4 適応

 トントン、と医務室のドアをノックして、どうぞ、の声にカズトはドアを開けた。シャルロットは机に向かって、書類にペンを走らせている。少女はその様子を覗き込んで、熱心に観察していた。カズトが入っていくと、少女はぱあっと華やいだ笑顔になって、子供が親にするように、小走りに走ってきて彼に抱きついた。カズトは思いもよらない歓迎振りに、びっくりして目をキョロキョロとさせた。その様子に苦笑いを浮かべるシャルロットを横目に、猫みたいに頬をすり寄せている少女に困惑しつつカズトは言った。

「あ、あの……これって……」

「まるで母猫に甘える子猫よね」

 シャルロットは手を止めてくるりと向き直り、苦笑を浮かべた。

「猫には見えませんけど……」

 カズトは渋い表情を浮かべた。

「その通りね」

 彼女は笑って続ける。

「彼女は間違いなく人間よ。生物学的にもね。あなたと違うところがあるとすれば、男か女かって事くらいね。どう? 抱きつかれてる気分は」

 カズトはハッとして、顔を赤くさせて身をもじもじとさせた。少女は、逃げないようにと思ったのか、更にぎゅっと腕を絡ませた。

「本当、随分と懐かれちゃったわね」

 シャルロットは頬杖をついて言った。

「あれからずっと、あなたが来るのを待っていたのよ。落ち着かせるのが大変だったわ」

「そうなんですか?」

 カズトはびっくりして丸く目を見開いた。

「でもどうして、こんなに僕にべったりするんでしょうか」

 シャルロットは肩をすくめる。

「親とでも思っているのじゃないかしら」

「僕を? そんなのありえませんよ。実際、僕は彼女の親じゃないし……」

「そうね。でも、彼女を助ける存在は必要よ。右も左もわからない彼女が、生きて行くには厳しい世界だから。だから、誰かが彼女の支えにならなくちゃいけない。そうでしょう?」

 カズトは頷いた。それは、自身がよく身に染みて知っている。シャルロットは続けた。

「現時点においては、あなたが適任ね。チコにもそう言われてるわよね?」

「はい。面倒を見るようにって。だから、それはきちんとやるつもりです。でも、どうすればいいのかよくわからなくて……」

 彼は素直に不安を口にした。

 シャルロットは頷いて提案する。

「初めてのことだもの仕方がないわね。そうね。まずは船の中を案内してあげてはどう? 手始めに、小さな世界から始めるの」

「大丈夫でしょうか」

 カズトは懸念を示した。当然だろう。彼女は卵から生まれたのだ。人からではなく……。みな驚くだろうし、どう説明すればいいかもわからない。

「船のみんなのこと? それなら大丈夫よ。チコから話してあるから。いずれ知られてしまうことだからってね。だから心配しなくていいわ。多少はいろいろあるかもしれないけど、最初だけよ」

「そうですね」

 カズトは頷く。

「なにか気づいたことがあったら教えて。興味を持ったこととか、好みとか、なんでも。なにか問題が起きたときは必ず連絡すること。それと、夕方には戻ってくるように。体の調子を見ないといけませんからね」

「わかりました」

 カズトはしっかりと頷いた。頼もしい、と思ったのか、少女がその様子に微笑んだ。

「それじゃ、しっかりと面倒見るのよ」

「はい。頑張ります」

「よろしい」

 シャルロットは立ち上がり、近づいて、少女の耳元で囁いた。

「彼のことよろしくね」

 少女は、奇妙なものでも見たような顔で目をぱちくりとさせたが、やがてニコッと笑って頷いた。


 彼女にとっては見るもの全て、ありとあらゆるものが初めてで、行く先々で大騒ぎ、というほどではなかったが、それでも、振り回される形とはなって、船内を案内するのもなかなか一苦労ではあった。とはいえ、嬉しそうな彼女を見ていると、それはそれで自分も嬉しい。そして、船員たちに対しては、チコが事前に説明してくれていたこともあって、一部では、少し遠巻きに見るような様子も見られたが、多くは好意的で、お陰で、彼女も必要以上に彼らを恐れるようなこともなかった。

