第25話 ゴーホーム・アンド・ドリンク・ママズ・ミルク

「――あんな奴捻り潰して、ディアンナ!」


 作家の少年目がけて走り出した詠太郎は、彼にディアンナと呼ばれたヒロインがこちらに手を翳したのを見て、咄嗟に着地の際の爪先の方向を変えた。


「ユウくんのために、ママ頑張っちゃう! 【主よ、裁きを下し給えオール・ディストラクション】!」


 横っ飛びをした直後に、さっきまで詠太郎が立っていた場所の地面が噴火したように弾け飛んだ。何か見えない力でも爆発したのか、一瞬遅れて襲って来た爆風に巻かれ、詠太郎はバランスを崩して地面を転がる。

 態勢を整えながら見やれば、地面は重機で掘り返したような溝ができていた。


「(でも、規模はそこまででもない。手のひらを翳すというアクションも見える。よし、躱せる!)」


 気にかかるのは、その技の名前だ。『全てを破壊するオール・デストラクション』なんて仰々しい意味が付けられている。


「(触れたら終わり、とか? ……でも)」


 それなら現在破壊されている校舎も、もっと甚大な被害が出ているはず。


「ええい、ままよ!」


 詠太郎は再び走り出した。ただ時間を稼ぐわけじゃない。エルたちが駆け付けた時に、十分な情報を持てるようにしておかなければいけないんだ。

 ユウと呼ばれた少年は、詠太郎の意気が衰えていないことを見ると爪を噛み、忙しなく貧乏ゆすりをしながら顔を顰める。


「そういう目がムカつくんだよ! ディアンナ、頭だ! 首を捻じ切れば、二度と歯向かえなくなる!」

「さすがユウくん、素晴らしい作戦ですね。【主よ、裁きを下し給えオール・ディストラクション】!」

「事前通告どう――もっ!」


 ディアンナの詠唱が完成する機を見計らい、詠太郎は頭を下げる。


「と見せかけて、足ぃ!」

「なっ――っ!?」


 手のひらの高さがやや下がった。


「(まずい、避け切れない……っ!)」


 頭を下げた姿勢から四つの手足を突いて飛んだが、それが逆に爆発を抱え込むような姿勢になってしまい、詠太郎は成す術もなく吹き飛んだ。


「ぐあああああああっ!!」

「詠太郎氏!」

「大……丈夫……」


 左腕で踏ん張りながら、右手を掲げて親指を立てて見せる。


「余裕ぶっこいてんじゃねえよクソが! ディアンナ、ぺしゃんこにしてやってよ!」

「はあい。【主よ、裁きを下し給えオール・ディストラクション】!!」


 直後、詠太郎の右腕がバチンと強い力に弾かれた。


「ぐうううううううっ!?」


 歯を食いしばり、患部を見る。腕は付いているけれど、皮膚は焼け爛れたように赤くなっている。肘の辺りから感覚がなくなっていて、曲げることは難しそうだ。


「(けれど、おかげで判ったことがある……!)」


 食いしばった歯をにいっと空元気に吊り上げて、のろのろと立ち上がる。

 ユウは「潰せ」だとか「捻じ切れ」という言葉を使っているけれど、技自体の性質はエネルギー弾の範疇でしかない。一つ難点があるとすれば、この弾は作用する場所に直接出現するものらしいため、先日繋いだ『都牟羽の力』が使えなさそうだということくらいか。


