第4話 免除と不戦がどう違う?

 周りがスローモーションになっていくのを感じる。僕はそれを目撃した瞬間、ほんのわずかだが動けなくなった。体が反応したのは次の瞬間、僕の視界に猛ダッシュする月西が入ってきてからだった。


 右手に持っていたカバンを指から離し、ダッシュを始める。左前に月西が見える。思考があとから追いついてきた。友華のところに行かなくちゃ。


 自分のベストと月西の今日のタイムを比べる。残り70mくらい?追い抜くには余裕だ。


 革靴だけど、反発力は十分にある。制服で肩が回らないのが苦しい。


 あと半分、友華は動かない。自転車は交差点を左に曲がっていった。月西との差、縮まらない。


 残り30m。だめだ、月西に追いつけない。僕は力を抜いた。


 僕は先につくより、状況を確認することに切り替えた。ほかに目撃者がいないか周りを見渡したが、誰もいなかった。救急車か?スマホは?僕はポケットを叩いた。大丈夫、入ってる。


 ゆっくりバス停に到着し、月西に抱えられた友華を見た。特に目立った傷はない。月西がしきりに心配して声をかけていたが、友華は笑って「大げさなぁ」とか「大丈夫だよ」と言っていた。


「救急車は…呼ばなくていいね。」


 そう言った僕に、友華は笑い返してくれた。


「うん、頭も打ってないし。ちょっとびっくりして倒れてただけだから。」

「じゃあ、一応お母さんに迎えに来てもらおうか、一応、ね。ここだとまだ車も自転車も通るから、部室に戻ってさ。」

「うん、そうしよっか。月西君、大丈夫よ私。歩けるから」


 友華は明るい声で月西に話しかけ、制服の埃をはらって立ち上がった。月西はずっと心配しておろおろしながら友華を抱えていたが、友華が立ち上がると、はっとして辺りを見回し、いらいらした声で言った。


「もうどっかいっちゃったか。誰だよ、あいつ。絶対近くに住んでるやつだろ。」

「近くで見てた人もいないし、オレたちもしっかり覚えてるわけじゃないだろ?とりあえず部室に戻ろう、友華、歩ける?」

「ちょっと足首ひねったみたいだけど、大丈夫一人で歩けるよ。」

 月西はまだ憤慨しているようだったが、友華の横に付き添うような格好で歩き出した。


 僕は、また何か来て友華にぶつかることのないように二人の後ろを歩いた。


 負けた。月西よりも先にたどり着けなかった。その事実が僕の頭の中にずっしりと居座った。


*****


 次の日、昼に廊下で友華と会った。改めて礼を言われたのと重ねて、友華のお母さんからもお礼としてお菓子をいただいた。怪我は擦り傷くらいなもので、他は全く異常はないらしい。陸上にも影響は全く無いようだ。


「全然何とも無いのにね。」


 友華は明るく笑いながらそう言った。


「お母さん心配性だから。あれこれ聞いてくるの。お医者さんでもそんなに細かく聞いてこないよ、きっと。ほっちゃんも、救急車じゃなくてお母さん呼んでくれたの、いい判断だったね。大事になってたらそのほうが大変だったよ。ありがとうね。」


 そう言って僕にお菓子を渡すと、友華は自分クラスに戻っていった。僕は何か言おうと思ったけど、何を言っても取り繕うような言葉になりそうだったので、その場では何も言えなかった。


*****


 次に友華に会ったのは、放課後。ホームルームが終わってぐだぐだ荷物を片付けていると、月西と一緒に友華が入ってきた。

「昨日は流石だったよ、ほっしー。すぐ日色さんのお母さん呼んでくれて。オレなんかパニックになっちゃってさ、次何していいか分からなかったよ。」


 僕はその言葉を聞くと、荷物を持って席を立った。


「あれ、ほっしー部活行かないの?」

「体重いから……」

「ほっしー持ちタイム良いからなー。記録会もいいか。でも一応皆でやってる部活だからさ、軽くでも出たほうがいいんじゃない?」

「いや、気が重いときに走ると、ケガが起きるから……」

「ほっちゃん、私のこと気にしてる?私は今日行くよ。」

「え?日色さん出るの?休んでれば?」

「ううん、私は大丈夫なのよ、ホント。」

「そうか、じゃ行くだけ行こうよ、ほっしー。」

「いやホント大丈夫だから…」


 僕はそう言って廊下に出た。後ろから「なんだアイツ」って言う月西の言葉が聞こえてきたけど、言い返す気力も無かった。


*****


 空は快晴、カラリと乾いた空気。少しばかりの風は僕たちの肌を気持ちよく撫でる。4月中旬、この時期に行うウチの記録会は、都大会の出場選考会も兼ねている。ウチの部員はソコソコ多いから、全員予選から出場、という訳にはいかないのだ。とはいっても部員の8割くらいは都大会に参加できる訳だけれども、都大会にいけるかどうかの最初の関門だから後輩たちの中には緊張感が漂っている。


