第40話 希望の光
「ママ――――――ッッッ!!」
大鋏が地面を抉りながら迫って来る間一髪のところで、血霧が飛んで戻って来た。彼女が鈷梅と卓哉を、ステラが自力で、エルは詠太郎を、それぞれ退避の態勢をとる。
しかし、神の力を具現化した攻撃は、目に見えているものだけが実体ではなかった。そのプリズムのような実像から乱反射した光の煌きそのものにも攻撃性能があるらしく、逃がれきれずに触れたところからエネルギーの奔流に体を侵食される。
「ぐああああああっ!?」
さらに眼下からは、抉られて隆起した岩の柱が突き上げてくるため、詠太郎たちは散り散りに吹き飛ばされた。
「か、は……」
腹から強く地面に打ち付けられ、衝撃で息ができない。
横目で窺うと、ステラも血霧も倒れ伏してはいるが、どうにか消滅は免れているようだった。
「ヒャハハ、もう逃げる力も残っていないようだなァ! さあて、ど・れ・か・ら・こ・ろ・そっ・か・なー?」
「く、そう……」
歯を食いしばりながら睨みつけた空には、大鋏が振りかぶられているのが見える。蟹彁の言葉のリズムに合わせて、こちらを睥睨しているようだった。
「ここまで、なのか……?」
「諦めちゃダメ!!」
力強い叫びに、詠太郎はハッと顔を上げた。それは怒号のようでもあり、悲鳴のようでもあり、信頼を託す祈りのようでもあった。
「こんな奴に……夢を、潰させちゃダメ!」
ボロボロの体で立ち上がろうとするエルの背中が伸びていく。何度も膝を崩しながらも、絶対に剣を杖にしないという矜持だけは折らず、燃えるような赤い髪を闘志に振り乱している。
「エル……」
詠太郎はその背中に手を伸ばした。幼い頃からずっと憧れていた、眩しい光がそこにある。
そしてその光は、他でもない自分が描き出した
「そう、だね……」
伸ばした手を地面に叩きつけ、腕に力を込める。
大丈夫。これまでだって、ボロボロになりながらも戦ってきたじゃないか。
大丈夫。エルを描いた自分の中にも、その背中に並ぶ信念があるはずだ。
大丈夫。お前は、エルの
「う、おおおおおおおお!!」
立ち上がり、前だけを見据える。生まれたての小鹿ですらもっとマシな立ち方ができるだろうというような無様な曲がり方をしていても、痛みに泣いているのか怒りに歯ぎしりをしているのか判らないほど、全身の節々ががたがたと震えていても。
ただ、前だけを――
「気に食わねえ眼だ。諦めろや! 大体今時、そんな根性で戦う作品なんか流行らねえんだよ! 絶対的な力で捻じ伏せる方がスカッとするんだ! 読者の求めるモンを書けやコラ! それができねェから、テメエらゴミ作家に価値はねェって言ってんのが解らねえのか!」
「だとしても……だとしても僕は、希望の光を書き続ける!」
さらに踏ん張る力を込め、ぐぐ、と膝の裏を伸ばしていく。
「確かに、君の言うことは一理も二理もあると思う。時代の変遷という大きなうねりの中では、僕が幼少期に見たものは、現代では最早化石のようなものなのかもしれない」
腰を据え、背筋を整え、肩を引く。
「けれど、僕がヒーローの背中に学んだものは! 僕がヒロインの涙に学んだものは! 決して朽ちるものなんかじゃない!! ここで諦めてしまったら、彼らにも、彼女らにも――リュミエル・エスポワールにも、申し訳が立たないじゃないか!!」
「最っ高。それでこそエイタローよ」
背中越しに立てられた王女の親指に、詠太郎は頷いた。いつしか震えは止まっていた。
「だからそれが独り善がりだっつってんだろうがァ……! アデル、最後に取っておこうと思ったが止めだ。最初にあの凡骨をぶっ殺せ!」
蟹彁の指示に、振り上げられたもう一挺の大鋏とともに、その切っ先がこちらを向く。
「ごめんエル、苦しいだろうけど、もう一度ミロアをお願い!」
「――っ!? ……うん、わかった。預けるよ、エイタロー」
エルは微笑んで、剣の柄を握り直した。
「【
「ハハッ、無駄だと判ってて何やってんだオイ!? トチ狂ったか? それともリョナの趣味でもあるわけ?」
「いいや、狂ったわけでも、無駄なわけでもないよ」
「……何?」
「今のエルには、一時的にだとしても、確かに神の力の理が宿っている! それを、無理矢理繋ぐ!」
詠太郎は胸に手を当て、全神経を集中させてエルへとイマジナイトを送り込んだ。見えない糸のような力の流れだとしても、繋がっているところから、エルという存在が循環して流れ込んでくる。
「オーバーライト!!」
その信念も、温もりも、彼女を襲っている痛みや苦しみさえも、全て受け止めて分かち合う。
エルの放つ光と、詠太郎から発した光とが、繋がった。
「【
絡みあった光はハウリングのように輝きを増し、エルの体に虹結晶の鎧を形づくっていく。今度のそれは霧散することなく、雄々しい御姿を保っていた。
「全ての痛みは僕が肩代わりをする! エルは存分に前を向いて!!」
「ええ! 行くよエイタロー、【
エルの持つ聖剣が、二対の刃へと姿を変える。天へと振りかぶれば、たちまち極光が噴き上がった。
「「うおおおおおおおおっっ!!」」
全てを薙ぎ倒そうとする巨蟹の大鋏と、全てを守護せしめる月の双刃とがぶつかり合い、激しく閃光の火花を散らす。
「……ざけやがって、調子に乗るんじゃねェぞ」
蟹彁の顔が憎悪に歪んだ。
「神の力のコピー如きが、勝てると思うな!!」
「神の力を借りた程度で、勝ち誇るな!!」
「――ッ!?」
気迫に押し負けた蟹彁は、唖然と目を見張っている。
しかし、技と技の鬩ぎ合いの方は、詠太郎たちの方が分が悪いことには変わりがなかった。
「くっ……」
エルの振るっていた光の双刃が砕け散った空には、半壊しながらも未だ余力を残している一挺の大鋏があった。
「ああ、よく頑張ったな。だが残念だ! このまま死ねェ!」
「いいえ、まだよ! 【ブルーミング・スター】!」
「血霧ちゃんもイッキまぁぁぁ――――っす!!」
大鋏へ向かって飛び上がった星の盾とチェーンソーが、わずかに時間を延ばしてくれる。
「ごめん二人とも、目を覚ますのに時間かかった! 今のうちに!」
「うん。全部持って行って、エル!」
「了解! 【
聖剣を手元へと引き込み、詠太郎との『
狙うのは、半壊した鋏の隙間の向こう側――アデル。
「これが! 借り物じゃあない! 私たちの――」
「――僕たちの!
