第36話 青天の霹靂

「それでは、日月詠太郎氏と、アプリコット氏――もとい、伊織いおり鈷梅こうめ氏の退院を祝して、乾杯でござる!」

「「「「「「乾杯!」」」」」」


 卓哉の音頭に合わせて、詠太郎たちはめいめいに飲み物を注いだ紙コップを突き上げた。

 病院での戦闘から一週間と少し。卓哉と照栖からの提案で、全員の住所の中間地点にある芝生公園で簡易ピクニックが催されていた。

 参加者は卓哉とステラ、詠太郎とエル、鈷梅アプリコットと血霧、そして照栖。


「それにしても良かったでござるな。一時はどうなることかと思ったでござるよ」


 卓哉が取り分けたオードブルのおかずを、ビニールシートの上に一脚だけ用意した折りたたみ式椅子に腰かける鈷梅へと差し出す。


「飯尾さんと皆様のおかげです。その節は……申し訳ありませんでした」

「へへっ、当然のことをしたまででござる」


 血霧の献身的なお見舞いの甲斐あってか、本人の意思の強さか、土佐医師も目を見張る早さで抜糸まで至っていた。まだ包帯の交換が必須で、激しい運動も制限されていはいるものの、遠野も「武道者並みの回復力だ」と驚いていたほどだ。


「学生時代は陸上部で、今もテニスやゴルフをされているのでござったか。文武両道の才媛でござるな」

「嗜む程度です。もしも治癒能力に追い風があったのでしたら、それはきっと、飯尾さんの言葉でしょう」

「拙者でござるか?」

「はい。あの時、朦朧とする意識の中で、貴方の想いが聴こえていました。血霧を止めてくださった後に、『生きろ、生きろ』と呼び掛けてくださったことも」

「き、聞こえていたでござるか……」


 深々と頭を下げられ、卓哉は少し気まずそうに頭を掻いた。そこへ間髪入れずに「鼻の下伸ばすな豚」と箸が突き刺さる。その光景に、鈷梅はくすくすと笑っていた。


 一方の血霧は、詠太郎の膝の上に腰かけてご満悦の様子。詠太郎がウィンナーを取り上げて差し出すと、元気のいい「あーん」に迎えられる。


「詠太郎お兄ちゃんも、元気になって良かったね!」

「うん。ありがとう、血霧ちゃん」

「ほうら血霧ちゃん、唐揚げもあるよー」

「ありがとう、エルお姉ちゃん!」


 こっちのヒロイン様は、詠太郎と一緒になって血霧を甘やかしていた。エルの作中では兄と弟の男兄弟しかおらず、どちらも権力に溺れた悪役だった。年下ヒロインとして剣術の姉妹弟子がいたが、どちらかといえばツンケンした勝気なタイプ。純粋無垢に甘えてくる血霧は新鮮なのだろう。


「奇跡的な回復といえば、お兄もだよねえ……」


 コーラのコップを傾けながら、照栖がまじまじとこちらを見てくる。

 詠太郎の方も、完全に包帯が外れる段階まで来ていたのだ。ディアンナの攻撃の着弾点などはまだカサブタが残っているものの、あの全身やけどのような傷痕は残らずに済んでいた。

 特に運動部に所属していたわけでもないため、鈷梅のこと以上に土佐が驚き、再検査までさせられたのは記憶に新しい。


「なんだろう。エルと戦ってきたから、体力が付いたのかな」

「戦い……?」

「あっ、いや、何でもない!」


 うっかり口を滑らせかけて、詠太郎は手を払う。件の一件も、後に志士累ししるい瑠偉るいこと黄林きばやし絹雄きぬおがストーカー容疑で逮捕されたことを利用して、照栖には彼に襲われたことにしていた。


「あ、エイタロー、ほっぺにソース付いてるよ」


 横から手が伸びて来たかと思うと、手拭のようなやわらかな布の感触に頬を撫でられた。


「ありがとう。……あれっ、真っ白いハンカチとか持ってたんだね」


 母が制服と共に用意をしていたのは、ピンクのものと、藍色のものだったような記憶がある。作中でも、特段設定して執筆した記憶はなかった。転んでしまった女の子にハンカチを差し出す数行の描写はあったと思うが、デザインの指定はしていない。先日、照栖とステラと一緒に出掛けた時にでも買ったのだろうか。

