6 出会い

 小型艇は森の奥深く、茂みの中で煙を上げていた。窓ガラスは割れ、バチバチと火花が散って、船体は所々が黒く焼け焦げている。木々の枝は折れ、下生えはなぎ倒されて、墜落の衝撃の大きさを物語っていた。

 ドン、ドン、と音がして、バタン、とハッチが開いた。もわっと煙が吹き出して、追われるようにして少年が一人転げ出た。彼は腰を折り、目に涙を浮かべて苦しそうに咳き込んだ。そうしてなんとか落ち着きを取り戻すと、彼はハッとして振り向き、湧き上がる煙の中に飛び込んだ。間もなく、少年は少女を抱えて出てきた。少女は意識を失っており、彼は船から十分に離れた所まで歩いて行くと、少女を草むらに横たえた。

「アイ? アイ?」

 少年は少女を揺さぶった。が、彼女は目を覚まさなかった。彼はもう一度名前を呼んで、今度は頬を軽く叩いた。すると、少女は薄く目を開けて咳き込んだ。やがて一息つくと、彼女は言った。

「……カズ……ト?」

「そうだよ。僕だよ。怪我はない?」

 少女はカズトの助けを借りて、ゆっくりと体を起こした。特に痛がる様子もないので、骨折をしているとか、そういうことはなさそうだ。カズトはひとまず安堵して、他に怪我などないか、彼女の体を眺めて確かめた。大きな怪我はなかったが、左手の甲に、二センチほどの切り傷があった。

「切っちゃったみたいだね」

 アイの左手を取って、カズトは言った。

「痛い?」

「ううん。大丈夫」

 アイは首を振る。

「カズトも怪我してる」

 彼女は彼の額に手を伸ばして、血が滲んで赤くなっている場所に触れた。

 カズトは、うっと小さく声を上げ、亀みたいに首を引っ込めた。

「ごめんなさい」

 アイはびっくりして手を引っ込めた。

「大丈夫。こんなのなんでもないよ。唾でもつけとけばすぐに直るから。それに、この程度の怪我はいつものことさ。それよりも、君の怪我をなんとかしなきゃ」

 カズトは改めて、彼女の手の甲の怪我を見つめた。が、そこにあったはずの傷跡は、跡形もなく消えていた。

「なくなってる……ここにあったよね」

「うん……」

 アイは自分の手の甲を撫でた。生まれたての赤ん坊のように、肌はすべすべとしていた。

「……どうして?」

 アイは訝しげな顔で、カズトの額へと目を向けた。彼の怪我はまだ血の色を浮かべたままだ。彼女の瞳に、微かな不安の色が浮かんだ。

「ともかく」

 カズトは話を逸らした。

「怪我が治ってよかったよ」

 そして本当に安堵して、草の上に腰を下ろした。

 その時、上空から爆撃音が聞こえて、アイはハッとして顔を上げた。

「みんなは?」

 カズトは空を振り仰いだ。青々とした空に、船影を窺うことはできず、ただ音だけが聞こえた。

「大丈夫。きっと上手く逃げたはずだよ。バートだってそう言ってたでしょ? 軍の連中なんかに捕まるもんかって」

「うん。……でも……」

「みんなを信じよう。せっかく逃がしてくれたんだから」

「……うん」

 ほどなく、遠くから人の声が聞こえてきた。追っ手に違いない。カズトは声の方を振り向いて言った。

「ここにいちゃ危険だ」

 振り返り、続ける。

「立てる?」

 アイが頷くと、カズトは彼女が立ち上がるのに手を貸した。

「僕の手を放しちゃだめだよ」

 アイは黙って頷く。

 追っ手はすぐにでも小型艇を見つけるはずだ。そしておそらく、諦めはしないだろう。

 森は鬱蒼として、どちらを見ても木々と雑草ばかりで、どの方向へ逃げればよいか見当もつかない。が、ともかく、一刻も早く、この場から離れるべきだろう。迷っている暇はない。カズトは彼女の手を引いて、下生えを蹴飛ばすようにして歩き始めた。


