5 逃走

「軍船だって?」

 チコは船長席に腰を下ろし、パネルを操作しながら言った。

 エレオノーラが答える。

「ええ。三隻。トマ軍よ」

「トマ軍?」

 チコは振り向いて目を丸くした。軍に目をつけられるような覚えはない。彼はモニターに映る軍船の姿を見つめて呟いた。

「いったい、なんの用だ?」

 すると、それに答えるようにララが言った。

「軍から通信。どうする?」

 チコはエレオノーラと見合ってから言った。

「繋いでくれ」

 間もなく、モニターに通信相手が現れた。

「私はトマ王国軍大佐、モーリスだ。チコ船長だね」

「ええ、そうです。初めてお目にかかるはずですが?」

「むろん、そうだ。とある人物から君のことを聞いてね。是非、話がしたいと思ったのだ」

「そうですか。ちなみに、そのとある人物というのは?」

「ジェイクとか言ったな。知り合いなのだろう?」

 エレオノーラが囁く。

「あいつ、なんのつもり?」

 チコは顔色はそのままに、彼女の気持ちを代弁するように答えた。

「ええ、確かに腐れ縁ですね。いい加減、縁を切りたいのですが」

「なるほど。そうだろう」

 モーリスはクックと笑う。

「それで、話がしたい、というのは? こちらには思い当たる節はありませんが」

 モーリスは暫し閉口して、のち言った。

「洞窟から君たちが運び出した物を、こちらに渡して貰いたい」

 彼がなにを指して言っているのかはわかる。しかし、軍がなぜそれを欲しがっているのか、その理由を知らないまま、おいそれと応じるわけにはいかない。彼は答えた

「なんのことでしょうか」

「惚けるな。まだ船の中にあるはずだ。扱いに困っているなら、こちらで引き取ろう」

 エレオノーラが、苦々しげな表情を浮かべて言った。

「あいつが教えたのね。なぜあいつが知ってるの?」

「ハイエナだからな。鼻がきくんだろう」

「ぶっ飛ばしてやりたい! それで、どうすつもり?」

 チコは指先で肘掛けをトントンと叩いて、ほどなく答えた。

「引き取ると言いますが、あれは我々が苦労して手に入れた物です。それを、いくら相手が軍だからと言って、はいわかりました、と渡すわけにはいきません」

「なるほど。しかし、あれはお前達が持っていてもなんの役にも立たないものだ。ならば我々に渡す方が得策だと思うが?」

「役に立たないなんて事はありませんよ。既に我々の為に働いてくれています」

「働く? あれが?」

 モーリスは、一驚をその顔に示して、僅かに顔を傾けた。誰かが近くで話しかけているらしい。彼はやがて言った。

「なるほど。やはりそうか。ならば尚のこと、こちらに渡してもらわねばならん。あれは我々の所有物だ。返してもらおう」

「所有物?」

 チコは顔をしかめた。彼は咎め立てするように言った。

「彼女は物ではありませんよ。意思を持った一人の人間です」

「人間か。ある意味では正しいな。しかし、かといって、君たちの所有物でもない。違うかね? あれは私たちが最初に見つけ、私たちが回収する予定だった。我々の仲間になるべき物だったのだ。それを横取りとは、それが君たちのポリシーなのかね? ジェイクとか言った、あの連中とは違うと思っていたのだが」

「宝探しは早い者勝ちです。ですから、いくら回収予定だったと言われても、関係ありません。それに、あなた方が回収した物を奪ったわけではないのだから、横取りと言われる筋合いはありません」

