日が昇り辺りが明るくなった頃。

「ヒメー!!大変だから早く起きなー!!」

 人の姿に変化したマカミが、まだ藁の上で寝ていた女王を揺り起こして叫んだ。

「マ……マカミ様、大きな声を出すと、皆に出ていくの、気づかれちゃう……あれ?外明るい……寝過ごしちゃった?」

 寝ぼけ眼の女王が目をこすりながら起き上がると、

「そうじゃないよ!! なんとかとか言う汝と仲良しな女が縛り上げられてる!!」

「ふぇ!?何言って……!縛る!?えぇ!!」

 マカミは混乱する女王の手を引き、家の外へ引きずり出した。

「ほら、あそこ!!」

 マカミが指さした先に潜き女達が集まっている。

「……だと」

「なんだい、人の前では良いように取り繕って……」

 女達はひそひそと話をしている。

 女王とマカミは女達をかき分けて、騒ぎの中心にあるものを見た。

「!!」

 一昨日歓待の宴をした広場の中央、焚き火をした場所に黒女と若い男が縄で縛られていた。

 二人とも全身を殴られたのか衣から出ている皮膚の部分から血が滲み、酷い青あざができている。

 黒女はかろうじて座っているが、男の方は意識がないのか、焚き火の灰の上にぐったりと横たわっていた。

「おっ!ちょっ、押すな押すな!どこ行くんだい!?」

 女王は潜き女達の中に混じっていた汙志売を見つけると、マカミを盾にするかのように彼女の背中を押しつつ汙志売の所へ向かった。

 汙志売は憮然とした表情で腕を組み、黙って黒女と男を睨みつけていた。

「う、汙志売様!ど、どういう……どういうことなんですか!?黒女様が、何……!?」

 女王は、マカミの後ろから勇気を振り絞って聞いた。

「この邑の決まりだ」

「!決まり!?」

「女なら誰でも受け入れる、全員が働く、稼ぎは全員に等しく分け与える、魚介や海藻は獲りすぎない……そして、男は入れない」

「えぇー!?そんなのつまんない!!」

「!!マカミ様!?」

 大声を出したのはマカミの方だった。

「じゃあどうやって男なしで子を作るのさー!?赤ん坊は、男の精がないとできないんだぞぉ!」

「えっ!!そっ?そう、なんですか!?」

「子は作らなくても、大来のような年若い女を他所から連れて来ればそれでいい。潜きと子育てを一緒にやることはとてもじゃないが無理だ」

「それも、その、気になりますが!……じゃ、じゃあ黒女様は!?何故縛られているんですか!?」

「決まりを破った者は罰を受けなければならない。倭の国だって、海を越えた向こうにあるっていう国だってそうなんだろう?決まりがなければ、人はまとまらない」

「な……何の罪、なんですか?」

「男と一緒なんだから見りゃわかるだろう。みそか事だよ!」

「えっ?何ですか?」

「難しいなー!ヒメにはまだ早い?いや、もうそろそろ話していいのか……人の子は育てたことないから分かんないや!サルかイザサに聞いてよー」

 マカミは説明に困って頭をかいた。

「だが、この邑で密か事をやった女は黒女が初めてだ。どうするかはアマノトジ様がこれからお決めになる」

「アマノトジ様だ!!」

 女の一人が声をあげると、全員がその女が指さした先を見た。

「!!」

 アマノトジが森の方からやってきた。

 鹿のアラガミは辺りにはおらず、ひとりだけだ。

 ざわついていた女達は皆黙り込み、場は静まり返った。

 女王もマカミも押し黙ってアマノトジの様子を見ている。

 アマノトジは広場にやってくると、女達をかき分けて黒女と男の前に立った。

「……」

 黒女は縛られた状態で黙って頭を下げ、アマノトジを見ようとしない。

「……決まりを破った者は……殺す」

「!!」

 布に覆われた顔から表情を読み取ることはもちろんできない。

