第38話 救済

 身の毛のよだつような視線の槍に貫かれ、詠太郎は蛙のように動けずにいた。

 その強張った腕の袖を引かれる。


「ねえお兄、どういうこと……? エルさんたちって、留学生じゃなかったの?」

「黙っていてごめんね。必ず守るから、もう少しだけじっとしていて」

「お兄……」


 詠太郎は照栖の手を握り、その震えを押さえ込むように強く握った。

 否、もしかしたら、本当に止めたかったのは自分の震えだったかもしれない。

 痛みに顔を顰めながら立ち上がった鈷梅が、声を絞り出す。


「プロ……思い出しました。貴方、天馬聖貴先生ですね」

「鈷梅さん、知ってるんですか?」

「はい。以前、志士累先生も参加していた作家オフ会でお見かけしました。私の作風とはジャンルが異なり、ほとんどお話しすることもありませんでしたが……あれから、デビューされていたのですね」

「オレ様は天才だからな、既にアニメ化も経験済みだよ。『科学無双』は知らないか?」


 謙遜の色など微塵もない笑みで、蟹彁は肩を竦めている。

 詠太郎たちは愕然と目を見開いた。『科学無双』――魔法が当たり前の世界にスキルを持たぬまま転生した理系の非モテ主人公が、現代日本の知識や技術を用いて成り上っていく作品だ。キャッチコピーでもある『十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかない』という主人公の決め台詞が特徴である。

 それは詠太郎も視たことがあった。ネットのランキングサイトでは、昨年の冬アニメでトップ3に数えられていたという。


「それだけの活躍をしているプロが、どうしてヒロイアゲームに?」


 詠太郎が訊ねると、蟹彁は鼻を鳴らした。


「バカ編集にボツられたネタを書籍化するためだ。奴ら、再度Webで数字をとらないと書籍化できねえとかほざきやがってな。これだけシコくて最強のアデルをボツにしやがったんだぜ、考えられるか?」


 肩を抱き寄せられたアデルは、陶器のような頬をうっとりと赤らめさせて、蟹彁に身を預けている。


「だがWebの読者もセンスがなくてな、アデルに見向きもしねえ。だからヒロイアゲームでテッペン取るついでに、センスのねえ雑魚のお掃除もしてやろうと思ってな。オレ様優しいだろ?」

「……神の目的もそうなのか?

「ああ、そうさ。世の中から『つまらない作品』を消すんだ。面白きこともなき世を面白くってな。全ての駄作を排除すれば、そこには面白い作品しか残らないだろう? 神の慈悲だよ」

「なっ……そんなの優しさでも慈悲でもない。ただの弾圧じゃないか!」

「ハッ、解かってねえなあ。これは救済なんだよ!」


 蟹彁はアデルを離し、両手を拡げて目を剥いた。


「テメエらなんざ、どうせ作家になれずにゴミみたいな底辺人生歩むんだろ? ならいっそ、今殺してやった方が、テメエらのためにもなるだろうが! そうだよなァ、アプリコット!? お前は応募して何年目だっけ。才能のあるやつは五年も燻ぶってねえんだよ!」

