第8話 看破

 めいっぱい背伸びをして太陽に手のひらを透かしたエルが、くすぐったそうに笑って踵を鳴らした。


「いやあ、替えの制服があって良かったね!」

「そうだね……」


 喜びにスカートを翻している彼女の隣で、詠太郎は肩を落とす。

 切実な問題だった。昨夜ヒプノの攻撃を受けた際に破けた制服は隠しようがなく、家に帰ってから母にしこたま怒られたのだ。ましてエルが「エイタローと……」と言いかけたところで言葉を濁したものだから、それを意味深に受け取った照栖の参戦によって家族会議にまで発展してしまった。……主に詠太郎だけが責められる形で。


「ニホンってすごいね。これだけ肌触りのいい召し物を、寸分違わず作っちゃうなんて」

「そ、そうだね……」


 ぴょこぴょこと跳ねる度に健康的な太ももが揺れるものだから、詠太郎は目を逸らした。


 それにしても、エルの生命力はすさまじいものがある。今見えている太腿だって、昨夜の戦いの中で傷を負っていたはずなのに、今ではよく目を凝らさなければわからないくらいに癒えている。

 それはヒロインだからなのだろうか。あるいは、作中でそうなっているからだろうか。たとえば、致命傷を負った際には数日の時を跨ぐことはあっても、細々した戦いの中で負った傷は、次のシーンに持ち越すことはまずない。いちいち描写しては、テンポを阻害するからだ。


「(仮に後者ならば、大きな傷を負うと、エルの自然治癒能力が追い付かず、数日無防備になるということか……)」


 あるいは、それ程のダメージを受けると敗北扱いになり、昨夜のヒプノのように消滅するのかもしれない。


「(過信はできないな。エルが無事で良かったということにしよう)」


 詠太郎は、自分の手の甲に張っている絆創膏を上から押さえるようにして、気を引き締めた。


「(もちろん僕自身もだ。作家としてエネルギー供給役を担うのは重要だけれど、エルの戦いの足を引っ張ってしまってはいけない)」


 そして、制服代のためにも。


「ねえねえエイタロー、あの赤い光は何? 炎の能力者かな?」


 エルの言葉に、詠太郎はハッと顔を上げて身構えた。

 気が付けば、もう学校の近くまでやってきていた。エルの指さす方を、周辺の生徒たちも首を伸ばして眺めながら歩いていく。

 その方向を見て、詠太郎は頬が引き攣るのを感じた。赤い光の正体は、裏門の方に停めているパトカーのライトだ。複数台のパトカーでやってきた警察官たちが、校舎の向こうへと消えていく。


「あれは警察っていって、この世界の警邏隊だよ。中庭の方だから、昨日の戦いの件かも」

「あー……あはは、ええと。もしかして、私たち捕まっちゃう感じ?」

「どうだろう、この世界に魔法――月の力の能力なんかは存在しないから、追いようがないとは思うけれど」


 それでも当事者として不安と罪悪感のあった詠太郎たちは、生徒たちの波に身を任せるようにして中庭へと足を運んだ。


 一夜明けて日の光の下に見る現場は、思っていたよりも凄惨だった。

 ヒプノの鎌で刈り取られた花壇の花たち。エルの光の剣で一条の筋が刻まれた地面。他にもところどころ、クレーターのように凹んでいる箇所がある。


 警察に追い返されて徐々に散りながら、生徒たちが興奮気味に話している。


「校庭の方で部活やってた連中が、すげえ光を見たらしいぜ」

「すげえ光って何だよ。何が光ったらあんな風になるんだ?」

「そりゃあUFOだろ、UFO! とうとう地球外生命体が地球人に牙を剥いたんだ!」


「(し、心臓に悪い……!)」


 近からずも遠からずといった憶測たちを、詠太郎はドギマギしながらやり過ごす。

 ひとまず、校舎に損壊がないのは幸いだった。目撃されることも問題ではあるが、戦いによって周囲に被害が及んでしまうのも大変なことだ。そうした意味では、詠太郎も黒崎も、互いにこの学校の生徒だという無意識下の配慮が働いてくれたのかもしれない。


