第30話 Torture
窓の外側に設けられている手すりに足を引っかけてへばりついているエルを、詠太郎は鍵を開けて迎え入れた。
「何してるの……?」
「探しに来たの! 戦いが……あっ――」
窓枠を潜りながら説明をしようとしたエルは、そこで室内にもう一人の人物がいることに気づいたらしく、言葉を止めた。
「で、出たぁ!?」
顔面蒼白で飛び退いたエルが窓べりに引っかかり、バランスを崩しそうになるのを引き留める。
「大丈夫、生きている人だよ」
件の女性は呆けた様子でこちらを見ていた。見開かれた目と、窓から吹き込んできた風で揺れた髪とが、失礼ながら本当に和風の幽霊のような印象を深めている。
「あと、多分。この人も『作家』だから、話しても大丈夫。――ですよね?」
「えっ……では、やはりその子は」
「はい、僕のヒロインです」
詠太郎は頷いて、エルに視線を向けた。
「それでエル、何があったの?」
「あのね、夕方、ボロボロのヒロインを見かけたの。それで卓哉くんとステラちゃんともう一度ここに来たら、戦いの音がして……」
「ボロボロのヒロイン? 作家や、その時の敵は?」
「見当たらなかった。その子、凄まじい身体能力で跳んで行っちゃって」
詠太郎は眉を顰めた。負傷しているヒロインが単体。作家が放置しているとは思えないし、ヒロインの側が作家を残して逃げていたとも考えにくい。それに、もしも作家の方が敵の手にかかって命を落としている場合、ヒロインも消滅しているはずだ。
「あのう……」
女性がおずおずと声をかけてきた。
「そのボロボロの子は、どんな見た目でしたか?」
「うーんと、
「…………?」
「ええと、チェーンソーを持った、黒い軍ロリファッションの子みたいです」
詠太郎がエルの言葉を通訳すると、首を傾げていた女性が息を呑んだ。
「血霧……っ!? その子、私のヒロインです!」
今度は詠太郎の方が言葉を失う番だった。
ステラは四方八方から飛来する鋭利な鉄製器具を星の盾で防ぎながら、嫌悪感に顔を顰めていた。
「拷問器具とか、趣味サイアク……何をどうしたら、物語のヒロインがそうなるワケ?」
飛んできているのは、先端にかえしの付いた銛のようなものや、いくつもの穂先に別れた鞭、剣山の板からトゲ付きの刺又まで多岐に渡る。
「小娘風情が健気に頑張るわね! その生意気な顔、いつまで持つかしら!」
「うっざ。防御の術で良かったぁ……卓哉、その子は動けそう!?」
正面を向きながら、声だけで背後に問う。
「駄目でござる! 呼吸はしているでござるが……」
「退路はブチ抜くしかない系ね、了解。じゃあ、エネルギー頂戴!」
卓哉の返事とともに流れ込んできた活力を全身に回し、二丁の魔法銃へと注ぎ込む。
「ヒロインらしい攻撃ってのを、見せたげる――【シューティング・スター】!!」
トリガーを引いた。星の盾が反転して、流星となって敵へと迫る。星に反射した光によって照らし上げられたお相手様の風貌も、ギトギト重たいフレアのドレスで、ステラ根本から趣味が合わないと感じた。
しかも奴は、顔色一つ変えずに癇に障る高笑いをし続けているときた。
「それを待っていましてよ! 【
ドレス女がスカートをつまみ上げて
「なっ……!?」
「くすくす、燃えておしまいなさい」
ドレス女が指を鳴らすと、金色の雄牛の像は青い炎に包まれた。ドレス女の作家の方が、その光景を崇めるように手を組み、歓喜に咽せている。
「こここの雄牛はね、あ相手のスキルを閉じ込めて、や焼き尽くすことで、い、い一時的に能力を奪うもの、なんだ」
ステラは試しに魔法銃のトリガーを引いてみたが、カチカチと撃鉄ががらんどうを叩く虚しい音だけが鳴った。
「(拙い、ウチの力は、
「あら、もう万事休すなのかしら?」
ドレス女が舌なめずりをした。
「ならばせめて、無力な小娘らしく悲鳴を上げてごらんなさいな! 【
ステラを挟むようにして二本のレールが敷かれた。それが横向きの断頭台だということはすぐに判った。一番奥には、夜闇の中でも鈍くてらついている悍ましい刃が見える。
「さて、トロッコ問題よ。貴女がはらわたをぶちまければ、後ろの二人は見逃してあげる。貴女が逃げれば、後ろの二人が犠牲になる。……どうなさいます?」