 そうして船内を巡るうちに昼頃となり、カズトはアイを連れて食堂へと向かった。そろそろお腹も空いてくる頃合いだ。食堂は腹の虫に餌をくれてやろうという人や、話の虫の欲求を満たしてやろうという人で賑わっている。カズトが少女を伴って入ってくると、彼らの視線が二人に向けられて、一瞬、話し声が止んだが、すぐに元の賑わいへと戻った。

 カズトは空いた席に少女を座らせた。

「少し待ってて。ご飯持ってくるから」

 カズトは言って、厨房の方へと歩いて行く。

「いらっしゃい。なんにする?」

 コルネリアが、カウンターから顔を覗かせてニコッと微笑んだ。

「そうですね……カレーをください。二つ」

「あいよ。待ってな」

 コルネリアは威勢よく言って、奥へと引っ込み、暫くして、両手にトレイを持って戻ってきた。いい匂いが漂ってくる。それはカズトが最も大好きな料理だが、他の船員達にも人気が高い。

「ゆっくりと、しっかり噛んで食べるんだよ。お代わりはたくさんあるからね」

 コルネリアは暖炉の火のような暖かさで言った。

 カズトは礼を述べて席へと戻り、トレイをテーブルに並べて向かい合わせに座った。

「それじゃ、食べようか」

 カズトは両手を合わせていただきますをした。不思議そうに見つめる少女に、彼は微笑んで、どうぞ、と食べるよう促す。しかし、彼女は目をぱちくりとさせて、困ったような顔をした。

「ああ、そうだね」

 カズトはスプーンを手に取って続けた。

「僕の真似をして」

 彼はとろみのあるソースをすくい取り、口へと運んで食べた。彼は少女を見つめ、やってみてと頷いた。

 少女は首を傾げたのち、スプーンの柄を、棒を握るみたいに握って、同じようにソースをすくい取ろうとした。しかし、なかなか上手くいかなくて、ちっともすくい取ることが出来なかった。

「それじゃだめだよ。こうするんだ」

 カズトはスプーンを置き、手を伸ばして彼女の手からスプーンを引き抜くと、パズルでもやるみたいでなかなか難しかったが、なんとか上手くスプーンを握らせた。

「そして、こう」

 カズトはもう一度、スプーンで料理をすくい取り、食べてみせた。少女はじっとその様子を眺めて、見た通りに真似をしようとするが、握る手の力加減がわからないのか、ポトリとスプーンを落としてしまう。その度に、カズトがスプーンを握らせて、彼女はその度その試練に挑戦した。そうして、彼女はなかなか辛抱強いようで、何度かチェレンジするうちに、段々と要領がわかってきたようで、ついに、料理を上手くすくうことに成功した。彼女は、親に褒めてもらおうとする子供のように、嬉しそうな顔でカズトを見つめた。彼は微笑んで首肯し、スプーンを口へと運んで食べる仕草をやって見せた。少女は、スプーンの上に乗ったそれを、不思議そうに一目見たのち、小さな口を開けてパクッとやって、もごもごと頬張った。

「どう? おいしい?」

 少女はニコッと笑って頷いた。

「それはよかった」

 カズトは微笑んで、料理をすくって口へと運んだ。すると、少女はなにかを求めるように見つめてきた。彼は暫し考えて、やがて言った。

「おいしいね」

 すると、少女は花のように華やかに笑って、再び料理を頬張った。

 そうして、お昼の時間もそろそろ終わろうかという頃、色黒の大柄な男がやってきて、少女から少し離れた所の椅子を引き出して、どしっと腰掛けた。彼は彼女に目を向けて言った。

「その子が例の?」

 周りの男達が顔を上げ、耳を傾ける。

「はい」

 カズトは料理を頬張りながら答えた。少女は近くに見知らぬ人物が座っても、とくに怖がる様子もない。食堂内の雰囲気にもだいぶ慣れたらしく、落ち着いて食事を続けていた。

「卵から生まれたっていうのは本当か?」

「はい。見てましたから」

 おお、とか、ほお、とか言う声が上がった。チコから話を聞いて、皆、興味を持っていたのだろう。

「本当に、普通の女の子に見えるな」

 男は少女を覗き込んだ。少女は顔を上げ、目を丸く見開いて見つめ返す。その彼女の口元が、離乳食を口にするようになったばかり幼児のように、ソースで汚れていた。カズトがナプキンで汚れを拭き取ってやる。少女は目を瞑ってそれに耐え、綺麗になるとニコッと笑って、再び料理と向き合った。

