8 父親

 目覚めたばかりの森は白い靄に包まれて、早起きの小動物が遠慮がちに小さな鳴き声を上げていた。その森の一角に、山のようにこんもりと盛り上がった場所があった。草がボウボウと密集し、端から見れば、自然に出来たただのこぶのように見える。

 そのこぶの中から、男がぬっと顔を出した。男は左右へと視線を走らせて、のち、こぶの外に出ると中へと向かって小声で言った。

「いいぞ」

 ほどなく、二つの小柄な影がこぶから現れた。二人とも、外套で身をすっぽりとくるんでいる。男は続けた。

「地図は持ってきているな? バックパックに入っているはずだ。コンパスも出せ」

 そう言われた人物は、バックパックを降ろして、地図とコンパスを出した。男は地図を受け取って広げ、コンパスで方向を確認し、地図をそれに合わせた。そして指先でなぞりながら説明した。

「いまはここだ。この方向に歩くとこの小道に出る。小道に出たら、こう道なりに進んで、ここが目的地だ」

 男は地図上のその場所を、指先で軽く叩いた。

 説明を受けた小さな影は、顔を上げて頷いた。少年の顔が覗く。男は更に続けた。

「明日の午前中には着くだろう。今夜は野宿になるな。野宿するならここがいい。近くに川も流れているから、水の心配もいらない」

「わかりました」

 少年は頷いた。

「森には危険な動物もいる。道中は十分に気をつけろよ」

「はい」

「それじゃ、俺はここまでだ」

「ありがとうございました」

 少年はぺこりと頭を下げた。そして続けて言った。

「お礼を言っていたと、ニーナさんに伝えてください」

「わかった。必ず伝えよう」

 男は頷いて、カズトの肩をぽんと叩いて別れを述べた。

「それじゃ、元気でな」

 彼はアイに目をやってから、こぶの中へと姿を消した。

 ほどなく、太陽が遠くの空に顔を出し、靄を切り裂くように光が差し込んで、木漏れ日がカーテンのように降り注いだ。森も生き物たちもようやく起き出して、にわかに騒がしくなり始めた。

 カズトはバックパックを背負うと振り向いて言った。

「それじゃ、行こうか」

 アイはうつむいたまま、無言を貫いている。カズトは唇を軽く噛みしめて、次の場所ではきっと、安心して過ごせるはずだよと、心の中で語りかけ、彼女の手を握りしめた。そして、そこに希望を見いだすかのように、太陽めがけて歩き始めた。

 地図とコンパスで進む方向を確認しながら森を歩いて、空の色が茜色に染まる頃、彼らは野営地に到着した。カズトは草を踏みならして平らにし、荷物を置いてアイにその場に残るよう伝え、水を汲みに川へと向かった。

 川と言っても小川と言うほどに小さいが、流れは穏やかで水は澄み渡り、戯れるように泳ぐ小魚の姿が見える。カズトは川岸から大きな岩に飛び乗って、身を乗り出して両手で水をすくって飲んだ。川の水は冷たく、すっきりとしておいしい。彼は革袋一杯に水を汲み入れて、しっかりと口を閉じた。その時どこからか羽音が聞こえて、彼は顔を上げた。木々を見つめながら耳を傾ける。昼行性の動物たちも、そろそろ眠りに入る準備をしているのだろう。森は静かで、せせらぎの音だけが聞こえた。

 その静寂を、悲鳴と破裂音がつんざいた。カズトは瞬間、体が硬直したが、ハッとして立ち上がり、岩を飛び降りて、突き飛ばされでもしたように、その音の方へと駆け出した。

 カズトは鹿のように飛び跳ねながら、草むらを疾走し、野営地に到着した。そしてそこで見た光景に、彼は愕然とした。狼の死骸が数体、血を流して横たわっていた。そこにアイの姿はなく、周囲の草木は踏み荒らされて、激しい格闘の跡だけが残されていた。

