3 誕生

 アーチ号は海面すれすれを滑空するように飛んでいた。海は凪いでおり、水平線のずっとその先まで、広がるのは海原ばかり。見渡す限り、船一つ島一つ見当たらない。ただ、日に照らされて煌めく海上を、飛び跳ねるように泳ぐ魚の群だけが見えた。

「本当にこんな所に遺跡があるんですか?」

 小型艇に荷物を積み込みながら、怪訝な顔でカズトが聞いた。

「海の底にな」

 仲間が箱を持ち上げて答えた。

「遠い昔に沈んだらしい」

「沈んだって、どうしてです?」

「天変地異って奴だよ。ほら、地面が揺れる奴」

 男は荷物を小型艇の床に置いた。

 ああ、とカズトは頷いた。何やら地面が揺れることがある、と言うのは聞いたことがある。彼らは大概は空にいるので、それを経験したことはない。程度にもよるが、大きいのだと建物が崩れることもあるらしい。これから訪れる遺跡が、地面ごと海に沈んだとするなら、相当激しく揺れたに違いない。その時の光景を思うと、自然と顔がこわばった。

「どうした? そんな顔をして」

 男が怪訝な顔で聞いた。

「すごかったんでしょうね。海の底に沈んじゃうくらいだから」

「だろうな。俺たちには想像もできないが。さて、荷物はこれで全部だな?」

「はい。全部です」

 男は頷いて、少し気がかりな様子で尋ねた。

「潜水は今回が初めてだったな。心の準備はできてるな?」

「はい。大丈夫です……」

 言いながら、カズトはそのことを急に思い出して、緊張をその顔に覗かせた。

 男はその様子に、優しい口調で励ました。

「訓練の通りやれば大丈夫だ。きっと上手くいく。ちゃんと見てるから安心しろ」

「はい」

 カズトは頷いて、大きく深呼吸をして答えた。

 数分後、船は下降を始めた。目的地は近いようだ。間もなく、船は速度を落とし、小さな衝撃ののち、海上を少し進んで停船した。

 ほどなく、格納庫のハッチが開いて、柔らかな風が潮の匂いを運び入れて、眩しい日差しと共に、海原が視界に飛び込んできた。海は穏やかで、波は緩やかに漂っている。

 小型艇はゆっくりとスロープを滑り下り、静かに着水した。エンジンが軽やかな音を上げ、船は走り出す。目標地に到着すると、小型艇は停船し、錨が降ろされた。

「よし。準備を始めてくれ」

 リーダーの指示に従って、各々準備を始める。カズトはバックパックを背負い、ヘルメットを装着した。

 準備が終わると、リーダーは潜水班の班長に言った。

「何かあったらすぐに連絡を」

「了解」

 班長は頷き、続いて号令を飛ばす。

「良し。行くぞ」

 潜水班の面々はそれぞれ左右に分かれ、船の縁に足を掛けて、乗り越えるようにして次々とダイブしていく。そしていよいよカズトの番となったとき、背後から肩を掴まれて、彼は思わずドキッとした。振り向くと、班長が立っていた。

「練習の通りにやればいい。気楽にいけ。愉しむくらいの気持ちでな」

 彼はそう言って親指を立てると、ヘルメットのバイザーを引き下ろして、反対側へと歩いて行き、海へと飛び込んだ。

 カズトは緩やかにたゆたう海面を見つめた。揺れる波が、来い来いと手を振っているようにも見える。彼は覚悟を決めて頷き返すと、一つ深呼吸をして、ドボンと飛び込んだ。

 班長は全員が揃うのを待って、海底の方を指さした。海は深く、指さした先は群青色に染まって何も見えない。班長はくるりと体の向きを変えると、その方向へと潜っていった。仲間がそれに続き、カズトも水を蹴ってあとを追った。