 その布の隙間から見える瞳はどんよりと暗く濁っている。

 女王には、その瞳はアマノトジの心そのもののように感じられた。

「アマノトジ様!!」

 このような裁定が下るとは思っていなかったのか、黒女は思わず頭を上げた。

 その顔は驚きと恐怖で歪んでいる。

「殺せ!!黒女を殺せ!!」

「決まりを守らず、アマノトジ様の慈悲にすがっていい思いをしようとは!」

「殺せ!!殺せ!!早く殺せ!!」

「図々しい盗っ人め!!」

「咎人を殺せ!!」

「汝だけいい思いしおって!!」

「殺せ!!殺せ!!殺せ!!」

 女達は爆発したかのように、一斉に怒号をあげた。

「……どう殺しますか?」

 汙志売にとってもアマノトジの言葉は予想外だったのか、顔は引きつっている。

「皆に任せる」

「オガイのように火の中に放り込んで炙り殺せ!!」

「身を細かく刻んでどうぜい(大海老)の餌にしてしまえ!!」

 潜き女達は興奮し、口角に泡をためて怒鳴り散らしている。

 昨日までの、女王の情けない働きを見守る暖かい眼差しは誰からも感じられなかった。

「死ね!!」

 潜き女の一人が、罵りながらサザエの貝殻を投げつけた。

 一人に続いて、潜き女達は次々に辺りにあった貝殻や石を黒女と男に投げつけ始めた。

 黒女は額が投げつけられた石で傷つき血が流れても、黙って唇を噛みしめて耐えている。

「……待って!待って下さい!!」

 女王は思わず前に飛び出て黒女を庇った。

 女達は闖入者に驚き、石を投げつけるのを止めた。

「駄目です……傷つけるのは、駄目です!」

「あっヒメ!!危ないぞ!!」

「駄目だよ大来!ここから離れて!」

 マカミと黒女がそれぞれに叫んで女王を止めた。

「庇いだてするのか!?新入りの分際で!!」

「汝も死にたいのか!?」

 女達は女王に向かってどけと口々に叫んだ。

「黒女様、早く傷、治さないと……あ!御玉がないんだった!ど、どうしよう!?」

「吾のことはいいから!」

 女王と黒女達を囲む潜き女の輪が徐々に小さくなる。

「おい待て、ちょっと!どけって!!」

「止めろ!汝も死にたいのか!?」

 マカミは女王のそばに行こうとするが、潜き女達に抑え込まれ、なかなか近寄ることができない。

「く、黒女様は、殺されるようなことをしたんですか!?吾には、わからないです!殺す必要なんて……吾は死んで欲しくない!! もう誰にも!!」

 アマノトジは黙って女王を見ている。

「アマノトジ様!」

「ここは吾の邑だ。共にいてくれるなら受け入れるが、そうでない者は捨てるまで」

「捨てる!?そんな!!……黒女様は良い人なんです!吾なんかのために一生懸命潜きを教えてくれて」

「人が良ければ何をしても許されるというのか!?」

 アマノトジは声を荒げた。

 汙志売はずっと腕を組んだまま黙り込み、目を瞑っている。

 納得しているのかいないのか、その険しい表情から読み取ることはできなかった。

「吾はもう行く。曲者はまだ見つからん。殺すまでしばらく帰らない。後を頼む」

 アマノトジは汙志売に声を掛けると、女王に向かって背を向けた。

「待って下さいアマノトジ様!!待って!!」

 アマノトジは振り返ることなく、女達の中に消えていった。

「殺せ!!殺せ!!早く殺せ!!」

 再び女達の怒号が広場に響き、石や貝殻を三人に投げつけ始めた。

「……あぁ!!吾も弟のように賢かったら……皆を諭して、落ち着かせられるかもしれないのに!!」

 泣きたくないのに涙があふれる。

 女王は己の無能さ無力さが情けなく、悔しかった。

 その時、誰かが投げた石が女王の頭に当たり、女王は衝撃でその場に倒れ込んだ。

「!!」

「大来!?」

「ヒメッ!!」

