第33話 Malfunction

「来ないなら血霧ちゃんからイッキまァ――――っす!!」


 瞬きの間にトップスピードに乗った血霧が、余るほどの勢いを振り回すようにきりもみ回転をしながら飛来した。


「まずはそこのチー牛クンから屠殺しちゃうぜェ!!」

「くっ、詠太郎に手は出させ――わわわっ!?」


 どの軌道で辿り着くのか、その射線を窺おうとしたエルだったが、不意に、何か強い力に引っ張られたかのようにすっ飛んで行った。


「エル!?」

「止まれな――ハッ、そうか、そういうことね!!」


 合点がいったように体勢を立て直したエルは、剣を振りかぶった。

 彼女が飛んで行った先にいるのは、血霧だったからだ。

 白と黒が、差し違えるギリギリのところで交差し、互いに弾かれるようにして倒れ、地面を転がった。


「エル、大丈夫!?」

「ええ、何とか……ツムハの装甲、なかなか硬いわね。助かったわ」


 息を切らしながら強がりを口にして立ち上がったエルの鎧には、肩から腹部にかけて抉られた跡がついていた。一番深いところは肉に届いてしまっていたらしく、滲んできた血がつう、と損壊部の端から零れていく。

 一方の血霧は、鎧を介さず直接斬られたことで、地面をのたうち回っている。


「痛い、痛い、いだいいだいいだいよォ!! 嗚ア、ア呼……ママ、どこぉ……?」


 やがてぐったりと寝そべるようになった血霧は、虚ろな視線を彷徨わせた。駆け寄ってくれたアプリコットの姿を見つけると、鈍く拙い動きで手を伸ばす。


「ママ……」

「ごめ、なさい。――ああ、ごめんなさい、血霧!」


 アプリコットが、娘の体を抱きかかえた。

 あの狂気染みた薄笑ジョーカーフェイスを貫いていたアプリコットが、その美しく整った顔をくしゃくしゃにしている。


「ごめんなさい、全部私が悪いの! あなたが春告のために、クスリや人体改造を経て、自分が自分でなくなってしまっても、戦い続けるお話を書いたのは私……! きっと春告なら、あなたを救うことができたけれど、私ではそれすら……!!」

「泣か、ない……で」


 涙に濡れそぼつ頬を、血霧の手のひらが包む。


「血霧、まだ戦えるから……勝てば、痛いのは治るから……」


 娘の健気な言葉に、アプリコットは嗚咽を漏らして蹲った。

 詠太郎は見ていられなくなって、首を振る。


「……アプリコットさん。もう、やめませんか。貴女たちが悪い人だとは思えませんし、僕たちも望むところではありません。それに、ヒロイアゲームにはさらに強大な敵がいます。一旦矛を収めて、僕たちと共に戦ってくれませんか」

「…………その余裕、業腹ですね」


 アプリコットの涙に、一筋の赤が混ざった。


「ここで敗れるようなら、どの道敗北を喫するでしょう。ここで痛みに耐えられないのなら、いつか折れるでしょう。この子がここまで頑張ってくれているのに、私がまた、一度決めた覚悟を覆すことなど赦されましょうか!?」


 慟哭が雨となり、血霧の頬に落ちる。その温かさに目を細め、彼女は微笑んでいた。


「産みの苦しみとはよく言ったもの。お腹こそ痛めていませんが、命を削って産んだ子です。だのに、自分の力が足りないせいで、この子をボロボロにした挙句、世にさえ送り出せないまま腐らせてしまうなんて。この子が頑張っている今さえも棒に振ってしまうだなんて。もうこれ以上、耐えられない……っ!」