 彼は素早く辺りを見回した。しかし、見える範囲に彼女の姿はない。カズトはアイの名を呼びながら、周辺を捜して回った。

 辺りが夜の帳に包まれる頃、カズトはアイを見つけた。彼女は大木の幹に寄りかかり、膝を抱えてうずくまっていた。特に怪我などした様子もなく、いつもと変わらないように見えた。

 草を踏みしめる音に、アイはびくりと体を震わせた。彼女は恐る恐る顔を上げる。瞳は涙で濡れていた。

「……アイ……」

「来ないで!」

 カズトが手を伸ばそうとすると、アイの鋭い声が言った。カズトは手を引き戻し、立ち止まった。ゆっくりと腰を落として、静かに言った。

「怖い思いをしたんだね」

 アイは強く膝を抱き寄せて、隠れるようにその間に顔を埋めた。そして月明かりの中で、ぼんやりと浮かび上がる草木を見つめた。ほどなく、呟くように言った。

「襲ってきたの」

 彼女は一つ息をついて続けた。

「だから、撃ったの」

 そうか、とカズトは納得した。悲鳴と同時に聞こえた破裂音はそれなのだ。アイは声を震わせて、その感情を吐露した。

「怖くて、怖くて……そうするしかなかったの」

 彼女からすれば、言い訳のつもりなのだろう。しかし、状況から考えれば、身を守るためには仕方のないことだ。

「うん、わかってる。君は何も悪くないよ。僕の方こそごめん。一人にしてしまって」

 アイは顔を上げ、カズトを見つめた。その瞳には、様々な感情が、複雑に絡み合って滲んでいた。彼女は視線を反らし、涙声で言った。

「傷つけてしまうんじゃないかって、すごく怖くて……」

 カズトは頷いて言った。

「心配ないよ」

 そして優しく微笑んで続けた。

「これまでだって、そんなことは一度もなかったんだから。そうでしょ?」

 アイは視線を落とした。その顔には憂慮の色が浮かんでいる。彼女にはその確信がないのだ。

 カズトは唇をきゅっと噛みしめた。彼女のその不安を取り除いてやりたい。しかし、どうすればいいのか、彼にはわからなかった。ただ今は、できるだけ、彼女の側にいてやることしか出来ない。カズトは言った。

「戻ろう。ここにいては危険だよ」

 辺りは大分暗くなってきている。互いの顔もよく見えないほどだ。彼は続けた。

「火を焚いてさえいれば、動物たちも滅多には寄って来ないと思う。今晩はずっと僕が火の番をするよ。だから君は安心して」

 その時、アイの腹が鳴った。なにがあっても、腹は減る。

「さあ、戻って晩ご飯にしよう。気分も少しは楽になると思うよ」

 カズトは立ち上がり、手を差し出した。アイはその手を掴もうとして躊躇した。が、暫し逡巡したのち、その手を握った。彼女が心配するようなことはなにも起きなかった。アイは安堵して立ち上がるが、ショックが大きかったのか、両足に力が入らず、少しよろけてしまい、カズトの腕に引き寄せられて、その胸に飛び込むような形となった。彼女は少し恥ずかしかったが、その時はそのまま、彼に身を委ねた。

 翌日、彼らは日が昇ると同時に野営地を出発し、昼前には小道に出て、教えられた通りに道なりに進み、午後の半ば頃、目的の集落へと到着した。集落は山間一杯に這うように広がっており、背の高い鐘楼を中心に、整然と家々が並んでいた。往来を行き交う人の姿も多く、だいぶ賑わっているのが見て取れた。