 マカミがしまったという顔で叫ぶ。

 その時。

「わああ!!アラガミだぁ!!」

 女の叫び声が響いた。

 まだ怪我をしたままのイザサが森から飛び出し、跳ぶように駆けてきた。

 イザサは潜き女の輪の中に飛びこむと、女王を守るように立ちふさがった。

 潜き女達は見たことのないアラガミの登場にパニックを起こして逃げ惑う。

「アラガミ!?アマノトジ様!敵はこちらに!」

 汙志売が慌ててアマノトジを呼ぶ。

「マカミ何をしている!!いい加減人のふりをやめろ!!」

「応!!」

 マカミは力を込めてまとわりついていた女達を振り払うと、赤い炎を身に纏い、あっという間に黒い狼に変化した。

「大来、背中に乗れ!」

「だ、駄目です!二人を置いて、行けません」

 女王はフラフラと起き上がって叫ぶが、イザサは問答無用で女王の衣を咥えて放り投げ、背中に乗せる。

「死にたくなければしがみついていろ!マカミ、そっちの男を持ってこい!!」

「あいよ!!」

 イザサは黒女を咥えると、猛スピードで集落を駆け抜け、森に消える。

 マカミは男を咥えるとイザサの後に続いて走り去った。

「こちらに来たのか!?」

 弓矢を携え、鹿のアラガミに乗ったアマノトジが足音を響かせて駆けつけた。

「鎮まれ!皆落ち着け!!アラガミは吾が退治する!!恐れることは何もない!!」

 アマノトジの言葉に潜き女達は大人しくなった。

「あの大来とマカミも仲間のようです!」

 汙志売がアマノトジのそばに駆け寄って報告した。

「そうか。二人とも、国府の者には見えなかったが甘く接し過ぎたか?……いや、考えるのは後だ。皆手分けして探せ!!」

「おおーっ!!」

 落ち着きを取り戻した潜き女達は、散り散りになって森の中に入っていった。


 イザサとマカミは森の中の道なき道を疾走し、砂浜へ出た。

 幅は狭いが湾曲した細長い砂浜で、胡座の潜き女達もカチドの漁をしに来る場所だった。

 目の前は胡座の白浜と違って島はなく、太平洋が広がっている。

「ヒメー!!ご無事で!!」

 砂浜の端、砂が岩場に変わる付近でサルタヒコが何度も飛び跳ねて合図を送っている。

 イザサとマカミは砂浜を駆け、サルタヒコと合流した。

 振り落とされない様必死にしがみついていた女王は、なんとかイザサから降りるとサルタヒコに駆け寄った。

「サルタヒコ様、御玉を!」

「あ、ハイハイ!ヒメのお鞄ですぞ」

「ありがとうございます!」

 女王はサルタヒコから灰桜色の鞄を受け取った。

 袋の中を探り、翡翠の勾玉がついた首飾りを取り出して己の首に掛け、

「黒女様と、そちらのお方を治します!」

 砂浜の上に降ろされ、サルタヒコによって縄を解かれた黒女に向かって両手をかざした。

 すると、黒女の身体が白く柔らかく光った。

「!!……何?体の痛みが?」

 黒女は己の身体を見回すが、腕や脚には乾いてこびりついた血がついているだけで、打ち身も切り傷も無くなっていた。

「ど……どうして?」

 黒女は己の身体に何が起こったのかよく分からないのか、呆然として両手を見つめている。

 女王は、縄をほどかれてもぐったりと砂浜に横たわって、反応がない男の方にも手をかざす。

 男の身体も、黒女と同じくふわっと光った途端、一瞬にして体の傷がすべて消えてしまった。

「う……」

 男は呻き声と共に体を起こした。

志比しび!い、生きてるの!?」

 黒女は志比のそばに行き、体を支えた。

「あ、あぁ……何とか」

 黒女は女王に向かって平伏した。

「あ……ありがとうございます!この人はもう助からないと覚悟しておりました!……大来様は大層高貴なお方とお見受けいたします!吾等のような卑しい海人にこのような御慈悲、身に余る光栄で」

