第9話 反逆の獣
茂乃垣町の倉庫街は、内陸倉庫に分類される。この土地を中心にして四方に大きな道が伸びているため、運送業が盛んとなっている。詠太郎の父親もドライバーとして東奔西走している一人だった。
早朝の出入りが過ぎて人気のなくなった、無骨な建物の立ち並ぶ戦場へ踏み入ると、詠太郎の前髪を風が通り過ぎていった。
既に遠野は到着していた。彼は警察官の制服ではなく、道着姿だった。その隣には黒地に白の刺繍がされた
「本当に、作家だったんですね」
「意外かな? まあ、ライトノベルに挑むには、小生のような年配は些か浮くだろう。無理もない」
「別に年齢はそんなに関係はないと思いますけど……長く活躍している大先生がたもいらっしゃるわけですし」
詠太郎が取り繕った答えに、遠野はくつくつと肩を震わせた。
「構わぬ、実際にそういうきらいはあるだろうさ。若い作家が性欲を書きなぐれば下ネタだが、中年作家が情欲を綴れば落伍者の妄執となる。それは否定せんよ」
思わず想像してしまい、詠太郎は顔を赤らめた。それを遠野は「そういうところだよ」と一笑に付す。
「改めて名乗ろう。遠野
遠野の紹介に、少女は機敏な所作で抱拳礼をした。
「僕は日月詠太郎です」
「リュミエル・エスポワール。正々堂々という気概、好きよ」
詠太郎からエネルギーを借りて
「エイタローは私の後ろに。君は私が守るから――【
剣の柄を握る手にぐっと力を込めたエルに、遠野がほおと目を細める。
「堂々たる善き鎧姿だ。所作は美しく、重心もいい。ヒロインの設定としては王族、あるいはそれに仕える者と見た」
「だったら、何か?」
「気に食わん」
「…………はい?」
唾棄され、エルの頬がひくついた。
「ファンタジー世界で主要人物となる騎士など、二つに一つ。何故か国全体が和気藹々と団結出来ている虚構の産物か、腐った国の中で自分だけが高潔であるかのように気取る偽善者か、だ」
滔々と述べられた中にあった「腐った国」という言葉に、エルの瞳が揺れてしまう。
彼女の故郷プレヌリューヌは正にそうだった。月に秘められた力を手にしたことにより、異能を扱えるようになった人々ははじめこそ月からの試練に積極的に立ち向かっていたが、『国』としてある程度の規模の生活が出来るようになったことをきっかけに分裂した。人の中にも上下を作ってしまったのだ。
エルの揺らぎを、遠野は見逃さなかった。
「そうか。――凛鴉、反逆の時だ」
「御意に」
遠野の呼びかけに、凛鴉は裾の隙間から小ぶりな青龍刀を二振り取り出すと、ゆらゆらと、幽鬼のように構える。
「手前はレジスタンス『
「はいどうぞ、なんて言う訳ないでしょうが」
エルも負けじと、虎のように歯を剥きだしにして拒絶する。
数呼吸分の睨み合いの後、地を蹴ったのはほぼ同時だった。
真っ直ぐ伸びていくエルの剣筋が、美しい弧を描く。一方、それを餓狼が半ばから食いちぎるように、双刀の牙が迎え撃った。鋭い金属音と火花が散る。
凛鴉の攻撃は苛烈なものだった。一太刀目でダメなら、二の太刀でエルの剣を叩き落す。エルの剣が先んじれば、それを防ぐどころか前に出て、喉笛へと迫る。すべてが攻撃。攻撃は最大の防御というものを体現しているようだ。
間近で見る異次元の攻防に、詠太郎は息を呑む。
「(生き延びる術、そのものなんだ……)」
エルはどうしても、仲間たちとともに戦う正統的な戦い方になる。それが姫騎士として在るべきキャラクター像でもあるが、乱暴に言えば『小綺麗』だ。
凛鴉はまったくの逆。たとえ一人になってでも、たとえ差し違えてでも、相手の息の根を止めてみせるという獰猛さがある。
「(反逆、レジスタンス。ワードから察する感じ、ダークヒーローもののシリアスな作品。だからこそ、ああいう戦い方のできるヒロインが成立するのかも)」
加えて、遠野自身の作家性。現役の武術家であるから、アクションの類は洗練されているはず。そこから生み出されたヒロイン・凛鴉の完成度も、正確にして上質。
詠太郎はといえば、格闘映画は好きな部類であるという程度で、作中の戦闘もバトルファンタジー向けの大味な描写になりがちである。派手に描ける分、粗雑ともいえる。
「(このままじゃ、まずい……!)
