第6話 天衣夢縫

 纏おうとした『天衣』が形成されることはなかった。

 作中にもなかった失敗演出に、エルは自分の手のひらを不思議そうに見ている。


「……変だよエイタロー。みんなと戦った記憶はあるのに、引き寄せようとしても、モヤがかかったみたいにブレてる」

「えっ……?」


 詠太郎は耳を疑った。つまりそれは、『天衣』は使用不可能だということ。

 それはおかしい。『天衣夢縫』はむしろ、エル発動できる力であるはずだ。実際に作中では、エルだけが閉じ込められた次元の狭間から、仲間たちの力を駆使して脱出するシーンがある。一度繋いだ手と手は、どこにいても繋がっているという象徴のシーンだ。

 なのにどうして。なんで。まるで家の隙間から害虫が侵入してくるように、ざわざわと絶望が心の底を這い、埋め尽くしていく。


 黒崎が目を覆って、勝ち誇ったように笑い出した。


「ギャハハハハ! 残念だったなあクソ陰キャ。向こうの世界のことは、現実こっちに持ち込まれないんだよ。現実になったのはヒロインだけで、その他はテメエのからだ!」

「――っ!」

「そんな能力を設定しちまったのが運の尽きだな。ヒャーハハハハ!!」

「そんな。じゃあ、もう、勝てない……?」


 詠太郎は膝を突いた。催眠でもなんでもなく、自発的なものだった。

 それを合図にしたかのように、エルが纏っていたベースの鎧さえもが霧散し、ブレザー姿へと戻ってしまう。


「な、鎧が? どうして……」

「エネルギーの供給が切れたからだよ」


 本当に何も知らねえんだなテメエらと、黒崎が肩を竦める。


「戦うだけならヒロインに任せておけばいいのに、どうして作家がセットになる必要があるのか。どうしてオレらが作家を先にボコろうとしたのか。ちっと考えりゃ解んだろ? オレたち作家はエネルギーの供給源なんだよ。こんな風になァ!!」


 黒崎が拳を握りしめると、その体にオーラが纏われたかのようになった。

 それはヒプノへと伸び、吸い込まれていく。流れていった力は鎌へと集約され、夕闇を漆黒に上書きしてしまうほどの光を煌々と放ち始めた。


「そこのチー牛クソ陰キャはビビって諦めた。それはすなわち、ヒロインのテメエも戦闘続行不能ってことなんだよ」

「くっ……エイタロー!」

「”動いちゃダ~メ☆”」


 駆け付けてくれようとしたエルだったが、ヒプノの言霊によって足止めをされてしまった。

 膨れ上がっていく闇の力に、詠太郎はがたがたと肩を震わせていた。

 とてつもなく大きな力だった。黒崎は勝負を捨てて欲望に走ると言っていた。そんな彼でも、こうして相対すれば、迷いなく戦うことを選んでいる。これほどまでに大きな力を注ぐことができている。


「どうして……どうして君は、作家になろうと思った?」

「あン? 聞くまでもねェだろうが、ンなもん。見返すためだ。オレを中二病とバカにしてきた奴らより稼いで、思い知らせてやるためだろうが!」


 眉間に皺を寄せて、黒崎は呪詛を吐き捨てる。


「テメエだってそうだろ。だからこそそいつに『王の剣』なんてものを持たせた。見たところ、王女――姫騎士といったところか? そんな高貴な身分のヒロインと結ばれたいってのは、チー牛陰キャの願望だよな!」

「ち、違う!」

「違わねえよ。認めろクソ陰キャ。これだけ世の中に良作名作が溢れた世の中で、自分の作品を世に出そうなんて奴、エゴイストとナルシスト以外に誰がいるんだよ!」

「ちが……そんなつもりじゃ!」

「だから、なあ。オレと組もうぜ? リュミエルちゃんもどうよ。君好みのイケメンがいたら教えてくれよ。ヒプノの力で催眠かけて、好きなようににさせてやるからよ!」


 矛先を変えた悪魔の囁きに、力を込めて藻掻いていたエルの腕がだらりと降りた。

 その姿に、詠太郎もまたへたりこんだ。迷っているのだろうか、揺れているのだろうか。嫌だ。……けれど、自分なんかと一緒にいるよりも、その方が彼女にとって幸せなのだろうか。


