第7話 明日を結びし光の剣
詠太郎が見た
わずかな間目を瞑り、風にそよぐ重みを感じていたエルは、微笑みを湛えて刮目した。
「プレヌリューヌ第一王女にして『
彼女が重心を落とした刹那、その姿は掻き消え、瞬きの後にはヒプノに肉薄していた。
目にもとまらぬ踏み込みからの斬撃に、ヒプノはたたらを踏みながら鎌で受け止める。
「ちょ、速っ……けれど、あたしのチカラを忘れたわけじゃないよね?」
ほくそ笑んだ口元が艶めかしく動き、言葉を紡ぐ。
「”剣なんて振るっちゃダーメ☆”。危ないでしょう?」
「ぐっ……」
エルの体が止まった。振り下ろした剣がそのまま枷となってしまったかのように、二の太刀の振り上げが出来ないでいる。
「仕方ないわね。なら、拳でかかるまでよ!」
「当然、”剣を手離してもダメだよ”? 囁き音声を聴く時はぁ、じっとしてないと☆」
対策しないわけないでしょう、とけらけら喉を鳴らして、ヒプノは鎌を振り上げた。
「ざぁこ、ざぁこ。自分の行動を教えちゃうなんて、憐れぇ!」
無防備に晒された首元目がけて鎌が振り下ろされる。
しかし、そのぎらつく刃を睨みながら、エルは歯を剥いた。
「――【
眩い光が剣を青白く染め、その力が切っ先から放出された。迫りくる漆黒の力を白に帰し、辺り一帯を温かく照らし上げる。
ヒプノは左肩を熱に焼かれながらも辛うじて避け、間合いを取った。
「……ちっ、拳でってのはブラフだったワケ?」
「そういうこと。剣を振るうなと言われたから、そうしただけよ」
「うっざ。マスターもマスターなら、ヒロインもヒロインね。屁理屈ばっかりなんて、性格悪いんじゃないの?」
苛立出しげに吐き捨てたヒプノだったが、それでもすぐにポーカーフェイスを取り戻すと、にたりと舌を出した。
「まあいいわ。なら、その減らず口も封じてあげる。”マスターを殺されたくなかったら、動くな。攻撃の一切をするな。”これでどーお?」
「ちぃ……!」
「あははははっ! これはどう言いつくろっても無駄よねぇ? だって、マスターが死んでしまえばいいなんて、考えられないものねえ!?」
鎌の柄をくるくると回して手遊びをしながら、ヒプノは軽快な足取りで詠太郎へと迫る。
「……エイ、タロー。今……行く、から……」
エルが絞り出したような声で言った。強力な言霊によって、荒い呼吸に肩を動かすことさえ許されない状態だというのに、必死に抗おうとしている。
しかし、ヒプノの鎌が詠太郎の首にかけられるのには、到底間に合わなかった。
「『今……行く、から……』だってぇ! くすくす、いいわぁ、その顔が見たかったの! ね、ね。エイタローくんだっけ。今どんな気持ち? 成す術なくいたぶられちゃうんだよ。どんな気持ちぃ?」
「僕は……」
「うんうん☆ 僕はぁ?」
「――成す術がないとは、思ってないよ」
「……は?」
きょとんとした顔で首を傾げたヒプノは、次の瞬間、横っ飛びに吹き飛ばされていた。彼女は自分が脇腹を蹴り飛ばされたのだと認識すると、自分が立っていた場所で剣に光を集め始めているエルを睨みつける。
「ちょっ、はあっ!? なんで、なんでなんで! マスターが死んでもいいってワケ!?」
「ええ、そうね。言葉にすれば、そういうことになるんじゃないかしら」
「……正気? あんた王女なんでしょ。どういう価値観よ」
「王女だからだよ」
詠太郎は死の淵に立つ恐怖の中、震える声で言った。
「王女という立場にあるエルこそ、一番死んじゃいけない存在。それでも彼女は死を厭わず前線に立つんだ。やるべきことがあるから」
「死ねばそれまでの存在だったってこと。けれど、別に見捨てるわけじゃないわ。仲間のことは――エイタローのことは、私が殺させない」
「また、屁理屈を……!」
「いいえ、これは覚悟よ!」
充分に月光のチャージをした剣を強く握りしめ、エルは飛び込んだ。
「ナマクラの剣に、刃を与えて振るうことの意味。独りでは戦えないということの意味。月は太陽がなければ輝けない――それが、『天衣夢縫』の存在理由!」
月の満ち欠けは、太陽の光の当たり方によるもの。しかしその美しさは、光によるものではない。
