第28話 Cage

 事の次第を説明すると、スーツ姿の遠野は複雑な表情でため息を吐いた。


「小生は、死に急げと言ったつもりはないのだが……」

「そうだそうだー! トオノさん、もっと言ってやって!」

「あの……エルもそっち側なの?」

「心配したからに決まってるでしょうが!」


 ぐるぐる巻きの包帯の上から引っ叩かれ、詠太郎はベッドの上で声にならない悲鳴を上げてもんどり打った。戦いの最中には感覚がマヒしていたけれど、一晩立ってみればえげつないくらいの全身の痛みに襲われるハメになっていた。


「小生からすれば君も大概だよ、リュミエル殿」

「えー」


 町内での事件でもあったためか、駆け付けた警察官の中に遠野の姿もあった。ヒロイアゲームのことも知っている彼の計らいでつつがなく捜査は進行し、詠太郎にも実質個室の部屋を手配してもらい、今に至る。


「一先ず、今は体を休めるといい。君の担当医は小生の大学時代からの馴染みでな。それとなく事情は説明してある」


 小説を書いていたことを驚かれてしまったよと、遠野は気恥ずかしそうに笑った。


「優紀くんは……?」

「ああ、彼は――自供したよ。ディアンナ・アシュトレイについては追うことができないが、両親と彼の供述が一致することもあり、問える罪を問うことになるだろう」

「えっ、警察で扱える案件だったんですか?」

「勿論。海外の未解決事件を特集した番組などで見たことはないか? スレンダーマンに襲われたとか、UFOに攫われたとか。そういう類の扱いになるはずだ。君の件もね」

「わかりました。よろしくお願いします」


 詠太郎が頭を下げると、遠野は頼もしく頷いてくれてから病室を出ていった。

 一先ずは、安心だった。以前調べたところだと、超常現象や呪いといったものは法で裁けないとあった。相手の目の前でやってみせるのなら脅迫罪にも問えるが、そうでなければ、その死因が偶然の事故なのか藁人形によるものなのかが判断できないからだ。

 もしも、ヒロインの力によるものとしてうやむやになってしまえば、ややもすると彼は、立ち直れなくなってしまうかもしれないから。


「(それは、僕も同じだ……)」


 今の自分が何と相対していて、どんな力を扱っているのか。それだけは、見誤ってはいけない。


「そんな顔しないの」

「えっ……?」


 気が付けば、エルから頬をむにむにと引っ張られていた。


「エイタローが何を悩んでいるのかは解ってる。それは素敵なことだし、応援したいとも思ってる。けれどね、万が一の時には、その選択をしなければならないと思っておいた方がいいわよ?」


――神に与する作家たちは、容赦なく作家も狙う。ヒロインも然りだ。本来なら光となって各々の物語世界に還るのだが、奴らは消える寸前に殺し切る。


 剱丞の言っていた言葉が蘇る。奴らというのが、すなわち『十二筆聖アポストロス』なのだろう。


「……手を汚しても、いいって?」

「違うわよ。本当の最終手段として奥底に仕舞っておくの。駄目だ駄目だ~、って意識をすればするほど、死神はずっと付きまとっちゃうから。もういっそやってもいいや! って割り切るくらいがちょうどいいのよ」

「うん、そうだね……」


 詠太郎はシーツを握りしめた。現代社会でも、「辞めてしまえばいいや」とか「いつかぎゃふんと言わせてやる」と心に決めることで、苦しい現状を乗り越えるという心構えは聞いたことがある。


