第26話 アイ・アム・ノット・ア・ヒーロー

 エルは、ステラを背負うようにして住宅街の屋根を疾走していた。

 急に別れることになった照栖には、各々のマスターから預かったお小遣いだけを渡し、敢えてこちらから何か言い訳をすることはしなかった。下手に口を滑らせて口裏合わせに苦心するよりは、その辺りは詠太郎たちに任せた方がいいだろうと判断してのことだった。


「というか、漆比津しっぴつ小学校ってどう探せばいいワケ!?」


 頭の後ろでステラが焦りに声を苛立たせる。照栖からおおよその方向は聞いて出て来たが、正確な場所も距離も、別の次元から来たエルたちには未知のものだった。


「大丈夫。どうにか当てはあるから!」


 エルは叫んで返し、屋根から屋根へと道路跨ぎに飛翔する。

 どうやら、作家とヒロインが離れすぎていても、力を発揮することはできないらしい。鎧を纏うことができればもっと早く彼の下に駆け付けて上がられるのにと、もどかしさばかり募る。

 屋根を飛び移る度に、神経を集中させて詠太郎を探す。そうして何度目かのところで、心に静電気が走ったかのように、細く遠いところに光を感じた。


「――いたっ!」


 そこにめいっぱい手を伸ばし、指を引っかける。


「【天衣夢縫シエル・アルミュール】!!」


 光に触れた指先から、エルの体は月の羽衣を纏っていった。流星が尾をたなびかせるように裾を舞い上がらせて、ぐんと加速する。

 一方、ステラは変身用のコンパクトを忙しなく開けては閉じてを繰り返していた。


「ウチの方はまだ微妙ね。それに、これだけじゃ結局位置は……」


 彼女の言うことももっともだった。辛うじて効果範囲内にいること、おおよその方向が合っているというだけで、正確な場所が掴めなければ意味がない。ほんの一ブロックでも道に迷えば、それだけで命とりになる可能性だってある。


「せめて爆発だとか、火の手なんかがあれば……ああダメダメ! キュープリがそんなの願ってどうすんだし!」

「落ち着いてステラちゃん。要は、この効果範囲の中心点を探せばいいんでしょう?」

「そんなの、どうやって……」

「ちゃんと掴まっててね――【朔望如光陰オンブル・トゥール】!」


 屋根をたんっ、と踏み切ったエルは、そのまま引力の流れに乗った。

 遠野との戦いの中で詠太郎が見出した、星の公転する力。後で聞いたところに寄れば、エルたちの先祖にあたる人類は、元々ここ地球に住んでいたのだという。


「見つけた!」


 周遊しようとする体が描く弧から中心点エイタローを割り出したエルは、『朔望如光陰オンブル・トゥール』を解除して、さらに加速をした。











「あはははは、ざまーみろ! ボクに逆らうからこうなるんだよ、バァーカ!!」


 ディアンナの胸に抱かれながら歓喜に身を打ち震わせていた優紀は、不意に胸元を引っ張られた感覚に笑みを消した。


「……は?」


 目を疑う。いつの間に目の前まで迫ってきていた詠太郎が、胸倉を掴んで来ていたからだ。

 その肩の向こう側には、気を失っている教師たちの姿が見える。


「なんで生きてんの、お前」


 グロテスクを売りにしたゲームでしか見ないような、満身創痍の体だった。ディアンナの攻撃を受けたところの服は破れ、残っている布地も血で変色している。目も虚ろで、息はこひゅうこひゅうと鳴り、こちらの胸倉を掴む手には、ろくに力なんて入っちゃいないのに。

 どうして、こいつは立っていられるんだよ?


「…………作家は」

「えっ?」

「正しく在らなきゃいけないんだ。ダークヒーローだとか、サッドエンドだとか……暴力や悪を描く作品はある。でも、だとしても……それはあくまでストーリーの性質であって、テーマやメッセージはその肯定じゃあないはずだよ」

「何、言ってんだよ……お前」

「まして、作家自身が罪を犯してどうするんだ!」


 喉の奥に血痰の絡んだようなガラガラの声で、奴は叫んだ。

 優紀は救いを求めるように、自分の描き出したヒロインへと縋りつく。


「なあディアンナ。物語は楽しむものだろ? 憂さ晴らしに見るもんだろ? クソみたいな奴らをぶっ潰して、ざまぁすることが、間違ってるわけないよな? な?」

「そうだよユウくん。ユウくんが正しい。大丈夫、こういう高潔ぶった作家は、読者に受け入れられずに消えていくからねえ」

「待てない、待てないよ。こんな奴、今すぐ消し飛ばしてよ!」

「はあい。よしよし――【主よ、裁きを下し給えオール・ディストラクション】」


 どてっ腹で爆発したエネルギーに、詠太郎が血を吐きながら吹き飛んだ。体の力も入らない様子で、風に吹かれたビニール袋のように無様にグラウンドを転がっていく。


「…………ごふっ」

「ひひっ、ざーまーあ-! 雑魚の癖に、ヒーロー気取りなんてしているからだよ!」


 しかし、優紀はまた、信じられない光景に頬を引き攣らせた。


「……して、ないよ」


 奴はまだ、立ち上がろうとしていやがる。なんで、どうして。うちのジジイとババアは、一発で泣き喚いてボクに許しを乞うてきたってのに。

 ただの人間の癖に、どうしてお前は立ち上がって来れるんだよぉ……!


「ヒーロー気取りなんて、してない」

「わかんねえよ。何言ってんだよお前ぇ!」

「言ったろ……今の僕のやるべきことは、時間稼ぎだ。僕はヒーローなんかじゃない。僕一人で、君たちに勝てるだなんて、思ってない」

「ひ、ひぃっ……!?」


 虚ろだったはずの眼に焦点の炎が灯り、ぎりっとこっちを睨みつけてきた。

 優紀は首を振る。彼は今抱いている感情を理解ができなかった。説教のような上から目線の圧力でもない。イジメのような一方的な暴力でもない。同じ夢を抱いた同族から真っ直ぐ投げられた、熱い剛速球。

 理解ができないから、腕に受け止めきれずに零れていく。いや、最初から受け取るつもりがなかったのかもしれない。いつもそうやって周りを突っぱねて、反抗した気になって頬杖をつく、寂しがりの孤独好き。

 本当に相手を否定をしていたのは――


「うるさい……うるさいうるさいうるさい! 結局あんたもヒロイン頼りなんじゃないか! 散々ボクを罵っておいて、お前だって! ディアンナぁ!」

「【主よ、裁きを下し給えオール・ディストラクション】!」






「詠太郎氏!」


 卓哉はおろおろと頭を抱えて叫んだ。このままでは彼の身が持たない。アレをまともに食らってしまっては、最悪死んでしまう。


「すまんでござる、もう見ていられないでござる!」


 喚き散らすように謝罪を口にしながら、卓哉は無我夢中で走った。詠太郎の作戦こそが最善だということはわかっている。でなければ、今頃あの教師たちは亡くなっていただろうから。

 自分が待機していなければならないという理由も、そうすべきだと頭ではわかっている。

 でも、でも!


――作家は、正しく在らなきゃいけないんだ。


「そうでござろう、詠太郎氏ぃ!」


 涙を袖で乱暴に拭いながら、叫んだ。

 その時。


「――卓哉! エネルギー供給、全力全開で!」

「ぶ、ぶひっ!?」


 待ち望んだ声に、卓哉はじっと一人で練り上げていた気力を解き放った。


「【ブルーミング☆スター】!!」


 天から飛来した無数のお星さまたちが、詠太郎を守護するように咲き誇る――!!

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