 詠太郎たちは、かける言葉が見つからなかった。彼女は自分たちと比べ物にならない程の重圧に苛まれていたからだ。

 アマチュアの中でもやり手と称すれば、それは輝かしく聞こえるかもしれない。しかし言い換えれば、あと一枚の壁がいつまでも越えられないということでもある。

 その一端でさえ、詠太郎も心が折れてしまいそうなほどだったというのに、それを何作分も重ねて抱えなければならない。

 夢を追う者に纏わりつく執念とは、足枷の付いた呪いだ。


「だから私は勝つしかないんです。勝たなきゃいけないんです。勝つんです!」


 アプリコットは最後に一度だけ、ひどく辛そうに顔を歪ませてから、顔を上げた。そして母が子を起こすように、血霧の肩を揺する。


「――いたいのいたいの、とんでいけ。さあ起きて。一緒に頑張りましょう」

「うん、血霧、いっぱい頑張るね」


 何個もの目覚ましよりも、母の一声の方が勝る。血霧はうんと伸びをして立ち上がり、傍らに転がるチェーンソーを拾い上げた。

 エンジンが震え出す音を、まるでカーテンを開けて朝日を浴びるような、健やかで穏やかな表情で耳を傾け――スイッチが切り替わる。


「ひィ――――いいイってきまァあああ――――ッす!!」


 彼女が跳躍した瞬間から少し遅れて、風圧が詠太郎たちのところまで届いてきた。


「いや、ちょっとマジでやばいってこれ」

「『覚悟の天衣ラ・プレパリー』も押し切られるなら、他で相打ち覚悟で行くしかないかしら……」

「さっきのアレ、使えないの? あの子の動きをコピーしたみたいなやつ」

「ううん、『水鏡ミロア』はダメ。使ってみて解かったんだけど、あの子の力は『ママに危害を加える者を排除するため』のものみたい。私でいえば詠太郎ね。だから最初は発動しなかった」


 エルの回答を聞いたステラは、冗談だろうと目を覆うように顔を顰めた。


「どうりで、作家狙った時のぶっ飛びはとんでもなかったワケだ。しっかし、アレでその他は当社比減の出力とか、笑えないわね」

「それでも止めるしかない。行こう、ステラ」

「合点!」


 二人は剣と銃を軽く突き合わせ、構えた。

 身構えること、数秒。


「たっだいまァ――――ヒャッハ――――ァ!!」


 ジェットが噴射されるような轟音を引き連れて、血霧が狩りにやってきた。

 どれほどの木を薙ぎ倒してきたのだろう、擦り切れた体は、さらに生傷を増やしているようだ。


「絶対に止めるし! 【ブルーミング☆スター】――エル!」

「任せて!」


 ステラが放った星に飛び乗って、エルが真正面から血霧を待ち構えた。


「【天衣夢縫シエル・アルミュール:ル・クラジューズ】!!」


 遠野から受け継いだ勇気の天衣を纏い、光の拳を振りかざす。


「押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅押羅!!」

「ひゃああああははははハハははああアアアああはははハハハハ!!」


 烈しい打ち合いが、何合も続いた。チェーンソーから光の拳をぶった切られる度に、即座に詠太郎はエネルギーを流して修復した。

 それでも血霧の勢いはなかなか衰えてくれない。反対に踏ん張っているエルの方は、衝撃の余波で足場の星が砕けてしまう。都度、ステラが運んでくれる新たな星に移ってまた拳を構えた。


「ヒャハッ、また壊れたァ!」

「くっ、まだまだ!」


 エルは飛び退り、足を伸ばす。しかし、そこにはもう、迎えてくれる星は無かった。


「ごめんエル、弾切れ!」


 悲鳴のようなステラの謝罪が響く。

 リソースを使い果たしても、暴走する狂気を食い止めることはできなかった。

 エルの体は、高速で走る車から投げ出されたように、あっけなく墜落する。


「ち、く、しょう……」


 コンクリートの上をバウンドしながら、苦悶の表情で血霧を追っていたエルの目が、ふと、怪訝なものに変わった。

 それはすぐに、詠太郎たちにも感じられた。

 しかし、気が付いた時にはもう遅く、


「あひゃはハハ、やっべえ、車は急に止っまれなーい!?!?」


 血霧が体を捻ったのも虚しく、チェーンソーの切っ先が、アプリコットの横っ腹を掠めて行った。


「…………えっ?」


 アプリコットの理解が追い付いた時には、その体は自らの血溜まりの中にあった。

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