第35話 Irony

 たっぷりと唇を触れ合わせてから、ステラは背伸びをしていた踵を下ろした。


「どう? これでウチらは、百合の間に割り込む者じゃあなくなるっしょ!」


 勝ち誇ったように拳を握りしめたが、しかし、チェーンソーの乱舞が収まることはない。

 それどころか、血霧は充血で真っ赤に染まった眼を卓哉に向けて、妖しく笑った。まるで、壁を突き破った後の捕食宣言をするかのように。


「イひひッ、ケダモノぉ。そういうえっちなのは他所でやってくださぁーい!」

「なんでっ。ウチと卓哉が恋人扱いになれば、止まると思ったのに!」


 計画が不発に終わり、ステラが首を振りながらたたらを踏む。


「恋人扱い?」


 詠太郎が訊ねると、ステラは口惜しそうに小刻みに頷いた。


「あの子の底力が発揮されるのは『ママに危害を加える者』なんでしょ。けれど、ウチらがママを救おうとしても止まらない。そこでウチは、その『危害』に、男の存在そのものも含むと考えたワケ」

「……そうか、さっきの作家!」


 詠太郎は手を打った。アプリコットが悩まされていたストーカーが、奴だ。ヒロインの力を得たことで実力行使に出た。先の血霧が、ステラと口づけをした卓哉を『ケダモノ』と言い放ったことからも、ステラの説は筋が通っているように思える。


「でもごめん、しくったぁ……もう相打ち覚悟で突っ込むしかないかな」

「僕がいるから駄目、とか……?」

「それなら、エルがあの子の力をコピーした瞬間に発動してるっしょ。入院患者だからなのか、ママをここまで連れて来てくれた人だからかは判らないけれど、少なくとも、あの子が標的にしない限りは対象外みたい」

「念のため、私たちもしてみる……?」


 声を震わせながら、エルが問うてきた。気恥ずかしさか、切羽詰まった緊張感か、彼女も声が震えているようだった。

 そこへ、卓哉の絞り出すような声がかけられた。


「……無理でござるよ」

「えっ?」

「ヒロインが結ばれるべきは主人公。浮気なんてできないでござる。きっと、拙者とステラたそが結ばれることがないことを、あの子にも見透かされたでござるよ」

「はぁっ!? じゃあ、じゃあ……『嫁』って何だし!」


 ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしって、ステラは地団太を踏んだ。


「ああもう最っ悪! 次元を超えた恋はできないってわけ!? 卓哉はウチを体張って守ってくれたじゃん、ウチを大切だって言ってくれたじゃん! ウチがオーケーしてんのに結ばれないなんて、あんたはそれでいいの!?」

「そんなこと言われても困るでござるよ。良くないけど良いでござる!」

「どっちだし!」


 半狂乱になって、ステラが卓哉の胸倉を揺さぶる。


「あのねえ、確かに物語あっちの世界では、リオンといい感じになることだってあったわよ。けれど、別に結ばれていたわけでもないし、それを経た上で、今のウチはあんたが好きだって言ってんの! 卓哉はどうなのっ、ねえ、ちゃんと答えてよ!」