「違います!!」

 涙をこらえ、震えながら何とか声を発する黒女の言葉を遮って叫んだ。

「こ、これは吾の力ではなく、その……アマテラス様を託けられたからで……あの、とにかく!吾の力じゃないんです!吾は関係なくて……それに!」

「大来様が治したいとお思いにならなければ、吾等はその恩恵を受けることはできなかったのです」

「や、やめて下さい……畏まって話すなんて……それに、潜きの仕事は、ちっとも卑しくなんてないと思います!素晴らしい務めだと、思います」

「勿体ないお言葉!骨身に刻み、生涯忘れませぬ!」

 黒女と志比は再び平伏した。

「う……」

 女王は仲良くしてもらった黒女と、距離ができてしまったことを辛く感じた。

 イザサとマカミ、サルタヒコは女王の行動を横目に見ながら、お互いが集めた情報を話し合った。

「……その女がアマノトジだと?」

「イザサ殿も女の声を聞いたのでしょう?人は普通、血溜まりができるほど刀子で刺されて生きながらえることは難しいかと」

「死骸なのに動いてんの?」

「その鹿のアラガミが何らかの術を使っているんだろうよ」

「それにしても、イザサ殿はまた抜け駆けしたんですかぁ!?いっつも負けて吾等に泣きつく癖に、凝りな……ギャア!!」

 イザサはサルタヒコの頭に噛みついた。

「汝の助けは借りていない!!」

「か弱いヒメのお力は借りているではありませぬか~!!痛い痛い血が出てる血が出てる!!」

 黒女は頭を上げると、

「この志比と吾は元々隣の越賀の邑におりまして、将来妹背になろうと決めておりました……離れ離れとなり吾はアマノトジ様の下で働くこととなりましたが、どうしても志比のことが忘れられず……潜き女の皆が言うように、アマノトジ様の恩恵を受け豊かな暮らしを約束されながら、それ以上の望みを持ってしまった……殺されても当然のこと」

