第2話 聖者と愚者に囲まれる

カロカロと馬の蹄は道を媒体とした音楽を奏でる。

馬車に揺られている私は、ゆっくりと変化する景色にも興味を示さない。

頬杖をつき外を眺めるフリをしながらいつものように物思いに耽っていた。


この世に真実を隠さない人間はいない。

誰だって隠したい秘密をポケットに入れているし、他人の弱みを握りしめて交渉に利用する。

それはプライドの為だったり、友情や下心であったりと根本にある動機は千差万別で、私はその行為自体を否定するつもりはない。


ただ私は自分が不利益を被らないよう日々を生活しているだけだ。


「グール、さっきはありがとう、心から感謝するわ。私、貴方がいなかったら今頃棺桶の中で瞳を閉じていたと思うの」


「クロビア様がご無事であることは当然です。このグールがお仕えしているのですから」


グールは私の隣で紅茶を注ぎながら淡々と言葉を紡ぐ。その様子を横目で見ていても悪意や嘘の気配を感じない。

いちいち発言の真偽を覗くという、私の難儀な癖には困ってしまう。

真実であれば胸を撫で下ろし、虚偽であれば心に霞がかかる。


「クロビア様、お紅茶にはミルクを入れますか?」


やっとコッチを向いたと思えば事務的な質問。


「ええ、入れてちょうだい。あと砂糖もお願いするわ、2つ入れて」


かしこまりました


と軽く頭を下げて、グールは業務を再開する。

昔はもっとフレンドリーな関係だったはずなのに。

いつの間にか主従の関係にグールは徹して、あの時のような時間は流れず、出来上がった2人の関係は浅く儚くなっていた。


「クロビア様?どうかなされました?」


「少し昔を思い出して馳せていただけよ。気にしないで頂戴」


「失礼いたしました。では、屋敷に着き次第お声掛けをしますので、それまでごゆっくりお休み下さい」


そう言ってグールは外に回り出て、馬車を引く男の隣に座り、周囲の警戒を始めた。

グールの放つ言葉は全て真実で悪意のないものだった。しかし、どこか冷たくて私のことを見ていないような印象を受ける。

果たして真実はどこにあるのか。

この問いを考えていると、私はいつの間にか眠っていた。


「...ア様、クロビア様。お屋敷に到着いたしました」


混濁としていた意識が覚醒する。

目の前にはグールの顔があり、視界の隅に冷めたミルクティーが見えた。

パチパチと目を慣らしながら、グールの手を取り馬車から降りる。


「お身体の方はいかがですか?よくお眠りになっていましたが」


「お陰様で疲れも取れたわ。グール、私は一人で部屋に戻るから、貴方も休んでおきなさい」


「お気遣い感謝致します。ですが、これからの業務がございますので、丁重に...」


「これは命令よ。貴方も疲れたでしょう?つべこべ言わないで休みなさい」


私は噛み付くように割って口を開く。

こんな絶対に休まない男は、動機や正当な理由がある時に休ませないと、死ぬまで動こうとする。


「かしこまりました。ではお暇をいただきます」


聞き分けはいいのだから扱いには困らない。私もホッとして、その場を収める。


「それじゃあ、また夕飯の時間になったらお願いね。ちゃんと休んでから業務を再開しなさいよ。後で使用人にもちゃんと休んだのか聞いて回るわ」


「かしこまりました。それでは失礼します」


グールは頭を軽く下げた後、クルリと後ろを向いて屋敷に入っていった。

私もその後を追うように馬車の操縦者に礼を述べ、屋敷に足を運ぶ。


屋敷に入ってすぐのエントランス。

シャンデリアが目に飛び込んだと思うと、正面の彫刻に歓迎される。

その両側には階段が設置してあり、過剰とも言える装飾が施されている。

ワルワーラ家三代目当主『ワルワーラ・ユージニア』の屋敷だ。

私はユージニアの娘『ワルワーラ・クロビア』と言う名に転生した。


屋敷に入ると何やら使用人たちの様子がおかしかった。

ヒソヒソと言伝に会話しており、言葉を断片的に拾い集めると、『暴君』『王子』などといったワードが頻出している。

私はその内の使用人『フリッツ』と言う若い男に声をかけ尋ねる。


「さっきからアナタたちの様子がおかしいけど、どうかしたのかしら?ヒソヒソと話されていると、どうしても気になるのよ」


「それがですね。先刻、この屋敷にクロビア様を探していると王子が訪ねていらしたんです」


「王子?なんでそんな人が私なんかを訪ねるのよ」


私の質問に対し、フリッツはイケナイ噂話を広めるかの如く続ける。


「私も詳細はわからないのですが、王子の対応にあたった者は、クロビア様と婚姻を結びたいと言っていたと広めています」


「はあ?なんで急に婚姻とか言い出すのよ。その王子はどこの誰なのよ」


「暴君で有名な我が国の王子です」


本当に言っている意味が分からなかった。