 水深が深くなるにつれ、差し込む光の筋はぼやけて薄くなり、海の色は濃さを増していった。水温も低くなり、キリッと身が引き締まる。視界が悪く、彼らはライトを点灯させた。その照明灯が太陽光からその役目を引き継いで、スポットライトとなって彼らの行き先を照らした。

 そうして更に潜っていくと、ようやく海底の砂地が見えてきた。彼らは海底に沿って数メートルほど泳ぎ、あるところで停止した。班長が、そのある場所へと光を向けて、ぐるりと円を描くようにライトを回した。その光に照らされて、縦長の、トンネルのようなものが浮かび上がった。それは石材を組み合わせて造られたもので、ほとんどは砂に埋もれてしまっているが、しっかりと姿は保たれていて、内部は暗くて良く見えないものの、どこかへと繋がっているようだった。班長はそこを指さして、仲間を引き連れて泳いでいった。

 トンネルは深海のように真っ暗で、彼らはライトの明かりを頼りに進んだ。そうして、やがて広がりのある場所へと抜けた。班長が上を指さす。見上げると、ゆらゆらと水面が揺れ、微かに煌めくのが見えた。どうやら空気のある場所へと出たようだ。彼らはそこへと向かって上昇した。

 水面に出ると、彼らは少し泳いで縁から上へと上がった。バイザーを押し上げて、鼻から空気を吸い込む。少し湿り気があり、苔むした感じもするが、問題なく呼吸ができる。

「全員いるな?」

 班長は、メンバーに欠落がないことを確かめて続けた。

「よし。燭台を捜して明かりをつけてくれ」

 明かりが次々と灯されて、その内部が露わになっていく。

「すごい……」

 カズトは呟いて、目を満月のようにまん丸と見開いて、その場でぐるりと一回転した。そこは古い時代のものらしく、床にはタイルが綺麗に敷き詰められ、柱は太く大きくて、壁は色鮮やかな文様で彩られていた。天井は見上げるほどに高く、大型船の格納庫ほどにも広くて、物音が幾重にも重なって反響した。

「海の底にこんな物があるなんて……」

 カズトは感動をその言葉に乗せた。

 班長があとを継ぐ。

「姿形をそのまま遺してるんだから、奇跡だな。ヨーセフが喜ぶぞ」

「今回は来ないんですね」

「年だからな。まあ、年って言うほどでもないが、泳ぎはあまり得意じゃないらしい」

 ふーんと言って、カズトは尋ねる。

「これって、なんの建物なんでしょう?」

「さあな。詳しい事はヨーセフにでも聞かないとな」

 班長は答えて、前方を指さして続けた。

「が、なにかの神殿て所だろう」

 班長の指さした先を見ると、数段高くなった所があり、階段を登り切って少し広くなったその奥に、人には見えないが、人型の、なんだかよくわからない、大きな彫像があった。どうやらそれが、この建物を造った人々の、崇め奉る対象物のようだ。周囲の様子と合わせて鑑みるに、確かに、神殿の跡と思われた。