「それでも!死ぬことはないと思います。その……死ななければならない程の罪は、本当はそれほどないって、弟が言ってました」

「……大来様の慈悲深いお言葉、痛み入ります」

「……」

「汝等は一里でも遠くへ逃げることですな」

 イザサから解放されたサルタヒコが、袖で涎と血を拭きながら助言した。

「よし、サルタヒコ。汝が連れていけ」

「何ですと!?」

「全力で守れよ!隣の越賀の邑まですぐだ。汝でもなんとかなるだろ……邑に駐屯する軍団にも報告を忘れるな。そうだ、ついでに邑の女達をひきつけろ」

「はぁあ!?やること多すぎません!?潜き女は五十人以上いるんでしょ!?」

「吾等が戦う時に人は邪魔になるからな。アラガミ討伐に集中したい」

「!!……討伐、しなきゃいけないんですか!?」

「大来、アレは最早人ではない。既に死んでいるのだからな」

「!!死……アマノトジ様が!?」

「大来よ、殺すのではない。殺すというよりも、魂をあるべき場所に還すのだ」

「!!……還す……あるべき場所へ」

 サルタヒコは、背負っていた麻袋から祭祀用の衣裳と、その上に置かれた朱色に塗られた梓弓を取り出すと、恭しく差し出した。

「正装で送ってあげましょう、ヒメ」

「還す……ため!」

 女王は決意を固めたのか、しっかりとうなずいた。

 女王が黒女に手伝ってもらいながら祭祀用の衣裳に着替えていると、

「いたかー!?」

 遠くで、潜き女が叫ぶ声が微かに聞こえた。

「こ、これで大丈夫!早く行って下さい!!」

 女王は両袖をまくって落ちてこないよう紐で結ぶと、サルタヒコ達を促した。

「わかりましたわかりました!こっちです!!」

 サルタヒコが走り出す。

 元気を取り戻した志比は黒女を背負うと後を追って走り出した。

「大変よぉ~!!咎人がこんなところにぃ~!!」

 サルタヒコが裏声で叫ぶ。

「見つかったぞ!!」

「どこにいる!?」

 潜き女達の叫び声と、ざわつく音が森から響く。

「傷を治します!」

 女王はイザサに向かって両手をかざす。

「吾はいい」

「駄目です!」

「しつこい!」

 それでも女王は両手をかざし続ける。

 左肩の矢傷が光り、みるみる治っていく。

「……」

 イザサは顔をしわくちゃにして、渋々女王に従った。

「イザサはヒメに優しいね」

 マカミが苦笑して言った。

「う、うるさい!!」


 鹿のアラガミに乗ったアマノトジは森の中を駆けていた。

「越賀の方に逃げたらしいぞ!」

 潜き女の声が小さく聞こえる。

「国府に逃げるつもりか!?皆連中を逃がすな!……!!」

 アマノトジ達の方に向かって赤い火球が飛んでくる。

 火球は傍らの木に当たり、木は一気に燃え上がった。

「!!」

 アラガミの右の首、角と角の間に細氷がキラキラと輝く白い光が球となって集まった瞬間、球は白い光の柱となって燃え上がる木に向かって照射された。

 木は瞬く間にパリパリと氷結して火は消えた。

「こんなに木が生えてたら当たんないよー!!」

 マカミが不満を叫びながら、アマノトジの方に向かって駆けてくる。

「マカミ、吾と替われ!大来とふたりでアマノトジを狙え!吾は鹿を殺る!」

「あいよ!!」

 女王を乗せたイザサが止まったマカミに駆け寄り、弓を手にした女王はもたつきながらマカミの背中に乗り換えた。

 イザサは素早く人の形に変化すると抜刀し、

「油断するな!奴等の他にもいるかもしれん」

 そう言うとアマノトジ達の方に向かって走り出した。

 アラガミは両の首から冷凍光線と稲妻を交互に打ち込んでくる。

「クソッ!?」

 イザサは攻撃を避けるのに精一杯で先に進むことができない。

 イザサが避けた稲妻は木に当たって四散したが、逸れた冷凍光線はしばらく進むと急カーブし、再びイザサに向かって飛んでいく。

「!!マカミ様!あれ!!」

 女王が冷凍光線を指さす。

「光が曲がった!?イザサ、右だよ!!」

「!!」

 冷凍光線はイザサの右側、隻眼の死角から飛んでくる。

 イザサはすんでのところで跳んで避けた。

「追ってくるのか!?凝った術使ってくれるぜ」

 冷凍光線は再び急カーブし、イザサに向かって飛んでくる。

 イザサが右手に持った刀の柄を握りしめると、刀の刃が薄青く光った。

 そして、三度飛んできた光線をその刃で薙ぎ払う。

 光線はバシュッ!という音と共に消滅した。

「アレは大来か!?祭祀の衣?……かんなぎだったのか!だから呪いの文身を……汝、アラガミを使役できるのか!?」

 アマノトジは攻撃を止めないアラガミの上から女王に向かって問いかけた。

「!!ち、違います!!皆様吾に力を貸して下さっているんです!!」

 攻撃はマカミに向かっても放たれる。

「!!うふっ!元気な鹿ねぇ!人になれるんだったら、夜の相手してあげてもいい位よぉ!」