 森はやはり、どこまで行っても森だ。変わり映えのしない景色に、どこまで来たのか見当もつかない。ただ、相当な時間歩いたはずだから、船からも十分離れたはずだ。二人とも、山ほどにも疲労は蓄積して足取りも重く、これ以上、歩き続けるのは難しい。この辺りで休憩を取るべきだろう。

「休もう」

 カズトは言って、太い木の幹に寄りかかるようにしてアイを座らせて、自身はその隣に腰を下ろした。彼はふうっと息をついて、無言で立ち尽くす草花を見つめた。風が吹いて、さわわと音が鳴る。アイが、自分をじっと見ているのを感じて、カズトは尋ねた。

「どうかした? 僕の顔になにかついてる?」

 アイは頭を振る。カズトは、その視線が上の方に向けられていることに気がついて、手で額の怪我に触れた。そしてその指先を見つめて言った。

「もう血は出てないよ。痛くもないから大丈夫」

 彼はぴしゃりと額を叩いた。実際の所、まだヒリヒリとした痛みはある。が、アイが不安がっているので、努めて明るく振る舞った。

「……どうして?」

「うん?」

「どうして治ってないの? 私は治ったのに」

「それは……たまたま僕の治りが遅いだけだよ。個人差があるんだよ。きっと」

 アイは膝を引き寄せて、胸に抱え込んで前を見つめた。その視線の先の、ピンク色の花の中から、花粉まみれの蜂が這い出てきて、大きな団子をくっつけて飛んでいった。カズトがそれを目で追っていると、アイが言った。

「私は普通じゃないのかも……」

「どうして?」

「だって私は、すぐに怪我が治っちゃったから」

「だからそれは、君が特別だからだよ」

「特別? 私が卵から生まれたから?」

 アイはじっとカズトを見つめた。

「……それは……」

 カズトは答えに窮して、視線を反らした。

「人間は普通、卵からは生まれないんでしょう?」

「そうだけど……でも、そういうことがあったのかもしれないって、ヨーセフさんが言ってたよ。昔のことはわからないことが多いんだって」

「だから私は普通じゃないのよ。何年もずっと、卵のままでいたんだもの」

「それでも君は人間だよ。泣くことだってあるし、笑うこともある。おなかだって空くんだ。それに、抱きしめたら、柔らかくて暖かいんだ」

 アイが怪訝そうにカズトを見つめた。

 カズトは、いったいなにを言い出すんだろうと、恥ずかしくなって、湯気が出そうな程に顔を真っ赤にした。

「どうしたの?」

 アイは目をパチクリとさせて、カズトの顔を覗き込んだ。

「なんでもない……」

 カズトは彼女の視線から逃れようと、その場でぐるりと回転して、背中をむけた。それで、ひとまずはなんとかなったが、しかし、胸のドキドキが去ることはなく、それで、いても立ってもいられなくなって、彼は立ち上がると言った。

「そ、そろそろ行こう。追いつかれちゃいけないから」

「うん」

 アイは立ち上がり、カズトの手を握った。彼のその手がいつもより熱く感じて、彼女は自分の掌を頬に当ててみた。彼ほどではないが、ほんのりと暖かい。それは、血の通った生き物の証だ。彼の言う通り、自分は人間なのだろう。彼女は先を歩くカズトの背中を見つめて、その手を更に強く握りしめた。


 いつの間にか空は茜色に染まり始めていて、数時間後には、辺りを闇が覆い始めるだろう。森はどこまでも広がって、終わりは見えてきそうにない。この様子では、今夜は野宿になりそうだ。あまり気は進まないが、この草むらの中で、野生動物よろしく夜を越すしかなさそうだ。

 そんな風に考えていると、遠くから声が聞こえてきて、カズトははたと立ち止まった。追っ手に追いつかれたのか、それとも追っ手の方へと歩いて行ってしまったのか、ともかく、複数の声が羽を広げたように迫ってくる。

「走って!」

 カズトはアイの手を強く握って、声とは反対の方へと駆けだした。ザクザクと草を踏みしめる音と、小枝がバキバキと折れる音が静かな森に響き渡る。追っ手はそれを聞き逃さず、鋭い声を上げた。

