11 変様
チコはブリッジの船長席に座り、報告書に目を通していた。その報告主が、読み終わるのを屹立して待っている。
「よし。いいだろう」
チコは言って報告書にサインした。そしてそれを手渡しながら聞いた。
「アイの様子はどんなだ?」
「どうして俺に聞くんです?」
若者は報告書を受け取って、訝しげな顔で尋ね返す。
「気にしてるんじゃないかと思ってな」
「それは船長がでしょう。まあ、みんな気にしてるのは確かですけど」
「で、どうなんだ?」
「以前と様子は少し変わりましたけど、落ち着いてはいるようですよ」
若者は答え、感想を付け加える。
「よほど怖い目に遭ったんでしょうね。かわいそうに」
「そうだな……。下がっていいぞ」
若者はなにかを言いかけて口を開きかけたが、無駄だろうと諦めてブリッジをあとにした。
ドアが閉じて若者が出て行くと、エレオノーラはパネルを操作しながら言った。
「自分で見に行けばよかったじゃない」
「それはそれでアイも気にするだろう。普段通りかどうかってところが、重要なんだ」
「そうね」
彼女は微笑して顔を上げた。
「落ち着いているんなら良かったじゃない。そのうち不安も和らぐわよ。時間が解決してくれるわ」
「かもしれない。しかし、そうは言っても辛いだろう。何かきっかけでもあればな」
チコがそう言った所で、フランツの緊張した声が報告してきた。
「軍が近づいてきてる」
「軍? 奴らか?」
チコは素早く振り向いて、表情を険しくさせた。
「ああ。その、奴らだ」
チコは椅子に座り直す。
「逃げる?」
間の抜けたような口振りでバートが聞いた。
「いや。ひとまず話を聞いてみよう。まあ、聞くまでもないが」
チコは答え、続けてエレオノーラに言った。
「それぞれ配置につくよう伝えてくれ。どうやら訓練の成果を試すときが来たようだ」
数分後、軍船が五隻、目の前に現れた。その様子にチコは顔をしかめた。トレジャーハンター相手にしては、武装が随分と物々しいからだ。なにかを恐れているのだろうか。
「軍から通信」
ララが言った。彼女もまた緊張感が薄い。
「繋いでくれ」
数秒後、通信相手がモニターに現れた。
「久しぶりだな」
モーリスが言った。彼は無表情のまま続ける。
「生きて再会できて嬉しいよ」
「思ってもいないことを言わないでほしいね」
モーリスは薄く笑う。
「その肝の据わったところは嫌いではない。どうだ? トレジャーハンターなどやめて、私の下で働かないか?」
「俺に軍の犬になれと? 冗談じゃない。それなら死んだ方がましだ。それに、俺は今の仕事が気に入ってる。願い下げだね」
「そうか。それは残念だ」
モーリスは、本当にそう思っているかのように、大げさに首を振って言った。
「それで、用件はなんだ?」
「聞かなくてもわかっていると思うが?」
「さあ、見当もつかないね」
チコは首を振り、肩をすくめた。
すると、聞きたくもない声が横から言った。
「おい。惚けるなよ」
チコは嘆息して、頭痛でもするのか、項垂れるように首を折り、指先でこめかみをゴリゴリとマッサージした。ほどなく頭を上げて、くしゃっとしかめた顔で言った。
「あれで懲りたと思ったんだが?」
「ふん! 大事な金蔓だ。みすみす逃すものか!」
「そうか。まあ、軍を相手に金をぶんどってやろうと思ってたのに、それが出来なくなって残念だったな」
モーリスの視線だけがちらりと動いた。もちろん、ジェイクにはその様子は見えていない。ジェイクは慌てて叫んだ。
「黙れ!」
彼は後ろを振り返り言った。
「こいつの言ってることはデタラメなんで、信じないでください」
モーリスは気にしていないという顔で肩をすくめた。
ジェイクは目を怒らせて言った。
「あいかわらず口の減らねえ奴だ」
「誰かさんのお陰でね。で、なんか用か?」
「なんか用か、じゃねえ。娘を乗っけてるだろう。ああ、じゃじゃ馬のことじゃねえぞ」