「くっ……」


 悩みを突かれ、鈷梅の顔が苦々しく曇る。

 だが、蟹彁の舌は留まるところをしらない。


「万が一にもテメエらヒロイアゲームで勝ち残れたところで、すぐに消えて終わる。最初からお呼びじゃねーんだよ!」


 それにストップをかけたのは血霧だった。


「何言ってんのかワカンネエけど今ママをバカにしたな? したよな? センスねえのはどっちだよこのハゲェ――――!!」


 けたたましくチェーンソーをかき鳴らして、血霧が突貫していく。


「ステラたそ、あの子は片方の手で一度に一つしかスキルを使えていなかったでござる。両方から挟むでござるよ!!」

「了解!」


 右から血霧が、左から流星が迫る。


「はあ……雑魚のくせに。【風刃呪文ウィンド】【火炎呪文ファイア】」


 アデルは淡々と呪文を詠唱し、それぞれを迎え撃った。血霧のチェーンソーが逆巻く風の刃と打ち合い、ステラの流星は内側からの爆発と拮抗している。


「エル、今だ!」

「ええ! 【明日を結びしクレール・ド――」


 がら空きとなったアデルの懐へと、エルが飛び込む。

 しかし、アデルの表情は余裕綽々としたままだった。


「くすくす……それで私を止めたつもり? 【水流呪文ウォーター】」


 そう言ってアデルは、まるでタップダンスでも踊るような軽やかさで、左足をタンと地面に打ち付けた。


「なっ、足からも発動するのか!?」


 だが、魔法陣が現れた様子がない。いや、詠唱はされたはず。どこだ、どこだ――


「お、お兄……後ろ」


 照栖に手を引かれて振り返った詠太郎は、目を疑った。

 青い魔法陣が、照栖に向けて展開されている。


「安心しろ凡骨。ちょっと動けなくするだけだ。テメエの妹はオレ様が可愛がってやるよ」

「くそっ、させるかよおおお!!」


 詠太郎は照栖の腕を引き込み、入れ替わるようにして立ちはだかった――直後、腹を抉るような鉄砲水の水圧によって吹き飛び、転げ回る。


「が……かはっ……」


 胃液の逆流すら許さないような重さに、息もできずにのたうち回る。


「お兄!」

「エイタロー!!」

「止まるな!!」

「遅いよ」


 詠太郎の叫びを踏みにじるように、アデルが左足でステップを踏む。


「【雷撃呪文サンダー】」

「ちぃっ、【明日を結びし光の剣クレール・ド・リューヌ】!」


 エルが突き出した光の剣が、激しく迸る紫電の稲妻とかち合った。

 稲妻は光の剣を受け止めながら、蛇のようにその表面を滑り、エルの体まで到達してしまう。


「ぐ、ああああああっ!?」

「エル!! くそっ、もう一手、もう一手踏み込めれば――」

「無駄だって、そろそろ悟れよ。これだから底辺はよォ」


 にたにたと嘲笑いながらアデルの背後に回った蟹彁が、彼女の服の裾を掴んでたくし上げた。


「んっ、マスター……」


 艶めかしい吐息とともに露わになった体には、胸から腰元まで覆い尽くす入れ墨のように魔法陣が刻まれている。


「こちとらもう一発、イケんだぜ?」

「くすくす、さすがマスター。【火炎呪文ファイア】」

「なっ――こんな奥の手を残していたなんて」

「手加減していたって言って欲しいわね」


 放たれた炎の隕石に、詠太郎は愕然と目を見開いた。

 エルは膝を突き、ステラと血霧も打ち負け、倒れている。

 万事休すだった。三人がかりでやっとだった隕石への対処に、割ける人員が一人もいない。


「くそう、くそおおおおおお!!」


 拳を地面に叩きつける。

 このままでは、背後の一般人にまで被害が及ぶ。


「はあ、はあ……【ブルーミング…………スター】!」


 力を振り絞ってステラが星の盾を張ってくれたが、焼け石に水。弱々しい輝きはたちまち炎に焼き切られて消えていってしまう。


「エイ、タロ……ごほっ。今、行く、から……」


 まだ体に雷が走っているのだろう、エルは立ち上がろうとしては、がくがくと足をもつれさせて崩れ落ちていた。その体が、痛々しく跳ねている。


「(くそっ、どうする。どうする!? 考えろ! 考えろぉ!!)」


 今まで戦ってきた者たちの力をシミュレートする。しかし、どれを使っても突破できるビジョンが見えなかった。


「月の力……炎の隕石……そうか!」

「今更何をしても無駄だよ! テメエの無力を噛みしめて死ねェ!!」

「何でもいい、この状況を突破できる力を! オーバーライトォォォ!!」


 詠太郎の咆哮は、着弾した隕石の爆風によって掻き消された。

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