「あっちだ!」

 その声に呼応して、追跡者達は逃亡者を追い掛けた。

 カズトは彼らから逃れようと、走る足を速めるが、アイを手に引いてはそれもままならない。それでもなんとか逃げるには逃げたが、とうとう追いつかれてしまった。

「いたぞ!」

 振り向くと、五メートルほど離れたところを兵士が走っていた。左右に視線を転じると、二人の逃亡者に歩調を合わせるように、数名の兵士が併走していた。まるで雌ライオンが、獲物を仕留めようとして、獲物との間合いを計っているのかのようだ。

 そろそろ体力も尽きてきて、足取りも重くなってきた。アイも苦しそうに息をして、顔をしかめている。もう、限界だ。そう思ったときだ。併走していた兵士達が、突然追うのをやめた。後ろを走っていた兵士も、はたと立ち止まっている。なにが起きたのだろうかとカズトは走るのを止めて、兵士達の様子を確かめた。彼らの視線は、二人の背後へと向けられていた。その方向から、大きな声が叫んだ。

「動くな!」

 カズトはビクッとして振り向いた。正確な数はわからないが、何者かが木の幹に姿を隠し、銃口をこちらへと向けているのが見えた。ガチャガチャと音がして、兵士達が銃を構えた。

 その声が続ける。

「我が領内で何をしている? 今は休戦中のはずだぞ」

「捜し物をしていただけだ。渡して貰えれば素直に引き上げる」

 兵士は片手を上げて、仲間を制しつつ答えた。

「その捜し物というのがその二人か? それにしては随分と物騒だな」

 兵士の口元がピクリと引きつった。少し間が空いて、彼は答えた。

「不幸にも、輸送中にエンジンに不具合が起きてしまってね、それでやむにやまれず、そちらの領内に不時着せざるを得なかった。迷惑を掛けて申し訳ないと思っている」

「嘘だ! 攻撃を受けたんです!」

 カズトは叫んだ。彼らを信用して良いのか正直なところはわからない。しかし、今は頼るしかない。カズトは続けた。

「急に攻撃してきて……それで避けられずに墜落を……助けてください!」

 兵士はピクピクと口元をひくつかせた。

「そんな子供の言うことなど信じるな。我々はただ、彼らを保護しようしているだけだ」

「ならなぜ、彼らは逃げている?」

「船が突然墜落したのだ。混乱しているのだろう。じきに落ち着くさ」

「そうかな」

 声の主が木陰から現れた。どこからか、お待ちください、と囁く声がしたが、男性はそれを無視した。男性は、チコより少し若いくらいの青年で、背も高く、すらっとして男前だ。

「お前は……」

 兵士がしかめっ面で呟いた。どうやら知った顔らしい。

 青年が言った。

「私には、十分、既に落ち着いているように見えるが?」

 兵士はギリギリと、その軋む音が聞こえてきそうな程に、奥歯を強く噛みしめた。その表情からは、湧き上がる苛立ちと怒りを、なんとか押さえようとしているのが見て取れた。しかし、その試みは失敗に終わった。

「もういい!」

 兵士は唾を飛ばす。

「お前が誰だろうと関係ない。むしろ好都合だ。ここでお前を殺し、ガキを連れ帰れば、俺は昇級間違いなしだろう」

 彼は銃を青年に向けた。仲間があとに続く。青年の仲間もそれに応じて銃を構え直した。兵士が続けて言った。

「悪いが死んでもらうぞ」

「そんなことをすれば休戦は撤回され、また戦争が始まるぞ」

「構うものか。そもそも休戦なんてしたのが間違いだったのだ」

 青年はため息を漏らして言った。

「どうしてこう、軍人と言うのは血の気が多いんだ?」

 そして呆れ顔で首を振りながら続けた。

「まったく、愚にもつかない愚か者だな」

「なんだと?」

 兵士は怒りに目を血走らせた。

「我々がたったこれだけの人数で、ここに来ていると思うか?」

 兵士は充血した目を剥いて、その視線を周囲に這わせた。やがて、彼は舌打ちをして、叫ぶように言った。

「くそっ! このままで済むと思うなよ!」

 兵士は仲間に合図を送ると、ゆっくりと後退して十分に距離を取ったところで、くるりと向き直り駆け足で戻っていった。どこからか現れた青年の仲間数名が、彼らの跡を追った。

