第32話 Unexploded

 加速の距離を稼ぐためなのか、血霧は広場を超えた向こうの雑木林へと姿を消した。

 詠太郎は木の葉一枚たりとて逃さないよう、目を皿のようにして周囲を窺った。あのスピードと破壊力が襲ってきたらひとたまりもない。確実に防がなければ、命を落とす危険性だってある。


「(どう動く。どう動けばいい……!)」


 そんな、ピアノ線のように張り詰めた空気を、ステラの長嘆息が足蹴にした。


「埒が明かないし、直接作家を狙った方がいーんでない?」


 魔法銃を構え、一歩一歩、警戒しつつも距離を詰めていく。


「作家として有名でも、つまりはアマチュアなんでしょ? ラリらないと覚悟決められない程度の人間じゃあ、どうせプロになってもすぐ折れるわ」

「ステラたそ、何もそこまで……」


 卓哉の宥める声を、ステラは肩越しに銃をひらつかせて打ち切る。


「こういうのは経験するか、言わないとわからないし」

「貴女は、経験したとでも?」


 アプリコットの双眸がすぅと細められ、温度を下げていく。


「当然。星を守るキュープリ舐めんなし。ウチに力がないせいで、世界中の人が死んでいく状況、あんたに耐えられる?」

「クスクス……なんて滑稽なんでしょう。ハッピーエンドが約束された世界の住人風情が、危機を乗り越えた気になるなんて」

「へえ、言うじゃん。ウチ、あんたみたいな人、好きよ」

「残念。私は嫌いです」


 口元がどれだけ緩もうと、目だけは絶対に笑わない、獰猛な獣同士が牙を剥き合う。


「今、楽にしたげる――」


 残りの間合いを詰め、ステラがアプリコットの眉間目がけて銃口を突き付けた――その時、一陣の鎌鼬が飛び込んできた。


「血霧ちゃん、参上ぉぉぉぉぉぉっ!!」

「ステラたそ、危ない!」


 咄嗟に走り出した卓哉に庇われ、ステラが吹き飛ぶ。

 直後、地響きがするような衝撃音がした。ステラが立っていたところに、コンクリートが大きく抉れたような跡があった。

 大人一人がすっぽり寝転がれるような幅と深さ。直撃していれば、ステラの小さな体など、ミンチにされていたかもしれない。


「ヒャア――――ッハァ!!」

「エイタローは後ろに!」


 エルが飛び出して剣を抜くが、血霧の振り下ろしたチェーンソーの歯にごりごりと押し切られていく。


「くっ、膂力つっよ……っ」

「アハッ丈夫だねェ! 黙って血霧ちゃんにぐちゃぐちゃにされろよォ!?」

「そっちこそ、よい子は寝んねのお時間! 【シューティング☆スター】!!」


 真横からかっ飛んできた流星群が、エルの眼前にまで迫っていたチェーンソーを血霧ごと逸らす。


「ガアアアアッ!?」


 獣の咆哮のような悲鳴を上げながら、血霧はまたも去っていく。そのスピードには褪せが見られない。

 狂気に満ちた挙動に、詠太郎は身を縮こめた。


「……ダメージは、受けているはずなんだ」


 だが、倒せるビジョンがまるで見えない。

 仮に自作にああいうキャラクターを敵として出したとして、安定を採るならば、剣士キャラが真っ向から切り勝つ展開が望ましい。しかし、それはチェーンソーの圧倒的パワーによって阻まれた。

 次に、なんらかの舞台装置を使って原形を失わせる方法。元よりグロテスクなシーンを売りにしている場合は、こちらが採用される。壁で挟んで潰したり、酸に沈めて溶かしたりと、ゾンビゲーム等での不死身の怪物を倒す術だ。しかしこちらはそんな手札など持っていないし、先の拷問使いカンタレラ戦を一方的に制した様子から、成功する見込みは薄い。

 またここは病院駐車場から続く広場、そして雑木林と、土地的な高低差も殆どない立地。崖から落として倒す、といった方法も期待できなかった。第一それをしたところで、血霧の跳躍力を以てすれば容易に戦線復帰をされそうである。

 射程外に姿を消した血霧に、ステラが舌打ちをした。


「やっぱり、作家を狙った方がいーんでない? そっちにはあんなバケモノじみた身体能力もないんでしょ?」

「ないからこそ、だよ」


 詠太郎は奥歯を噛みしめながら首を横に振った。


「ただの人間には、ヒロインの力は大きすぎるんだ」


 これまでの戦いを振り返ってみても、一歩間違えれば死に至っていたシーンはいくらでもあった。そんな力に対し、我が身を盾にすることを決意こそすれ、振るって回るような行動は取りたくない。

