第15話 大きな背中

 数は有利。しかし、状況は完全に不利。

 露わになったエルの肢体にドキドキしている余裕なんてなく、詠太郎は歯噛みした。


「くっ、卑怯だぞ!」


 バカな論点だとは承知。けれど、少しでも抵抗をしなければいけない気がした。


「正々堂々戦えよ! あなたの作品じゃあ、戦闘はこんなのばかりなのか!?」

「卑怯ぉ?」


 しかし、透兵衛は顔色ひとつ変えることなく、むしろ詠太郎の言葉が理解できない様子で首を傾げている。


「違うべ、これが読者の求めていることだず。現実じゃあ味わえねえセクシーがねえなら、フィクションである意味がねえ。ライトノベルである意味がねえ。二次元である意味がねえ! どんなべっぴんなヒロインでも、おっぱい一つ見らんねえなら価値がねえ!

 わがっか!? BPOだがアッポーペンだが知らねえけんど、そだなものを気にして小綺麗に書いちまうより、思い切ってマスかいてる方がよっぽど良がんべ!」

「あなたは……あんたは、ヒロインをそんな風に見ているのか!」


 握り締めた拳が怒りに震える。


「物語を書く者としての誇りや矜持はないんですか!」

「ハッ、甘ったれたこと言ってんでねえぞ? 作者が一番エロい目で見るからこそ、読者がエロい目で見られるヒロインが書けるんでねが。そうやって『女の子ば大切に扱う』という意味を履き違えで、腫れ物みたいに扱ってっから、おめたづは童貞なんだず!」


 透兵衛は腕を大きく拡げ、月に向かって吼えた。


「人は何故山に登るのか。そこに山があるから! 美少女がいて! おっぱいがある! だっだら、ちゃあんと女として扱って、ドスケベ心を抱かねば失礼というものだべ!!」

「然り! そうであらねば、あーしも怒るというものじゃ!」


 陽景が腕を組み、大きく頷く。


「そんな……」


 詠太郎は二の句が継げなくなった。否定しなきゃいけないのに、抵抗しなきゃいけないのに。

 それも、作品の一つの形だと、理解してしまっている自分がいた。特に昨今のライトノベルや過激さを増してきており、全年齢向けとして発売されながら、主人公とヒロインのまぐわうシーンも直接的に描かれることもあるほどだ。


「そんな、ことは……」

「おめえも認めたら楽になれるべ。執筆してっ時、そのヒロインのような女の子と付き合うことができたらと考えたべ?」

「くっ、おおお!」


 透兵衛の言葉が、鋭利な刀となって詠太郎の心を抉り取る。

 まるで、奴自身も性紅肢ヰ忍法を操れるかのようだ。


「付き合って、どうしてえ? 付き合えたら、何がしたいなや? 考えるだけでボッキンボッキンだよにゃあ?」

「ち、が……」

「答えは出てるはずだべ。今、全力で押しとどめているそのクソみたいな理性を、ちょっとずらすだけでいい。そのヒロインの下着姿に興奮している自分を。その奥を見たいと思う自分を」


 詠太郎は立ち眩んだように、その場に膝をついた。


「――案ずるでない」


 脳内に直接響くような蠱惑的な陽景の囁きが、ぐるぐるととぐろを巻いて居座ろうとする。

 この感覚は知っていた。ヒプノの使う力に似ている。


「自分の書いた優しい優しいヒロインであろ? そんな彼女なら、劣情塗れの自分だって受け止めてくれるはずじゃ」

「うおおおおおおおおお――――っ!」


 抗えない。仮面が、理性が、建前が、剥されてしまう。

 思春期だとか、本能だとかいう名前の付けられた暴走の種がむくむくと起き上がり、今にもエルへと飛びかかり、衝動のままに汚したいというエゴを叫んでいる。

 そいつが、自分と重なってしまう。


「そう、もう少しじゃ。がんばれ♡ がんばれ♡」

「くっ、ふ、ふざ、けるなああああああ!!」


 詠太郎は、自分の頬をぶん殴って黙らせた。


「エイタロー!?」

「はあ、はあ…………大丈夫」


 歯で口の中を切ったらしく、じくじくと生温かい鉄の味が口の中に拡がる。口元を拭うと、ちょっぴり引くくらいの出血があった。

 だけど、気にならない。むしろ、出来心を抱いた自分への罰としては軽いくらいだ。


「おっ、『桃色吐息』から気を持ち直したってが。やるなっす」

「……あんたの言う通り。確かに僕は、エルをそういう目で見たことがあるよ。なんならこの戦いに呼ばれて、彼女を目の前にしてから、その手に触れてから、匂いを嗅いでから、ずっとドキドキしっぱなしだよ」