「おーい。あったぞ」

 神殿の右奥に通路があり、そこから仲間が顔を覗かせて、掲げた手からキラキラと光る物をぶら下げて言った。

「どのくらいある?」

 班長が尋ねた。

「そりゃもう、たんまり」

「よし。こっちへ運び出してくれ」

「了解!」

「何度か往復しないとだめそうだな」

 班長は、困っていると言うよりも、むしろ嬉しそうに言って、カズトに指示を出す。

「そこのケースからカメラを出してくれ」

 カズトは言われた通りに取り出して、カメラを班長に手渡す。

「なにするんです?」

「写真を撮るんだよ。ヨーセフが撮ってこいってな」

 班長は答えて、辺りを見回してから、どこかに向かってファインダーを覗き込んだ。

 カズトはその様子を眺めながら尋ねた。

「ここって、卵が見つかった洞窟と同じ時代のものでしょうか」

「かもな。その辺は、ヨーセフが明らかにしてくれるだろう」

「あの後、卵ってどうなったんです?」

 班長は液晶でチェックしてから答える。

「さあな。保管庫に保管されてるらしいが、近づくんじゃないぞ。怒られても知らないからな」

 班長はそう警告して、カメラを首に掛けると言った。

「次はそれだ」

 ケースから小型の装置を取って手渡す。

「それは?」

「これで小型艇に信号を送る。この場所がわかるようにな」

 班長は答えてビーコンを操作した。ランプが点滅を始めた。彼はそれを床に置いて続ける。

「こうしておけば、回収品を乗せたコンテナが、ここと小型艇の間を自動で行き来してくれる。わざわざ運んでいく必要もないってことさ。さて、お前はあいつらを手伝ってくれ。俺は動画を撮らないとな」

 カズトは頷いて、通路へと走って行った。

 集めた財宝は山となって積み上げられて、目が眩みそうな程にキラキラと輝いていた。班長の言った通り、何度か往復が必要そうだ。

「良し。それじゃ運び出すぞ。コンテナに詰めてくれ」

 彼らは手分けして、回収した物をコンテナに詰め込んで送り出し、戻ってきたコンテナにまた詰め込んでは送り出す、と言う作業を繰り返した。

 そうして、残りも半分程となったところで、思わぬ声がして彼らは振り向いた。

「お前らか……」

 班長はため息をついて、苦渋に顔をしかめて続けた。

「いままでどこに隠れてた?」

「これだけ広けりゃ隠れる所なんていくらでもあるさ」

 男は言って、次に呆れた様子で続けた。

「しかし、俺たちが来てることにも気がつかねえとは、とんだ間抜けだな」

 男の仲間が笑う。

「おっと。妙な真似はするなよ」

 男は素早く銃を構えた。班長の仲間達が、腰ベルトに手を這わせるのを見逃さなかった。彼らは舌打ちをして、手をゆっくりと脇に降ろした。

「よしよし」

 男は勝ち誇ってにやりと笑う。

「さて、そいつは俺たちに渡してもらうぞ」

「渡すと思うか?」

「あんたが賢明な男なら、従った方が得策だと判断するだろう。少なくとも、俺があんたならそうする」

「俺ほど賢明には見えないけどね」

 男は腹を立てたようだったが、なんとか堪えてこう言った。

「こっちはいつでもあんたらの船を攻撃できるんだ。素直になった方がいいぜ」

 カズトが仲間に小声で聞いた。

「もしかして、この人達って、例の”ハエ”ですか?」

 仲間は軽く吹き出した。

「よく知ってたな。ちなみに、”ハエ”はあの銃を持った奴のことだ。連中はその仲間だな」

「そうなんですか。でも、どっちかと言えば”ハイエナ”ですね」

「違いない。お前、センスあるな」

 仲間はクツクツと笑う。

「おい。なにを笑ってる?」

 ”ハエ”の仲間がしかめっ面を向けた。

「ああ、なんだか急に、笑いの虫が騒ぎ出しちまってね。たまにあるんだ。こう言うの。あんたは?」

 ふんっ、と”ハエ”の仲間は鼻を鳴らす。

 ”ハエ”はその様子を一瞥して、ぴしゃりと言った。

「おしゃべりは終わりだ」

 そして銃を向けて続ける。

「それを置いてとっとと帰れ。いいか? 妙なことは考えるんじゃあねえぞ」

 班長は暫し逡巡したのち、怒りをぶつけるようにバイザーを降ろした。ガシャンと音が響いて、彼の仲間も次々にそれに従った。彼らはゆっくりと後退して、水の中へと飛び込む。そして来た道を戻っていった。