 二人が村へと入ったところで、その場を通りかかった村人が、立ち止まって、おっという顔を向けてきた。

「初めて見る顔だね」

 男性は、農作業から帰ってきた途中らしく、泥で汚したズボンを履いて、土の塊のついた鍬を肩に担いでいた。

「王都から来ました。村長さんの家はどこでしょうか」

 カズトはフードを降ろして聞いた。アイはフードを被ったままだ。男性はアイにちらりと目を遣ってから言った。

「そうかい。村長なら」

 男性は振り向いて、腕を上げ、指し示して続ける。

「あそこに鐘楼があるのが見えるだろう? その近くにある少し大きめの、赤い屋根の家がそうだ」

 カズトは目を細めてその方向を確かめて言った。

「わかりました。ありがとうございます」

「おう。じゃな」

 男性は親しげに言って、軽く手を振って去って行く。

 こういう村というものは、大抵、余所者には警戒心を示すものだが、この男性も、行き交う人も、突然現れた訪問者に、特段気にした様子は見せなかった。慣れているからなのか、それとも無視しているだけなのかはわからないが、ともかく、これがこの村の風潮というものなのだろう。だとしたら、今の二人には、過ごしやすい場所かもしれない。

 鐘楼はその集落の中心にある、小さな広場の一角にあって、男性の言った通り、その近くに、言われた通りの建物があった。両開きの玄関は、腕を広げるように開け放たれており、少し不用心にも思えるが、千客万来、という事なのか、誰でも自由に行き来できるようになっていた。

 二人は敷居を跨いで一歩進み、カズトは中へと向かって声をかけた。

「ごめんください」

「はーい」

 女性の声が返事をして、パタパタと歩いてくる音が聞こえた。

「あら?」

 女性はエプロンで手を拭いながら現れると、若い客人に一瞬、驚いた表情を見せたのち、すぐに笑顔になって言った。

「どんなご用かしら?」

「こちらは村長さんのお宅でしょうか」

「ええ、そうよ」

 白髪交じりの女性は、いかにも上品そうに見えた。こうした村には少し不釣り合いにも思える。

「ニーナさんに言われてきました。村長さんに会うようにって」

「あら、そうなの」

 女性は頬に手を当てて、大変だったわね、とでもいうような顔で頷いて続けた。

「どうぞ、上がって。靴のままでいいわよ」

 少し高くなった板張りの床に上がり、女性のあとについて、木の軋む音を聞きながら二人は歩いて行った。

「ここで待っていてね。すぐに呼んでくるから」

 女性は小さな一室に二人を案内して、流れるような動作で部屋を出て行った。カズトはソファーに腰掛けて、ぐるりと室内を見回した。部屋は特に飾り立てられてもなく、いたって質素で地味な印象だ。村長だからといって、奢るようなこともなく、慎ましやかに暮らしているのだろう。それだけで好感を持てる。

