第17話 繋ぎ止める者

 学校から帰宅するなり、詠太郎はゾンビのように冷蔵庫へと直行した。


「ああ……疲れた……」


 水出ししておいたアイスコーヒーをグラスに注ぎ、ソファにぐだらと沈み込む。

 先に部屋着のラフな格好に着替えて来たエルが図書室から借りてきた花の図鑑を片手に降りて来たため、詠太郎はもう一つのグラスを取り出した。


「エイタロー、人気者だよね」

「ちょっと前までは目立たない陰キャだったんだけどね……」


 喜ぶべきか悲しむべきか。張ったふくらはぎの痛みは、嬉しい悲鳴なのだろう。

 江戸村での戦いからこっち、慌ただしくもゆったりとした日常を送っていた。手をじわりと濡らす水滴も、図鑑を食い入るように眺めているエルの横顔も、そんな景色を染める夕明かりも、満たされた幸福の一瞬であるように思える。


 心のシャッターを切ろうとした矢先、視界を照栖が横切って行った。先に帰っていたらしく、彼女も私服だった。


「お兄、あたしのヒヤリッシュ知らない? 一個残ってたんだけど」


 冷凍庫を覗き込んだ照栖が問いかけてくる。ヒヤリッシュとは、照栖お気に入りのハンディタイプのアイスだ。風呂上りにはいつも咥えて部屋に戻っていくのを見かける。


「あれなら父さんが持ってったよ。運転中食べるのにいいなって言って」

「あのバカ親父め……」

「代金もあるよ。電話の横に五百円置いてない?」

「おっ、あったあった。さすがお父さん」


 現金な手のひら返しに、エルが口元を手で覆ってくすりと笑った。


「というか、まだ水曜日だけど……もうなくなったの? いつも一週間分買い溜めしてなかったっけ」

「るっさいなあ。いいじゃん、別に。文句ある?」

「いや、ないけど……」


 思わず言葉が尻すぼみになる。毎度のことながら、我が妹様はどうしてこうトゲがあるのだろうか。小さい頃なんかは、家族で買い物に行くと、はぐれるのが怖くっていつも詠太郎の服をぎゅっと掴んで歩いてたこともあるのだけれど。


「(やっぱり、モヤシで陰キャなオタクの兄じゃあ頼りないのかなあ……)」


 頭では解ってる。こんなだからこそ、ヒロイアゲームでもずっとあっぷあっぷしながら戦ってきた。大怪我の一つもせずにいることが奇跡なくらいだろう。

 もっと頑張らないと。そう、エルの横顔を見ながら決意する。


「じゃああたし、買い物行ってくるから」

「ぼ、僕も一緒に行こ……」


 思い立ったら即行動。思い切って提案しようと試みたが、まだ言い終わらぬうちに底冷えのするような眼力の圧をかけられて、詠太郎は「イエ、ナンデモナイデス、ハイ」と縮こまることしかできなかった。


「晩ご飯には帰るからー」


 玄関でトントンと靴をつっかける音の後で、あっと思い出したような声がした。


「部屋で何か音がしても、入ったら殺すからー!」

「モ、モチロンダヨー!」


 物騒である。


「リュミエルさんもダメだからね!」


 その声を最後に、ドアの閉まる音がした。一秒、二秒、三秒……固唾を嚥下したままで強張っている首の力をほうっと抜く。


「本人がいても勝手に入らないし、鍵だってかけてるだろうに……」

「やけに念を押してたわね。あ、もしかしてこれが、『押すなよ? 絶対に押すなよ?』ってやつ?」

「こらこら、違うってば」


 ぴょこんと首をもたげた王女様の好奇心を諫める。


「むう。じゃあさ、エイタローの部屋には行っちゃダメ?」

「それは構わないけど、何も面白いものはないよ?」

「私の物語の原稿がある!」

「ぜったいダーメ」

「ええー、なんでよう。私、当事者だよ?」

「だからだよ。だったらクラスメイトに見せる方がよっぽどマシ」

「私、クラスメイトだよ?」

「だーめーでーすー」


 ずずいと乗り出してきた青い瞳を押し返す。

 よく、夢は口にすることで叶うという。けれど、世の中には言えないこともあった。

 小説を書いていると話せば、多くの場合、世辞混じりでも『すごい』と言ってもらえる。けれど、必ず次に来る『どんなのを書いてるの?』に答えてライトノベルだと知られたが最後、どうしてか人々の印象は真逆のものとなる。

