第5話 ナマクラの剣

「怖がらなくていいよぉ。気持ちイイことしか考えられないようになるからねぇ」


 夕闇の光をぬらりと反射させた鎌首が、その先端をこちらに向ける。その狙いは手か、足か、それとも胴体か。武術的にはズブの素人である詠太郎には、これがどの間合いなのかは予想もつかない。

 先のヒプノの口ぶりからすればすぐに命を奪うつもりはないらしいが、それでも、現代社会における人間の体に刃が突き立てられるということは、想像を絶する痛みであることに変わりはない。


「くすくす……イッちゃえ☆」


 ヒプノの背中が一度大きく伸びた。

 今に鎌が振り下ろされようとする『最期』が、コマ送りのように見える。


「(ごめんエル。せっかく会えたのに!)」


 詠太郎はぎゅっと目を瞑った。

 ヒロイアゲーム。創作の神が仕掛けたというバトルロイヤル。一体どんな目論見があってのことかは解らないけれど、現実に戦い合わせるなんて、恐ろしすぎる。

 それにおそらく、ヒプノのような力は序の口。終盤になればなるほど篩にかけられ、物語の主人公ばりの強力なスキルを持ったヒロインたちによって、戦いは激化する。


 だけど仕方がないよ。だって僕は、一般人なんだから。取り立てて優れたところがあるわけでもない地味な陰キャで、部屋に籠って妄想をパソコンに打ち込むことしかできない弱い人間なんだから。

 吹けば飛ぶようなものを夢と信じて縋らなければ、日々に押し潰されそうなくらいに。

 だからごめん、エル。僕は、このヒロイアゲームで勝ち残れる気がしないよ。


 ――本当に、僕はそれでいいの?

「(……嫌だ)」

 ――いいんだよ。だって、訳も分からず戦えなんて言われたって、出来っこないでしょ。

「(……違うだろ)」

――じゃあ先ずはテメエをボコって、あのヒロイン――リュミエルだっけ? あいつを喰わせてもらうわ。

「(……戦う理由ワケなら、今作れよ!)」


 詠太郎は目を見開き、視界の端に映るヒプノの腰元へとガムシャラに突っ込んだ。


「うおおおお!!」


 自分がひ弱だからか、はたまたヒロインの膂力が常人離れしているからか、ヒプノの体はびくともしない。

 鎌の根元が肩に掠っただけで、泣き喚きたくなるような痛みが走る。


「ちょっ、えっ、マジぃ!? こんの、”抵抗すんな”!」

「止まらない、止まれないっ! エルに手を出させてなんかやるもんか!」


 両手をがっしり繋ぎ合わせ、無我夢中で食い下がる。横から黒崎に蹴りつけられたが、ヒプノの体が逆に支えとなってくれて、ぐらつかずにいられる。


「こら、”抵抗するな”、”暴れるな”! ああもう、何であたしの囁きが効かないのよ!」

「が、ぐぅ……き、効かないのはね。僕は抵抗してもいないし、暴れてもいないからだよ」

「はあ!?」

「僕は抵抗しているんじゃなくて、『君にしがみついているだけ』だ。暴れるどころか、振り払われたり、蹴られたりするのから『じっと耐えているだけ』なんだよ」


 嘘だった。体と脳は、ヒプノの囁きに従えと訴えてくる。わずかでも気を緩めれば、跪いて頭を垂れてしまいそうなのだ。何か悪い病に罹ってしまったかのように、体の芯から震えてしまって、地に足を付けていられているのも不思議なくらいだった。

 けれど、心だけは。屈しちゃいけないと叫んでいる!


「屁理屈こねてんじゃねえよクソ陰キャ!」

「こねるさ! 僕は作家だ。なんべんだって紡いで見せる!」


 決して無策でやっているわけではなかった。注意深く聴けば、ヒプノの通常の発言と力を乗せた言霊とではが違う。それを踏まえれば『”命が惜しかったら、あたしの言う通りにしなさい”』という言葉も、命が惜しくなければ意に背けるということ。


「君の言霊は、あくまで『催眠』であって『洗脳』ではないよね? 『跪け』とか『逃げるな』とか、短い間だけ動きを止めるならまだしも、完全に意のままに操るのは難しいはずだ。だから僕の手足の自由を奪おうとしてる」

「は、だから何? 解ったところでわからせられるのがあたしの能力。あんたが屁理屈をこねるなら、こねられないようにシンプルな言い方をしてあげる。”手を放せ”、”両手を挙げて膝を突け”、そのまま”動くな”。これでどーお?☆」

「ぐっ……」


 圧し掛かる力に跪かされた態勢から、詠太郎はヒプノの目を睨み返した。


「ちょー腹立つんですけど。どうして笑ってられるわけ?」

「どうにか、成功したみたいだからね……時間稼ぎが!」


 詠太郎は快哉を叫んだ。耳の中を反響する誘惑の中に紛れて、近づいてくる足音。

 それは断頭台へのカウントダウンではなく――騎士の帰還を伝える先触れ!