エレオーノラとララが互いに見合ったが、ララは、あなたのことでしょ? という顔をした。ジェイクは続けた。
「そいつをこちらに渡せ」
「渡すつもりはないと、言ったはずだ」
「お前も強情だな。渡した方が身のためだぞ」
「脅しに屈するつもりはない」
「強がってられるのも今のうちだぜ」
ジェイクは勝ち誇ったように言った。
「もうその辺でいいだろう」
モーリスが割って入り、続ける。
「あとはこちらで対応する。お前は船に戻るといい」
「いやいや、俺にも見物させてくださいよ。こいつの泣きっ面を」
ジェイクはニヤニヤと笑う。
モーリスはギロリと睨む。
「この船はお前の船ではない。うろちょろされては迷惑だ。そんなに見物したいのなら、自分の船からにすることだな」
彼は振り向いて続けた。
「お客様がお帰りだ」
ジェイクはモーリスの配下に連れられていく。去り際に、ジェイクはチコを睨みつけたが、彼は笑ってそれを無視した。
モーリスは、ジェイクの姿が消えると言った。
「それでは、改めて尋ねるが、渡すつもりはないんだな?」
「聞くだけ野暮だ」
「なぜだ? 前回は渡そうとしたではないか。直前で逃げられてしまったが……。あれはわざとかな?」
エレオーノラがバートをちらりと見遣るが、バートは素知らぬ顔を決めていた。
「さあ、なんでかな。しかし、人の心というものは、秋の空のように移り気なものさ。考えが変わってもなんら不思議はない」
モーリスはクツクツと笑う。
「まさかお前の口からそんな言葉が聞けるとは」
「気に入ったか? で、あんたらこそ、どうして彼女にこだわる? たかが少女一人に」
「聞くだけ野暮だ」
「だろうな。まあ、それがわかったところで、渡すつもりはさらさらないが」
「そうか、残念だ。穏便に済ませられればと思ったのだが」
「そんなごつい船から言われても、説得力はないね」
モーリスは苦笑を浮かべる。
チコは探る目で問いかけた。
「何を怖がってるんだ?」
モーリスは瞬時に表情を掻き消して、同時にモニターの表示も消えた。
チコは振り向いて、声を張り上げる。
「全員に通達! 戦闘準備!」
数秒後、軍船からの砲撃を合図に戦いは始まった。砲弾が飛び交い、爆発音が空に響き渡る。
「情けも容赦もないな」
船体の揺れを肘掛けに掴まって耐えながら、チコは苦笑して言った。
「そんなの初めからわかってたでしょ。それで、作戦は?」
エレオノーラは足を踏ん張って聞いた。
チコはモニターを睨みつけてから、振り向いて指示を飛ばす。
「小型機を出せ!」
ほどなく、巣から飛び立つ蜂みたいに、小型機がビュンビュンと飛び出した。小型機は軍船の周りをぐるぐると動き回りながら、まさに蜂が針を刺す如く攻撃する。それに呼応して、軍船は、小うるさいハエを追い払おうとするように機関銃で迎撃した。
当初こそ、互角とまでは言わないまでも、一矢を報いる程度には抵抗を見せることが出来た。しかし、敵がぐるりとアーチ号を取り囲むように僚船を展開させると、右から左から、はたまた前から後ろから、雨のように砲弾が降り注いで、それは的確にアーチ号を捉えて、激しく船体を揺らした。するとどうにも身動きが取れなくなって、戦況は完全にトマ軍の優勢へと変化した。
「くそっ!」
チコが吠えた。猫が鳴くみたいに警報が鳴り響く。彼は続けて怒鳴った。
「おい! そいつを黙らせろ!」
「無茶なこと言わないでよ!」
ララが反論する。
「このままじゃ墜落しちゃうわ!」
エレオノーラが椅子に捕まって声を上げた。
「バート! なんとか抜け道を捜せ!」
「あいつらをなんとかしてくれなきゃ無理だ!」
その時、船内通信から声が言った。
「僕が行きます!」
「カズト! お前か?」
「注意を引きつければいいんですよね?」
「お前には無理だ。そもそも、小型機の操縦なんて出来ないだろう」