 男が、なんとも言えない表情を浮かべた。周りの男達もそうだ。しかし、そこには、忌諱するような感情は見られない。

「ちゃんと面倒を見てるんだな」

 男が感心振りを口にした。

「チコさんから、しっかりやるようにって言われてるから」

「そうか。で、名前はなんて言うんだ?」

「名前?」

「彼女のさ。なんて呼べばいい?」

 ああ、とカズトは天を仰いだ。まだ名前を聞いていなかった。とはいえ、まだしゃべれそうにもないから、聞き出すのは難しいだろう。そもそも、彼女に名前はあるのだろうか。普通、子供の名前というのは親が決めるものだ。その親がいないのだから、決まった名前などないのかもしれない。どうしよう、と考えていると、男が言った。

「名前がないなら、お前が決めればいいだろう」

「僕が?」

 カズトは目をぱちくりとさせた。

「お前が親代わりなんだ。その権利くらいはあるだろう。それに、名無しのままって訳にもいかないぞ」

「でも、僕じゃなくて、チコさんが決めるのがいいんじゃないかと……。この船の船長だし」

「その船長から、面倒を見てやれと言われたんだろう? だったらお前で大丈夫さ。チコも文句を言ったりはしないよ。ただし、いい名前をつけてやれよ」

 そこまで言うなら、とカズトは思案した。人の名前なんて考えたこともないから、どう決めればいいのかわからない。世の親たちも、あれこれと悩み迷って決めるのだろう。彼が唯一、両親から遺されたのは、この体と名前だけだ。その両親は、どんな思いで名付けたのか。今となってはわからない。が、きっと、大切な思いが込められていたに違いない。カズトは、嬉しそうに料理を頬張る少女を見つめた。

「決めました」

「なんて?」

「アイ、にします」

「どんな意味だ?」

「彼女がとても愛くるしいのと、世界が愛で満たされるように、と」

 男は瞬間、驚いた表情を見せたが、すぐに満面に笑みを浮かべて言った。

「いい名だ。いつかそうなるといいな」

「はい」

 カズトは頷いて、少女に言った。

「君はこれから、アイ、だ」

 少女は顔を上げ、首を傾げた。

 カズトは人差し指を自分に向けて言った。

「僕は、カズト」

 そして少女を指さし続ける。

「君は、アイ」

 少女は暫し考え込んで、カズトを指さして言った。

「カ……ズ……ト」

 そして自分を指して続ける。

「ア……イ……?」

「そう」

 カズトは頷き、少女を指さす。

「アイ」

 次に自分を指して言った。

「カズト」

 少女は同じように真似をし、カズトが頷いて微笑むと、その意味を理解したらしく、嬉しそうに微笑んだ。

「俺はジェイだ」

 男が自己紹介した。

 少女は振り向き言った。

「ア……イ」

「そうだな。アイ、だな」

 男はにこりと微笑む。

 少女は笑って頷いた。

 すると船員達が次々とやってきて、自己紹介をして、少女はその都度自分の名を答えた。

 男は、あまりにも多くの船員が、自己紹介にやって来るので、そんなには一度に覚えきれないだろうと思い、少しは遠慮しろと彼らに忠告した。しかし、少女は一向に気にする様子はなく、むしろその遣り取りを楽しんでいるようだった。