「ヒヤヒヤしましたぞ」

 年配の男性が、木陰から現れて、青年の隣に立って、兵士達の去った方を見遣りつつ言った。そしてやや強めの口調で続けた。

「姿をお現しになるなど、なにかあっては国の大事になります。どうかご自重ください」

「わかっている。だが、ああでもしないと引いてくれそうにもなかったからな。それに、助けを求められているんだ。無視する訳にもいかないさ」

「それはそうで御座いますが……」

 男性は困り顔で言って、カズトとアイに目を向けた。そして、じっと品定めするように見つめ、ため息と共に言った。

「それで、どうなされるおつもりで?」

「もちろん保護する。こんな森の中に放っておく訳にもいかないし。見たところ、なんの準備もしていないようだから」

 青年は答え、小声で続けた。

「それに、トマ軍の兵士が彼らを追っていた理由も気になる」

「さようですな」

 男性は頷いて、振り向いて命令を飛ばす。

「よし! 戻るぞ!」

 青年はカズトとアイに向かって言った。

「さて、君たちを保護しよう。ついてくるといい」

 しかし、カズトは動かなかった。まだ、信用していいか迷っているのだ。青年は目を細めて、優しい口振りで言った。

「君たちをどうこうしようなんて思っていないよ。だから安心して欲しい。とは言っても、信用できないかもしれないけど、今は信じてくれないかな?」

 カズトは青年を見つめた。柔和で、真っ直ぐな目をしている。少なくとも、人を騙したり、傷つけたり、嘘をつくような人間には見えない。カズトは頷いた。

 青年は微笑んで言った。

「さあ、こっちだ」

 青年のあとについて行くと、ぽっかりと開けた場所に出た。上空から見たら、森の中に開いた穴のように見えるだろう。その開けた空から、茜色の光が差し込んで、辺り一帯を赤く照らしていた。そこには小さなテントが一つあり、馬が数頭、むしゃむしゃと草を食んでいた。

「少し休憩しよう。入って」

 青年はそう言ってテントへと入っていく。中はそこそこに広く、小さなテーブルと椅子が数脚あるだけの、いたってシンプルな造りだった。

「どうぞ。座って」

 青年は一番奥の椅子に腰掛けて、着席を促した。カズトとアイは、青年の右手に並んで座った。

 男性がトレイを手に入ってきて、彼らの前にカップを置いた。カップには薄茶色の液体が入っており、湯気と共にいい香りを立ち上らせていた。男性は一礼すると帰っていく。青年はカップを手に取って口へと運び、一口飲んで、目を瞑り、ゆっくりと息を吐いた。

 その様子を、じっと見入る少年と少女に、青年はにこりと微笑んで言った。

「毒なんか入ってないよ。おいしいから飲んでみて」

 カズトはカップを手に取ると、少しだけ口に含んで飲んだ。少し苦みがあるが、ほんのりと甘くて、少しとろっとして、不思議な味がした。様子を窺うアイに、カズトは大丈夫そうだと頷いた。すると、アイはカップを両手に持って、ぐいと一口飲んだ。少し熱かったようで、驚いて目を白黒とさせたが、味には満足したらしく、ふうふうと気をつけながら、二口、三口とそれを飲んだ。