「バートに教えてもらいました。武器の扱い方も。筋がいいって言ってくれました」
チコは、なんてことをするんだ、と言う顔でバートを睨みつけた。バートは、惚けた様子で肩をすくめた。船尾の方から大きな音がして、船がひときわ大きく揺れた。
「これ以上は持たないぞ!」
フランツが叫んだ。
チコは眉間にしわを作って考えた。その余裕があるわけではないが、しかし、カズトはまだ子供だ。危険な状況に送り込みたくはない。迷うのは当然だ。しかし、その迷いをカズトが断ち切った。
「行かせてください。みんなを護りたいんです!」
彼のその言葉の根底に、アイの存在があることは間違いない。しかし、みんなを、というのも本心だろう。
「わかった。許可する。しかし、無茶はするなよ」
「はい!」
ほどなく、小型機が一機飛び立っていく。バートから筋がいい、と言われただけあって、動きは見事なものだった。敵の攻撃を掻い潜りつつ、敵船へと向かって飛んでいく。
「あんな才能があったとはな」
チコが感慨深げに言った。
「器用なんだよ。いろいろと」
バートが振り向いて、なぜか得意げに答える。
「それもまた才能さ」
チコは答え。指示を出す。
「バート! いつでも離脱できるよう、準備しておけよ!」
「了解」
バートは答えて、操作パネルに向かった。
カズトの操縦する小型機は、鳥のように自由に飛び回りながら、くちばしで突くみたいに攻撃を繰り出した。僚機も彼に続いて、その攻撃は的確に敵船を捉えていく。
「本当に筋が良いわね。いいパイロットになるわ」
エレオノーラが関心して言った。
「少々、無謀なところは感心しないけどね」
チコは言って顔をしかめた。
「あら、親心?」
チコは振り向いて、しわを深くした。
間もなく、敵の砲撃が僅かに沈静化した。これ以上、ダメージを受けてはと、或いは苛立ちも感じていたに違いない。敵の意識は、周りを飛び回る小型機へと向けられた。
好機とみたチコがs指示を飛ばす。
「よし! 全速力で後退しろ!」
「アイアイサー!」
バートがパネルを操作して、船は後退を開始した。そして船は、なんとか無事に、敵の射程外へと到達した。チコは更に指示を出す。
「小型機にも後退を伝えろ! このまま撤退……」
言いかけたところで、フランツが叫んだ。
「チコッ! カズトが! モニターを見ろ!」
急いで目を向けると、カズトの乗った小型機が、煙を上げながら墜落していくところだった。
「やられたのか? 応答は?」
「……ない」
ララは振り向いて答え、懸念を覗かせた。
チコは唇を噛みしめて、暫し思案して言った。
「小型機は後退させろ。予定通り、撤退する」
「見捨てるの?」
エレオノーラは憤りをその表情に滲ませる。
チコはちらりと彼女を見遣り、答える。
「船には大勢の船員が乗ってる。彼らを守る義務がある」
そして一つ大きく息を吐いて、静かに続けた。
「無事であることを願おう。幸いにも、切り札はこちらにある。少なくとも、あいつにどうこうするようなことはないだろう」
エレオノーラは口を噤む。
チコは言った。
「バート。撤退だ」
「……了解」
船は転進し、撤退を始めた。
アイを含め、非戦闘員は全て、食堂へと避難していた。誰一人、口を開くこともなく、まるで通夜のように静かだ。みな、恐怖と不安の表情を浮かべていた。アイはコルネリアと共におり、落ち着かない様子で椅子に腰掛けていた。食堂が、地震のように激しく揺れた。
「大丈夫だよ。すぐに収まるから」
コルネリアは言って、アイを抱き寄せた。
「カズトのことが心配なの。無理してないかって」
「男の子だからね。多少の無茶はつきものさ。だけど安心しな。あの子もそこまで馬鹿じゃないよ」
うん、とアイは頷いて、身を委ねた。
ほどなく、船体の揺れが収まりを見せた。
「終わったの?」