 マカミは女王に攻撃が当たらないよう気をつけてよけるのが精一杯だ。

 女王も振り落とされないよう必死にしがみついている。

「磯部の手下か!?」

「吾は……大王の命を受け、アラガミの征討を行う者……でも、その……」

「吾は謀反を起こすつもりはない!ただ、吾は吾の邑を作りたかっただけだ!」

「!!……違います!!皆の邑です!!……黒女様、汙志売様、潜き女の皆様全員の!!皆一緒に暮らしているんだもの!!」

「!!」

 アマノトジの動揺が分かったのか、アラガミが一瞬動きを止めた。

「好機到来!!」

 イザサが持つ両の刀が薄青く輝く。

 イザサはアラガミに向かって両の刀を振ると、それぞれの刀から青白い光の刃が一本ずつ飛んでいった。

 アラガミは一本の刃を避けたものの、もう一本を避けきることができず、刃は胴体に食い込み、弾けた。

「!!」

 アラガミは衝撃で地面に倒れ、アマノトジは離れた場所に投げ出された。

 アマノトジは素早く立ち上がる。

 アラガミは腹から大量の血が滝のように流れ、脚をばたつかせてもがくものの、なかなか立ち上がることができない。

「ヒメ、今だよ!!」

 マカミの合図に反応し、朱の梓弓を左手に持つと、右手で弦を引いた。

 すると、弓と弦の間に白く光り輝く矢が一本現れた。

「!」

 アマノトジも背負った蒲製のゆぎから矢を一本取り出し、弓につがえた。

 アマノトジは女王に向かって矢を放つ。

「アマテラス様!!アマノトジ様をお救い下さい!!」

 女王が弓の弦を離すと、白い光の矢はアマノトジに向かって真っすぐに飛んでいった。

「っ!」

 アマノトジの矢は女王の左の腕を掠り、衣の袖を引き裂いた。

「ぐうっ!」

 光の矢はアマノトジの腹に命中し、下半身を吹き飛ばした。

「!!」

 地面にもんどりうって倒れたアマノトジの頭から、巻かれていた布がはだけて落ちる。

 顔の肉は腐り落ち、眼球が辛うじて残っているだけだった。

「アマノトジ様!」

 女王はマカミから降りると、アマノトジに駆け寄った。

「……覚えているか?人が良ければ何をしても許されるのか、と言ったことを」

 女王は黙ってうなずいた。

「黒女と若い男を見て……あの男を思い出した。吾には酷い仕打ちをしたが、邑の者には面倒見が良いと慕われていたのだ、あの男は……最後に吾が欲を込めて黒女を裁いたばかりに、邑は駄目になってしまった。上に立つ者が、己のために動くとろくなことはない」

「そうだな」

 少し離れてアラガミを警戒していたイザサがつぶやく。

「大来よ……邑は残らなくても良い。女達だけは守ってくれ……罪は吾が被る。潜きは命がけの辛いもの……少しでも負担を減らしてやって欲しい」

「はい!」

 女王はアマノトジの手を取るが、手はボロボロと崩れていく。

「!!」

「た……のむ」

 アマノトジの目から涙が流れる。

「アマノトジ様!」

 その頭蓋も手と同じく、乾いた土くれのようにボロボロと崩れてしまった。

「オノレ……ヤットノオモイデ再ビ神トナレタトイウニ……邪魔ヲシオッテ!!」

 アラガミが震えながら再び立ち上がった。

「ヨクモ殺シテクレタナ!吾ガ主ヲ!!」

 アラガミが女王に向かって突進する。

「あっぶない!!」

 マカミがアラガミに体当たりして突き飛ばす。

 アラガミは地面に倒れそうになるが踏みとどまり、右の首から冷凍光線を放つ。

「させるか!」

 イザサは再び光の刃を繰り出し、冷凍光線にぶつけると、まるで花火が爆発したかのように火花と煙が飛び散った。

「潰してしまえば背後に怯える必要はない!」

「!!」

 アラガミが稲妻を繰り出そうと脚を踏ん張った瞬間、力んだためか腹の傷から血が迸る。

 イザサは隙を逃さずアラガミに駆け寄り、その右の首を刎ねた。

 アラガミはその場にどうと倒れ込む。

 イザサは左の首も刎ねた。

 アラガミの胴体は見る見るうちに白骨化し、両の首も骨だけになってしまった。

 イザサは転がった首の角を持ち、

「これで征討の証拠になるだろう。鹿にしてはデカすぎる頭だからな」

「あ……」

 女王は残された布と衣のそばに、鹿の角でできた刀子が落ちているのを見つけた。

 女王が手にとって不思議そうに眺めていると、イザサは刀子を見止めて、

「ほう……鉄がこの国に入ってくる前、この辺りでは鹿の角で道具を作っていたのだな。この鹿も大昔は、神として人々にあがめられていたのかもしれん」

「コイツは人に崇められたくてこんなことをしたのかい?」

 マカミも不思議そうな顔で刀子を見ながらイザサに聞いた。

「そうだろうな。大来よ、このアラガミは百年もすれば再び蘇って同じことをする。屋代を建てて奉れ。神にしてしまえば満足し、暴れることもなくなるだろう。だが、ここは人が少ない。出来れば人の多い場所でな」