「エイタロー……」

「だから戦うんだ。だから頑張るんだよ。じゃないと、エルの隣に立つ資格すらないから! 作家の僕が、一番彼女に対して誠実でなければならないから!」


 最も信頼する少女が伸ばしてくれた手を取り、立ち上がる。


「エル。僕が囮になって突っ込むから、攻撃の隙を見つけて」

「でも、いいの……?」

「遠野さんの拳に比べたら屁でもないんでしょ? なら大丈夫」


 ……多分。その言葉は、心の中に留め置いた。


「今更遅いんじゃよなあ! まずは、一人ぃ!」


 陽景の声が、耳を劈いた。


「しまった!」


 エルがこちらを気にかけたことで、ステラとの距離が開いた。それが決定打だった。


「(拙い……。光の剣クレール・ド・リューヌじゃあステラちゃんを巻き込んでしまう。月の公転オンブル・トゥールはエルとの距離が近すぎるし、何より間に合わない!)」


 今持ちうるエルの技では届かない。新しい道を探すにも時間が足りない。

 うずくまったステラの無防備な柔肌へと、苦無の牙が迫る。潤んだ瞳に映った苦無が、ぎゅっと歪んで、涙となって零れた。

 詠太郎たちも、耐えられずに顔を背ける。

 だが、しかし。


「…………えっ?」


 瞼の裏に予知した未来が来なかったことに、ステラがおそるおそる目を開ける。その視界いっぱいに、影が差していた。

 ステラの視界に影を落とすように、立っている少年がいる。

 がくがくと震える膝で、ぶるぶると堪える頬で。着ていたお気に入りの一張羅が消し飛び、パーカーの下に着込んでいたチェックシャツ姿で、彼は立っている。


「怖い思いをさせてごめん、ステラたそ」

「たく……や……」


 太陽の光を受けて微笑む、大きな背中だった。


「拙者は、童貞でござる。けれど、それでいいでござる。女の子を尊敬して、尊重して、大切にすることで童貞のままになるのなら、拙者は一生童貞で構わないでござる。ステラたそを守る肉壁になれることの方が、ずっと誇らしい称号でござるよ」


 振り返った卓哉は、ステラの側に跪いて、チェックシャツのボタンを外した。


「さ、これを羽織るでござる。中にももう一枚来ていたから、そこまで汗臭くはないと思うけれど、ニオうのは許して欲しいでござる」

「ありが、と」


 受け取ったシャツに、ステラが首を通す。パーカーの裾から出るように着ていたインナーのため、ただでさえ大きい体型の卓哉のそれは、ロングコートのようにすっぽりとステラの体を包んだ。

 髪を襟元から出して、子犬のようにふるふると首を振ったステラは、そこで、あっと声を上げた。


「ちょ、なななな、そのTシャツは何だし! まじでキモイんですけど!」


 震える指の先――卓哉の腹部には、ウィンクをして魔法銃の乱れ射ちをしている魔法少女のイラストがプリントされていた。


「まさかソレ、ウチの絵ぇ!?」


 固まっている彼女へ、卓哉は自慢するように裾を伸ばして見せる。


「そうでござる! 拙者、絵も描くでござるよ。小説を書くときには、こうして絵を描いて、オリTにするでござる。そうすれば、いつだって一緒でござる!」

「うっわ、はっず、うっざ、きっも! 死んじゃえブタ!」


 だぼついた袖でぽかぽかと叩いてくる小さな手を、卓哉は「でゅふふ」と微笑んで、すべて受け止めていた。

 ひとしきりはたいてから、ステラが俯く。


「……いつだって、一緒?」

「そうでござる。ステラたそが一緒だと思うと、拙者、頑張れるでござる」

「そ、っか。えへへ、そっかぁ」


 震え方の変わった声を隠すように襟首に潜って、ステラは鼻を啜った。


「ねえ」

「なんでござろうか」

「やっぱこれ汗臭いんだけど」


 女の子からの容赦ない指摘に、卓哉がおろおろとしはじめる。


「でも……キライじゃないかも。この匂い」

「ふぉかぬぽぉっ!?!?」


 卓哉が憤死した。とても、幸せそうな顔であった。


「にししっ、ばぁーっか」


 歯を見せて笑って、ステラは立ち上がった。彼女の体にはぶかぶか過ぎる服が風にはためく。


「負けらんない理由、もらっちゃった系、かな」


 それはまるで、卓哉から受け継がれた、勇気のマントのようだった。

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