アイは顔を上げ、見回しながら言った。
「そう……みたいだね……」
コルネリアも、キョロキョロと辺りを見回す。
扉が開いて、男が駆け込んできた。男は言った。
「みんな無事か? 怪我をしている者は?」
返事はない。
「終わったの?」
誰かが聞いた。
「ああ。いま撤退しているところだ」
「カズトは無事なの?」
アイは体を起こして尋ねた。
男は表情を曇らせて、躊躇を見せたのち、声を落として言った。
「カズトのお陰だ。あいつのお陰で俺たちは逃げられたんだ」
「……まさか……なにかあったの?」
アイは大きく目を見開いた。瞳孔が夜の猫のように大きくなっている。彼女は息苦しさの中から声を絞り出す。
「いやよ……嘘よ……」
彼女はうつむいて、両手で顔を覆った。
コルネリアはアイを抱きしめて、男に聞いた。
「確かなのかい? カズトはもう……」
男は頭を振って答える。
「確かなことはわからない。墜落したんだ……。もしかしたら生きているかもしれないが……しかし……」
アイは顔を上げた。僅かながら、希望の色を浮かべている。
「生きているかもしれないのね?」
「……可能性はあるが……」
アイはすっと立ち上がる。
「私、行くわ」
そう言った彼女の顔にはキリッとした表情が浮かんでいた。
「行くって、どこにだい?」
コルネリアは目を丸くする。
「カズトを助けに行く。私やみんなの為に戦ってくれたんだもの、今度は私が助けに行かなきゃ」
断固とした口振りでアイは宣言した。
「お前さんになにが出来るって言うんだい?」
アイは振り向いてニコッと笑う。
「大丈夫。だって私は普通の人間じゃないもの」
コルネリアはぎゅっと唇を引き絞ってのち、優しい眼差しを向けた。
「覚悟は出来てるんだね」
彼女は強い口調で続けた。
「だけどこれだけは覚えておくんだよ。男は度胸、女は愛嬌って言うけど、女にはその両方が備わってるんだ。だからこうと決めたからには、しっかりとやりきるんだよ」
「はい」
「必ずカズトを助けて戻ってくるんだよ」
「はい。コルネリアさん」
アイはコルネリアと抱擁し、やがて言った。
「それじゃ、行ってきます」
「あいよ。行ってきな」
コルネリアは、アイの背中をぴしゃりと叩いて送り出した。
アイは細く立ち上る煙を目印に降りていった。ほどなく、木立の中に、黒く焦げた小型機の姿がちらりと見えた。アイは胸騒ぎを感じて、急いで地上に降りた。羽が折りたたまれて、彼女は元の姿に戻る。
「カズトッ!」
アイは呼びかけながら小型機に駆け寄る。窓から中を覗き込むと、座席の背もたれにぐったりと寄りかかるカズトの姿が見えた。彼女は、彼の名前を大きな声で呼んで、窓を力任せに叩いた。しかし、どんなに大きな声で彼の名を呼んでも、割れんばかりに強く窓を叩いても、彼は目を覚まさなかった。
アイは機体の中程にある、搭乗口へと向かった。扉を開こうとして、レバーに手を掛けて、あまりの熱さに手を引っ込めた。彼女は赤くミミズ腫れしたその掌を眺めて、暫しの躊躇ののち両手でレバーを握りしめた。肉の焼ける音と匂いが立ち上り、激しい吐き気と痛みに気を失いそうになりながらも彼女はぐいとレバーを引いた。しかし、墜落の衝撃で歪んでしまったのか、扉はガチリと噛み合わさってぴくともしない。それでも、彼女は諦めず、奥歯をぐっと噛みしめて、精一杯の力を込めてレバーを引いた。すると、扉は軋む音を上げながら口を開けた。彼女は中へと駆け込み操縦席へと向かった。
「カズト!」
アイはカズトの肩を揺すった。反応はない。もう一度、名前を呼んで、今度は強く揺する。すると、カズトは小さく呻き声を上げた。
「カズト?」
カズトは細く目を開けた。視線が空を彷徨ったのち、一点で静止して、彼は掠れた声で言った。
「……アイ?」
「うん。そうだよ。……無事で良かった……」
アイは涙を浮かべた。
「……どうして、ここに?」
