夜の底からの通信(3)戦友からの電話

 病室でようやく自分の現状を把握してほっとしたあたしに、看護婦が声を掛けてきた。


「ニーナさん、お電話です。お部屋の内線につなぎますね」


 あたしに電話なんて誰だろう? 

 首をひねりながら、部屋の入口近くの壁に取り付けられた受話器を取る。

 そういえば母さんも兄さんもここに来た当初は毎日のように電話をくれた。

 戦場に差し出した娘が心身共にボロボロになって帰ってきたのに、厄介者扱いして追い払ったと思われるのが嫌だという、ただそれだけで。

 そんなこと、誰に対するアピールだかわかったもんじゃない。病院はあたしみたいな「普通の暮らし」に馴染めなくて戻ってきた元兵士には慣れっこだ。帰還兵を厄介払いするような家族だって掃いて捨てるほど見ているんだから、今さら何とも思わないよね。

 淡々とした「今日もお電話ですか。まめですね」という社交辞令に、母さんがいかにあたしの身を案じているか滔々とまくしたてたことがあったらしいけど、「それはご心配ですね。顔も見られないのですから」と返されて、ようやく恥を知ったみたい。

 そりゃそうだよね。ここは村から一時間とかからないのに、面会には一切来ようとしないで電話だけ。いくら心配だって口で言っても、説得力なんかありゃしない。

 それ以来、家族からの電話もすっかり途絶えた。おかげであたしは静かに過ごせている。


「お電話代わりました」


「ニーナ? 調子はどうだい?」


 受話器から聞こえたのは懐かしい声。同じ連隊に所属していた狙撃兵のターニャだった。


「ターニャ!? 久しぶり!!」


 つい声が弾むのも仕方がない。

 ターニャとマーシャのコンビは連隊の狙撃兵の中でもピカ一の実力派。彼女たちが敵の狙撃兵をいち早く始末してくれたおかげで命拾いしたことなんて、何回あったか数えきれやしない。

 ターニャとマーシャはあたしたちの連隊にとってはヒーローだった。いや、女の子だからヒロインって言うべきかな?

 二人ともあたしたちと同じようにツルツルの丸刈り頭でくたびれた戦闘服姿だったのに、別世界の人みたいにシャキッと似合ってて最高に素敵だった。

 どんな時でも冷静で、頭が切れて…… 急な敵襲にあたしらが右往左往している間にも、いつの間にか姿を消しては見えないところから着実に敵をほふって行ったものだ。

 伝説の女神みたいに、強くて気高いあたしたちの守護神。


「元気だった!? また会いたい!!」


 静かな一日の終わりにターニャの声が聞けるなんて。ちょっと夢見は悪かったけど、今夜は安心して眠れそう。

 ターニャとマーシャがいてくれれば、あたしはなんにも怖くない。


「うん、あたしは相変わらずだよ。ニーナも元気そうだね」


「ターニャの声を聞いたら元気になった」


「よしてよ。照れるじゃないの」


「それで、どうしたの? 電話くれるなんて珍しいじゃない」


 本当は毎日だって声を聴きたいけど。できれば顔だって久しぶりに見たい。


「うん、ちょっとね……」


 ターニャにしては珍しく、言葉を濁す。どうしたんだろう? 決して口数は多くはなかったけど、いつだって言うべきことははっきりと、核心をズバズバついていたターニャが口ごもるなんて。


「あのさ……実はね……」


「どうしたの? なんか歯切れ悪いけど」


 こんなに煮え切らないなんてターニャらしくない。むくむくと、不安が腹の底から湧いてくる。


「ん……実はさ。マーシャが、死んだんだ」


 意を決したようなターニャの声。頭の中が真っ白になった。

 狙った獲物は逃がさない。隠れた敵も見逃さない。まるで空に輪を描く鷹みたいに、あたしたちを狙う奴らを片っ端から退治してくれてた、あのマーシャが……あたしたちの戦女神が死んだなんて。

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