 ――いいや、彼女はそんな道を択ぶような人じゃない。


「「ふざけるな!!」」


 詠太郎とエルの声が、重なった。


「チッ、じゃあ死ねよ。やっぱテメエをボコって、そのヒロインをいただく。やれ、ヒプノ」

「待ってました☆ すぐ終わるからねぇ、”動いちゃダメだよぉ”、【ヒプノシス・デスサイズ】!!」


 ヒプノは振り上げた鎌を、横薙ぎに振り払った。中庭で育てられていた花たちの首をごっそりと刈り取りながら加速し、迫って来る。

 立ち位置的に、先に当たるのは詠太郎の方。


「(もう、駄目なのかな……)」


 何もできなかった。無力だった。戦いにおいては役立たずで、書いた小説もあっさり一次落ちして。冴えないオタクでしかない僕に、一体何の価値があるっていうんだろう。

 静かに閉じた瞼の隙間は、既に闇の光で覆われてしまっていた。


 何かが爆発したような音がして、風が巻き起こる。けれど、想像していたような未来いたみはやってこなかった。

 辺り一帯の砂が、詠太郎の顔にぶち当たる。それはまるで、目を開けろと叱っているかのように。


「……エル?」


 光があった。

 土煙の中で前を向く、背中という光が。鎌のエネルギーを受けた腕から血を流し、左半身分が千切れたブレザーをたなびかせて立ちはだかっている。


 光は、前を向いたままで詠太郎に問いかけた。


「エイタロー。君はどうして、小説を書こうと思ったの?」

「僕は……」


 熱い光のひとかけらを集めるように、詠太郎は拳を握りしめた。


「僕は、誰かの背中を押したかった。僕がそうしてもらったから!」


 物心がついて、ある程度の理解が追い付くようになった頃に見たアニメ。そこでは、本来一線で戦うには力が足りない主人公が、強大な敵に立ち向かっていた。ボロボロになって、他の誰もが諦めている状況でも、彼だけは前を向いて立っていた。

 その背中を、僕は夢中で見つめていた。

 こんな自分でも、彼らのようになれたらって。


「ヒーローのように多くを救うことは出来ないかもしれないけれど、僕の小説を読んでくれた人に、頑張ろうって思ってもらえたらって! 今はどうしようもなく悩んでいて、逃げ込んで、本に落としていた視線でも、明日には前を向くための勇気を持ってもらえたらって、そう思ったから、僕は小説を書いたんだ!」


 握った拳を地面に押し付け、踏ん張る。足の筋肉は以前弱音を吐いていて、今にも突っ張ってしまいそうだったけれど、詠太郎は歯を食いしばって立ち上がった。


「ごめん、エル」

「そういう時は、『ありがとう』でしょ?」


 首だけ振り返った微笑みに、詠太郎はハッとした。確かに、そういうセリフを書いたことはあった。けれど、シチュエーションも違えば、そのセリフは元々、別のキャラクターがエルに向けて発したものだ。

 その軌跡は間違いなく続いている。彼女は確かに、ここに生きている。


「そうだね、ありがとう」


 まさか、自分の書いたもので、自分自身の勇気になるとは思わなかった。

 僕は、それに応えたい。


「僕がエネルギーの源なら、全部持ってって。絆を結ぶ必要があるなら、僕と繋いで! ――僕も、戦う!」

「うん、行こう!」


 エルは宙に翳した手で光の粒子を掴み、剣を抜いた。半面に彼女自身を、もう半面に詠太郎を映して、それらを混ぜ合わせるように月の光に溶かす。


「「【天衣夢縫シエル・アルミュール】!!」」


 変化は、たった一つだった。エルの基本装備である月白色の鎧に、首から右半身にかけて、マントのような大きなスカーフがたなびくシルエット。

 微々たるものかもしれない。作中に登場した他の力からすれば、弱いものかもしれない。けれど、それは確実に踏み出した、大きなはじめの一歩Le premier pas


 天衣夢縫:ラ・プロミエール。


 月を駆ける騎士の、この現実せかいオリジナルの姿が、今ここに降臨した。

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