「うむ。そうか。返すつもりはないか。であれば、力尽くでやるしかなさそうだ」

「我々を攻撃すると? こちらは民間ですよ」

「こちらの要請に応じないのだから、致し方あるまい。が、我々もそこまで薄情ではない。五分やろう。その間に、どうするか決めるといい。いい報告を待っているよ」

 通信は切れた。

 チコは長々と息を吐き出して、頭痛でもするのか、指先で眉間をゴリゴリと揉んだ。

「あいつが言ってるのって、あの子のことだろ?」

 操舵席から振り向いて、バートが言った。

「でしょうね」

 ため息と共にエレオノーラが応じ、続ける。

「他には思い当たる物がないもの」

「あの子のこと、渡せって言ってるんでしょ? なんで?」

 興味もなさそうにララが言った。

「役に立つとか立たないとか、そんな話だったな」

 フランツは航海図から顔を上げ、振り向いて腕組みした。太い腕の筋肉が盛り上がる。

「ただの女の子だぜ。軍の何に役立つっていうんだよ」

 バートはやれやれといった具合に、両腕を横に広げて掌を上に向けた。

「ただの女の子ではないって事でしょうね。彼女に、どんな秘密があるのかはわからないけど」

 エレオノーラは顔をしかめて、チコに向き直る。

「それで、どうするの?」

「渡した方がいいんじゃない? 元々、仲間って訳じゃないんだもの」

 ララが言った。

「冷たいな。良心てものはないのかよ。せっかく馴染んできたところなのに……」

 バートが反論する。

「それじゃ、軍と戦うの? 勝てるとは思えないけど」

「そりゃあ、まあね……。だけど、軍になんか渡したら、なにされるかわからないぜ。かわいそうじゃないか」

 沈黙が流れた。誰もが、バートの言う通りだとわかっていた。チコは目を瞑り、考えを巡らせた。

 卵から少女が生まれる前なら、すぐにでも、わかりましたと言って渡したかもしれない。しかし、得体が知れないとは言え、彼女は人間であり、生きている。それを渡せと言われて素直に首を縦には振れない。だが、渡さなければ、船が攻撃を受ける。万一に備え、多少の武装はしているが、それでも、軍に太刀打ちなど出来るはずもない。ひとたび攻撃を受ければ、船は大きなダメージを受け、甚大な被害が出るだろう。船長として、船と、船員の命を守るのは重要な責務の一つだ。そのために、場合によっては、非情な決断を下さなければならないこともある。

 チコは目を開け、口を開いた。

「アイを呼んでくれ」

 瞬間、ヒヤッとしたような空気が流れたが、チコの思いもわかっていたから、誰もなにも言わなかった。

「了解」

 エレオノーラはただそう言って、マイクに向かった。

 数分後、アイはカズトに付き添われてブリッジへとやってきた。彼女は、面々の視線が一斉に向けられていて、そこからなにかよからぬ異変を感じたらしく、身を縮こまるようにして同伴者の背中に隠れた。チコが口を開くのより早く、カズトが言った。

「アイが一人では行きたくないというので」

「そうか」

 チコは一言だけそう言って、アイから視線を反らして、真っ直ぐ前を見据えた。

「なにかあったんですか? 軍船が来たのと関係があるんですか?」

 チコはエレオノーラとちらりと見合って、間もなく口を開いた。

「軍がアイを渡せと言ってきている」

 カズトは目を丸く見開いた。

「軍が? どうしてです?」

「あれを最初に見つけたのは自分たちで、自分たちの所有物だ。だから返せ、ということだ」

「所有物って、彼女は物じゃないですよ!」

「そうだな。しかし、そんな理屈は彼らには通じない」

「通じるかどうかなんて、そんなことどうでもいいです。人として、それが正しいことかってことですよ!」

 その場にいた大人達の誰もが、冷や水を浴びせられたような顔をした。カズトは続けた。

「それに、渡したりなんかしたら、なにをされるかわかりませんよ!」

 バートがチコを見つめて頷いた。彼はちらりとバートを見て答えた。

「それはわかっている。だが、渡さなければ攻撃をすると言っている。それは避けなければならない」

「だから彼女を渡すんですか?」

 カズトはチコを睨みつける。

「俺はこの船の船長だ。船と船員を守る義務がある」

 チコはキリッと引き締めた表情で返す。

「彼女だって船員の一人ですよ。違うですか?」

「違わない。だからこそ、こうして話をしている」

 チコはアイに目を向けた。彼女はカズトの背中から、目だけを覗かせて様子を窺っている。その瞳には、畏怖の色が浮かんでいた。渡すとか渡さないとか、怖いことを目の前で話しているのだから無理もない。その様子に心は痛むが、しかし、この船には大勢の船員が乗船している。少女一人の為に、それらの命を危険にさらすことは出来ない。

「アイ。状況は理解できているな?」

 チコは優しく語りかけた。アイが目を泳がせながら頷いた。

「俺たちだって、お前を渡したくはない。しかし、お前を渡さなければ、軍は俺たちを攻撃するだろう。そうなれば、俺たちに勝ち目はない。おそらく、大勢が死ぬ。それだけはなんとしても避けたい。わかるな?」

 アイは頷いた。

「だからお前を……軍に渡すしかない」

 アイは目を伏せた。チコは言った。

「俺のことは恨んでくれて構わない。ただ、船員達を護って欲しい」

 アイは目を上げた。ブリッジの面々を一人一人見つめる。船員達の顔を思い浮かべてもいただろう。ほどなく、彼女はカズトの背中からするりと出て隣に並んだ。決意の表情が浮かんでいた。