 ドアが開いて、男性と先ほどの女性が入ってきた。

「待たせたね」

 男性は二人の前に腰を下ろした。女性がお茶の入ったカップを三つ並べる。村長が女性を見上げて言った。

「せっかく来てくれたのだから、菓子の一つでも出したらどうだ? 丁度、小腹も空く頃だろう」

「あら、そうね。気がつかなくってごめんなさいね」

「ああ、いえ。お気遣いなく」

 カズトは恐縮して言った。

 すると村長が、懇願するような顔で言った。

「遠慮はいらんよ。是非食べてくれ」

 女性は、ふふっと笑う。

「私が禁止しているものだから、これを口実に食べようっていう腹づもりなのよ」

「いいじゃないか。少しくらい」

 村長は顔をしかめて口を尖らせた。

 女性は微笑んで言った。

「わかりました。お持ちしましょうね」

 彼女はカズトに顔を近づけて、村長を横目に見ながら、わざと聞こえるように続けた。

「この人が食べ過ぎないように、見張っていてくださいね」

 どう答えて良いかわからず、カズトは苦笑を浮かべた。

 女性が出て行くと、村長はやれやれと頭を振って、ため息交じりに言った。

「あれは気にしすぎなのだ」

「体の事を心配しているのだと思います」

「自分の体のことくらいは自分でわかるさ。さて、私に用があると言うことだが、どのような要件かな?」

「ニーナさんから手紙を預かっています」

 カズトはバックパックから手紙を取り出して、村長に手渡した。村長は封を開け、手紙に目を通して言った。

「なるほど。事情はわかった」

 アイに目を向けて続ける。

「その子がそうかね?」

「はい」

 カズトは答えて、アイを振り向き続けた。

「フードを被ったままですみません。いろいろあったので……」

 村長は頷いた。

「構わんさ。辛い思いをしたのだろう。仕方のないことだ」

 ドアが開いて、女性が入ってきた。彼女はお菓子の並べられたトレイを置くと、食べ過ぎないようにと改めて念を押して去って行く。

 村長は苦笑いを浮かべて肩をすくめると、お菓子を一つ手に取って言った。

「さあ、食べてくれ。妻の手作りだからな。おいしいぞ」

「はい。いただきます」

 カズトはお菓子を手に取り頬張った。自慢するだけあって、さすがにおいしかった。

「おいしいです」

「そうだろう」

 村長はニコッと微笑んだ。彼は続けた。

「あとで家に案内させよう。そこにその娘と住むといい。最低限、必要なものは揃っていると思うが、足りないものは自分で用意するように。家の手入れは自分でやるのだぞ」

「はい」

「困ったことがあったらなんでも相談してくれてかまわん。そのための村長だからな」

「はい。わかりました。なにからなにまで、ありがとうございます」

 カズトはお菓子を置いて、ぺこりとお辞儀した。

「なんの。困ったときはお互い様だからな。いたいだけいてくれて構わんぞ」

「はい」

「では、改めて……」

 村長は姿勢を正し、咳払いをする。

「我が村へようこそ。村民を代表して、歓迎しよう」

「これからお世話になります。よろしくお願いします」

 カズトも姿勢を正して、深く頭を下げた。

「うむ。よろしくな。さて、これで話は済んだな」

 村長はソファーに身を沈め、続けて言った。

「それでだ。お前さんさえ良ければ、暫くおしゃべりに付き合ってくれんかな? 実のところ、外から客が来るのは随分と久しぶりなのだ。だから話題に飢えていてな。どうかな?」

「僕の話なんかで良ければ」

 カズトは微笑んで答えた。

「無論だ。どんな話でも大歓迎だ。是非とも頼む。お茶のお代わりが必要なら、遠慮なく言ってくれ」

「はい」

 カズトは返事をして、アイの手がお菓子に伸びるのを、目を細めて見つつ、トレジャーハントで体験した出来事などを、若干の脚色を加えて話して聞かせた。


「ご苦労様だったね」

 荷馬車の主は、うーんと唸りながら背を反らして、やれやれと腰を叩いて言った。彼はため息をついて続けた。

「いや、ほんと助かるよ」

「いえ。仕事ですから」

 カズトは顔を上げ、額の汗を拭って答えた。

 村での生活は、ほぼ自給自足とは言え、日用品とかいろいろと入り用になるから、最低限の生活費は必要だ。だから村長に相談して、なんでも屋みたいな事を始めた。仕事の多くはこうやって手伝いをすることがほとんどだが、彼らのような若い働き手というのは貴重なので、大いに重宝された。

 男性は、感心の顔つきで頷いた。

「それにしても、嬢ちゃんもなかなかのもんだね。女の子に、力持ち、なんて言うのは失礼かもしれないが、うちの娘なんか、大きなスイカを一つ持っただけで、重いって、文句を言うからね」