「おう。カズトじゃないか」

 荷物の山の向こうから、男がひょいと顔を覗かせた。彼はカズトの背後へと目を向けて、物珍しそうに辺りを見回している少女を見つめ、続けた。

「見学か?」

「いえ。仕事に戻ろうと思って」

「いいのか? その子の面倒を見てなくて」

 カズトが答えようとしたところで、アイが男の名を呼んで挨拶した。男は、鼻頭を指先で弾かれた時みたいな顔をした。

「驚いたな。もうそんなにしゃべれるのか」

「そうなんです。大変だったって、シャルロットさんが言ってました」

 男は、然もありなんと苦笑した。

「しかし、大丈夫なのか? 仕事してる間、その子はどうするんだ?」

 カズトは振り向いた。アイがニコッと微笑み返す。

「大人しくしてるって、約束してくれました。それに、みんなが気にしてみてくれるから大丈夫だろうって、シャルロットさんが」

「なるほど」

 男は言って笑う。

「そういうことなら、早速仕事に入ってもらおう」

 彼はそばの小箱を手で叩いて続ける。

「こいつを運んでもらおうか」

「運ぶ?」

 アイが小箱を見つめ怪訝な顔をした。

「これを必要としている人のところへ持っていくんだ。中には重たい物もあるから、大変なときもあるよ」

 カズトは言って、小箱を持ち上げた。

「ふうん」

 アイは目をパチリとさせて、小箱を見つめ頷いた。

「終わったら戻ってきてくれ。他にも頼みたいものがある」

 男が言った。

「わかりました」

 カズトは返事をして、少女を促す。

「行こう」

 少女はニコッと男に微笑んで、跳ねるようにカズトのあとを追いかけた。

 配達を終えて戻ってくると、男が言った。

「噂になってるぞ。その子の事、びっくりしたってな」

 カズトは道々のことを思い出し、クスッと笑って言った。

「僕も面白かったですよ」

 男はクックッと鳩のように笑った。その様子にアイは小首を傾げた。

「さてと、次はこいつを運んでくれ。数が多いから台車を使っていいぞ」

「私も運ぶ!」

 アイが、ぴょんと飛び跳ねた。

「君が?」

 カズトは目を丸くした。仕事をするにはまだ早いと思ったのだ。

「やる!」

 アイは頬を膨らませて、顔を紅潮させた。

「だけど……」

 困ったという顔でカズトは頭を掻いた。

 男は笑いを噛み殺して、アイに向かって言った。

「箱を落として中の物を壊したりしたら、大変なことになるぞ。そうならないよう、ちゃんと出来るか?」

「うん!」

 アイは頷いて言い直す。

「はい! 出来ます!」

 男は満面に笑みを浮かべた。

「というわけだ。お前がちゃんと気をつけてみてやれ。誰もが最初は通る道だ」

 カズトはアイに目を向けた。キラキラと目を輝かす彼女に、だめだと言うことは出来そうもない。もし言ったら悲しむだろうし、嫌われてしまうかもしれない。それは嫌だ。

「わかりました。他には?」

「いや、今のところはそれだけだ。終わったら休んでいい。午後になったらまた来てくれ」

「わかりました」

 カズトの返事に、アイが元気よく続いた。

 二人は仲良く並んで歩いて行く。その様子を、男は清々しい気持ちで見送った。

 昼食を挟んで、アイはその後もカズトの仕事を手伝った。随分と精力的で、お陰で仕事ははかどったが、そうやってなにかを吸収していくのがとても楽しいらしく、辛いと感じるようなこともないようで、彼女は終始笑顔だった。

 そうして仕事が終えた夕刻頃、カズトはチコから呼び出しを受けた。アイも連れてくるようにとのことで、彼女を伴って船長室に入ると、チコの他にシャルロットもいて、彼女は机に寄りかかるようにして立っていた。

「もう仕事をさせてるんですって?」

 シャルロットは目を細めてそう言った。

「いや……その……彼女がやりたいって言うので……」

 カズトは叱られているのだと思って顔を強ばらせた。

「いやね。怒ってないわよ」

 やめてと言うように、シャルロットは手を振った。

 その様子に苦笑を浮かべて、チコは話題を変えた。

「それで、問題はなかったか?」

「はい。大丈夫でした。みんな良くしてくれましたので」

「そうか。それはなによりだ」

 チコは言って、少女へと目を向けた。彼女はキョロキョロと物珍しげ見回しながら、室内をうろうろと歩き回っていた。カズトは、きっと怒られるだろうと心配になったが、チコは苦笑いを浮かべてこう感想を述べた。