「はい!これを御神体にして、大切に奉ってもらいます!」

 女王は刀子を大切そうに両手でそっと包んだ。


 女王達がサルタヒコ達の向かった越賀の邑に到着すると、邑の入り口でサルタヒコが皆を待っていた。

「ヒメ、ご無事でしたかぁ!」

「サルタヒコ様も、大丈夫でしたか?」

「なあに道行きの神サルタヒコがおれば、どんな者でも目的地にたどり着けまするぞ!……ってイザサ殿!何ですかそれは!?」

「アラガミの首だ」

「それよりも!く、黒女様達は!?」

 サルタヒコの顔が険しくなる。

「そ、それが!実は……こちらへ!」

 サルタヒコは女王の袖をつかんだ。

 サルタヒコが連れてきたのは、邑のすぐそばにある浜辺だった。

 浜の真ん中に集められた汙志売と胡座の邑の潜き女達は、軍団の兵士達によって取り囲まれ、磯部足鉾と部下の役人達が満足そうにその様子を眺めていた。

「磯部殿!」

 サルタヒコが呼びかけると磯部達は女王に気づき、その場に膝をついた。

「御杖代様のご助力のおかげで、邑の女達を捕縛することができましたぞ!」

「ほ、捕縛!?」

「おぉ、その者が持つ大きな骨はもしや!?」

「アラガミの首だ」

 イザサが答えた。

「ありがたやありがたや!これで胡座の邑は平穏を取り戻すことができまする!早速近江の京に報告致しまする!」

 磯部は顔をほころばせて平伏する。

「そ、それよりも!どうして、皆様を捕まえているのですか!?」

 女王は思わず磯部に詰め寄った。

「はい、御杖代様!この女共もアマノトジの悪事に加担いたしました故、罰を受けさせなければいけませぬ」

「罰!?ど、どうするのですか!?」

「罰を与えました後、賤に落として売ることになりまする」

「いけません!!」

「!!」

 仮宮ではおどおどしていた女王が突然大きな声を出したので、磯部や役人達は目を丸くして驚いた。

「アラガミは、潜き女達と悪さをしたわけじゃないんです。吾はこの目で見てきました、アラ……いえ、あの方はこの潜き女達を救おうとなさっておられた」

 女王の話を聞いていた潜き女達がざわつき出した。

「大来……なのか?」

 汙志売も驚いた顔で女王を凝視する。

 女王は上衣の裾を握りしめ、勇気を振り絞って話す。

「潜きの仕事はとても大変なもの。今また皆様を元の場所に返せば元通り、苦しい生活が待っています。吾は、あの方から託されました。邑はなくなっても良い、でも、皆様は守って欲しいと」

