第39話 神の威光
放射状に吹き荒れた熱風で、ステラが卓哉の下まで吹き飛び、離れていたところの鈷梅も耐えきれずに膝を突いた。
当然その風は蟹彁たちにも及ぶのだが、奴はその熱を抱くようにして服をなびかせ、歓喜の高笑いを響かせている。
「ア――――ッハハハハハ!! 残念ながら当然の結末ゥ! まずは一人潰してやったぜェ! 悪いなァ、後ろのモブどももついでに消しちまったかもしれねえや! ヒャハハハハ!!」
爆心地からの風が静まっていくのと反比例するように、蟹彁の声は大きくなる。これまで轟音で掻き消されていたものが聞こえるようになったことも相まって、勝利宣言の粘性がさらに増しているようにも感じられた。
しかし、
「クッ、ハハッ、アハハハハ――――…………あ? おい、どうして奴のヒロインが生きているんだ?」
炎の中から現れた、天に剣を掲げて立ちはだかるエルに、蟹彁は表情を歪ませた。
「作家が死ねばヒロインも消えるはずだ。どういうことだ、あア゛!?」
エルは間違いなく巻き込まれている。『雷撃呪文』でまともに動けない状態に『火炎呪文』を食らったことで、その月白色の美しい鎧は焼け焦げ、煤に塗れた灰かぶりと化している。
髪もちりちりと艶を喪い、肌の滑らかさも水分が捌けて、全てが翳っているはずだった。
ただ一つ、その瞳を除いては。
「答え合わせが、必要かしら?」
「な……ん、だと?」
挑発的なエルの笑みに、蟹彁の頬が引き攣る。
「エイタローは――」
炎の向こうに見えて来た、両手を拡げて立ちはだかるシルエットに、蟹彁の目が見開かれる。
「――誰よりも強いのよ」
ぜいぜいと肩で大きく息をし、血を吐きながらも、少年は立っていた。
蟹彁は目を疑った。何が起こっている。
「マスター、当たってない」
「……何?」
アデルの指さす方をよく見れば、此方と彼方の間に、クレーターのような跡ができている。それは、『火炎呪文』が奴らに直撃しなかったことを示すものだった。
「何をした、テメエ」
「原作の、超越さ……」
憤怒の形相に、詠太郎は何度か咳きこんでから顔を上げた。
「潮の満ち引きの原理だよ。月にも引力があるんだ。エルの
「そういうこと。むしろ大技打ってくれて助かったわ、カイセイさん。小技だと、引き寄せ過ぎて私に直撃していたかもしれないんだもの」
「ざっけんじゃねェ……なんでテメエがオーバーライトを使えるんだよ。群れねえと戦えねえクソ雑魚作家がよォ!!」
「なっ……オーバーライトは作家の持つ能力じゃあないのか?」
詠太郎は声を荒らげて訊ねたが、ぶつぶつと何事かを呟く蟹彁の耳には届いていないようだった。
「エイタロー、えいたろう……ああ……?」
暫く視線を彷徨わせていた蟹彁の瞳が、こちらに焦点を合わせ直す。
「もしかしてテメエ、『日月詠太郎』か?」
「えっ……?」
「は、ハハッ、こいつはいいや! 超大当たり、SSRじゃねえか!! 何でこいつがヒロイアゲームに参加できてるんだァ? おい神よォ!?」
「僕を、知ってるのか……?」
「知ってるもなにも、オレ様たちの間じゃあ超有名人だぜ、テメエは!」
目を覆って空を仰ぐようにして狂喜に咽んだ蟹彁は、余韻に恍惚と息を切らしながら喉を鳴らす。
「なあ日月クン。ネットの小説投稿サイトに作品をアップしたことはあるか?」
「まだ、ない……まずは新人賞の選評を貰ってからと思っていたから……結局諦めたけれど」
詠太郎は目を伏せた。結局、件の選評は――
「諦めた理由を当ててやろうか? その選評がボロクソだったからだろ」
「な――――」
何故。そう訊ねようとしたが、声にならなかった。喉が焼かれてしまったからか、言い当てられた動揺で声帯が機能不全となってしまったか。
「教えてやるよ。あれはな、テメエの応募作が読まずに棄てられたからだ。ちなみに投稿サイトにアップしてみろ、即垢BAN食らうからよ。まあ、ここで死ぬお前に確認の術なんてないけど? とにかく、創作業界にテメエの居場所はねーの!! 何度応募したところで一生作家になれねえんだ、テメエは!!!」
