第10話 足りない覚悟
わずか一瞬、剣先を逡巡させたエルだったが、すぐに凛鴉目がけて剣を突き上げた。
「近くに壁がない状況で避けられるかしら!? ――【
「直線放射型の光線か!」
足を緩めることなく突っ込んできた遠野が、喜々として口角を吊り上げた。
「押ォォォォォォ忍!!」
輝きを帯びた剣の峰を拳で打ち付けられ、光線は明後日の方角へと放たれてしまう。
すかさず迫って来た凛鴉の後詰攻撃をいなしながら、エルは飛び退った。
「ちょっと、素手で月の光を叩き落した人とか初めて見たんですけど!」
光線の直撃を避けたとはいえ、既に剣には月の光が纏われている。すなわち燃える剣のように、触れるだけでもダメージはあるはずである。
遠野は煙を立てる手を一瞥してから、冷たい視線を返した。
「心頭滅却すれば火もまた涼し、という」
「いや意味わかんないです! それなら、広範囲攻撃で――【
エルは再び剣に光を纏わせると、十字に切り払った。空気中に軌跡を描いた斬線がダイヤモンドダストのように解けたかと思うと、それらは光の矢として次々に射出される。
まるで光輝なる鳳が翼を拡げ、すべての影を祓うべく滑空するように。日光よりも強く熱くコンクリートを照らし上げた光がうなりを上げる。
「凛鴉、小生の後ろに」
遠野は前に進み出て、構えた。
「すぅぅ……押忍押忍押忍、押羅押羅押羅押羅!」
二つ手刀と二つの足刀を巧みに操り、片っ端から光の矢を切り伏せていく阿修羅の姿がそこに在った。弾け飛んだ光の残骸に服を焼かれ、肌を焦がされようと、その動きが淀むことはない。
「アーララララララララララララ、ッシャァ!!」
最後の一矢を蹴り払い、丹田からの呼気とともに残心。
「嘘、『
「憶えておけ姫騎士! 充分に発達した武は、魔法では届かぬと!」
「充分に発達した、武……」
咆哮する虎に、詠太郎は息を呑む。
「然り。貴様らがいくら机上の空論を練り上げても、鍛錬には決して敵わぬ。例えば足捌き。両足の図があり、壱に前足を出し、弐に後ろ足を引きつける――そんな説明文を読んで理解した気になるのが、貴様らの限界だ」
「べ、別に自分自身が実践できなくても、その理屈の部分をなぞることができれば、描写は出来るんじゃ……」
「実践できていないから、その
遠野は詠太郎を睨めつけた。見下すような上からのものではなく、真っ直ぐ射抜く視線だった。
「踏み込んでから後ろ足を引きつけるなど、愚の骨頂。正確には、後ろ足で以て蹴り出すからこそ前に出るのだ。一挙動なのだよ。振る番号も一つで良い。こうした誤りによって描かれたアクションは、小生からすれば噴飯ものである!」
一喝でさらに気勢を増した遠野が、凛鴉と共に地を蹴った。
「小生は決して認めぬ! 戦う術をろくに身に着けていない作家の、チャンバラアクションなど! 小生は認めぬ、選ばれた能力や血筋があるだけで持て囃される紛い物の勇者など!」
凛鴉の刀を凌げば、それを掻い潜って遠野の拳が襲い来る。遠野に気を取られれば、死角から凛鴉の刀が薙いでくる。
「選評によれば、小生のアクションの描写は『難解』だそうだ! だがそれは、学ぶ気がない者の怠慢だ! 甘えではないか! だからリアリティに逃げるのだ! リアリティとリアルは別物だと嘯き、ただ自分に耳障りのいい描写を求めているだけに過ぎぬのだ!」
距離を取って光の矢を放とうにも、びたりと間合いを一定に保ってくる遠野たちの前では、呪文を唱える余裕さえない。予備動作をとったが最後、光が放たれる前にエルの首が飛んでしまうだろう。
「小生は、この戦いに勝って証明せねばならぬ! 正しき強さを以て糺さねばならぬ! 往くぞ、凛鴉!」
「
凛鴉は手首を返すと、刀を二振りとも、エルの急所目がけて投擲した。
頭と腹の二点を守るためには、払うにせよ躱すにせよ、どうしても大振りの防御となる。それはエルも承知の上。双刀を払った剣の動きを止めず、遠心力で腕を回すように振り、追撃してくるだろう遠野の首を予測して切り付ける。