ヒロイアゲームが作中のヒロインの力に準ずるものであるのなら、その分野の筆力の有無はどの程度なのだろうか。そうでなくてもこの戦い、RPGのようにお膳立てされた低レベルの敵から始まるバトルなんか存在しない。
一戦一戦が、クライマックスのラスボス戦なんだ。
詠太郎は、倉庫の壁を蹴り上がりながら刃を掻い潜るエルに向かって叫んだ。
「エル、一度退がって、月の光主体の戦いに切り替えて!」
彼女は視線で頷き、一度大きく体を低くして足払いを仕掛けると、間合いを切るべく動いた。
「よし、これなら武術の練度のぶつかり合いを避けられる……!」
魔法戦の練度なら、ファンタジー好きのこちらの方に軍配が上がってくれるかもしれない。そう、詠太郎が拳を握りしめた時だった。
「――それはどうかな」
不意に風が巻き起こり、詠太郎の髪を揺らした。それが、遠野が駆けたことで空気が動いたからだと気付いた時には、彼はもうエルに肉薄していた。
「押ォォォォォォ忍!!」
遠野が繰り出した拳が、エルの脇腹へと食い込む。
「ぐぅ……っあはっ――」
バランスを崩して吹き飛んだエルは、コンクリートの上を数回バウンドして止まった。
「エル!」
詠太郎は彼女に駆け寄ろうとしたが、すぐに足がもつれて転んでしまう。
「どうした、少年。足が震えて動かないか」
「くっ……」
じたばたとまな板の上の鯉のように藻掻く。心は今すぐに駆け付けたいのに、本能がそれを止めていた。目の前で行われた激しい剣戟への恐怖。エルを一撃で叩き伏せた遠野への恐怖。
「エイタローは来ちゃダメ!」
怒声のような叫びに、詠太郎は這おうと伸ばした手をびくっと止めた。
エルはぜいぜいと肩で息をしながらも、膝を立て、必死に立ち上がろうとしている。しな垂れた赤い髪の隙間から、吐いた血がぽたぽたと落ちるのが窺えた。
「私なら……大丈夫、だから。このくらい、竜の尾に叩き潰されたのに比べれば、何てこと……」
口の中の血を吐き捨ててから、手の甲で口元を拭って、エルは上体を起こした。
遠野が眉を上げ、お揉むろに手を拍った。
「素晴らしい! 剣を杖にせず立ち上がったことも評価しよう」
「それはそれは恐悦至極。そっちこそ、二体一の卑怯さを褒めてあげるわよ」
「フッ。権柄ずくに私腹を肥やす王族なんぞに、卑怯について説かれたくはないな」
「あーね」
わかるわあ、とおどけたように肩を竦めて、エルは遠野を睨み返した。
「私も、こっちのこと何にもわかってない手合いからとやかく言われるの、嫌いなの」
「奇遇だな。小生もだよ」
剣を構えたエルに、遠野もまた静かに拳を掲げた。
「往くぞ凛鴉。我らが初陣、好敵に恵まれたぞ!」
地から遠野の拳が、空から凛鴉の双刀が、エルに飛びかかった。
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