 それは、夏前に受験で引退してしまう三年生にしたって同じだ。顧問の温情采配は有るかもだけど、下手したらこれが最終レースになってしまうかもしれない。和やかに談笑しながらウォーミングアップをしているけれど、きっと胸の中には一抹の不安を抱えているのだろう。


 そんな中、「気分が乗らない」で辞退。全くいい身分だなと自分でも思う。


 なんだかまっすぐ帰る気にもならない。行き場所が無くふらふらしてると、「今年のサッカー部はどうかな、」なんて話してるクラスメートの集団を見つけた。僕がそれに並ぶようにして外を見ると、一人が話しかけてきた。


「あれ、星川じゃん、いいの部活?」

「あぁ、まぁ、ね。」

「あ、陸上部も何か始めてんじゃん。何あれ?」

「記録会って言ってさ、校内の公式記録を定期的に取るんだわ。ま、事実上の今度の都大会の選考レース。」


 僕は外を見ながら答えた。ちょうど後輩が準備を整え終わったところだから、そろそろ部長の号令でスタートするんだろう。きっと100mは最初の種目だろうな。


「ほーん、星川行かなくていいの?」


 僕の近くにいた一人がそう言うと、集団のはじからも声が上がった。


「あれ、しらねぇの?免除だよ免除。なぁ星川?」

「そうじゃなくて、大事なんだろ?その記録会。免除だっていってもちゃんと出たほうがいいんじゃない?」


 なんだか僕のことで話題が広がりそうだった。面倒くささを感じた僕は、手をひらひらさせて受け流した。


「ちょっと、さ。気乗りしなくて。」


「お前、ドライでクールだもんな。あ、サッカー部紅白戦始めてんじゃん。キーパーのあいつ、怪我してたのになぁ。」


 そう言うと、集団の興味はサッカー部の方に移って行った。


 かたや、陸上部。次の組で月西と二年エースが走るようだ。二年のあいつはスタートと加速がいい。もしかしたら序盤が苦手な月西相手に、リードを奪ったままゴール、なんてことがあるかもしれない。


 僕はそんなレース展開を予想していた。展開はほぼあっていた。違ったのは結果。


 予想通りスタートに出遅れた月西だったが、姿勢を挙げるとぐんぐん伸びて差をつめる。残り30mあたり、二年生を交わした。その後も落ちるどころかまだ伸びるようだ。月西は渾身の力でゴール。タイムが掲示板に書かれた。10秒99.10秒台だ。


「転校生、めちゃめちゃ早いじゃん。」

「それでも月西のほうが早いんだろ?」


 クラスメートの気楽な声が聞こえてくるが、いまいち頭に入ってこない。僕は月西を凝視していた。


 月西の周りに皆が集まってくる。手を叩いて喜ぶやつもいれば、飛び跳ねてくるくる回っているやつもいる。


 月西自体は、何度もガッツポーズを繰り返していた。そこに友華もやってきた。両手を挙げ、月西に駆け寄る。今にも抱き合うかのようなお互いの喜びようだ。


「あぁ、なんか青春だな。」

「馬鹿、お前、いろんなものを犠牲にして、あいつらは頑張ってんだよ、なぁ星川」


 僕はその言葉に答えられなかった。友華と月西が手をとって喜んでる。青春。


 僕は頭を伏せ、目を閉じた。


 あぁ、オレ、友華のことが好きなんだな。今頃気づくなんて。


*****


「お前は途中であきらめた。敵わないと知ってたんだ。その上戦いからもお前は逃げたんだ。」


 影が突然、僕に語り掛けてきた。


「なんだよ。もう陸上部に行かなきゃいいんだろ?」


 そう心の中で言ってやったけど、カラカラと笑い声が聞こえたようだった。


「ちょうど良かったじゃないか。なぁ星川よ。陸上から手を引け。違う生き方を見つけるんだな。」


 確かに僕は居場所を失った。そしてもともと僕がいたところに月西が代わりに座った。陸上の世界では、僕の居場所はもうないのかもしれない。


「分かったよ。オレはもう走らない。お前の気が済むまでな。」


 僕は廊下から離れて教室に向かい、持っていたトレーニングシューズをゴミ箱に投げつけた。

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