「気に入ってくれたようだね。よかったよ。ハイネの特産なんだ」

 青年はニコニコと嬉しそうに言った。やはり悪い人間ではなさそうだ。

「それで、あの……助けていただいて、ありがとうございます」

 カズトはカップを置くと、姿勢を正してお辞儀した。

「どうと言うことはないよ。人助けをするのは当然のことだからね」

「こういう聞き方は失礼かもしれませんけど……」

「なんだい?」

「あなたたちは何者なんですか?」

 青年は微笑んで言った。

「当然の質問だね」

 彼はカップを置くと続けた。

「僕はヤン。一応、この国の王子だよ」

「王子……?」

 カズトは目を丸くした。

「ハイネ王国の?」

「見えないだろう?」

 確かに、一国の王子というよりは、その辺の街に住む、ちょっといいところのお坊ちゃん、といった様子だ。

「その王子様が、こんな所で何をしてたんです?」

「狩りだよ」

「狩り? こんな時に、ですか?」

「こんな時だからこそ、だよ。休戦中でもないと出来ないからね。それに、どんなときでも娯楽は必要さ。そうだろう?」

「それはそうですけど……」

「そもそも、こんなくだらない戦争を続けてるのがいけないんだ」

「殿下!」

 テントの外から声が聞こえて、先ほどの年配の男性が入ってきて続けた。

「お言葉にはお気をつけください」

「本当のことだろう? くだらない理由で始まった戦争など、さっさとやめてしまうべきなんだ。なのに、父上は一向に耳を貸そうともしない。まったく、頑固な頭だよ」

「殿下!」

「聞かれたって知るものか! いっそのこと、追い出してくれればいいんだ。そうすれば……」

 ヤンはだいぶ興奮していたようで、顔を朱に染めていた。彼は、カズトとアイが、驚いた顔で見つめているのに気がついて、ばつが悪そうに咳払いした。

「済まないね。思わず気持ちが高ぶってしまった」

「いえ」

 気持ちはわかります、とカズトは首を振った。彼は尋ねた。

「殿下は、戦争が終わって欲しいと思ってるんですね」

「もちろんさ。君は違うのかい?」

「もちろん。早く終わって欲しいです。でも、難しいのかなって……」

「確かにそうかもしれないね。だけど、努力を続けなければ、叶う願いも叶わない。そうじゃないかい?」

 カズトはヤンを見つめ、頷いて言った。

「そうですね」

「だろう? ところで、まだ君たちの名前を聞いてなかったね」

「あ、そうでした」

 カズトは姿勢を正して続ける。

「僕はカズトと言います。彼女はアイです」

「そう。カズトにアイ、だね」

 ヤンは言って、興味深げな目を向けて続ける。

「君たちは随分と親しい間柄のようだけど、恋人同士? 駆け落ちでもしてきたのかな?」

 カズトは思いも掛けないことを言われて目を丸くした。

「ち、違います。恋人なんかじゃ……」

 彼は顔を赤く染めて、息苦しそうな声で急ぎ言った。

「そう」

 ヤンは面白そうに笑みを浮かべた。カズトが落ち着くのを待って、彼は尋ねた。

「それで、どうして追われていたのかな?」

 カズトは軽く咳払いをすると、カップを置いてヤンを見つめ、打ち明けるべきか思案した。

 相手はトマ王国と敵対しているハイネ王国の王子だ。事情を知れば、逆にアイを拿捕しようとするかもしれない。しかし、彼と言葉を交わして、その様子を見て、信用してもいいのではないかと思った。カズトは事の次第を話して聞かせた。

 話しを聞き終えると、ヤンは腕を組んで考えを巡らせた。敵が何を企んでいるのかはわからない。しかし、それにこの少女が関わっているというのは興味深い。是非とも注意深く様子を見るべきだろう。

「殿下。そろそろ……」

 男性が、天幕から外の様子を確かめて言った。

「ああ、そうだな」

 ヤンは外を見つめた。茜色の空は山近くへと追いやられ、星空が薄く天頂を覆い始めていた。ヤンが続けた。

「そろそろ出発しよう。今日は近くの街で一泊して、明日には王都だ。王都に着いたら、宿に部屋を用意させよう」

「えっ!?」

「他にどこか、行く当てでもあったかい?」

「いえ……ありません」

 カズトは首を振る。実際、行き当たりばったりで飛び出してきたから、この提案はとても嬉しかった。

「なら遠慮はいらないよ。それに、保護すると約束したんだから、それは果たさないとね」

 カズトはぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます」

「馬は乗れる?」

「はい。多少は」

 ヤンは頷いて立ち上がる。

「よし、それじゃ行こうか。なんだか今回は、楽しい旅になりそうだ」

 王都を囲む城壁は高く、地平線の向こうまで続いているのではないかと思えるほどに、ずっと遠くまで伸びていた。城門もまた大きく、トンネルはずっと奥まで続いているので、まるで巨人の口に飲み込まれるような感じがした。