「そんなのもちろん、拙者もステラたそのことが大好きでござるよ!」

「たそ禁止! ござるも禁止! もう一回!」

「ステラのことが、大好きだ!」


 ぎゅっとステラを抱き締めながら、卓哉は叫んだ。

 しかし、そんな二人を引き裂くように、チェーンソーの音が響き渡る。


「ギャハハハハハッ、やっと殺せるぅ! ふぅー!!」


 とうとう家の中に侵入してきた血霧が、餓えた獣のように開けっぱなしの口から、涎をだらだら零してにじり出ようとしている。

 もう、タイムリミットは僅かだった。


「エル! 『爆』だ!」

「ええ、【爆】!」


 エルが頷き、剣先を払う。星の檻の内部で爆ぜた『糸』を胸から下が檻の中にある状態で食らった血霧は、悲鳴を上げてのた首を振り回した。


「卓哉、も一回だけやらして! 今度は、あんたの方から!」

「わ、わかったでござる!」

「……ちゃんと、気持ち籠めなさいよ?」


 大きな優しい手に掴まれた肩を強張らせながら、ステラは一度、深呼吸をした。

 それに卓哉は、頷いて応える。


「あ――が、がらだ、動が、なイ――!?」


 ついに、チェーンソーが止まった。力の限り腕を伸ばしていたそれは、もうコンマ数秒遅れていれば、卓哉の頭がどうなっていたか判らない距離まで迫っていた。


「マ、マぁ……」


 魔法が解けたかのように幼気な表情を取り戻した血霧は、そのままずるりと星の檻から落ちて、ぐったりと倒れ伏した。


「まったく、寝顔は可愛いってのが子供の怖いところよね」


 ステラも同じようにどっと腰を落とし、空元気を振り絞ってため息を吐いた。

 詠太郎は、息も絶え絶えにママを求めている女の子の小さな体に寄り添うと、そっと助け起こし、その身には持て余す傷を撫でた。

 いたいの、いたいの、とんでいけ――。











 遠野の隣に並んだ医者が、カルテを眺めて苦笑した。


「……入院患者がさらに別の負傷で入院か。捷に聞いてはいたけれど、昨日の今日でこうだなんてね」

「すまないな、寂連じゃくれん


 遠野が困ったように眉尻を下げた。それに倣って、ベッドの上の詠太郎と付添人の卓哉も頭を下げる。

 遠野の昔馴染みの医師・土佐寂連は、眼鏡を外してこめかみを揉みながら唸った。


「まあ、院内でドンパチやらかさないのなら、ある程度はうちで引き受けるよ。けれど、残念ながら医療技術は魔法じゃない。何でもかんでも処置できるわけではないからね」

「はい……胸に刻みます」


 耳が痛くなって、詠太郎は視線を外した。ベッド脇の椅子に腰かけリンゴの皮を剥いているエルとステラは、包帯こそ巻かれているもののピンピンとしている。


「その、アプリコッ――あの女性は?」

伊織いおりさんの意識は戻っているよ。出血は派手だったけれど、臓器までは届いていなかったのが幸いだね。安静にしていれば、二週間くらいで抜糸できるだろう。後で顔を出してあげると良い」

「良かった……」

「で、ござるな」


 詠太郎たちが胸を撫で下ろしていると、病室のドアがそろりそろりと音もなく開かれた。

 しかし、武術の達人たる遠野の索敵からは逃れられない。隙間から覗こうとしていた目は、遠野にドアを開け放たれたことによって露わになり、ひゃっと可愛らしい悲鳴を上げた。

 そこに立っていたのは、軍ロリ姿の小柄な少女――閼伽井血霧だった。


「血霧ちゃん?」


 詠太郎が声をかけると、彼女はこくんと頷いた。そんなところに立っていないでこっちにおいでと手招きをしてやれば、とてとてと小走りで近づいてくる。彼女も色々と処置を施され見た目こそ痛々しいが、既にその動きには既に淀みが見られない。そして、あの狂気も。


「どうしたの?」

「えっとね、ママがね、ちゃんとお礼してきなさいって」

「僕に?」


 詠太郎は首を傾げた。何かお礼をされるようなことをしただろうか。仮に、伊織アプリコットを血霧の下に連れて行ったことや、負傷した彼女を助けたことがそうだとして、それは血霧に対してお礼を命じることではないはずだ。

 こちらが意図を掴みあぐねている中、血霧もまた「えっとね、えっとね」と指先を突き合わせて言いあぐねていた。

 周囲も半警戒状態という不思議なにらめっこが続いて数秒、血霧は意を決したように、きゅっと目を閉じて言った。


「血霧に、いたいのいたいのとんでけってしてくれて、ありがとうございますっ!」

「あー……」


 ああ。詠太郎は曖昧に頷いた。そういえば戦いの熱に浮かされて、最後に手を伸ばしたような記憶がある。思い出すと少しばかり恥ずかしかった。

 しかしそれは、別に自分の善意や慈しみの心というよりは、そうしなければという思いがあったからだ。


――だって、『ただの人間には』だなんて。まるでヒロインたちが、人間ではないかのような物言いではありません?

「(だから、僕がそうしたことに理由を付けるのだとすれば、君のママのおかげなんだよ、血霧ちゃん)」


 けれどそれをここで説明するのは、か細い素の声を一生懸命に張ってくれた彼女の頑張りを無下にしてしまうような気がした。

 だから――


「どういたしまして」


 そう言って、詠太郎は血霧の頭を撫でた。


「あーあ、これはだわ。まさかの強敵出現ね、エル」

「えっ、私?」

「年上のお兄ちゃんお姉ちゃんというのは、幼心に頼もしく映るでござるからなあ」

「えっ、えっ、何のこと?」


 かしましい野次の中、血霧は首を竦めてくすぐったそうに目を細くしているのだった。

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