その姿が照らし出された時に、どう映るか。どう在るか。月自身が己を磨いてきたからこそ、満月から三日月まで、彼女のあらゆる姿に人々は魅了される。
詠太郎は拳を握りしめた。ならば自分は
更に輝きを強くした剣を、エルが突き上げる。
「【
「きゃああああああ――――――っ!?」
巨大な光の剣が、ヒプノの体を貫いた。
光が収束し、周囲に静寂が戻った。月が人々の前から姿を消す時――それはすなわち、明日が訪れる時。
静かに吹き抜けていった風が、勝利を告げる福音だった。
「ヒプノ!」
黒崎がハッと我に返って叫ぶと、倒れ伏したヒプノに駆け寄り、その小さな肩を抱き上げた。
ヒプノの体は仄かな光を放ち、徐々に薄れていく。
「……ごめんマスター。負けちゃった」
「ンなことどうでもいい! こんなに早く別れることになるなんて……くそっ、もっとお前と話したいことだって、沢山あったのに! オレのせいで……ごめん、ごめん!」
「あは……やっと、見てくれた」
弱々しい指先が、黒崎の頬に触れた。
「マスター、あたしの力を使えることを知った途端、他の女のことばかり考えるから。あたしに魅力がないんじゃないかって、ちょっとジェラってたんだぁ……」
「お前……ああクソ、本当にオレは! そんなわけねえよ。お前のことが好きじゃなきゃ、メインヒロインとして書いたりしねえよ! お前のことが、好きだから!」
「ほんとう? うれし……」
ヒプノは頬を緩めて、体の力を抜いた。その笑顔は、邪気の一つも介在しない純真な女の子のものだった。
「頑張ってね、マスター。いつか、すごい作家に――」
黒崎の腕ががくんと締まった。言葉とともに消えた光は、彼の腕に留まることなく空に還っていく。
言霊に力は籠められていなかった。もう発動する力がなかったのか、決着がついたことで黒崎からのエネルギー供給がなかったからか、あるいは。
「黒崎くん……」
身を屈めたまま動かない背中に、詠太郎はどう声をかけていいものかわからなかった。
彼は袖口で目元を拭うと、覚束ない足取りで立ち上がる。
「おいチー牛クソ陰……いや、日月。オレは絶対に諦めねえからな」
「えっ……?」
「これからもオレは書き続ける。ネットの小説投稿サイトをどっかんどっかん沸かせるような作品を書いてやる! なんなら、テメエがもたもた戦ってる間に、オレが先にデビューしてやる! だから、だからよ」
黒崎は俯き加減でわなわなと肩を震わせて、込み上げるものを堪えるように叫んだ。
「オレのヒプノを倒したんだ、勝ち残らねえとボコるからな!」
歯を食いしばり、次の涙を落とさないようにして走り去る。
その背中が校舎の角に消えるのを、詠太郎は頷き、胸元を握りしめて見送った。
「この戦い、想像していた以上にしんどいな……」
作家を目指す者同士の意地がぶつかり合って、片方が散る。勧善懲悪の構図なら、どれだけ楽だったろうか。創作の神が仕掛けたというヒロイアゲーム。非情すぎる神の悪戯だ。
けれど負けるわけにはいかない。負けたくない。
「えいっ!」
「わっ!?」
不意に視界の端からするりと伸びて来た腕に、背中から抱き締められた。
「勝ったんだから、顔を上げて。そりゃあ、相手の信念を折ることは重いよ。けれど、その
「エル……」
「私もついてる。一緒にがんばろ、エイタロー」
頷こうとして、詠太郎はエルの瞳がすぐ近くにあることに気が付いた。
制服姿に戻っているために、背中に伝わる彼女の温度はひどく柔らかいもので。ヒプノの催眠音声よりもずっと濃い色香に、詠太郎の体は硬直してしまう。
「は、はははは、はいっ!」
「……そんな変な声出してどうしたの?」
「ななな、何でもないです!」
「えー、教えてよ! 詠太郎の考えていること、もっと知りたいな」
「無理ですっ!」
こうして、初めての勝利を収めた詠太郎とエル。
しかし、彼らはまだ想像だにしていなかった。
このヒロイアゲームの、本当の意味を――。
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