 やはり女の子なんだなと目を細くしている詠太郎に、エルは「んーん」と小さく首を振る。


「持ってたというか、身に着けてた?」

「身に……?」

「うん。それ、鎧の胸のところの、当て布だから」

「――――――――ッ!?!?」


 思わず、箸でつまんでいたシュリンプを取り落としてしまった。血霧がぱくりと器用にキャッチしてくれたので事なきを得たが。

 エルがけらけらと肩を震わせている。


「想像したんだ。えっち」

「お兄の変態」

「いや……そんなんじゃ! っていうか、血霧ちゃんの前っ!」


 自分の名前が出た理由を解っていないのか、血霧はきょとんと小首を傾げている。


「もう一回拭いてあげよっか?」

「い、いいよ別に!」

「ふふっ、冗談よ。ほら、ポワンと町に出た時に、転んじゃった女の子にハンカチを出してあげたでしょう? その時の」

「あー、ああー……」


 なるほどと詠太郎は唸った。意図して描写をしていないために、そういった宙ぶらりんな外観として具現化してしまったのだろう。

 頷く詠太郎を横目に、今度は照栖が首を傾げて唸り始めた。


「……んっ? あれっ? ヨロイって何?」

「わーっ、この合鴨ステーキ美味しいなーっ!!」


 我ながら素っ頓狂な声を出して誤魔化す。視線で注意をすると、エルは照栖に見えない角度からバツの悪そうに手を合わせている。「あっちはあっちでバカやってるわね」というステラの御小言が聴こえてきたが、気にしない。

 ひとしきり騒いで、食べて、ふと青空を見上げれば、襟元に心地いい風が吹き込むのを感じた。


「風が気持ちいい……」

「ええ。草の青い香りが濃くて、胸の中が洗われるみたい」


 なびく髪を押さえながら、エルもうっとりと目を細めた。

 ここは観光名所だったりキャンプ地というわけでもないが、周囲を見渡せばちらほらと人がいた。友人とキャッチボールをしている子供たちや、公園の外周をウォーキングしている元気な老夫婦。ちょうど今しがた、対面の入り口から若いカップルが園内に入って来るのも見える。


「平和だなあ」

「やめてよ。ストーカーに襲われたばかりのお兄が言うと、微妙に重くて笑えないんだけど」


 いつもの恨み節もそよ風のように感じて、余裕の気持ちで受け止める。

 そんな清々しい空気が、不意に淀みを帯びたような気がした。


「えっ……?」


 違和感を探して、詠太郎は視線を右に左にと走らせた。

 キャッチボールは相変わらず続いている。老夫婦は談笑しながら歩いている。そしてカップルは、芝生エリアの中程まで歩いてきていた。日焼けを気にしているのか、彼女の方はローブのような長い服を着ている。


「(あれっ……?)」


 一つ手前に視線を戻す。老夫婦とはいえ、歳を感じさせないような元気な足取りで、下手をすれば自分よりも速く歩くのではないかと思うほどだ。それでもウォーキングコースの一辺を五分の一も進んでいない。

 だというのに。ポケットに手を突っ込んでぶらぶらと散歩をするような歩幅のカップルが、二分の一地点。しかも心なしか、こちらへと近づいてきているように思う。


 近づいて――何故?


 そこで、ローブの内側に入れこまれている彼女の髪の毛が、白であることに気が付いた。


「……ただのカップルじゃない! ――みんな立ってっ!!」


 血霧を持ち上げて起こし、照栖を背中に隠す。詠太郎が身構えると、カップルはぴたりと足を止めた。

 彼氏――もとい作家の方が、ポケットから手を出して、パン、パンとゆっくり拍手をした。


「案外早く気付いたな。茂乃垣町に五組もぶっ倒した奴がいるってのは本当だったらしい」

「五組……どうしてそのことを?」

「チーム組んでんのか。成程ねえ」


 作家は質問に答えず、こちらを舐め回すように眺めて来る。


「つーか……おい、おーいおいおい。頭数が奇数じゃねえか。野郎二人は作家として、どれがヒロインで、どれがモブだ?」

「私が――」


 腹部の傷をかばいながら腰を上げたところで、作家の男は「まあいいや」と吐き捨てた。


「アデル。とりあえず全員殺しとけ」

「ん。【火炎呪文ファイア】」


 傍らのヒロインがこくんと頷いて手を頭上に翳すと、空中に巨大な魔法陣が展開された。そこから現れた隕石と見まがうような巨大な炎のつぶてが、空気を焼きながら放たれる。


「なっ……これがファイアだって!?」


 詠太郎たちは脳の情報処理が追い付かず、咄嗟には動けずにいた。


「ごめんエイタロー、解説ちょうだい」

「『ファイア』っていうのは、見ての通り炎のことなんだけど。僕たちの世界では大抵、初球の魔法として扱われるんだ。エルに身近なところなら、『妖精の炎フランム・ル・フェ』くらい……」

「嘘でしょ、アレ、煉獄竜の息吹並みにデカいわよ!?」

「くっ……避けたところで、あんなのが落ちたらひとたまりもない! どうにか相殺するよ、エル!」

「ええ! 【天衣夢縫シエル・アルミュール】!!」


 こうして、平和な芝生公園を襲った青天の霹靂との、戦いの火蓋が切れられたのだった。

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