「!!」

 潜き女達からすすり泣く声が聞こえてきた。

 中には慟哭する者もいる。

「アマノトジ様……」

 汙志売も頬に涙が流れた。

「お願いです!どうか、潜き女の皆様を解放してください!お願い致します!!」

 女王はその場で平伏して叫んだ。

「し、しかし!処罰せよとは京からの命令で……」

 磯部が言いよどむと、突然、イザサは骨を磯部に向かって投げた。

「うう、うわっ!?」

「ひぃーっ!恐ろしや!」

 磯部達は思わず飛び退いて骨を避ける。

 骨は砂の上に突き刺さった。

「御杖代の言うことを聞かねば、汝等これに祟られるぞ」

「!!」

「……そうそう、ヒメはアラガミを使役する力をお持ちですからなぁ」

 サルタヒコが話を合わせて煽る。

 磯部達の顔色がみるみる悪くなっていく。

「めんどくさいねぇ!そんな奴待たないで、吾が今喰ってやろうか!?」

 まだ狼の姿のままだったマカミが磯部達に向かって牙をむき、火球を吐いた。

 火球が磯部の足元で炸裂する。

「うわあああ!!」

「お、お許しを!!御杖代様!!」

 部下の役人達と兵士達までもが磯部を置いて散り散りに逃げていく。

「待て、汝達!待たぬか!!吾を置いて行くな!!」

 逃げようとする磯部の肩を、イザサががっちり掴んだ。

「お、お待ちを!吾の一存では決められませぬ!!一度近江の京の指示を仰いで」

「何だと!?」

「ひいっ!!で、では女達は一応胡座の邑に帰し、追って沙汰を出しまする!き、今日の所はこれでお許しを!御杖代様!!」

「い、イザサ様!」

 イザサが手を離すと、磯部は躓いてはころころと転がりながら走って逃げた。

「……汝、やっぱり訳ありだったんだな」

 汙志売がやってきて女王に話しかけた。

「助けてくれてありがとう」

「良かったです!」

 潜き女達は安どの表情を浮かべて座っている。

「そうかい。それで……朝はすまなかったよ。辛い思いをさせた……本当は全員ひれ伏さないといけないが、汝が嫌がっていたと黒女がね」

「!黒女様に、会ったのですか!?」

「あぁ、あの子は男と共に行ったよ。妹背になるそうだ。それはそれで幸せなことだと吾は思うよ」

「はい!」

「そうだヒメ!頭大丈夫!?骨割れてないかい!」

 マカミが女王の頭を舐め始めた。

「わっ!だっ、大丈夫ですマカミ様!……汙志売様も、吾は大丈夫、です。で、あの」

「何?」

「その吾……嬉しかったです。普通の潜き女として扱ってくれて。その、吾……何の取り柄もないのにか、かしずかれるの、苦手で……ここは特別扱いも、冷たい目で見られることもなくて……本当に、嬉しかったです!」

「まぁほぼ使い物になってなかったけどね」

 話を聞いていた潜き女達が笑った。

 一昨日と変わらない、優しく穏やかな笑いだった。

「まことのことです!」

 女王はやっと笑顔を見せた。

「とはいえ、こんなちょっとした脅しだけでは意味がないやもしれませぬぞヒメ!この者達の今まで通りの暮らしを保証するには、何かもう一押ししないと評督が約束を反故にしそうです」

 サルタヒコが心配そうな顔で話しかけた。

ちち様に文を書いて貰いたいのですが、どうでしょうか?」

「やりましょう!ですが、今の状況で、皇子が目をお通しなさいますかなぁ?」

「う……爺様はもうお亡くなりになられているし、どうしよう」

「大友の大王にも文を送れ」

「えぇっ!?でも、吾、あんまり、お会いしたこととかなくて……」

「それは良い考えですな!別に面と向かって文を手渡すわけじゃないんですから!そうと決まれば早速帰りますぞ!」

 サルタヒコが再び女王の袖を引いて促した。

 その時、サルタヒコに似た赤ら顔の若い男が砂浜を駆けてやってきた。

「大変でーす!」

「何か!」

「御屋代が燃えましたー!」

「「「「えぇぇー!!」」」」

 女王と三柱は思わず声をそろえて叫んだ。

「また、お気に召さなかったんだ、アマテラス様……」

 女王はその場に膝をついた。

 良さそうな土地を選んで屋代を建てては屋代が燃えて移動する、という旅を一年以上続けてきたのだった。

「ま、次ですよ次!そろそろ近いと思うんですよねぇ」

「……行くのかい」

 汙志売が女王に声を掛けた。

 潜き女達も汙志売のそばに集まった。

「吾、皆様のこと、骨身に刻んで、忘れません!!」

 汙志売は微笑んで、

「お務め頑張るんだよ!」

「……はい!務めを果たします、必ず!」

 女王は袖で涙をぬぐって返事をする。

 女王達は潜き女達に見送られて浜を離れた。

(終わり)

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