 かつては直訳して、軽小説とも揶揄されたライトノベル。漫画やアニメの原作となることが多く、『オタクっぽい』というレッテルが付きまとう。

 だから隠す。逃げではない。話すべき場所はここではないという、戦略的隠匿なのだ。


 もっとも、エルに見せるのが恥ずかしいというのは別の理由だけれど。


「……ん?」


 不意に、上の階で何かが床に落ちる音がした。


「今のって……?」


 よしんば入ってやろうと言っていた人とは思えないぞっと凍り付いた表情で、エルが壊れた歯車のように首を動かす。


「エルって、お化けとか苦手?」

「こここ、怖くないもん! だって今日は水曜日だし!」

「(ああ……何を見たかすぐに判ってしまった)」


 作中では幽霊騒ぎのようなイベントはなかったから、作者である詠太郎さえ知らない一面だ。


「位置的には照栖の部屋、だけれど……」


 天井を凝視して、耳をそばだてる。けれど、暫く待っても次の音が鳴ることはなかった。


「ねえエイタロー、大丈夫だよね……? ねえ、エイタロぉ……」

「気のせいかもしれないね。風か何かで木材が軋んだとか、そんなんだと思うよ。不安なら廊下まででも様子を――」


 そこまで言いかけたところで、玄関のチャイムが鳴った。


「ひぃぃぃぃっ!?」


 エルが飛び上がり、詠太郎のいるソファまで一足飛びに飛び込んでくる。冷静な側からすると、彼女の人間離れした身体能力の方がよっぽど幽霊っぽさがある。

 再びチャイムが鳴った。正確には、チャイムの後半である『ポーン』の音だ。来訪者はチャイムをゆっくりと押し込むタチらしい。


「待って待って行くなら置いてかないで!」

「大丈夫だって、ただのお客さんだよ」


 ひしとしがみつくエルを引きずりながら、はてそんなチャイムの押し方をする来客なんて今まであっただろうかと内心首を傾げつつ、詠太郎は玄関に向かった。


「はい、どちら様でしょう?」


 ドアを開ければ、そこには美男美女が立っていた。男の方は外套を纏い、切れ長の理知的な目をした長身痩躯の青年。少女は凛々しくも清楚感溢れる黒髪を一つ結いにして、赤い紐のあしらわれた不思議なデザインの制服を着ている。


「不用心だな。すぐに顔を出すのは良くない」


 ハスキーな声でそう言って、青年は困ったように目尻を下ろした。


「ええと……うち、ドアチェーンがなくて。田舎なもんで、インターフォンもなくて……」


 すみません、と詠太郎は思わず謝っていた。何故だか青年の深い瞳を見ていると、素直に言葉を受け止めようという気になる。


「構わないさ。次から気を付けてくれれば、それで」

「あ、はい。……ええと、うちに何のご用件で?」

「ああ、すまない。君は、『作家』だね? 後ろの彼女が『ヒロイン』だろうか」


 瞬間、詠太郎の全身が総毛だった。エルが入れ替わるように玄関から飛び出し、相手方の少女を制するように立ちはだかる。


「落ち着いてくれ。俺たちも、別にこの場でドンパチをしようって訳じゃないさ」


 優しげに、しかし有無を言わせぬような気迫を秘めた声で、青年は微笑む。


「俺は久遠寺くおんじ剱丞けんすけ。本業は神主……といっても、跡を継いだのは最近だがね」

「某は草那藝くさなぎ都牟羽つむはと申します」


 神楽鈴の音色のような透き通った声で、少女はきびきびと目礼をした。その威風堂々とした振る舞いと、剱丞の発した神主というワードに、詠太郎はそこで、彼女の制服に通る赤い紐が狩衣や巫女装束の飾り紐であることに気が付いた。


「俺たちは――ヒロイアゲームに抗い、物語を歴史に繋ぎ止める者だ」


 剱丞はそう、淡々と告げた。

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