「あなたを助けに来たの。いつも助けられてばかりだから……。今度は私が助ける番だと思って」
「……無茶をして……」
カズトは顔をしかめた。
「あなただってそうでしょう?」
「だけど君にもしものことがあったら……」
「大丈夫。私は普通じゃないもの」
「またそんなことを……」
カズトは苦しげな顔をした。
「いいの。もう」
「……アイ……」
「さあ、帰りましょう。立てる?」
カズトは頷いて、シートベルトを外し、ふらつきながらもアイの手を借りてなんとか立ち上がった。その彼女の手が、焼けたようにただれているのを見て、カズトは聞いた。
「その手、どうしたの?」
「扉を開けるときにちょっと……」
カズトは目を見開いて、こみ上げてくる感情にまかせてアイを抱きしめた。
「カズト……?」
暫し、ひしと抱き合って、ほどなく、カズトはアイの肩を掴んで言った。
「まったく……君って人は……」
怪訝そうなアイに、彼は満面の笑みを返した。
外に出ると、トマ王国軍の兵士が数名待ち構えていた。厳つい顔で銃口を向けている。
「この娘が?」
兵士の一人が訝しげな顔で聞いた。
「空を飛んでるのを見ただろう?」
隊長と思しき男が答えた。彼はじろじろとアイを見ながら続ける。
「にわかには信じがたいがな」
続けて、彼はアイをキッと見据えて言った。
「大佐のご命令だ。こっちへ来い」
「アイは渡さない!」
カズトが前に進み出て叫ぶ。彼は続けた。
「お前達になんか、絶対に渡さないぞ!」
隊長は薄く笑う。
「威勢がいいのは結構だが、この人数を相手にどうするつもりだ? そのなりで」
よろよろとかろうじて立っているカズトの姿に、兵士達から失笑が漏れる。隊長は続けた。
「そもそも、お前を生かしておく理由はないのだがな」
「待って!」
アイは急ぎ声を上げて、カズトの隣に並んだ。彼女は続けた。
「彼はこのまま帰してあげて。約束してくれたらあなたたちに従うわ」
「アイ! なにを言ってるの?」
カズトは振り向いて、驚きの眼差しを向けた。
「いいの。私が行けば、あなたもみんなも危険な目に遭わなくて済むわ」
「そんなこと、だめだよ!」
「お願い。みんなを護りたいの」
「アイ!」
カズトは腹の底から声を上げた。
アイはそれを無視して言った。
「約束して。彼にも、船のみんなにも手は出さないって」
「いいだろう。約束しよう」
隊長が答えた。
アイは向き直り言った。
「カズトはここで待っていて。チコさんに連絡して、助けに来てもらうから」
「行っちゃだめだ……」
懇願するようにカズトは言った。
「もう決めたの。……わかって」
「……アイ……」
「さあ、こっちへ来い」
アイは隊長の方へと歩いて行く。抗う術もなく、カズトはただ見送るしかなかった。
兵士が三名進み出て、カズトを取り囲んだ。隊長が言った。
「そいつは殺せ」
銃口がカズトを狙う。
「話が違うわ! 約束したじゃない!」
「俺の命令はお前を連れ帰ることだ。それ以外の命令は受けていない。やれっ!」
「やめてっ!」
アイが叫び声を上げた。同時に雀の鳴くような音がして、ドサリ、と兵士三人が倒れた。隊長と配下の数名は、何が起きたのかわからず呆然としていたが、尻を叩かれでもしたようにハッとして、慌てて銃をアイに向けた。あっ、とカズトは声を上げたが、次の瞬間には光の筋が彼らを貫いていた。
アイは大きく目を見開いて、荒い呼吸を繰り返していた。彼女の両肩からは武器と思しきものが飛び出している。それはほどなくして縮むように小さくなって、彼女の体に同化して消えた。
カズトはアイの下に駆け寄ると、彼女の肩を掴んで呼びかけた。
「アイ? 大丈夫?」
アイの視線は散りゆく木の葉のように彷徨ったのち、カズトを捕らえた。彼女は怯えた口振りで言った。
「私、殺しちゃった……。人を……」
「落ち着いて」