「エイタロー!!」


 教室の入り口から飛び込んできたエルは、重心を低くして戦闘態勢を取った。ブレザーの襟元から、袖口から、翻ったスカートの裾から、ほつれるように光の粒へと変わっていき、月白色の鎧となって再吸着する。


 赤い髪をたなびかせた流星の、後ろ手に構えた手に一振りの剣が握られた。


「――閃ッ!!」


 気迫とともにエルが薙いだ剣をもろに受け、ヒプノは窓際の壁まで吹き飛んだ。


「ちィ、ヒロインが戻って来やがったか。狭いところで鎌は分が悪い、一旦外に出るぞ!」


 黒崎が窓の鍵を開け、ヒプノが彼ごと抱えて外に飛び出す。ここは三階であるというのに、ヒプノはともかく、黒崎さえもが迷いなく行動したことに、詠太郎は驚いた。

 ライトノベルの戦いでは、この程度の高さを行き来するのは日常茶飯。改めて、この戦いが超常的であることを思い知らされる。


「エイタロー、無事?」

「うん、エルのおかげで助かったよ。ありがとう」

「何がどうなってるの。ニホンって国は、平和だって聞いたのだけれど」

「君以外にもヒロインが現れてるみたいだ。作家とヒロインの組で戦い合うんだって」

「すぐには呑み込めないけれど、どうして私がエイタローと逢えたのかは解かった。そして、今やらなくちゃならないこともね。――歯を食いしばって!」


 エルは凛々しい声で指示を出すと、左腕で詠太郎の腰元を掬い上げるようにして抱え、窓から飛んだ。幸い詠太郎は遠ざかる窓を見る位置であったため、視界的な恐怖こそ薄れたが、それでも背中にかかる重力に声を上げそうになる。

 着地は、柔らかかった。滑るように勢いを殺したところで、エルに下ろされる。


「ふふ、うふふふふ……不意のことでびっくりしたけれど、大したことないのね、あんたのヒロイン」


 嘲るような声に振り向くと、中庭の中央で黒崎とヒプノが平然と立っていた。

 エルの一閃がクリーンヒットしても、ヒプノはほぼ無傷。余裕の牙を剥くヒプノに、詠太郎は目を伏せた。


「その剣、見てくれはカッコいいけれど、ナマクラなんでしょ?」

「くっ……」


 そう、心当たりはあった。自分がそう書いたからだ。

 沈黙は肯定。詠太郎の表情に、黒崎が鼻を鳴らした。


「ハッ、成程な。アレか、テメエ、ご丁寧に成長譚とか書いちゃってるクチだ? 最初はナマクラの剣から始まるってやつな。はは、ダッセぇ。時代はチートだよ。最初から強くなけりゃ気持ち良くねえの。おわかり?」

「――何が悪いのかしら?」


 歯噛みをする詠太郎の代わりに食って掛かったのは、エルだった。


「王の剣は悪を断つためにのみ振るうべきもの。常日頃から暴力やいばを振りかざす者に、未来なんてない。私は、この剣に誇りを持ってるわ」

「結局ヒプノはピンピンしてるぜ? その『悪を断つ』ことすら出来ねえんじゃ、ただの御託だろうがよ!」

「『王は、独りでは成れず』」

「あン?」

「見せてあげる。これが私の剣の真の力――」


 エルが剣を縦に構え、顔の前に翳した。刀身のフラーを境に、半分にエル自身を、もう半分に絆を映す。

 共に戦い、あるいは剣を交わすことで認め合った仲間との力を結び、織り上げる力だ。


「――【天衣夢縫シエル・アルミュール】!」


 剣が輝き、形を変化させようと光に包まれた鎧が再構成を始める。


 しかし。


 光はすぐにぐにゃりと歪んで解け、元の鎧へと戻ってしまった。

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