第29話 Faith

 エルは照栖に引きずられながら、病院の外に出てもじたばたと抗っていた。


「ぶぅ。まだちょっとしかエイタローに会ってないのにぃ」

「嘘ばっかり。朝からいたんでしょう?」

「何で知ってるの!? ――あ、いや、違う、さっき来たとこだもん!」

「私も同じ学校なんですけどお」


 照栖から溜め息が返されると、周囲から笑い声が起こる。黒崎からも「オレの耳まで入ってきてるくらいだからな」と苦笑されてしまう。


「面会時間は規則だから、仕方がないでござる。拙者なんか隣の高校でござるよ」

「ウチの力で飛んできたくせに――んぐぅ!?」

「(ステラたそ、しーっ、しーっ!)」


 うっかり照栖の前で失言をしかけた口を、卓哉が慌てて手のひらで塞いだ。男女の体格差もあるが、その中でも大柄でふっくらした手のひらは、ステラの小顔の半分以上を覆っている。


「うわあ、変質者の構図じゃねえか、デブ」

「ブヒッ!? け、けけ決してそんなつもりでは!!」


 黒崎の冷やかしに、卓哉はまた慌てて手のひらを離した。


「別に悪口じゃねえよ。オレも作家こっち側だしな。あ、でもお前が抜きゲーの主人公みたいだってのはマジで思う」

「「「抜きゲー?」」」

「お、女の子たちの前で何を言っているでござるか!?」


 飛びかかろうとする卓哉を、黒崎はひらりと躱す。


「いやマジ、ああいう子を組み伏せて無理矢理とか似合いそう……似合い……あ?」


 どこかに指を差して茶化していた黒崎の表情が、不意にぎこちないものへと変わった。

 その視線の先を追って、エルたちの顔もスライドし、同じように固まった。

 駐車場の向こう側に拡がる芝生スペースに、女の子が倒れている。それは遠目に見ても大怪我をしていることは見て取れた。彼女の傍には丸い刃のついた大鉈のようなものが転がっている。アレもこの世界の機械だろうか。


「ちょっと貴女、大丈夫!?」


 エルが声を投げて、駆け寄ろうとした時だった。

 弱々しく顔を上げた少女はこちらに気付くと、怯えた猫のように飛び上がり、大鉈のようなものを引きずるように飛んで行ってしまった。

 あっという間に奥の木々へと消えてしまった背中に、エルたちは呆然と立ち尽くす。


「卓哉、今の……」

「で、ござろうなぁ……」


 ステラと卓哉が目配せをして頷く。黒崎も「お前らも大変だな」と肩を竦めてから、今は隣にいない誰かのことを想って睫毛を伏せている。

 だから、エルもそういうことだと確信を得るところだったのだが――


「ゆ、幽霊……?」

「え゛っ……」


 照栖の一言に、エルはぎょっと頬を引き攣らせた。






「やだやだやだ、オバケこーわーいー!!」

「ここまで来て何言ってんだし。ほら、しゃんと歩く」

「来たんじゃないもん、連れ去られただけだもん!」


 夜も更けた頃、今度はステラに引きずられるようにしてエルは病院に舞い戻っていた。

 今から十数分前。詠太郎の傍にいられないことへの不貞腐れと、幽霊だなんていう不穏なワードを誤魔化すように夜風に当たっていた時、飛来してきた魔法少女に拉致をされたのだ。


「お化けは攻撃効かないんだよ!? ドラゴンみたいに倒せないんだよ!?」

「ドラゴンなら倒せるから平気という価値観も恐ろしいでござるな……」

「つか、別に幽霊じゃ――」

「あーあー聴こえなーい! エイタローがいなきゃやーだー!!」

「本当にこの子王女なの……?」


 ステラの半眼と卓哉の苦笑は、荒れ狂うように顔を背けているエルの耳には入らない。

 しかし、耳を塞いでいても――いや、意識して逃れようとしているからこそ、そういった音には敏感になってしまうようで。


「いぎ、あゃあああああ!!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 夜の闇を切り裂く絶叫に、エルは縮み上がった。