「これから先、戦う場所にも気をつけなきゃだね」

「うん。私が向こうで戦っていた時は、たいてい月の荒野のどこかで、周囲なんて気にしなくても良かったから……意識しなきゃだ」


 小声でやり取りをしていると、生徒に話を聞いて回っていた警察官の一人が、こちらに向かって歩いてきた。


「おはようございます。茂乃垣ものかき署の遠野とおのです」

「は、はいっ! ななな何でしょう!?」


 詠太郎の声が上擦った。こちらが隠し事をしているというのもあるが、遠野と名乗った壮年の警察官は制服の上からでもガタイがいいことが判るほどで、落ち着いた低い声も威圧感があったからだ。


「ああ、落ち着いてくださって構いませんよ。少し話を聞きたいだけですから。君は、昨日の放課後に何をしていましたか?」

「ええと……僕は帰宅部なので、すぐに帰りました」

「そちらの彼女も?」

「はい、私はホームステイで彼の家に住まわせていただいておりますから、行動は共にしています」


 すっと切り替えた丁寧な物腰で、エルは答えた。さすがは王女だ。


「ね、ね、エイタロー、彼女だって! きゃー!」

「(そっちの世界にもあるでしょ、人称代名詞……)」


 前言撤回。小声ではしゃぐ様子に、詠太郎は眉間を押さえる。


「ところで、何があったんですか?」


 気を取り直して詠太郎が訊ねると、遠野は困ったような表情で、現場を手のひらで示す。


「見ての通りです。今のところは、人には不可能な謎の現象、といったところですね。――ともかく、な」

「――っ!?」


 細めた双眸に射抜かれ、詠太郎は息を呑んだ。


「嘘を隠すのが下手だな、少年。もっとも、日本人離れしたなりのヒロインを侍らせていては、隠しようもないが」


 口調を変えた遠野が、周囲に聞こえないように体の向きを変えながら続ける。


「何、今すぐどうこうしようというわけじゃない。貴様らも、昨日の今日で連戦をするのは酷であろう?」

「……ど、どうするつもりなんですか」

「明日の土曜、町の外れにある倉庫街で待つ。そこで仕合おう。勿論、断るのならば警察の力を持って貴様の身元を割り、家族を追い詰めるつもりだ」

「警察が……脅すんですか?」


 意を決しての反論は、遠野に一蹴された。


「『殴ったら警察を呼ぶ』というのは脅迫かね? よもや、貴様らは校内を荒らした容疑者だということを忘れてはおるまいな」


 ぐうの音も出なかった。

 それだけ告げて職務に戻っていく遠野の背中を、詠太郎は固唾を飲んで見つめる。


「あいつ、強そうだな」

「く、黒崎くんっ!?」


 ぬっと現れた昨日ぶりの顔に、詠太郎は飛び退いた。


「馬鹿野郎、声がデケんだえよクソ陰キャ。マッポに聞こえたらどうすんだボケ」

「ご、ごめん。でも、強そうって?」

「オレはガキの頃から中学まで空手やってたからな。立ち姿、歩き方を見りゃ少しはわかる。あの重心移動ができるのは、相当レベル高えぞ」

「そういえば、警察はそういう稽古をするっていうもんね」

「だからそのレベルじゃ――ああいい、面倒くせえ。素人に理解できるはずがねえんだ、こういうのは。理解できたからって何が出来るってワケでもねえし。勝手にボコられてろ」


 振り返りざまに肩にパンチを残して、黒崎は校舎の中へと入っていった。


「……助言してくれたのかな?」

「ふふっ、かもね。ただ、私も彼と同じ見立てだよ。あのトオノって人は強い」

「君まで、そう感じるくらいなんだ……」

「けれど、作家がどういう人かというのと、ヒロインがどういう能力を持つかは関係ないんでしょ? エイタローは私の後ろで、トオノさんに近づかないようにしていてね」

「う、うん」


 逃げ隠れるように校舎へ入る手前で、一度、詠太郎は振り返った。

 遠野はこちらを一瞥もせず、他の生徒たちに話を聞いている。それはヒロイアゲームの当事者として、職務を全うしているフリに努めているのか、あるいは目撃情報の中からエルの力を探ろうとしているのか。


 明日の戦いの行く末に、詠太郎は胸に立ち込める不穏な雲を感じていた。

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