「わかった。行く」

 アイは言った。

「本気なの?」

 カズトは素早く振り向いた。愕然と目を見開いている。

「それがどういうことかわかってる? もう、僕たちとは会えなくなるんだよ。それに、なにかよくないことをされるにきまってる。平気で人を殺す人たちなんだから!」

「でも、私が行かなきゃみんなが危ないんでしょう? それは嫌」

「そんなの、なんとかするよ!」

 カズトは声を荒げた。

「あなたになにが出来るというの?」

 エレオノーラが言った。厳しく、そして冷静な口振りで続けた。

「この船には何人もの人が乗っているの。その彼らに、犠牲になれというの? その責任が、あなたに持てる? この船は、あなたの船じゃないのよ」

「……そんなの……」

 カズトは言い返そうとしたものの、言葉はなく、うつむいて唇を噛んだ。

 アイはカズトの正面に立った。カズトはゆっくりと顔を上げ、アイを見つめた。

「私はこの船のみんなが好き。もちろん、カズトのことも。みんな、すごくよくしてくれたから」

 アイは諭すように続ける。

「だからみんなを護りたい。私があっちに行くことで、みんなを護れるならそうしたい。いえ、そうさせて。お願い」

 アイの瞳が真っ直ぐに彼を見つめた。その瞳に込められた決意の強さに、カズトは心臓を鷲づかみにされて苦しくなった。行かせたくない。それが本心だ。しかし、そうしなければ、船のみんなが死ぬだろう。そしてそれを、アイは望んでいない。ならば、彼女の意見を尊重すべきだろう。