「ありがとう、エル」


 顔を上げて、大切な相棒に笑顔を返そうとした時だった。


「――何してるの、みんな」


 病室のドアからこちらを窺っている人影に、詠太郎の笑いかけた頬は苦笑に変わった。

 覗き込んでいたのは卓哉と、ステラ、そして黒崎の三人。遠野が来てくれているうちに顔を合わせたのだろうけれど、少し意外な組み合わせだった。


「いやあ……たはは、良いところだから入るなと、ステラたそに注意されてしまってなあ」

「ちょっ、ウチのせいにする気!?」

「入って良いなら先入るわ。どけやデブ」

「ちょーい待ち、卓哉をデブ呼ばわりは聞き逃せないんですけど!!」


 噛みつくステラをすり抜けて黒崎が入って来た。その向こうでは「拙者のこと豚呼ばわりしてたでござろう……」「ウチはいいの!」と賑やかだ。

 黒崎は鞄からクリアファイルを取り出し、こちらに手渡してくれる。


「ほら、数学の課題だとよ」

「わざわざ届けに来てくれたの?」

「テメエと姫騎士が二人とも休みと聞けば、だいたいの事情は察したからな。ちぃとテメエのクラス行ってパクってきた」


 その言葉に、詠太郎は嬉しくなった。相変わらず口調は乱暴だけれど、学年でも孤立気味だった黒崎が、誰かのためにと動いている。

 それはまさしく詠太郎が求める、物語の紡ぎ手として在るべき姿だった。


「ありがとう、黒崎くん!」

「べ、別にテメエのためじゃねえよクソ陰キャ! むしろ、オレとヒプノに勝っておいてこんなザマ、ぶちコロしに来たんだよボケ!」

「ふふっ、結構優しいのね、貴方」

「ああン!? テメエも吹かしてんじゃねえぞ姫騎士。赤髪ロングで正当騎士のメインヒロインとか負けヒロインフラグびんびんなんだぞ? うかうかしてっと死ぬぞテメエ」

「何言ってんのかわからないけど、とりあえず馬鹿にされているってことは解かったわ。上等、表出ましょうか?」

「こらこら」


 じゃれ合いとはわかっていても放置はしておけず、詠太郎はエルの裾を引き留めた。

 しかし、がるがると牙を見せた猛犬は手負いの一般人モブには手に負えず、どうしたものかと思っていると、扉が再び開き、鬼が顔を出した。


「お兄、うるさい。ナースステーションまで聞こえて来てて、看護師さん怒ってるよ」


 静かながら迫力のある一喝に、しんと場が静まり返る。


「そろそろ面会時間も終わりますし、皆さん帰った帰った。エルさんも、今日は帰りますよー」

「わわわっ?」


 身長差はエルの方が頭一つほど高いというのに、照栖は母親が子供をそうするように、ずるずると引き摺って行ってしまう。我が妹君は逞しかった。

 そんな女丈夫は、病室からエルの背中を押し出したところで、ふと立ち止まった。


「……ねえお兄。今じゃなくていいからさ。本当は何があったのか、ちゃんと聞かせてよね」


 表情は窺い知ることができなかったけれど、照栖の小さな肩は小刻みに震えているように見えた。


「うん、必ず。心配かけてごめんね、照栖」

「別に、心配なんか…………お父さん、明日には帰ってくるって」


 それだけ言い残して、部屋のドアは音もなくスライドし――閉められた。











 陽の光も届かない黄昏時の森林公園に、鉄同士が擦れる耳障りな音が響いていた。

 片やチェーンソー。縦横無尽に木々を飛び回りながら、たった独りで果敢に飛びかかっている。

 片や無数の拷問器具を傍らに余裕綽々の男女。西洋の貴族風のドレスに身を包み、闇夜の中でも隠し切れない存在感を醸してふんぞり返るヒロインと、その隣で神経質そうにニタニタと笑みを湛える作家の男だった。彼の不健康そうな白い肌もまた、闇の中では不気味に浮かび上がっている。


「が頑張っているみたいだけれど、む無駄だよ。あアプリコットさんの居場所を、は早く教えてくれないかな?」

「……絶対に、ママのところには行かせないっ!」


 チェーンソーを手にした少女は、軍服のようなゴシックロリータの風体をしていた。人形ビスクドールのような可憐な顔立ちは、土に塗れて見るも無残な様相だ。


「な、ななら。ご拷問をして、きき聞き出そうかな」

「――っ!?」

「オーホッホッホ! いいわぁその表情。わたくし、可愛らしい女の子の怯えた顔と悲鳴には目がありませんの」


 貴族風のヒロインは、異空間から吊るされた棒状のベンを取り、チェーンソー少女のアゴをくいっと上げた。

 少女は逃れようと飛び退って、その判断が間違っていることに気が付いた。背中にいくつもの鋭利な先端が刺さりかけて立ち止まったそこは、大きな鉄の塊の口の中だった。


「くすくす……大丈夫、首は残してアゲる。【串刺ノ鉄処女アイアン・メイデン】!」

「くっ……!!」


 閉まる鉄のアギト。反射的にチェーンソーを捻じ込んで隙間を作ったが、鉄の拷問器具の内側に取り付けられた針は、未だ内側にいる少女の腕に肩にと食い込んだ。


「ひぐぅ!?」


 絶痛に悶えながら、自分の肉を引きちぎってでも脱出を図り、少女は夜闇の中へと一目散に逃げ込んだ。

 その背中を見送りながら、男はケヒッケヒッと気味の悪い声を出す。


「いいけない子だなあ。ああアプリコットさんはオレのものなんだから、おオレがパパみたいなもんじゃないか」

「甘ぁい血の匂い。こんなにぷんぷんさせてちゃ、逃げるものも逃げられないわねえ」


 木々に哄笑が響く。それが魔の手のように迫って来るのを感じながら、少女は歯を食いしばって足を動かしていた。


「(ママ……ママ……血霧ちぎり、頑張るから……っ!)」

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