怪鳥
唐突に森が途切れた。
木々から抜け出すと、視界が一気に開ける。
大きな岩が重なり合うだけの荒涼とした世界。
星と細い残月の光の下では、周囲の山々は黒く隆起した何かにしか見えない。
光のかけらが零れ落ちて来そうな満天の星を背に、ぽつんと細い体躯が巨岩の上に佇んでいた。
エステル・ヘイヴァース。
長い濃紺の髪を無造作に束ねていたが、風にあおられ流される。
足首まで覆っていたはずのマントは裾がずたずたにやぶれ、膝ほどの長さになり、その下に着ている紺色の服らしきものも同様で、すらりと形の良い足がむき出しになっていた。
完璧な装いをしていた公爵令嬢から程遠い、野性的な姿に男たちは魅了され、言葉を失う。
美しい。
血濡れた剣を持つその姿は戦の女神のようだ。
「……エステル様」
デイヴが声を絞り出したその時、上の方から凄まじい風圧と異臭がした。
『キエエエ――――!』
耳をつんざくような声。
見上げると頭部だけ女の怪鳥が大きな翼を広げ、鋭い爪を突き出しダニエルめがけて襲い掛かろうとしていた。
その足は成人男子の顔を難なく掴めるくらいの大きさだ。
「くっ!」
呆然と佇むダニエルの背中を肘で押して剣を振った。
『きイイ――キイキイ』
剣の切っ先を避けて舞い上がった怪鳥の顔は青白く、異様に大きな口と瞳が血のように赤い。
異形の顔が、自分たちを見てにたりと嗤っている。
まるで、無駄なことをとでも言うように。
「な、なんで……こんなのが……」
尻もちをついたままダニエルは呟く。
今までは蝙蝠や猛禽そして猪や兎の類が魔獣化したものしか遭遇しなかった。
それらは普通の獣より少し強さが増す程度だったが、これは違う。
魔導士や辺境騎士たちが重装備で討伐する時に相対するもので、こんな軽装では歯がたたない。
『いィィィィィィ――――――』
赤い、蛇のような細長い舌を出して怪鳥は鳴いた。
その音は耳の鼓膜から男たちの脳へ直撃し、強烈な頭痛と吐き気とめまいに立っていられなくなる。
「くそっ」
今度は地に這う警備隊の三人へ襲い掛かり、ラッセンが何とか気力で応戦する。
しかし、魔物の羽ばたき一つで風魔法の刃を受けたような傷が彼らの身体に次々とついていく。
風の刃の中、両腕で顔をかばいながら狭い視界でデイヴはエステルを探す。
なぜ、自分たちが襲われる。
そして、彼女は今どうしている。
ようよう頂の方を見ると、彼女はこちらに向かって矢をつがえ放ってきた。
「……!」
飛んでくる矢は、銀色に光っていた。
まるで冷たい月のように。
『ギョエエエ――ッ!』
白銀の矢は、魔物の額の真ん中に刺さった。
ばたつき落下してきたところで、風の呪縛からとけたデイヴとダニエル、そしてラッセンの三人がかりで攻撃するが、見た目と違って体表面は固く、致命傷が与えられない。
暴れてのたうつ怪鳥に手をこまねいていると、黒い影が飛び込んできた。
心臓に一突き。
仰向けになった魔物の腹に飛び乗り、全体重をかけて深々と剣を突き刺す。
『ギヤァァァァ――――――――ッ!』
断末魔の叫びが響き渡り、木霊した。
山々と木々が騒ぐ。
それでもなお剣を押し込む少女の横顔は無表情なままで、じっと獲物の顔を見据えている。
『ヒュウゥゥゥ……』
魔物は目を見開いたままため息のようなものをついて息絶えた。
「どういうことだ、こりゃあ……」
自分たちと変わらぬ大きさの魔物の死骸を囲んで座り込む。
予想外の小型魔獣たちとの戦いと山登りで全員指一本動かせない程疲れ切っていた。
「ハドウィックにはこの手の魔物はいないんじゃなかったのかよう……」
額や腕から血を流しながらロビーは嗚咽する。
その隣で弟は息も絶え絶えに倒れていた。
今は助かった。
だが、次に襲われたら自分たちは確実に死ぬ。
「そうね。辺境伯と騎士団の尽力で襲われる可能性はずいぶん減ったけれど、お前たちは特別だから」
静かな声に、男たちは身構えた。
「お前たちが呑気に付けているそのお揃いのブローチ」
はっと全員マントを見る。
「それ、裏に魔物を呼び寄せる術式が書きこまれていたわ」
「な……。そんな。そんなはずは」
デイヴはとっさに頭を振るが、怪鳥の遺骸とエステルを目の当たりにしてなお、やみくもに否定するわけにもいかず、ブローチを外してみる。
裏面に指を滑らせてみると、細かな刻印があることに気付き呆然と肩を落とす。
「まさか……そんな……」
それを見たラッセンも慌ててブローチを外し、照明の魔石にかざすと、うっすらと幾何学模様の細かな図が刻印されているのが見えた。
「なんだよこれ。俺にはさっぱりわからんが今までハエのように魔物が寄ってきたのはこいつのせいだってのか?」
「ええそう。まあ単純なものだから雑魚しか寄り付かないけれど。砕いてしまえば大丈夫よ? 安物で良かったわね」
目の前の女を信じてよいのかどうか迷う。
怪鳥に致命傷を負わせ、息の根を止めたのはこの公女だ。
しかし今まで彼女のせいで五人の仲間を失った。
行動に一貫性がなさすぎる。
「ちっ……」
舌打ちしながらも、ラッセンはブローチを地面に置き、裏から剣を数度ぶつけて破壊した。
全員それにならう。
すると、確かに自分たちを囲んでいた不快なざわめきと気配が薄らいでいくのを感じた。
「あんた、なにがしたいんだ。なぜ俺たちを助けた」
「そうね。ちょっとは迷ったのよ? 公平に死を与えるか否か」
「はあ?」
くすりと笑って、エステルは突き刺した剣をそのままにひらりと怪鳥から飛び降り、すたすたと彼らの前を通り過ぎてまた頂に向かう。
「お待ちください、エステル様」
デイヴは後を追うが、エステルは軽い足取りでひらりひらりと岩を登っていき、指一本触れる事は叶わない。
「ねえその安物とは別に、その子を呼びよせる大掛かりな仕掛けを持たされていたようね、ダニエル・コンデレ」
男たちと十分な距離をとったところでエステルは振り向き、ダニエルを見下ろす。
「は……?」
「オリヴィア・ネルソンから何を貰ったの? お前」
遠くの空からまた魔物の叫び声が聞こえたような気がした。
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