「わかったよ」

 カズトは頷いた。

「お前にはすまないと思っている」

 チコが言った。それが、アイに向けられたのか、それともカズトか、或いは双方に対してか、ともかく、優しい口調だった。

「俺たちに抵抗できるだけの力があればよかったが、現状ではそれは不可能だ。こうするしかないと言うことを理解して欲しい」

 アイは振り向いて笑みを浮かべた。

「わかってます。チコにとっても、みんなの事が大切なんですよね」

 チコは、ありがとう、と微笑みを返し、表情を引き締めて言った。

「連中には、くれぐれも丁重に扱うよう、伝えよう。万が一、粗雑にするようならただではおかないってな」

「はい」

 アイはニコッと微笑んだ。

 カズトが言った。

「辛かったら逃げ出していいんだからね。連絡をくれたら、必ず助けに行くから」

「うん。ありがとう」

 アイはカズトに抱きついた。人前でされるのは恥ずかしいが、今は構わない。彼は彼女の背に腕を回した。二人はそうして暫く抱きしめ合って、ほどなく離れた。

 チコが言った。

「ララ。連中に連絡を取ってくれ」

 ほどなく、モーリスがモニターに現れた。

「話し合いは済んだか?」

「ああ」

 ぶっきらぼうにチコは返事を返した。

「怒っているのかね?」

「当然だ」

「そうか。それは申し訳なかったね」

 そう言いながらも、ちっとも気にしてなどいないという顔で、モーリスは続けた。

「それで、いい報告なのだろうね?」

 刹那の沈黙ののち、チコは口を開いた。

「彼女をそちらに渡す。こちらから小型艇を出す。受け入れの準備をしてくれ」

「うむ。よかろう。賢明な判断だ」

 モーリスは顔を傾けて頷いた。配下に指示を送っているのだろう。

「ただし、一つ約束して欲しい」

 チコが言った。

「約束? なにかな?」

「彼女は人間だ。それにまだ子供だ。丁重に扱ってもらいたい」

「人間か……」

 モーリスは顔をしかめて苦笑を浮かべた。

「まあ、もちろんそうするだろう」

「もしそれが守られないときは、こちらも黙ってはいない」

「我々を脅しているのか?」

「脅す? それはお互い様だな。なにもそちらの専売特許というわけではない」

 通信障害でもあったかのように、モーリスは暫し沈黙して、のち、久々と言うくらいに盛大に笑った。

「いいだろう。約束しよう」

 モーリスは顔を傾けて、ほどなく言った。

「準備が整ったようだ。連れてくるがいい」

「わかった」

 通信は切れた。チコは、ふうっと息をついた。

「少しヒヤヒヤしたわ」

 エレオノーラはそう言って苦笑した。

「なかなかいい啖呵だったぞ」

 フランツが腕組みをして言った。

「そうすると約束したからな。それに、あのくらいのことをしてやらないと、腹の虫が収まらない」

 チコは続けて言った。

「さて。長々と待たせては何をされるかわからない。準備はいいな?」

「はい」

 アイは首肯した。

「バート。お前がこの子を連れて行ってくれ」

 すぐにカズトが言った。

「見送りに行っていいですか?」

「ああ、そうだな。構わない」

「じゃ、行こうか」

 バートに促され、三人はブリッジをあとにした。

 三人がブリッジから出て行くと、感傷的な口振りでララが言った。

「本当に行っちゃうんだね」

「あら。急に寂しくなっちゃった? 軍に引き渡すの、賛成なんだと思ってた」

 エレオノーラが意外そうに言った。

「私だって、そんなに冷たい人間って訳じゃないわ。ただ、この船がなくなったら、私も居場所がなくなちゃうし……。だからああ言ったまでよ」

「わかってるわ。冗談よ」

 ララは、べえっと舌を出して、ふん、とそっぽを向いた。

 エレオノーラは苦笑して、話題を変える。

「それにしても、彼、妙な反応だったわね」

「妙な反応?」

 チコは眉を釣り上げた。

「アイのこと、人間だぞって言ったら、渋い顔をしていたわ」

「ああ、確かにそうだな」

「本当に人間じゃなかったりして」

 ララが、やや冗談めかして言った。

「どこからどう見ても、人間に見えるがな」

 フランツが、生真面目な顔で言う。

「やだ。冗談よ」

 ララは呆れたように言った。

 エレオノーラは二人を面白そうに見遣り、後を引き継いだ。

「ともかく、なにかを隠しているのは間違いないわね」

「だな」

 チコが答えた。

 そこに、小型艇から連絡が入った。出発の準備が整ったことを伝える内容だ。

「ハッチを開けてくれ」

 チコは頷いて指示する。

 ほどなく、ハッチが開いて、小型艇が滑り出た。不器用そうにふらふらと体を左右に揺らして、軍船へと向けて飛んでいく。

「おいおい。大丈夫か?」

 モニターに目を向けたまま、チコが不安げに言った。

「緊張してるのかも」

 エレオノーラが言った。

「あいつが?」

「彼にだってそういうときくらいあるでしょ。相手は軍だし」

「そんな玉とは思えないけどね」

 チコは首を振り、肘掛けに頬杖をつく。

「それはまあ、そうだけど……」

 エレオノーラは苦笑いを浮かべた。

 その時、フランツの鋭い声が飛んだ。

「おい! モニターを見ろ!」

 二人は言われた通りに目を向けた。それまでゆっくりと飛んでいた小型艇が、速度を上げたかと思うと、急に方向転換をして、地上へと向かって急降下を始めた。

「どういうこと?」

 エレオノーラが声を上げた。

「バートの奴! なにをやってるんだ!」

 チコは艦長席の手すりを拳で叩き付けた。彼は続けて言った。

「軍は?」

「まだ動いていない」

 フランツが答える。

 チコは頷いて、小型艇に呼びかけようと口を開きかけた。そのとき、ドアが開いて、バートが入ってきた。彼はのんきな顔で、やれやれと頭を掻いている。

「お前……なんでいる?」

 チコは夜の猫みたに目を丸くした。そしてはっとした顔で振り返り、モニター上の、小さくなった小型艇の姿を見て言った。

「まさか……?」

 バートは肩をすくめて、悪びれた様子もなく言った。

「いやあ、脅されちゃって……。仕方なく操縦を代わったんだ。いやあ、まいったな」

「……お前……」

「これで良かったと思うよ。二人のためにも。それに、あいつが勝手に逃げたんだから、咎め立てされる言われはないさ」

「だといいんだが」

 フランツは顔を険しくした。彼は続けた。

「先頭の船は小型艇を追った。残りの二隻はこっちに向かってきている。逃がすつもりはないようだ」

「じゃあ、急いで逃げなきゃ!」

 バートが陽気に言った。

 チコはバートを睨み返す。

「誰のせいだと思ってるんだ?」

 バートは惚けた顔で肩をすくめた。チコはやれやれと首を振り、座席に座り直すと指示を飛ばす。

「百八十度転進! 全速力で逃げるぞ! 機関室に連絡しておけ! おい、バート! さっさと持ち場につけ!」

「アイアイサー」

 全く危機感のなさそうな態度に、チコは深くため息をついた。が、一方で、笑みを浮かべてもいた。エレオノーラはそれを見遣り、同じく笑った。

 アーチ号は全速力で逃げた。正に脱兎の如く、だ。とはいえ、軍船と比べても、スペックで大きく劣るから、逃げ切れる保証はどこにもない。唯一希望があるとすれば、彼らが、世界中を飛び回って、空というものを熟知しているという点だ。あとはただ、運命の女神が、にこりと微笑んでくれることに期待するしかない。

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