「とはいえ、まだまだ子供だな」

「それはそうよ。生まれてまだ三日だもの」

 シャルロットはアイを目で追いつつ、壁に掛けられた写真に手を伸ばすのを、落とさないよう気をつけて、と思いながら続けた。

「でも、すぐにそれも消えるでしょう。ここまでの成長ぶりから判断すると」

 そうだな、とチコは頷いて言った。

「それでだ、今後彼女をどうするかだが……」

「私も仕事がしたい」

 アイは急に立ち止まり、振り向いて言った。彼女は続けた。

「私も働かせて。チコ」

 チコは驚いて目を丸く見開いた。

「俺はまだ自己紹介をしていないはずだが?」

「他の人がそう呼んでいるのを見て覚えたんでしょう」

「なるほど……」

 チコは感嘆しつつ息を吐き、背もたれに寄りかかる。

「しかし、意欲は買うが、だめだ。お前はこの船の船員ではない」

 するとカズトが素早く反応した。

「それなら船員にしちゃえばいいんじゃないですか? みんなそれぞれ事情を抱えた中で船員になってるわけですし……。特に問題ないと思いますけど」

 チコは唸って腕を組む。カズトの言う通りだ。が、素性の明らかでない彼女を、仲間とすることには抵抗がある。彼女が人間であることは間違いなさそうだが、その生誕と、ここまでの急速な成長ぶりが、ただの人間ではなさそうだと、警鐘を鳴らしているのだ。

「食堂で雇うのはどう?」

 シャルロットが言った。

「食堂で?」

 チコは眉根を吊り上げ意図を求めた。

「コルネリアも人手が欲しいって言ってたし」

 彼女はチコに顔を寄せて小声で続けた。

「それに、彼女がこれからどう変わっていくのか、監視する必要があるわ。コルネリアなら適任だと思う」

 チコはやや思案したのち頷いた。

「わかった。食堂ならいいだろう。母さ……コルネリアには伝えておく。しっかりと頑張るんだぞ」

「はい!」

 アイは元気よく返事して、嬉しそうに微笑んだ。

「カズト。これからもその子の面倒を見てやれ。困ったことがあったときは、必ず俺に話すこと。いいな?」

「わかりました」

 カズトもまた、ハキハキと返事した。

 その二人の様子に、大人の二人は微笑を浮かべた。


 若い二人が去って行くと、シャルロットがチコに聞いた。

「どう思う?」

「どうもこうも……」

 チコは顔に苦渋の色を浮かべた。

「あれは本当に人間なのか?」

「見た目の上ではね。でも、生物学的には疑問が残るわね」

「というと?」

「詳しいことは専門機関で調べてみないとわからないけど、私たちと百パーセント同じ、とは言えないでしょうね。だってそうでしょう? 人は卵からは生まれないものよ。それが世界の常識よ」

「グレゴリーやヨーセフが言うには、数千前はそうだったのかもしれない、と言うことだが?」

「仮にそれが事実だとするなら、たかだか数千年で今の私たちへと変化したってことになる。あり得ないわ」

 シャルロットは顔をしかめて首を振り、付け加える。

「進化というものは、とてつもなく時間のかかるものなのよ」

「だったらいったいなんなんだ? あの子は……」

 今度はチコが顔をしかめた。パグやブルドックほどではないが、そう思えるくらいにくしゃくしゃだ。

「今はまだ誰にもわからない。だから監視が必要なの」

 チコは首を後ろに折り、天井を仰ぎ、目を閉じた。間もなく目を開けて言った。

「面倒な物を拾ってしまったかな」

「後悔してる?」

 チコは肩をすくめる。

「いや。そういう物を収集するのが俺たちの仕事だからな。リスクはつきものさ」

「私は少し、面白くなってきたと思ってる」

「研究者としての血が騒ぐ、か?」

「当然」

 シャルロットの目がキラリと光る。

 チコは苦笑する。彼は呟くように言った。

「暫くは様子を見るしかないか……」

 そして静かに息をつき続けた。

「なにかわかったら教えてくれ」

「了解」

 シャルロットが部屋を出て行くと、チコは椅子に深く身を沈めて、再び目を瞑り、ふうっと息を吐き出した。

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