 カズトとアイは、あはは、と作り笑いを浮かべた。

 雑貨店の奥から、店主が姿を現した。彼女は少し小太りで、少し丈の長い、厚手のエプロンを腰に巻いていた。店主は袖をまくり上げながら言った。

「荷物はこれで全部かい?」

「ああ。確かめてくれ」

 男性は木箱を叩いて答えた。

 店主は蓋を開けてごそごそと検分する。

「問題なしだね。この子達が手伝ってくれたのかい?」

「お陰でだいぶ楽だったよ」

「あんたは腰が悪いからね」

 店主は哀れんでもいるような苦笑いを浮かべた。

「いや、まったく。年には勝てないねえ」

 男性はやれやれと首を振る。そこまでの年には見えないが、年と共に”ガタ”が来るのは仕方のないことだ。

「さて」

 男性は言って、御者台にのそりと上がって続けた。

「それじゃ、またよろしく頼むよ」

「はい。いつでも言ってください」

 カズトが答えると、馬が、ひひん、と鳴いて、荷馬車は走り去っていった。

 店主はそれを見送って言った。

「あんたたち、よかったら一休みしていきな」

「はい。それじゃ、遠慮なく」

 二人は木製の長椅子に腰掛けた。

 カズトは目を細くして、遠くの山の稜線を見つめた。緑は色濃く、水色の空には白い雲が昼寝でもしているように浮かんで、ふわりふわりゆったりと流れている。日差しは柔らかく、風は寝息のように穏やかで心地良い。

 通りの向こうから、甲高い声が聞こえてきて、追いかけっこでもしているのか、子供達がものすごい早さで駆け抜けていった。そしてまた別の一団が現れて、見たことのない遊びを始めた。それを眺めて、カズトはほっと一つ息を吐き出した。本当にのどかな村だ。こんな気持ちで過ごすのも暫くぶりだ。

「いい天気だね」

「うん」

 アイは空を見上げて続けた。

「みんな、どうしてるかな」

「元気にしてるよ。きっと。こんど村長さんに話して、調べられないか聞いてみよう」

「うん」

「はいよ」

 店主がやってきて、トレイを差し出した。小さな茶碗の中で、焦げ茶色の液体が小さく波を打っていた。

「いただきます」

 二人は茶碗を手に取って、一口、口に含んで飲み込んだ。香ばしい香りが鼻から抜けて、疲れがすっと溶けていく。

 そうして、暫しのまどろみを愉しんでいると、男性が声をかけてきた。

「君たちがカズトにアイ、かな?」

「はい」

 二人は怪訝な顔で男性を見上げた。五十代の前半くらいで、よく日に焼けている。初めてのはずだが、どこか見覚えのあるような気がした。

「アーチ号に乗っていたと、聞いたんだが?」

「ええ。確かに乗っていましたけど……」

「みんなは元気かな?」

「みんな? ええ、元気だと思いますけど……あなたは?」

「ああ、すまない。私はダリオだ。元、アーチ号の船長だよ」

 カズトは目を丸くした。

「それじゃ、もしかしてチコさんのお父さん?」

「似ていないかな?」

 ダリオははにかんで笑う。見覚えがあるなと感じたのは、そういうことだったのだ。

「行方不明になったって……」

「見つかったな」

 ダリオは両手を広げて肩をすくめた。

「どうして連絡しなかったんです? 生きていると知れば、みんな喜びますよ」

「あの船はもうチコのものだ。私の居場所はないよ」

 ダリオは悲しげ言って、続けた。

「ただ、残してきた船員達のことが気がかりでね。それでどうかな? 船の様子を聞かせてはくれないかな?」

 カズトはアイに尋ねる。

「どうかな?」

「私はいいよ」

「それじゃ、僕の話で良ければ」

「もちろんだ。それでは、今晩、私の家に来てくれ。食事でもしながら話そう」

「わかりました」

 ダリオは嬉しそうに笑った。その笑顔に、カズトはチコの面影を見た。


「さあ、入ってくれ」

 ダリオはドアを開け、笑顔で二人を迎え入れた。室内には長テーブルと、小さなチェストが一つだけあって、清潔でさっぱりとした印象だ。テーブル上のランプがオレンジ色の柔らかな明かりを灯して、室内を優しげに照らしている。