 しかし、そんな詠太郎の腹を嘲笑うように、くすくすとアプリコットの喉が鳴る。


「お優しいのですね。けれどそれが、裏目に出てしまっている」

「えっ?」

「だって、『ただの人間には』だなんて。まるでヒロインたちが、人間ではないかのような物言いではありません?」

「えっ、と、違っ……エルたちの手を汚させるわけにはいかないと思っただけで!」


 詠太郎はエルとステラに、首を振って弁解した。此方は理解の頷きをしてくれているが、彼方からの笑い声は止まらない。


「けれど、ヒロイン同士ならば構わないと思っていらっしゃるのでしょう?」

「それは……」

「挑発に乗らなくていいわよ詠太郎。お望み通り脳天ぶち抜いてやればいいし」


 そう言って魔法銃を掲げたステラに、アプリコットがにたぁ、と舌なめずりをした。


「どうぞお好きに」

「ちっ、感情ぶっ壊れすぎてて、ブラフなのかも読めないのマジでだるいんですけど」


 すっかり出鼻を挫かれたステラが、不機嫌そうに腕を降ろす。


「あら、よろしいのですか?」

「あ゛?」


 ガンをつけるステラに、アプリコットは耳に手を当てるジェスチャーで促してきた。

 詠太郎たちも耳を澄ませる。卓哉の「ステラたそ、顔、顔」と宥める小声よりも少し小さく、遠くの方で、バキバキバキバキババババババババ――と、木の枝が弾け飛ぶ音が聞こえる。

 そしてそれは、ついにバキンと破裂した。


「みんな、気を付けて!」


 振り返り、目を凝らす。既に視認することができる距離にまで血霧が迫ってきていた。


「エル、『繋ぎ止める者』だ!」

「了解! ステラ、時間稼ぎをお願い!」

「かしこまり! 【シューティング☆スター】!」


 クイックドローとともに、魔法の流星群が放たれる。

 真正面から飛来する流星群にも、血霧は怯む様子もなく、口から涎を駄々流しにしながら突っ込んできた。


「無駄無駄無駄無駄ァ!」

「でしょうね。だからこうすんのよ、【ブルーミング☆スター】!」

「ヒャハハハハ、きらきら星ィィィ――イィッ!?」


 血霧まで肉薄した流星群は、花開くように、ピタリとその場に留まってその輝きを膨らませた。盾に変化した星たちは、血霧を受け止め、光の中へと閉じ込める。


「っし、捕獲成功! 燃えない虫も、網にはかかったみたいね」


 そう喜んだのも束の間。

 ぴき、と一つの星に亀裂が走ったかと思うと、その一点をこじ開けて、血霧が飛び出してきた。


「ざァんねェんでェしたァ――――!!」

「うっそでしょ……ウチの星よ!?」


 ステラの足が、眩暈を起こしたかのようにふらつく。その小さな背中を、卓哉が受け止めた。


「くっ、魔力が……」

「大丈夫、お待たせ! エネルギー最大開放――【天衣夢縫シエル・アルミュール:ラ・プレパリー】!!」


 エルの姿が、中世よろいの半身と翡翠の近未来そうこうとを継ぎ接ぎにしたような、異色の出で立ちになる。


「【残光結ぶ紡史の糸アトレーペ・バリエーレ】!!」


 草那藝都牟羽と繋いだ覚悟の鎧『ラ・プレパリー。』を纏ったエルが剣を突くように掲げる。その切っ先の延長上に在る脅威――血霧のチェーンソーが、光の鎖に繋がれた。

 しかし、つんのめるようになって勢いが止まったかのように見えた血霧は、首筋の筋肉が盛り上がる程に力を込め、なおも全身を続ける構えだった。


「無駄っつってんだろ血霧ちゃんのお話聞いてなかったんDEATHかァ!? 無駄な抵抗してねえでさっさと死ねよやァ!!」


 彼女がどぅルンどぅルンと呪詛を吐く度に、光の鎖は悲鳴を上げていく。それはエルの力が本家オリジナルでない故のものか、あるいは都牟羽に対しても通用しうるゴリ押しなのか。

 だが、エルの方もまだ終わってはいなかった。


「抵抗? いいえ、これは反撃よ」

「アァン?」

「紙でも割りばしを折れるんだったっけ? 【鏡袈水月ミロア・アルミュール】!!」


 エルは『ラ・プレパリー』を纏った上から、血霧の力を映した水鏡のマフラーをたなびかせ、剣を構えた。

 しかし、


「何も、起きない……?」

「なんだって!?」


 目を見開いたエルに、詠太郎も思わず声を上げた。

 都牟羽との天衣『ラ・プレパリー』の状態では詠太郎との天衣『ラ・プルミエール』の光の力が使えないため、血霧の超常的な身体能力を映すことで仕留める。それが、ステラの稼いでくれた時間の中、土壇場で練り上げた策だったのだが。


「そんな、じゃああの子の力は、魔法やスキルの力じゃないってこと!?」


 不発に終わった。終わってしまった。


 詠太郎たちの心が挫けるのを現わしたかのように、光の鎖が引きちぎられ――血霧がスピードを取り戻した。

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