耐えがたい真実





 エステルはこんこんと眠り続ける。


 この場へ運び込んだ折に清拭と着替えを行ったソルタンの部下である修道女二人に彼女を預け、隣室で四人は話し合うことにした。


「ウーゴ、クライヴ、そしてソルタン殿。改めてこの度の事、深く感謝する。娘の窮地を救い、保護してくれたことをこのエイドリアン・ヘイヴァース、一生忘れず恩に報いたい」


 エイドリアンは右手を胸に当て、三人に向かって深く頭を下げた。


「エイドリアン。俺たちはただ、領内に現れた不審者を追跡しているうちにたまたまエステル嬢を発見しただけのことだ。生まれてすぐから知っているあの子を我々が見殺しに出来るわけはないのだから」


 クライヴはエイドリアンの肩を軽く叩いてソファに座ることを促す。


「ところで、俺が連絡するより前にこうなることをある程度把握していたようだったが、何があった」


 向かいに腰を下ろした長年の友人の目をしっかりと見つめてエイドリアンは答えた。


「まず、今夜はエステルの誕生と成人の祝い、そして半年後に控えた結婚式に対するお披露目の宴が王都で開催されていたはずなのは、知っているな」


「ああ。申し訳ないが俺は冬を前に魔獣狩りを徹底せねばならないから欠席した。エステル嬢には申し訳なかったが、うちへ宴の開催の正式な招待状が来たのがなぜか数日前で、息子も出られないから王都にいる者を代理で出席させたが、それが?」


 第三王子とはいえ、その妃になる女性のための宴が開催されるかどうかなかなか明確にされなかった上に、国王夫妻と王太子は国を空けており、第二王子も宿下がりしている妃が流産しかけて見舞いのために領地へ詰めているため、奇妙な催事だという印象はあった。


「お前の元へ全く知らせが行っていないのなら、情報が錯綜しているのか、それとも王宮にその者も留め置かれているのかどちらかだろうな……。王宮でエステルはジュリアン殿下とその取り巻きたちによって嵌められ、断罪されたのだと思う」


「思う?」


「ああ。ここへ跳ぶ直前にヘイヴァースの王都邸が完全崩壊した」


「は?」


 クライヴだけでなく、ウーゴとソルタンも驚愕に目を見開く。


「何者かが屋敷の正面玄関に掲げている紋章に刃を打ち付けたらしい」


 その一言で、三人は全てを悟った。


「ああ……。馬鹿だな。そんな馬鹿をやるのはネルソンしかいないか」


「ネルソン侯爵は……。まさか……」


「おそらく、エステルの罪を口実にヘイヴァースの制圧に乗り込んだのだろう。あれのやりそうなことだ」


 ネルソン侯爵が一方的にエイドリアンとヘイヴァース公爵家を敵視していることは周知の事実だ。


「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、本当に馬鹿なんだな、あいつは……」


 私兵を率いて襲撃したか。

 いや、ジュリアンを焚きつけて王命で国の兵を出動させたに違いない。

 国王が戻る前にエステルを亡き者にし、ヘイヴァースの資産と爵位を取り上げる心づもりだったのだろうが、好き放題にもほどがあるだろう。


「しかし、その馬鹿が糸を引いている茶番劇にエステルが出向くのを阻止できなかった俺こそ能無しだ」


 エイドリアンの瞳の碧がいっそう暗く落ちていく。


「……エステル嬢は宴で何が起きるか解っていながら王宮へ向かったのか。それはなぜ」


 ウーゴが静かに尋ねると、エイドリアンは両手を額に当てた。


「あの子には王家の影が一人付けてあった。婚約指輪に紐づけされた『セオ』という男で、空間移動に長けていた。彼が突然俺の前に現れて言うには、今夜のために王家より贈られたドレスと宝飾と化粧品など身に着けるものすべてに細工が為されていたと」


 ドレスは素材の等級を変え、一部縫い目をしつけ糸のままに。

 真珠のチョーカーはまがい物を用い、つなぐのは同じく木綿の千切れ易い糸で。

 化粧品と香水は肌に異常が起きる物質を混入させ、数時間後の、程よい時間に醜い姿へ変わるよう念入りに作られた。


「おそらくとある演出の為に違いないが、それが何なのかなど今更考えるまでもなく……」


「婚約破棄、そしてネルソン侯爵令嬢への乗り換え宣言か」


「ばかばかしいが、それしかないだろう。どんな罪を作り上げたかは不明だが、余興としては大いに盛り上がると彼らは本気で信じていた」


 ネルソン侯爵令嬢への過度の寵愛は隣国にも聞こえている。

 彼女を側妃にするのか、それとも……と、賭場で話題になるほどに。


「そして、セオが会話の途中で消えた。まるで別次元へ吸い込まれてしまったように。そこで考えられるのは、正式な手順を踏んで婚約破棄が為された……。指輪が消滅したということだ」


「なるほど。ではその婚約破棄の立会を務めた聖職者が密かに強靭な『祝福』』を施したのだな」


 王家の婚約には聖魔法がなければ成立しない。


「そうですな。神はエステル様を惜しまれたのでしょう」


 ウーゴの言葉にソルタンが深くうなずく。

「私の見立てではあの軌跡は大司教たちのものではなく……」


 そもそも、あの茶番に関わりたがる者はいない。

 上層部は全員なんらかの口実を設けて逃げ出し、失っても惜しくない者に押し付けただろう。


「ナサニエル司教で間違いないかと。後ろ盾のない末席を生贄に出したつもりでしょうが、彼の慈悲の力は強大ですからな。エステル様を無理やりこの世にとどめることも可能でしょう」


「この世に無理やりとどめる……とは、いったいどういう……」


 うつろな声が三人へ問いかける。


「エイドリアン。俺がエステル嬢を発見した時、首に深い傷があり、確実に命が尽きるよう刃を当ててあった。それはもう、思い切りよく」


 自害だと、あの時ウーゴは一目で理解した。

 あの少女らしい刀瑕だった。


「この腕に抱いて確認した時。全身血まみれだったが、傷口を神聖魔法がしっかりと塞ぎ、治癒魔法のようなものが見たことのない速さで施され始めていた。そして、驚くことに呼吸は正常と変わらなかったんだ」


 実際、首の傷跡はもうほとんど残っていない。

 まるで何事もなかったかのように。


「つまりは……」


「俺は思うに、あの子は一度……。いや、一瞬……。死んで、戻ってきたのではないかと思う」


「…………!」


 エイドリアンは拳を強く握りしめた。


「死んだ、だと……」


 彼は胸を掻きむしり、熱い吐息を吐く。


「許しがたい……。許してなるものか」


 耐えがたい真実だった。




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