「なん、で……」
「テメエが、前回のヒロイアゲームの優勝者・日月
「…………えっ?」
混乱する頭の中に反響するように、二つの名前が渦を巻く。
日月那岐、魂讚凪美。どちらも全く聞いたことのない名前だった。
「ちょっと、適当言わないでよ!」
詠太郎の代わりに震える声で食って掛かったのは、照栖だった。
「あたしたちの父親は晴太郎で、お母さんも笑里香なんだけど!?」
「想像力が乏しいなあ。顔はいいが頭は悪いんだな、お前」
「なっ……?」
「だァかァらァ。お前の大好きな『お兄』はオニイチャンじゃねェーの!! ああ、実の兄妹じゃねェと判ったからってイチャイチャしたいなら安心しろ。今から一緒にあの世へ送ってやるからよ」
刹那、蟹彁の体から放出される気が膨れ上がった。アデルへと届けられた
「アデル、これで決めんぞ。一番デケェのぶつけてやれ――」
「ええ、マスター――」
「「――【
アデルの拡げた両腕、踏みしめた両足、そして体に刻まれた大魔法陣の全てがかっと光を放ったかと思うと、その背後から後光が差すように万華鏡の破片が降り注ぎ、真の姿として構築されていく。
それは巨大な蟹の姿をした怪物だった。全身がトンボの翅のように透き通り、光を屈折させて虹彩を放っている。
「これが、オレ様に与えられた神の力だ!!」
天高く振り翳された大鋏に、詠太郎たちは息を呑んだ。
「拙い、あんなのが繰り出されたら全滅だ――逃げろ、照栖!」
「血霧、お願い。皆さんを外に連れ出して!」
「アイアイ、マァ――ッッム!!」
弾丸のように飛んで行った血霧によって、照栖たちが公園の外へと運ばれていく。
「お兄、お兄――――――ッ!!」
「(これで、いい……)」
詠太郎は歯を噛みしめた。たとえここで自分たちの命が潰えることとなっても、照栖だけは守ることができれば、それで。蟹彁たちがまだこれほどの大技を隠し持っていたことには驚きを通り越して呆れるくらいだが、この戦いさえ制すれば、向こうまで深追いはしないだろう。
「くっ……」
不意にぐらりと鈷梅の体が揺れた。彼女は片手を突き、もう片方の手で脇腹を押さえている。そこには赤い染みができていた。
「鈷梅氏、傷が!」
「大丈夫、です……この戦いに勝つまでは、やれます……!」
卓哉へ来るなとアイコンタクトをし、鈷梅は椅子にもたれかかるようにして体を起こす。
「そうは言ったって、どう突破すんのよコレ……? 血霧だって、暫く戻ってこれないでしょ?」
「私に考えがある!」
滑り込むように戻って来たエルが、剣を構えて言った。
「エル、考えって!?」
「私の『
「そうか、そこにステラちゃんが技を打ち込めれば!」
「うん。ただ、アレを映すには相当なエネルギーが必要になると思う。エイタロー、頼める?」
「もちろん!」
詠太郎は頷き、エルと肩を並べるようにして前に出た。
深呼吸をする。
「――よしっ、いつでもいいよ、エル!」
「ええ! 【
エルの声に呼応して、鎧が色を変えていく。虹を細かく結晶化したステンドグラスのような装いに、後方の卓哉たちから快哉を叫ぶ声が上がる。
しかし、
「ぐ、あっ? きゃあああああああっ!?」
突然黒い稲妻がエルの体に走ったかと思うと、神の力を映した結晶の鎧が砕け散った。
「エル!?」
「くっ、ごめん……力が異質過ぎて、受け入れが……」
膝を突くエルに、蟹彁がハッと吐き捨てるような嘲笑がかけられる。
「楽しませてくれるのかと思ったが、ざまあねェな! 凡骨風情が神の力を使おうなんざ烏滸がましいんだよ! やれ、アデル!!」
蟹彁の宣告が下され、大蟹の鋏がその凶刃を閃かせた――
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