「さ作家が犠牲になれば、き君も消えるから、じじ実質一択だね。ひひっ」
「…………はあ?」
何かと思えばそんなこと。ステラは頬を吊り上げた。
「ウチの答えは――」
「答えなくていいから悲鳴あげろっつってんのよぉ!!」
ドレス女の怒号とともに、ギロチンが超高速で飛来する。
しかし、
「聞いとけし、ブス☆」
「――【
ステラに牙を立てる寸前で、ギロチンは月の光に砕け散った。
エルがステラを救い出したのを横目で確認しながら、詠太郎は卓哉の下へと駆け寄った。
「大丈夫!?」
「助かったでござる。ステラたその星が封じられて、絶体絶命だったでござるよ」
額に脂汗を浮かべながら、卓哉が胸を撫で下ろした。本当に間一髪だったらしい。
「血霧!!」
一緒に付いてきていた女性が、卓哉の上着で応急処置をされていた少女に駆け寄った。
「血霧! ああ、血霧……! あなた、独りで、ずっと……!! ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「マ、マ……」
少女はぐったりとした手を弱々しく掲げ、女性の頬に触れる。
「詠太郎氏、こちらの方は?」
「この子の作家だよ。この病院に入院していたんだ」
「なんと……」
詠太郎と卓哉が、涙を流して少女を抱き締める女性を陰にするよう立ちながら、次の一手をどうすべきか話し合おうとしたところだった。
「――ここにいたんだね、アプリコットさん!!」
敵方の作家が、空に吠えるような甲高い声で叫んだ。それに、女性肩がびくっと跳ねる。
「し、
「迎えに来たよ一緒になろう痛くないよ気持ちイイよ優しくするから大切にするよ幸せになろうよ二人でイこうよ結婚しようよ絶対離さないよ死ぬまで一緒だよ死んでも一緒だよ生まれ変わっても一緒だよォ! さあ!! さあァ!!!」
「もう止めてください!!」
女性の悲痛な叫びに、どうして拒絶されているのか理解できないという風に、作家の男が首を傾げている。
「どうしてそんなことを言うんだい? オレと君は、一目見た時から運命を感じたじゃないか」
「私は、そんなこと一度も思ったことはありません! 作家同士のオフ会で一度会っただけ……あの日だって、挨拶程度しか交わしていないでしょう!?」
「……挨拶、してくれたじゃないか。とても優しい、天使のような笑顔だったじゃないか」
「だ、誰が相手でも、挨拶というのは笑みを浮かべてするものでしょう」
「嘘だッ!!」
男は般若のような形相で、怨嗟を吐き散らした。
「嘘だ嘘だ嘘だ、同じじゃない、同じじゃないィ……!! オレに向けた笑顔だけは特別だったはずだそうに決まってる二人は運命に引き寄せられていたんだあの時は他にも人がいたから隠さなければいけなかっただけなんだ本当はオレのことを想ってくれているんだろそうだろう!?!?」
「うわあ……完全にイッてる系だわ」
「貴族たちの求婚がそよ風程度に感じるわね……」
ステラとエルが思わず後ずさっていた。
何を言っても無駄。ストーカーとはそういうものだ。標的にされてしまった女性は、途方に暮れた様子で視線を地に落とし、じっと唇を引き結んでいる。
「ママ……大丈夫」
強張った頬をほぐすように、少女の指先がそっと頬を撫でた。
「痛いの痛いの飛んでけって、してくれたら、血霧、頑張れるから……」
「でも、そうしたら血霧は!」
「お願い。血霧ね、ママの悲しむ顔を見る方がずっと、ヤだよ」
「血霧……ごめん、なさい……! 弱いママで、ごめんなさい!」
ゆっくりと絵本を読み聞かせるように、少女の願ったおまじないが唱えられた。
いたいの、いたいの、とんでいけ。
刹那、少女の体が糸に引かれたようにすっくと立ちあがった。チェーンソーが唸り、駆動音と共鳴するように、ゲラゲラとけたたましい叫び笑いが辺りに響き渡る。
瞳孔をかっ開き、頬を耳元まで引き上げた大口からは長い舌を覗かせ、ガニ股で頭を振り乱す山姥のような少女の姿に、さっきまでの可愛らしい面影はまるで残っていなかった。
「イヤァ――――ヒャハハハハハハ! 血霧ちゃん、イキまァ――――す!!」
絶叫と共に、チェーンソーが夜を駆けた。
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