「奴が来てたって?」

 船へと戻り状況を伝えると、酸っぱいものでも食べたかのような顔で、チコは言った。

「跡をつけてきたんだろう」

 班長は答えて、潜水服のジッパーを降ろした。

「まさしく”ハエ”ね」

 両腕を組み、イライラとした様子でエレオノーラが言った。

「それについてはこいつが上手いこと言ってたぜ」

 班長は顎をしゃくり、カズトを指し示す。

「あら、なんて言ったの?」

「”ハエ”というより”ハイエナ”だって」

 エレオノーラは笑いを噛み殺す。

「どちらにしても、鬱陶しいったらないわね」

「まったくだな」

 チコは同意しつつ笑って、のち、嘆息して続けた。

「ともかく、収穫はゼロって事か」

「そうでもないぜ」

 潜水班の一人が言って、ジッパーを降ろした。金銀財宝がキラキラと顔を覗かせた。他の仲間達も同様に、ジッパーを降ろしてにやりと笑う。

「おい、おい……」

 チコは顔をしかめた。

「……実は僕もです」

 カズトは言って、ジッパーを開けて見せた。じゃらじゃらと財宝がこぼれ落ちる。彼は悪いことをしたと思っているらしく、恐る恐ると言った顔つきで、言い訳するように付け加えた。

「お前もやれって言うから……」

「お前たち……」

 チコは開いた口が塞がらない、と言った顔で、じいっとカズトを見つめた。やっぱり怒られるのか、と彼は思った。しかし、それは杞憂に過ぎなかった。

「良くやった!」

 チコは花火みたいに破顔して、カズトの肩を強く叩いた。爆発するように盛大に笑い声が上がる。カズトはほっと胸を撫で下ろして、その輪に加わった。


 だめと言われると、かえって気になるのが人というものだ。そこにはある種の探究心や冒険心が働いているのだろう。それにはなかなかあらがえないものだ。それに、最初に見つけたのが自分だから、というのもあるが、何だか妙に引きつけられるような感じがして、気になって仕方がなかった。それで、気がつくと、カズトは保管庫の前に立っていた。

 カズトは取っ手を引いた。ドアは特段の抵抗も見せずすっと口を開けた。更に引き開いて中の様子を窺う。人の気配はない。彼は身をひねるようにして中へと滑り込んだ。そして音が鳴らないよう注意して、静かにドアを閉めた。

 卵は一段高くなった台座の上に鎮座して、ライトアップのためか、上部から照明で照らされていた。こうして改めて見てみると、本当に大きく、光に浮かび上がる様は異様な印象を受ける。かつて、恐竜とか呼ばれる生き物がこの世界にはいたそうだが、これがその卵とするならそれはそれで興味深い。とはいえ、本当にそんなものが生まれてきたなら大変なことになる。歴史的な大発見だ。そう思うとワクワクしてくる。

 そんなことを思いながら卵を覗き込んでいると、中でなにかが急に動いて、カズトは電気が走ったみたいにびっくりして、バネのように飛び退いた。心臓はドラムでも叩くようにバクバクと脈打って、身の毛が猫みたいに逆立った。暫くして、肌のザワザワ感も収まって、鼓動のテンポも緩やかになって落ち着いてくると、彼は亀みたいに首を伸ばして、目を凝らして観察してみた。ぼんやりとしてはっきりはわからないが、照明の明かりに照らされて、なにかが浮かび上がって見えた。カズトは、なんだろう、と不思議に思って、再び卵に近づいた。

 それは卵の中で、時折、向きを変えるなどしては、殻を破ろうとしているのか、トントンと、殻にぶつかるような動きを見せていた。以前、鳥が卵から生まれる様子を動画で見たことがあるが、これはその時の状況と近いものがある。もしかすると、中のものが生まれ出ようとしているのかもしれない。

 カズトは、さすがにこれは連絡した方がいいだろうと思った。本当に何かが生まれるのだとしたら、自分ではどうしていいのかわからない。彼は走り出そうとして振り向きかけた。その時、パキッと割れる音がして、ハッとして振り向いた。白くつるりとした卵の表面に、水に張った氷が割れるみたいに、小さくヒビが入っていた。カズトは、えっと言う顔で卵を見つめた。