私は彼と会ったこともないし、その回りをうろついたことさえ記憶にない。


「冗談でしょ?そんな話信じられないわ」


つい反射的に声を荒げて聞いてしまった。


「嘘ではありません」


そんなことは分かっている。

フリッツは最初から最後まで一切虚言を吐いていない。

つまりほんとうにあの暴君が訪ねてきたということだ。なんと恐ろしい。

現実味のない話を聞くとすぐに眠くなってしまう。例えるなら、退屈な数学の授業を受けている時みたいな。


「ちょっと、もう眠くなってきちゃった。アナタは真実を伝えてくれただけなのに大きな声を出して悪かったわ」


私はフラフラとした足取りで派手な装飾の階段を登る。

普通の人なら輝いて見えるはずのシャンデリアも、私の目には映らなかった。

長ったらしい廊下も、いつもより短く感じた。


ガチャ、ギィィ


自室のドアを最低限開けて、滑り込むように部屋に入る。


「だいぶ遅かったなクロビア。紅茶が冷めてしまったではないか」


「えっ?はっ?」


私の部屋だった筈だ。

入口の反対側には大きな窓、その近くにベッドが置かれ使用人達はベッドメイクを終えているらしく、朝よりも美しくなっている。

紛れもない私の部屋。

しかし目の前にある机の上には冷めた紅茶の入ったカップが1つ、ソファーには見知らぬ男が我が家の如く鎮座している。


「まぁ驚くのもしょうがない。とりあえずアイスティーでも飲んで話をしようぜ?」


生まれてこの方、感じたことの無い悪意が男を徘徊している。

まだ殺意の方がかわいいと思ってしまうほどにドス黒い。

放つ言葉に真実や優しさなどなく、虚偽と悪意だけで構成された言葉で私を包む。


「ほら、クロビア。恥ずかしがってないで早く座りたまえ」


男はトントンと机の上を人差し指で叩く。


「い...や」


口先でしか抵抗できずに動くことも出来ない。

私がこの瞬間振り返って逃げようとするなら、男は喜んで殺しに来るだろう。


「別にいいじゃないかそんなに警戒しなくても。ボクはキミに興味があるってだけだ。別に殺しに来たんなら、とっくに殺してると思わないかい?」


「その、じゃあ、何が目的なの?」


彼の発言を待つ間に思考を巡らせていく。

私の貞操を奪われるくらいなら安く済んだ方だと打算を組む。

ありとあらゆる最悪を想定しても、この男は簡単に上回る提案をしてくるという確信があったが。

するとたっぷり10秒ほど待った後にようやく彼が口を開く。


「ボクと婚姻を結んで欲しい」


何故か彼の言葉は温かく感じる。

この言葉も一瞬、何年も連れ添った彼氏からのプロポーズを彷彿とさせるのだ。

しかしながら内包されている悪意に変化は無い。


「は?私は貴方のことを知らないわ。婚姻だなんて」


「察しが悪いなぁクロビアは。ボクは『ランスロット』さっき使用人に聞かなかったのか?」


ランスロットが笑うと、八重歯がキラリと光った。


『暴君』『王子』さっきのヒソヒソとした声で集めた情報が繋がる。

我が国の王子、ランスロットは暴君であると誰もが一度耳にするだろう。


「ランスロット...王子...」


「ランスと呼んでくれ。皆にはそう親しみを込めて呼ばれている」


私は呆然としていた。空いた口が塞がらないとはこのことか。

なぜ王子がわざわざ訪ねて来るのか。


「ほら、キミに婚姻を断る理由なんてないだろう?聞いた話によると、何度も殺されかけているとか」


「それがどうして、婚姻に繋がるのよ」


「ボクがキミを守るって言ってんだよ。行間を読むことぐらい、キミは容易に行えると思っていたのだが...」


嘘だ。ランスは嘘をついている。だけどなんで?暖かくて切ないの。

本心ではない言葉に心揺さぶられるなんて一度も無かった。

私はいつも本音だけを聞いていたから。


「どうして嘘をつくの?」


「それがボクの本音だからさ」


これも悪意しかない。

ランスロットは虚言しか吐いていないのに。


「わけがわからない。答えになってないわ」


「キミはそうやって正しい道しか歩まなかった。間違いを表面的に見てしまうと、間違いを恐れて一見すると正しい道を進むんだ」


「何が言いたいの?」


「いずれ分かるさ。キミがボクに堕ちる時に」


自身に満ち溢れた表情はどんな男だって同じ顔をする。

相手を見下し、マウントをとって上から物事を考える。

目の前にいるランスロットも同様に有象無象と変わらない。


「残念だけど、私は永遠にその言葉の意味が分からないみたいね」


ハハッ


ランスロットは乾いた笑い声を出して、手を叩く。


「それじゃあ勝負をしよう」


ランスロットはこんな提案をしてきた。

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