「王都に来るのは初めて?」

 ヤンはカズトの隣に馬を並べて聞いた。

「はい。大きい街ですね」

 カズトは振り向いて、感動を込めて答えた。その後ろで、アイは目をキラキラと輝かせている。思えば、船の外に出るのはこれが初めてだ。

「国の中心だからね。このくらいでないと、威厳というものが示せないのさ。まあ、大きすぎるのも考え物だけどね」

 そうなんですか、と応じてカズトは街路の先を見つめた。道はずっと遠くまで延びて先が見えない。王都の規模の大きさを物語っていた。

 街路は中央広場で交わって、そこから更に北へと延びた、端から端まで行くのも一苦労と思えるほどの幅の街路の終端に、王宮はあった。王宮は煌びやかで、遠くからでもその威容を窺うことができた。

「それじゃ、僕はここで」

 ヤンは馬を止めて言った。彼は背後を振り向いて続けた。

「宿のことは彼に頼んであるから」

 その背後の男性がゆっくり頷いた。

「いろいろとありがとうございます」

 カズトはお辞儀した。アイがそれに習う。

「何か困ったことがあったら宿の主人に遠慮なく言うといい。力になってくれるよ」

「はい。ありがとうございます」

 もう一度、二人は会釈をした。

 ヤンは頷いて馬を進め、王宮へと向かう。

「さあ。こっちだ」

 男性に促され、あとについてカズトは馬を進めた。

 男性は一軒の建物の前で馬を止めた。下馬し、手綱を結わえる。カズトとアイもそれに続く。建物は、宿屋と言うには小規模で、ひっそりとした様子の店構えだ。どちらかと言えば隠れ家的な印象を受ける。二人は男性に従って中へと入った。

 宿屋は一階は食堂、二階に宿泊する部屋があって、食堂は、宿泊客だけでなく、一般客も利用できるらしく、まだ昼間であるにもかかわらず、赤ら顔の客の姿がちらほらと見られた。

「いらっしゃい」

 カウンターの奥から、中年の、少し小太りの女性が現れて、にこやかに微笑んだ。どことなくコルネリアに似た雰囲気を持っている。それ故か、きっといい人なのだろうなと、そんな印象を持った。

「この子達に部屋を用意してやってくれ」

 女性はさっと二人を眺めた。不快な思いをさせないようにとの配慮だろう。じろじろと見られるのは気持ちのよいものではない。

「あいよ。部屋なら開いてるから心配ないさね」

「よろしく頼む。なにかあったらすぐに知らせてくれ」

「あいよ!」

 女性は任せろとばかりに威勢よく答えた。男性はカズトとアイに一つ頷いてから、宿屋をあとにした。

「部屋に案内するよ。ついといで」

 女性に従って階段を上り、二階へと上がる。部屋は全部で五室ほどあり、二人は階段を上ったすぐ手前にある部屋に案内された。

 部屋は広すぎず、かといって狭すぎもせず、二人が寝泊まりするには丁度よい広さだった。

「あとでベッドを一つ運び込ませようかね。それとも一つで十分かい?」

 女性は言って、意地悪そうに笑った。

「えっ!? ああ、いえ、もう一つお願いします」

 ヤンといい、この女性といい、まったくどうなってるんだ、と言った具合に、カズトは口を尖らせた。

 女性はクスクスと笑って、室内を眺めて言った。

「必要な物があったら遠慮なく言っとくれ。それから、食事は一階で出来るけど、夜は酒飲みの連中で騒がしくなるから、早めに済ませた方がいいよ」

 わかりました、とカズトは頷く。

 女性は歩いて行ってドア口に立ち、振り向いて言った。

「それと、出かけるときは気をつけなよ。余所者はすぐにわかっちまうからね。それじゃ、ごゆっくり」

 バタリとドアが閉まると、カズトはやれやれと頭を掻いて、丸い小さなテーブルへと歩いて行って、椅子を引き出してアイを座らせた。疲れていたのだろう。彼女はストンと腰を降ろして、ふうっとため息をついた。カズトは窓へと近づいて、扉を開けようと押してみた。立て付けが悪いためか、なかなか強情だったが、何度目かにしてようやく窓は開いた。柔らかな日差しと共に、午後のそよ風が流れ込んでなかなかに心地よい。向かいには、路地を挟んで大きな建物が並び、その隙間から、遠く王宮の建物が見えた。ヤンはもう着いただろうか。いい人だったな……。そんな風に思いながら、彼は空を見上げた。

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