第11話 オーバーライト

「無力だからこそ、戦うんじゃないか――――ッッッ!!」

「大振りの素人業。来ると判っていれば避けるまでも……むんっ!?」


 視界の端で詠太郎を一瞥しただけで動じなかった遠野だったが、頬に突き刺さった拳の衝撃に目を見開いた。


「(何故だ。奴のフィジカルを高く見積もっても、小生が仰け反るはずなど……!!)」


 弾かれた顔を元の位置に戻しながら身構え、喚きながら振り回された胸部への拳を受け止める。だがそれは拍子抜けするほどに、当初の想像以下の歯ごたえだった。


「所詮は火事場の馬鹿力だったか。だがそれも、続かなかったようだな!」


 遠野は腰から腕にかけての関節を回転させて、ノーモーションの近距離打撃を詠太郎に打ち込んだ。











 腹を突き上げられる衝撃に、詠太郎は吹き飛んだ。内臓が押し潰され、胃液を巻き散らしながら地面を転がる。


「か……はっ……」

「エイタロー!!」


 すぐ近くで発されたエルの声に、頬を緩める。

 やっぱり自分のパンチ程度じゃあ通用しなかった。けれど、並んだ。エルから離れたところで這いつくばるのではなく、彼女の隣に転がった。


「ははっ……ぐぅ、ふ、ふふっ……本当だ。朔月竜の尾に比べれば、何てことないね」

「エイタロー……」


 詠太郎は踏ん張り、立ち上がった。膝ががくがくと震える。一度吐き出したのに、次の胃液の噴火は喉元まで昇ってきている。


「ほう、立ったか。才能がないと言われて、よほど悔しかったと見える」

「……いや、僕には才能なんてない。それは事実です」

「うん?」


 遠野が怪訝そうに眉を顰める。


「だから僕らは、物語を通じて学ぶんだ。自分の中にないものをキャラにさせるのが作家? 当然だよ。僕はエルじゃない。彼女は生きた人間なんだ。僕が逆に教えてもらうことだってたくさんある。あなたも作家なら、そういう経験、あるでしょう!」

「心意気を免罪符にすれば、愚かしさが許されると思うなと言っているのだ!」

「思っているもんか!」


 詠太郎は決して視線を逸らさなかった。これだけは譲れなかった。


「迷って、悩んで、足掻いて! 今日よりも明日、一歩進めているように努力する! だから僕はエルを書いた! リュミエル・エスポワール――『希望の光』という意味を名前に込めて!」

「希望の、光……」

「そうさ、エル。僕は執筆しながら、何度も君から勇気をもらっていた。今度は僕が恩返しをする番だ。僕も共に戦う!」


 詠太郎は拳を握りしめ、見様見真似の構えをとって前を向く。

 エルが並んで剣を構えながら、心配げな声で囁いてきた。


「気持ちは嬉しいけれど、勇気と蛮勇は違うんだよ? 何もエイタローが前に出なくても……」

「解ってる。今の僕が闇雲に突っ込んで行っても、余計に君の足を引っ張るだけだって。だから、僕は僕に出来ることで戦う」

「……うん、わかった。私の隣、エイタローに預ける!」

「作戦会議は済んだかね!」


 両腰に拳を添えて突貫してきた遠野に、詠太郎は真っ向から駆け込んだ。

 腹に打ち込まれる重い正拳。必死で歯を食いしばり、胃液のすえた臭いに涙目になりながらも、痛みを遠野の拳ごと抱え込む。


「我が身を盾にすればいいというのは、安直な暴挙だな!」


 後ろから飛びかかるエルは、凛鴉が地面から刀を突き上げて阻む。――そんなこと、想定済みだ。

 詠太郎は背を向け、倉庫の陰に向かって走った。


「駄目と判れば、逃げるだけか! 良い威勢だったが、やはり口だけだったな!」

「(いいや、違う。僕の狙いは――!)」


 壁際に停められたフォークリフトによじ登り、屋根の上へ。

 考えろ。考えろ。僕は作家だ、考えろ!


「(『天衣夢縫』はエルの技であると同時に、僕が設定したスキル。なら、この世界オリジナルの姿である『ラ・プルミエール』もその延長上。僕の想像あたまのどこかにあるはずなんだ)」


 まして自分と繋いで発動したものならば、扱いきれないはずはない。

 考えろ。エルの世界『月光のアルミュール』の舞台の象徴にして根幹である、月の光そのものの羽衣を纏ったエルの可能性を!

 それを、このヒロイアゲームという物語の中に落とし込み、上書きオーバーライトするんだ!!


