――!


 開かれたページの全てを、黒く染めあげた。

 しかし、私の心は満たされない。

 まだ足りないんだ。もっと真っ黒にしなくちゃ。


 次のページも、そのまた次のページも黒く黒く染めていく。


 白は全部、全部全部全部――この手で消してやるんだ。


 姿を現した瞬間に、私は白を捉え、黒に染めていく。じっくりしっかり、少しずつだ。


 けれど、それでも私の心は満たされない。


 自由帳の半分くらいになった時、マジックペンが力尽きた。


 どれだけ擦り付けても、目の前の白を黒く塗りつぶしてはくれない。


 私は右手に持っていたマジックペンを投げ捨て、自由帳を左手で払い飛ばした。


 綺麗なものが嫌だ。美しいものが腹立たしい。


 私はみんなと違って、綺麗でも美しくもない。見た目だけじゃなく、中身も生き方も。


 そんなことがどうしようもなく私をイラつかせる。


 社会は私を拒絶するくせに、属していないと知ると勧誘してくる。


 その矛盾の中で生きることは、こんなにも息苦しいのに。


 その気持ちを誰も分かってくれない。気づいてもらえない。


 机に額を押し付けた。ガンっと勢いの良い音が聞こえたうえ、額には若干の痛みが走る。


 私には、無理なんだ。みんなと一緒になんて出来ないんだよ。


 やりたくてもやれないのではなく、そもそもやりたくないんだ。


 昔はもっと素直だったのに――。


 祖母に言われたその言葉が、まだ耳に残っていた。


 いつの間にひねくれちゃったんだろうね、という言葉も。


 私はずっと私だった。白かった時なんて無い。


 祖母が素直だったと言っていた当時の私だって、すでに黒かった。


 それなのに、周囲の人たちは白だったと錯覚していた頃の私の姿ばかりを見ている。


 私は白くない。

 ずっと、ずっと黒。黒いだけの人間。


 ふっと顔を上げた時、不安定な黒が視界に入った。


 払い落とした自由帳が、ちょうど塗りつぶした黒いページを開いている。


 不安定で不気味で不細工で汚らしい、黒。これが、今の私。


 そっと自由帳を手に取り、私はそれを優しく抱きしめる。


「白なんて、大嫌いだ」


 胸元にあった自由帳を両手で持ち、真っ黒のページを開く。そして、肘を曲げたまま肩の高さで構えて持った。


「白なんて大嫌い。でも――」


 右手を手前、左手を後ろに動かし、自由帳を真っ二つに破る。手から離れた自由帳はそれぞれポトリと音を立てて床に転がった。


「黒は、もっと嫌い」


 それでも私は、黒でしかない。


 黒い私を受け入れて、生きていくしかないんだ。

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しらす丼 @sirasuDON20201220

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