「これ全部、ダリオさんが作ったんですか?」

 カズトが驚きを交えた顔で、料理の数々を眺めながら聞いた。とても彼一人で作ったとは思えないほど、立派なものばかりだった。

「なんでも自分でやらなければならないからね。自然と出来るようになったんだよ」

 ダリオは苦笑いを浮かべて答え、扉を閉めた。彼はテーブルを回り込みながら言った。

「さあ、座ってくれ」

 カズトとアイは並んで座り、その正面にダリオが腰を下ろした。

 料理はどれも、二人の舌を満足させるには十分な物だった。材料がいいのだと、ダリオは謙遜したが、コルネリアの料理を食してきた彼らの舌が、その腕前が確かな物であると語っていた。彼らは思い思いに料理に舌鼓を撃ち、まずは世間話に花を咲かせた。

 ダリオは蜂蜜酒を飲んで聞いた。

「それで、どうして君たちはここにきたのかな?」

 カズトはフォークとナイフを置いて、ここに至る経緯を話して聞かせた。ただし、アイが苦しんでいる”変化”については話さなかった。それが、船を出ることになった直接的な理由ではないし、落ち着いている今、そのことを思い出せたくはなかった。

 話す間、ダリオは黙って耳を傾けて、聞き終わると、ため息交じりに言った。

「そうか。そんなことがあったか」

 彼は苦渋に顔をしかめて続けた。

「同じ立場なら、私もチコと同様の判断をしただろう。息子のことは責めないでやってくれ」

 ダリオは頭を下げた。

「責めるなんて……そんなつもりはありません」

 カズトは首を振って続ける。

「チコさんにとって、船員の人たちが大切だってことは、よくわかっていますから……。だから頭を上げてください」

「ありがとう」

 ダリオは顔を上げ、安堵したように微笑んだ。彼は続けて言った。

「この村にいれば安心だろう。皆、口は堅い」

「はい。僕もそれを願ってます」

 カズトは期待を込めて強く頷き、続けて尋ねた。

「ダリオさんこそ、どうしてこの村に?」

 ダリオは顔をしかめた。

「ジェイクという奴がいてな……」

 彼は経緯を話し始めた。それはなかなかに衝撃的で、ドラマチックな物語だった。

「そんなことが……」

 そのヒストリーを聞き終えて、カズトは顔をしかめた。

「この村の人々のお陰でなんとか生きながらえることが出来た。感謝しかない」

 そう言ってダリオは目を瞑る。

「この村の人たちは、本当に優しい人ばかりですね」

 ダリオは目を開け、ふうっと息を吐いた。

「本当にな。世界中が、そうした人で溢れているといいのだが……。私もそうありたいと思うよ」

「仕返しをしたいとは、思わないんですか?」

「もちろん、そう思ったこともあるさ。が、仕返しをしたところでなんだというのか……。それに、相手をするのも馬鹿馬鹿しい」

 カタン、と音がして振り向くと、アイが、コクリコクリと頭を揺らしていた。もう十分、遅い時間になっていた。

「もうこんな時間か。お開きにしよう。今日は楽しかったよ」

 ダリオは笑顔で言った。

「僕もです。貴重な話が聞けました」

「そうか。それはよかった」

 ダリオは笑みを深くする。

「それじゃ、ごちそうさまでした」

 カズトは立ち上がる。

「おぶっていけるかね?」

「大丈夫ですよ、このくらい。チコさんのお陰で鍛えられましたから」

「そうだな」

 ダリオは破顔して立ち上がる。

「手伝おう」

 彼は机を回り込み、アイをおんぶするのに手を貸した。

 外に出たところで、カズトは振り向いて言った。

「おやすみなさい。ダリオさん」

「ああ、おやすみ。しっかりと休むんだよ」

 そう言って笑みを浮かべたダリオの表情は、父親のそれそのものだった。カズトは温かい気持ちになりながら、家路へとついた。

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