 卵は踊りを踊るみたいに、小さく左右に揺れた。なにかが中でうねるように動いているのが見える。いま正に、中の物が生まれ出ようとしているようだ。

 また音がして、ヒビが大きくなった。そうして、ヒビはどんどんと大きくなって、やがてゴルフボールほどの穴が開いた。その穴から、透明で少し粘着質な液体が溢れ出て、殻を伝って滴り落ちた。カズトは唖然として、接着剤でひっついてしまったかのように、足がピクリとも動かなくて、その場に立ち尽くした。

 穴は尚も大きくなり、ヒビは蜘蛛の巣みたいに殻全体に広がって、液体はその割れ目から次々と染み出して、滝のように流れ落ちた。卵はいつ崩壊してもおかしくなかった。

 そうしてついに、卵は限界を迎えた。殻が崩れ落ち、液体は津波となって流れ出て、中のものを押し出した。カズトは、その中のものを咄嗟に受け止めて、びっくりしたのと同時に、それの重さに思わずその場にへたり込んだ。液体が池のように床に広がって、彼の体はびしょびしょに濡れた。カズトは呆然とした顔つきで、大部分が崩壊して、体をなさなくなってしまった卵を見つめた。

「うーん」

 微かな声が聞こえて、カズトはその声の方に目を向けた。なぜか女の子を抱きしめていた。しかも全裸の。これはどういうことだ、と彼は頭の中がぐわんぐわんとして、嗅いだことのない奇妙な匂いと相まって、めまいと軽い吐き気に襲われた。

 少女が薄く目を開けて、静かに息を吐いた。その吐息が、カズトの頬をそっと触れるように撫で去って、彼はぞわぞわっと身震いした。彼女は腕の中で、悶えるように身をくねらせた。カズトはその動きに釣られるように、彼女の頭の先からつま先までを、舐めるように視線を這わせた。少女は、自分が裸でいることに気がついていないのか、特段、恥ずかしい様子も見せなかったが、彼はハッと息を呑み、顔がヤカンのように熱くなって、慌てて視線を反らした。

 保管庫のドアが開いて、チコ、シャルロット、グレゴリーの三人が入ってきた。異常に気がついてやってきたのだろう。彼らは、事の惨状を眺め見て、一様に、驚愕の表情を浮かべた。

「なにが起きた?」

 チコが言った。

「生まれたようね」

 口調は努めて冷静に、シャルロットは答えた。

「生まれたって……なにが?」

 グレゴリーが言った。答えはわかっていたが、まさか、と言う思いが彼の表情に表れていた。

「なにって、彼女がよ。そうよね?」

 カズトは自分が問いかけられているとはわからず、きょとんとしていた。シャルは続けて聞いた。

「見てたんじゃないの?」

「えっ!? ああ、はい。見てました。見てたっていうか、その、なんか、パキッて卵にヒビが入って、穴が開いて、そしたらバシャって、中から出てきたんです。えっ? この子がですか?」