「詠太郎氏! エルたそとステラたそに連絡が付いたでござる! 今から拙者もそっちに――」

「駄目だ!」

「詠太郎氏……!?」

「二人が来た時に、万全な状態で戦える人が必要だから! お願い!」

「りょ、了解でござるぅ!! ご武運を、ご武運をでござるよ!!」


 こちらよりも酷い怪我をしているのではないのかというほどに声を震わせて、卓哉は体を抱くようにしてじりじりと下がっていく。


「ありがとう。ごめんね」


 詠太郎は呟くように言った。自分も逆の立場だったら、居てもたってもいられなかっただろうから。

 足を踏ん張り、真っ直ぐユウとディアンナに立ち向かう。


「聞いたよね? もうすぐ僕たちのヒロインがここに来る。学校を壊すなんてこと、もう止めるんだ!」

「う、うるさい! 奴らを庇うのかよ!? 人を馬鹿にするのは悪だろ。イジメは悪だろ!? そういう悪い奴らをぶっ潰す物語を書くのが、作家だろ!!」

「違う!」

「なっ――」


 たじろぐユウに、詠太郎は右腕を庇いながら一歩詰め寄る。


「倒し方ってものがあるだろう! 自分の憎しみのままに壊すだけじゃあ、君もその『悪』と同じになってしまうぞ!」

「ぐっ……うるさい、うるさいうるさい! ウゼエんだよどいつもこいつも!」


 ユウはディアンナの胸へと飛び込んだ。彼女は「よしよし」と優しく頭を撫で回して迎えた。

 その慈愛に満ちた目が、突如としてキッと強く吊り上がり、詠太郎を射抜く。


「ユウくんに無礼を働く下賤な輩めが」

「…………君は」


 こちらが本性なのだろうか。照栖の怒った顔よりもずっと恐ろしい、憎悪と憤怒に彩られた瞳だった。


「君は、それでいいの?」

「はあ?」

「きっと君だって、物語の中じゃ主人公たちと一緒に正義を成していたはずだよね。作家の指示だとしても、こんなことを受け入れていいの!?」


 詠太郎は叫んだ。言葉を重ねているのは時間稼ぎの狙いもあってのことだったけれど、届いてくれてと願っているのは本当だった。


「はあ……何を言うかと思えば。正義とか、だっさぁ」

「……えっ?」

「私の生き甲斐はね、坊や。ユウくんを甘やかして、甘やかして、とろとろに気持ち良くしてアゲることだけなの」

「それが、彼を駄目にしてしまうとしても……?」


 しかし、返ってきたのは笑いを噴き出す声と、妖艶にこちらを蔑む悪魔の目だった。


「知らないわよそんなこと。だって、それを求めて書かれたのが私なんだもの。それに応えて何が悪いの? だよね、ユウくん」

「そうだ……そうだよ。ディアンナだけは、ボクを否定しないんだ」

「くっ……!」


 話し合いはできそうになかった。完全な互助関係がそこにはあった。

 自分がエルに真っ直ぐな正義を求め、戦いの中でもそう在ろうとしたように。ヒロインに全肯定を求めた作者と、それを全うするヒロインという純粋な関係。

 それがたとえ純粋な黒であり、エゴであり、どれほど間違っているとしても。


「――あなたたち、何をしてるんですか!」


 不意に、校舎の方から錯乱したような声がした。

 様子を見に来たらしい教師が二人、昇降口からこちらに向けて怒鳴っている。


「まだ人がっ!?」


 詠太郎もまた、戸惑いに声を上げた。中学と違って部活もないだろうからと失念していたが、学校は、生徒だけで成り立つものじゃない!


「教室を壊したのもあなたたちですか!? 一体何を――」

「逃げてください!」

「遅いんだよぉ! ディアンナぁ!!」


 ユウの絶叫にも似た願いに、ディアンナが手を翳す。

 詠太郎は無我夢中で足を動かした。

 間に合え、間に合え、間に合え――!!

 手を伸ばす。狙いは男女いるうちの男の方。ユウが否定を嫌うのであれば、先ほどから怒鳴り声を上げている方を狙うはず。


「間に、合ええええええ!!」

「詠太郎氏ぃぃぃ!!」


 卓哉の声は、昇降口が爆ぜ飛ぶ音に掻き消された。

 煙の立ち昇る置くから、女性教師の悲鳴が周囲に響き渡る。

 その光景に、ユウは興奮に血走った目で肩を痙攣させるように震わせていた。


「は、ははっ、やった。やってやったぞ雑魚が! ひひっ、おうちに帰ってママのミルクでも飲んでな、バァーカ! あは、あはははははは!!」

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