第5話 アラベスク

 広瀬は家庭のことを話したがらなかった。そういう話になると、彼は聞き役に徹した。事情があるのだろうと、俺はそういう話を避けるようになった。変に気を使わせたくない。ところが岡田である。

「うちの父さんさぁー、俺がどんだけいい成績持ってきても妹ばっかり溺愛するんだぜー、もっと褒めてくれてもいいのによ〜」

「叱って伸びるタイプと思われてるんだろ」

 話半分に相槌を打つ。ちょっとは考えて生きろ。

「えーでも叱られたくないわ〜」

 言いぶりから推測するに、どうやら叱られてはないらしい。じゃあいいだろ。

「聡太のお父さんはどんな人なんだよぅ、回答によっては羨むぞ」

「無口」

 最低限のことだけ言う。

「へ〜、なんかいいな〜。耀は……」

「おい」

 慌てて制する。莫迦か。耀は案の定、困ったように笑って言った。

「うち両親いないから。いいね、岡田君のお父さん、いい人だと思うよ」

 ほら気を遣わせた。それくらい察しろよ。岡田はきまり悪げに舌を出した。

「……ごめん、耀。考えなしだった」

「全然いいよ。言ってなかったしね。別に気を遣わなくていいから。人の温かい家庭の話を聞くのとか好きだから」

 ……そうなのか。こちらも気を回しすぎたかもしれない。岡田の鈍感さも悪いほうにばかり働くものではないのかもしれない。

 三人で下校する。学校は丘の上に立っていて、ここの学生の大半が住んでいる住宅街までは坂を行き来しなくてはならなかった。下り坂をくだらない話をしながら歩く。坂の終わりまで来て、国道沿いの道に入る。住宅街に差し掛かった時、どこかの民家からドビュッシーのアラベスク第一番が聞こえてきた。流麗な演奏だ。思わず聞き惚れていると、広瀬が立ち止まった気配がした。振り返ると、今までに見たこともないくらい青い顔をして胸を押さえている。

「……広瀬? 大丈夫か、」

 しゃがみ込む広瀬の肩を支えたのは岡田だった。

「大丈夫、深呼吸して」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、なんとか深呼吸をしているが、息が震えている。俺は水筒を取り出して広瀬に差し出した。

「飲めるか」

 震える手が水筒を掴んだ。時折咳き込みながらも、水は広瀬の喉に届いた。

「……ごめん、迷惑かけた」

「そんなこと言わなくていいよ、落ち着いたら言ってね」

 岡田が広瀬の背を擦る。俺は広瀬から水筒を受け取りながら考えていた。ドビュッシーのアラベスク第一番。これが流れてきた時に広瀬は体調を崩した。広瀬がここまででいいと道半ばで別れてから、俺は岡田に話をもちかける。

「この後時間あるか? 広瀬のことで少し考えていることがある」

「奇遇だね。僕も話したいことがあったんだ」

 それから、二人で行きつけの喫茶店に入店した。

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