 シャルとチコが顔を見合う。シャルが言った。

「驚いているのはあなただけじゃないわ。私たちもよ。だから落ち着いて。いい?」

 カズトは唾を飲み込んでこくりと頷いた。

 シャルロットはロッカーから毛布を持ってきて、掛けてやろうとして近づいた。すると、少女は助けを求めるようにカズトにしがみついた。

「あなたが掛けてあげて」

 カズトは毛布を受け取り、彼女を包むように掛けた。少女は怖がる様子も見せず素直に受け入れて、暖かさにほっとしたのか、安堵の表情を浮かべた。

「どういうことだ?」

 チコが聞いた。

「刷り込みって所かしら」

「雛が最初に見たものを親と認識する、って……あれか?」

「ええ。そんなとこでしょう」

 シャルロットは答えてポケットに手を突っ込んだ。少女は、大分落ち着いたらしく、周辺の景色と、三人の見知らぬ人物を、興味深げに眺めていた。

「どう見ても鳥には見えんがね」

 グレゴリーは腰を落とし、膝に両手をついて少女を見つめた。少女は目をぱちくりとさせて見つめ返した。

「ええ、どこからどう見ても人間の女の子よね。カズトと同じくらいの年かしら」

「まあ、たしかに、ばあさんには見えんな」

 グレゴリーは体を起こして腕を組んだ。その動きがおかしかったのか、少女は軽く笑った。

「それにしたって、まさか人間が生まれてくるとはな」

 チコは眉間にしわを作って少女を見つめた。少女は不思議そうに首を傾げた。その反応は、明らかに、人間のそれそのものだった。

 人間は胎生の生き物だ。それが世界の常識であり理だ。それが卵から生まれるなどあり得ない。人間と同じ分類の中には、卵を産む生き物もいるが、それはほんの一部の例外だけだ。そして卵から生まれる以上、母体はその卵を産むわけで、これほど大きな卵を産む生き物とはいったいなんなのか。想像すら及ばない。

「我々が知らんだけかもな」

 グレゴリーが言った。

「かつて、大きな爬虫類の生き物がこの世界を闊歩していたなどとは、想像すらしていなかった。それが今や真実なのだと誰もが知っている。これもそうなのかもしれん」

「この子だけかしら?」

 シャルロットが言った。

「どうかな」

 チコは歩いて行って、卵の残骸を見下ろした。透明な液体が小さな池を作っている。この中で、少女は生かされ、誕生のその時を待っていたのだろう。それが、種の保存のためか、あるいは、別の目的のためかはわからないが。

「いずれにしても、放っておく訳にもいかないな」

「そうね。健康状態も調べたいし」

 シャルロットは言って腰を下ろした。すると少女は怖がって身をすくめた。カズトは少女に向かって、ゆっくりと、優しく言った。

「この人は怖い人じゃないよ。少し厳しいところはあるけど……」

 チコとグレゴリーが苦笑を浮かべたが、シャルロットには見えていない。そのシャルロットの方はといえば、怒ってもいるような、それでいて笑ってもいるような、そんな不思議な表情を浮かべていた。カズトは続けて言った。

「君の体の調子を調べたいんだって。ちょっとくすぐったいことはあるかもしれないけど、痛いことはないから……。いいかな?」

 少女は考えているのか、ゆっくりと瞬きをしたのち、こくりと頷いた。カズトは毛布で彼女をくるみ、シャルロットに引き渡した。

「言葉は理解できているようだな」

 グレゴリーが言った。

「おぎゃぁの代わりにいきなりしゃべり出したら、それはそれで驚くよ」

 チコは首を振って、シャルロットに向かって続ける。

「あとは任せていいか?」

「ええ。暫くはここにいてもらうわ。その方がなにかあってもすぐに対処できるから」

 少女は不安そうにカズトを見つめた。カズトは頷いて、勇気づけるように言った。

「大丈夫。心配いらないよ。何かあったときは僕もすぐに駆けつけるから」

 少女は微笑んで頷いた。

「すっかり懐いてしまったようだな」

 グレゴリーはそう言って、少しにやけた表情をする。彼はカズトを見遣りながら、チコに向かって小声で続けた。

「こいつがお前さんに懐いたように」

 チコはグレゴリーを横目に見遣り、むっとしたような、なんとも言えない表情を浮かべた。

 シャルロットが咳払いをして言った。

「この子に服を着せたいんだけど?」

 チコとグレゴリーは、おお、と苦笑いを浮かべた。チコが手で促すと、カズトは立ち上がって怖ず怖ずと尋ねた。

「あの……僕はどうなるんでしょうか」

 チコは暫しの沈黙ののち言った。

「ひとまず、お前もシャワーを浴びて服を着替えろ。そのあとで俺の部屋に来い。よく洗えよ。少し匂うぞ」

「……わかりました」

 そうだよね、とカズトは頷いた。その様子を、不思議そうに見つめる少女に、彼は堅い笑みを返して部屋をあとにした。

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