「甘いわ!」
剣の切っ先は、寸前で停止した遠野の首の薄皮一枚を切るに留まった。
「けど、凌ぎ切っ――」
「主様が甘いと仰ったでしょう?」
一瞬の油断を浮かべたエルの顔に、足元の死角から潜り込んできていた凛鴉が体をしならせて蹴りを放った。靴底のハンマーに頬をぶち抜かれたエルは、どうにか距離を開くことができたものの、そこでぐらりと崩れ落ちてしまう。
「申し遅れましたが、手前、徒手格闘も得意でございまして。悪しからず」
「ぐっ……」
エルの意識はあるようだったが、額には脂汗が浮かび、舌を出すようにして浅い呼吸を繰り返していた。おどろに地面に垂れた長い髪が、まるで血だまりのように見える。
「エル!」
詠太郎は悲鳴のように彼女の名を叫んだ。
「(お願いだから、動いてよ!)」
情けないくらいに、太ももがひくついている。エルの方がずっと苦しそうに震えているのに、自分はつま先を立てることさえままならないでいる。
「無理をするな、少年。戦うことに恐怖することは普通の反応だ。それでいい」
子供に言い聞かせるような笑みを湛えて、遠野が言った。
「だが憶えておくといい。その程度の力しか持たない癖に、その程度の覚悟しか持てない癖に、一丁前にキャラクターに戦わせ、信念を叫ばせているのが、貴様ら作家だ」
「…………」
ざらつくコンクリートの表面を掴む指先に力が入る。いつの間にか爪が割れ、擦った腕には血が滲んでいた。早く立たなければという焦燥感と、何も言い返せないでいる悔しさに、詠太郎は歯を食いしばった。
「まともに取り合っては……駄目……」
朦朧と消え入りそうな声で、エルが呻く。
「先ほどから彼女は、貴様のことを心配してくれているな。貴様がそうやって余計なことを考えさせているから、彼女の対応が遅れ、こうして無様を晒しているのだと思わぬかね?」
「私のことは……気に、しなくていいから……」
「こう言っているが、貴様はそれでいいのか。『でも、彼女がそう言ったから』? 『でも、自分に武術の経験はないから』? 『でも、作家の役割は力の供給だから』? うだうだしているうちに、君のヒロインは負けるぞ。主人公が颯爽と駆け付けてくれるのは、物語の中だけだからな!」
遠野は犬歯を剥き出しにして哄笑した。
その足を、エルの傷だらけの腕が掴んで引き留める。
「うるさいわよ、反逆者気取りのドチンピラが……とどのつまり、あんたは大義名分振りかざして暴力振るいたいだけじゃない」
「ほう、まだ火が消えておらぬか」
遠野は眼を爛々とさせると、ふらふらと立ち上がって剣を振るうエルを、真正面から蹴り払い、正拳の一撃で殴り飛ばした。
「エル!」
「ああ、貴様はもういい。そこで指を咥えて見ていろ。自分の弱さと才能の無さを噛みしめて、筆を折っていたまえ」
遠野の冷徹な言葉に、詠太郎は拳を叩きつけた。歯を食いしばったまま嗚咽交じりの唸り声を上げる。
「(そんなこと、分かってる……)」
自分が凡才であることくらい、自分が一番よく知っている。
はじめはプロットの作り方もわからなかった。書き始めれば、二ページ目で挫折しかけた。文字数を計算してみたら、学校で書く小論文よりちょっと多いくらいなだけだった。
華麗などんでん返しなんて思いつかない。張ろうとした伏線はすぐにボロが出る。ギャグセンスだってない。頭の良いキャラを書こうとすれば、ただのご都合主義になる。
「(それでも、それでも……っ)」
好きだから。物語が好きだから、この棘の道を歩くって決めたんじゃないか!!
才能がないからなんだ。武術の腕がないからなんだ。
「だからこそ、戦うんじゃないか!!」
喚き声にも似たあらん限りの声を張り上げて詠太郎は走り出し、喧嘩なんてしたこともない青く拙い拳を、遠野の顔面めがけて振りかぶった。
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