「「【
最大出力で天へと射出された光の剣が、アデルごと神の巨蟹を貫いた。
「あ……かはっ……マス、ター……」
「アデル!? 何でだよ、何で……オレ様たちが負けるわけ……」
アデルの伸ばした指は、蟹彁のそれと重なることなく、光の粒となって消えた。
空の青が戻り、散っていた雲たちが再び流れ始める。平穏なそよ風が吹き抜けていく中、蟹彁は膝を突き、茫然と現状を受け入れられずにいた。
「……オレはプロだぞ? アニメ化だってしたことがあるんだぞ……? アデルは、オレが書いたヒロインの中で一番強ェんだぞ……? 何故、負けた……っ」
「蟹彁……」
力を使い果たして倒れながらも、詠太郎は蟹彁へと目を向ける。
「何故勝てたのかは僕にも解らないよ。ギリギリだった」
「…………」
「けれど、勝った。詳しく話を聞かせてもらうよ、『蟹彁』――いや、天馬聖貴先生」
「……わかった、オレが知っていることなら話してやるよ」
戒名ではない名前を呼ばれ、彼は観念したようにだらりと腕を垂らした。
しかし、その時だった。
「――それは許されざる行いですよ、『蟹彁』」
どこからともなく、鈴のような凛とした女声が響いてきた。
「新手……!?」
「こんな時に!?」
詠太郎たちの顔からさあっと血の気が引いていく。
「応酬剣よ、敗北者への
「こ……この祝詞は!」
詠太郎が目を見開いた時には既に、蟹彁の胸から剣の切っ先が突き出ていた。
「いけませんね、『蟹彁』。無様を晒す前に舌を噛み切るくらいのことはしてもらわなくては」
「嘘……でしょ……」
呆けたように声を漏らしたエルに、詠太郎の困惑は確信へと変えられた。
蟹彁の背後から剣を突き立てていた少女の貌には、見覚えがある。戦い、競い合い、縁を繋いだ少女だ。それが今、まるで彼女が『
「都牟羽、さん……?」
「うん?」
嘘であってほしかった。しかし、彼女は詠太郎の声に反応して視線を上げた。上げてしまった。
都牟羽はこちらを一瞥して二、三度瞬きをすると、ああ、と思い出したかのように唸り、
「ふふっ、見られてしまいましたか」
妖艶に微笑み、しぃーっと口元に指を立てると、蟹彁の亡骸を担いで空間の狭間へと消えて行った。
「詠太郎氏、今の子は、知り合いでござるか……?」
「うん、前に話した、剱丞さんのヒロイン……草那藝都牟羽さん、だった」
「ちょっと、その人って仲間なんじゃなかったの!?」
「そのはずだよ、そのはずなんだ……」
ステラの詰め寄る声に、詠太郎は倒れたままの姿勢で力なく首を振るしかなかった。
そんな矢先、卓哉と鈷梅の目の前の空間に、ざっとノイズが走った。
空中ディスプレイのように表示されたのは、いずれも無骨なシルエットだった。性別も背格好も読み取れない、そもそも本人を象ったものなのかも不明な黒い影。
『おめでとう。この時点を以て、ヒロイアゲーム参加者は残り五百組となった』
電子音声のような声は、低い男性風のものと女性の高音とが同時になっているようで、やはり正体を窺いきれない。
「神……」
鈷梅の声に、詠太郎は眉を顰めた。自分があの日聞いた声とはまるで違う。第一、詠太郎もヒロイアゲームに参加しているはずなのに、そのビジョンが映されているのは、卓哉と鈷梅の前にだけである。
『これから戦いは益々激化の一途を辿るだろう。諸君らの健闘を祈る』
そうして、一方的な伝達は終了した。
詠太郎は体を転がし、仰向けになって空を仰いだ。ぐちゃぐちゃの頭を振り払い、せめて勝利の余韻で、この心を紛らわせようと。
ふと視界に影が差したかと思えば、エルが困ったような泣きそうなような顔で、抱き締めてくれた。
「私はここにいるから。ちゃんと、ここにいるから」
「うん……ありがとう」
遠くから、照栖の呼ぶ声が聞こえる。
今は、それを守れただけで――。
冷えた心が温もりにほどけていくのを感じながら、詠太郎は目を瞑った。
第一部『
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