カズトはアイの目を真っ直ぐ見据えた。そして確かな口調で続けた。
「君は悪くない。そうじゃなけりゃ、僕が殺されてた。だから君は悪くないよ」
見開かれたアイの瞳から、恐怖の色が消えていく。彼女はカズトの全身に視線を這わせて言った。
「無事なのね?」
「もちろん」
「良かった!」
二人は互いの無事を確かめあうように、ひしと抱きしめ合った。カズトは彼女の耳元で言った。
「君のおかげだ」
「こうするしかなかったの」
「わかってる。君は間違ってない。僕を護るためにしてくれたんだから。……ありがとう」
「うん」
カズトは抱擁を解いて言った。
「さあ、戻ろう。またいつ連中が来るかわからない」
彼は後ろを振り向いて、困った顔で続けた。
「でも、小型機は使えそうにないね。どうしよう」
「それなら心配ないわ」
アイが言うと、バサッと軽やかな音と共に背中から羽が生えた。いつかの夜に見た、あの翼だ。
カズトは好奇心に満ちた目で聞いた。
「触ってもいい?」
「うん」
アイは戸惑いながらも頷いた。
カズトは羽に触れた。羽の一枚一枚は大振りだが、シルクのように滑らかで艶やかだ。
「なんかくすぐったい」
アイは恥ずかしそうに、体をもじもじとさせた。
カズトはクスッと笑い、触れた手を引っ込めて言った。
「これで空を飛べるの?」
「うん。手を握って。放さないでね」
「わかった」
軽く羽ばたくと、風などが巻き上がると言うこともなく、磁石にでも反発するように、ふわりと体が浮いた。少し大きく羽ばたいて、二人はすうっと滑るように空へと昇っていく。森の木々がみるみるうちに遠ざかっていった。
「ほんとに飛んでる! すごいよ! アイ!」
目を丸くするカズトに、アイは微笑んだ。
「しっかり捕まっててね」
そう言って、もうひと羽ばたきすると、アイは速度を上げた。
チコとダリオが格納庫に入ると、既に多くの船員が集まっており、彼らに囲まれた中に、アイの姿があった。羽は生えていないし、兵器の形はどこにもない。
「通してくれ」
チコは船員達を掻き分けて進む。
「チコさん……」
アイは伏し目がちに、小さな声で言った。
チコは彼女の前に立って言った。
「怪我はないか?」
「はい。大丈夫です。大抵の怪我ならすぐに治ります」
「そうか」
チコはじっと彼女を見つめ、深呼吸して、静かな声で言った。
「話していいな?」
「はい」
アイは頷く。
すると、どこからか声が言った。
「話す必要なんてないぜ」
声は続けた。
「そりゃあ、まあ、びっくりはしたが、ただそれだけのことだ。たいしたことじゃない。むしろお前のお陰で俺たちは命拾いをしたんだ。感謝しても仕切れないくらだ。それにだ。あいつらを追っ払ってくれていい気分だ。スカッとしたぜ。なあ、みんなそうだろう?」
あちこちから賛同の声が上がる。
チコは船員達を眺め、微笑んで言った。
「このとおりだ。なにも心配はいらなかったな」
アイは顔をくしゃくしゃにした。
「私……いてもいいの?」
「当たり前だ。お前は俺たちの仲間だからな」
チコはアイの頭に手を置いて、笑みを浮かべた。アイの目に涙が溢れた。
「さてと……」
チコは息を吐いて、腰に手を当てて続けた。
「カズト。アイをシャルに看てもらえ。ついでにお前もな」
「僕はついでですか?」
船員達から朗らかな笑いが上がる。チコは苦笑して言った。
「いいからさっさと行け。それが済んだらあとは好きにしていいぞ」
カズトはアイと手を繋いで歩いて行く。そのあとに続くように、船員達も持ち場へと戻っていった。その様子を見送って、ダリオが言った。
「しかし、軍が黙ってはいないぞ。是が非でもあの子を取り戻そうとするだろう」
「ああ。だろうな。まあ、なんとかするさ」
チコはあえて明るく答えた。
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