 しかし。


「えっ……? 今の、オバケじゃ……ない!」


 想像していたおどろおどろしい声ではなかった。むしろ、それよりも。必死に救いを求めるような、まるで幽霊に襲われた側の悲鳴。

 ようやく思い込みから情報を整理した頭に、男子生徒が学校の黒板を引っ掻いて遊んでいた時のような、耳に障る金属の摩擦音がぬるりと滑り込んできた。


「思ってたより、状況は悪そうでござるな……やはりあの時飛び出していた方が」

「後悔は後にしろし! 照栖ちゃんを巻き込むわけにも行かなかったでしょうが。――エルは詠太郎呼んできて!」

「けどステラたそ、詠太郎氏は入院を……」

「病院の近くじゃ、エルが戦った時点でバレるし! あの拗らせた正義感発揮されて最悪の事態になるより、最初からいた方がいい。でしょ!?」


 ステラの目が、エルを射抜く。


「昨日のこと後悔してるから、彼の傍にいたいんでしょ」

「えっ……」

「自分が離れなければ、って。でも、それは自分が詠太郎を信頼できていないことだとも思っちゃって、不貞腐れてる系だ」


 エルはハッと目を見開いた。自分のもやもやしている心中をピタリと言い当てられた気分だった。誰にも悟られないようにしていたつもりだったのに。

 どうして、と開きかけた口を、ステラは目を閉じて微笑みで一蹴した。


「ウチもあの時までそうだったから、解る。ヒロインウチらは無意識に作家を主と感じているけれど、じつが追い付いていないワケ」

「す、ステラたそ……」

「悪く言ってるわけじゃないし。ウチらは、どっかの神様とやらが作り出した嘘っぱちじゃなくて、本物の信頼を積み上げることができる。そしてそれが、エルの『天衣』の根源でもある……違う?」

「……うん、合ってる」

「行ってきな。もたもたしてると、卓哉とウチで片付けちゃうけど」


 エルは頷いて踵を返し、入院棟目がけて跳躍した。











 詠太郎は、どうにも眠れずにいた。昨夜は怪我のこともあり半分気絶するように眠っていたが、一日経つと、今度は慣れない環境という違和感と緊張で、目が冴えてしまっていたのだ。

 点滴も夕方には抜けた。鎮痛剤のおかげもあり、余程捻ろうとしなければ支障はない。体を労わるようにして、休憩室へと向かう。


「うわっ……!」


 そこで思わず声を上げてしまった。真っ先に自販機の光を追いかけたから気付くのが遅れたが、視界の端、椅子に腰かけた人影があったからだ。

 艶やかな黒髪を垂らした、線の細い女性だった。歳は若くは見えるが、自然に醸される色香は子供のものではないだろう。成人――低く見積もっても大学生くらいだろうか。


「ご、ごめんなさい!」


 驚いてしまったことに頭を下げると、女性はくすくすと控えめに笑った。口元を押さえる手から、袖の奥まで包帯が巻かれているのが見えた。


「こちらこそ申し訳ありません。先客がいたなんて、驚いたでしょう?」

「えっ、その……すみません」


 正直に白状すると、彼女はまた柔らかく笑んだ。月の青白い光の良く似合う、嫋やかな白さがある。


「お姉さんも、眠れずに?」


 自販機でスポーツ飲料を買って、斜め向かいに腰かける。


「……ええ。長い夢から醒めてしまって、心細くて」

「夢?」

「私は物語を認めるのですが、そのキャラクターと出会えた夢です。短くも長く、濃密でいて儚い夢」


 彼女が口にした言葉に、詠太郎は思わず缶を取り落としそうになった。

 そして予想が正しければ、彼女がここに独りでいた意味は――


「夢、だったんですけどね」

「えっ……?」


 女性の瞳が、わずかにブレた。その色の変化を、詠太郎は直視できずにいた。


「実は私、ストーカー被害にあっていたんです。その人も同じようにキャラクターと一緒で。私は彼らと戦うことになり――敗れました」

「それで、怪我を?」

「いいえ。ですから、夢です。先生からは事故と言われましたし、もしもあれが現実ならば、敗北した私は、今頃そのストーカーに捕らわれているでしょう?」

「…………」


 詠太郎は何と返していいか解らず、缶を握る手に力を込めた。


「我が子を愛するが故に見た、といえば聞こえも好いでしょうが。真実は、プロとして花咲けない者の妄執。きっとこの怪我も、我が子を世に出せないことへの罰なのでしょうね」


 そう言ってから彼女は、はっと我に返ったように肩を縮めた。


「ごめんなさい、自分語りなんて。お恥ずかしい」

「いいえ、僕も……」


 作家です、と言いかけて戸惑った。もしも悲しい別れを夢と割り切れているのなら、それも一つの道なのかもしれない。彼女の夢を肯定することは、余計なお世話なのかもしれない。


「きっと、その、夢は……」


 震える唇を紡ぎきることは、果たして正解なのだろうか。

 その時だった。どんどんと、休憩室の窓を叩く音に、詠太郎は顔を上げた。


「うわっ、で、出た……!?」


 窓にへばりついているのは、美しいはずの赤い髪をおどろに振り乱し、蜘蛛のように手足をかっ開いた怪物エルだった。

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