「(考えろ。月の光の力、僕ならどう発展させるのか!)」


 足音を忍ばせながら屋根の縁に辿り着いた頃、眼下ではエルが二対一で遠野らを引きつけてくれていた。


「【宵闇を裂きし光の剣ロゼ・ド・リューヌ】!」

「小賢しいわ! 押羅押羅押羅押羅押羅ァ!!」

「はあああああッ!!」

「押ォォォォォ忍!!」


 エルが突き出した剣は、横から飛び出してきた凛鴉の双刀の牙に押さえつけられる。遠野が返しに振り抜いた手刀を、エルは咄嗟に重心を後ろへ引いて踏みとどまったが、刈り取られた数本の前髪が彼女の瞳の前を舞った。


「居ついたな?」


 遠野は蛇のように牙を剥いた。垂直に突き上げた足で、エルの剣を鍔元から弾き飛ばす。


「未熟な者の良くない癖だ。すぐに急所を狙おうとする」


 だが、丸腰になってしまった蛙も、かっと目を見開いてほくそ笑む。


「熟練した者のよくない癖ね。状況の判断を正確にできたと思ってる」

「何?」

「エル! 今の君は月だ! 僕を軸に朝を掴んで!」


 詠太郎は屋根から飛び上がり、宙を舞う剣に手を伸ばした。まだ届かない。

 しかし。

 エルの瞳が、淡く輝く。


「天衣を通して伝わってたよ、エイタロー。【朔望如光陰オンブル・トゥール】!!」


 刹那、詠太郎とエルの間に光の筋が結ばれた。エルの体を朔月から望月までをなぞるように光が染め上げて、公転を始める。詠太郎という地球じくを中心に、さらに高くへ。

 そしてエルの手が、剣を掴んだ。


「ちぃ、剣を手放したはわざとだったか!」

「――逃がしません」


 凛鴉が壁を蹴り上げて飛翔した。

 足場にされ、踏み抜かれた詠太郎は落下の速度を早めて叩きつけられた。悶絶しながらも空を仰ぎ、行く末を見守る。


 飛行能力でも持たない限り、空中にいるということは無防備に身を晒すことと同義。だが、遠野と凛鴉が飛びかかった際、エルが上空から迫る凛鴉を先に狙ったように――


「――君が追撃に来ることは読んでいた! 行っ、けえええええ!!」

「【明日を結びし光の剣クレール・ド・リューヌ】」


 掴んだ剣を構え、エルが光を集める。

 その切っ先が自分を向いていないことに、凛鴉は顔を青ざめさせた。


「まさか……狙いは主様!?」

「……否、否だ凛鴉!!」

「――居ついたわね?」


 遠野の声に、エルの声に、凛鴉がハッと我に返る。振り仰げばその目前に、光の剣が向けられていた。


 居つく。それは武道における用語で、一般的には動きを止めてしまうことを指す。一瞬の逡巡。攻撃の予備動作。後退から前進へ切り替える際の一瞬の踏ん張り。


――貴様がそうやって余計なことを考えさせているから、彼女の対応が遅れ、こうして無様を晒しているのだと思わぬかね?


 そして、主を案じたわずかな隙。


「凛鴉ァ!」


 遠野は壁を蹴り、光に撃ち抜かれた彼女へと手を伸ばした。

 力なく崩れ落ちた背中を抱き止め、落下する。


「凛鴉、ああ、凛鴉!」

「主、様……ご無事で……」

「何故だ凛鴉。何故小生を案じた! 戦いが始まる前に言ったはずだ、お前の死に場所はここではないと! 在るべき世界に還るまで、斃れることは許さぬと!」


 慟哭の伝う頬を、凛鴉の細い指がそっと拭う。


「……いいえ、手前の死に場所は此処です。『愛する者のために命を捧げるべし』。主様が書いてくれたことではありませんか」


 息も絶え絶えになりながら、彼女は笑った。


「手前は、主様とお会いすることができて――」


 今際に零した一滴の涙が、光となって風に溶けていく。

 手を合わせて見送る遠野の前に、剣を納めたエルが片膝を突き、胸に手を当てて礼をした。


「トオノさん、だったわね。あなたをドチンピラ呼ばわりしたこと、撤回するわ」

「何かと思えば、そんなことか。撤回の必要などないさ」


 瞼を開くことなく、遠野は笑い飛ばす。


「凛鴉を死なせたのは小生だ。元より、ファンタジーの力が飛び交うことが容易に想像できた中、魔法の一切もない泥臭い小説が生き残れないことは明白。それでもしがみ付き、四十手前にして夢追い人などという生き恥を晒しているのだ。そこらのチンピラと、何が変わろうか」

「僕は……そう思いません」


 詠太郎は下唇を噛んだ。自分はどうだろうか。この棘の道を登り詰めて逝けるのか、道半ばに野垂れ死ぬのか。


「警察官として立派に務めて、さらに夢を抱いて。凄い人だと思います。そんなあなたが書いた人だからこそ、凛鴉さんに想いが届いていたんだと思います」


 目の前の漢が、たまらなく羨ましく映った。少なくとも彼の綴った存在意義は、たった今証明されたのだから。


「当然だ、全霊を以て書いたからな。こればかりは、主人公にだって負けぬよ」


 君もそうだろう。そう、遠野は何でもないことのように笑った。

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