二つの罪


「仕方ない。婚約の儀式は後日、王宮内の聖堂か聖教会大聖堂で盛大に行うこととする」


 不承不承ながらの宣言にまたへつらう者たちの歓声が上がる。

とりあえず王子が諦めてくれたことにナサニエルが肩の力を抜いた瞬間、ネルソン侯爵の張りのある声が割って入った。


「では、殿下。そこの女の処遇はいかように?」


 あっという間に祭り気分は吹き飛び、しんと静まり返る。

 公爵の物言いは粛清を望んでいるのが明らかだった。

 人々の怯える表情をちらりと見まわした後、王子は軽く肩をすくめて見せて言い放つ。


「腐ってもこいつは先王の孫だ。とりあえずハドウィク辺境伯領の外れにある聖グレジオ修道院へ今すぐ送ってしまえ」


「ほう、なるほどなるほど。それならば、我が娘も孫も安心できまする」


 さも感慨深げに胸に手を当てネルソン侯爵は嗤った。

 ざわりとまた観衆たちはざわめく。


 聖グレジオ修道院。


 それは一部アシュフィールド国、そして隣国ローランにまたぐ厳しい環境にある山岳教会だ。

 四季を通じて過酷な地ゆえ実りは少なく一時は廃れかけていたが、現在は主に矯正施設の役割を担っており、派閥争いに負けた者や罪を犯した貴族を放り込むのに便利な場所と化した。

 自然の監獄とも言われ、脱走者はたいてい崖を踏み外して即死か魔物に食われるか。

 何にせよ一度入れられると生きて王都に戻ることはできないとされている。


「せいぜい、山の頂上で己の罪を悔いて生きるが良い、エステル」


 ジュリアンが顎をしゃくると、近衛兵たちがエステルの腕を乱暴につかんで引っ立てる。

 エステルは声一つ上げずに従った。


「お待ちください、殿下。せめて第二王子殿下が帰着されてから――」


 ナサニエル司教は懇願するが、彼もまた騎士たちに両肩を制される。


「くどい。末席の司教ごときが口出しするな」


「ではせめて、『罪びとである』公女様へ教戒を施すことをお許しください。修道院へ送り出す場へ宗教者である私がここにいるのも神の定めた縁であり、務めでございます」


 ナサニエルは騎士たちの手を振り払って跪き、両手と額を床につけた。


 王都の司教が土下座をするなど、前代未聞だ。


 ネルソン侯爵はすばやく周囲の様子をうかがった。

 観衆の輪の最前列は家門や金で雇った者たちを配したが、この会場のあちこちに各国の大使がいる。

 ここでもし王子がエステルにしたように足蹴にしようものなら、さすがに問題になる。

 ナサニエルが所属する聖教会はこの大陸全土に根付いた最も信者が多く、国によっては王家より力があると聞く。


 ここは短気な王子を宥めるのが得策と考え、素早く耳打ちした。


「……殿下。『罪びと』と、ナサニエル司教が認めたことに価値があります。そして、『教戒』となればその烙印を聖教会が押したも同然。公女は二度と這いあがれません」


「それもそうだな」


 二人は頷き合う。


「では、この件も司教の意見に従おう。手身近にいたせ」


「は。寛容な御心に感謝いたします」


 ナサニエルは起き上がると、純白のローブの乱れをなおしゆっくりと歩く。

 そして、拘束されたままのエステルの前に立った。

 胸元の紋章に両手を当て、公女に向かって首を垂れる。


「公女エステル・ヘイヴァース。貴方のこれまでの行いに対し、アシュフィールド聖教会司教、ナサニエルが教戒を施します。今夜のことを含めどうか過去の全てを顧みて、これからの日々へ繋げることをとみに願います。何かお話になりたいことはございますか?」


「私は罪を犯しました」


 エステルの凛とした声に人々は動揺する。


「その罪とは、いかがなものでしょうか」


「私の罪は二つあります。一つは公爵令嬢として家臣たちを御せずにいた罪。もう一つの罪はこの国の王子の婚約者として選ばれたにもかかわらずその役割を最後まで果たせなかった罪でございます」


「な……っ、無礼者!」


 エステルを拘束していた側近騎士の一人が激高し、彼女の腕を強くつかんで床に引き倒し鞘から剣を抜いた。

 女性たちの悲鳴があちこちから上がる。


「お待ちください! 教戒の最中です!」


 ナサニエルはエステルの上に覆いかぶさり、抜刀し今にも切りかからんとした騎士に向かって怒鳴った。


「罪びとに授ける教戒も神聖なる儀式です。貴方はそれを妨げるおつもりですか、コンデレ子爵子息ダニエル様!」


「なに……?」


 振り下ろすばかりになっていた剣の構えを止めて騎士は眉をひそめた。


「貴方様の洗礼の儀式を行ったのは私です。予定外の早産で産声すら上げられなかった貴方様が今にも天に召されそうだとコンデレ子爵様が聖教会に駆け込んだ時、私しか対応できる者はおりませんでした。今夜のように」


 薄茶色の髪と瞳の、細い木ぎれのような司教は四つん這いでしっかりと公女をかばった姿勢のまま言い放った。


「感情のままにその剣を振り下ろしたければ、なさると良い。ただし、まずは私を殺してからにしてもらいましょうか。儀式を中断した場合、何が起きるかこの目で見たければどうぞ」


 気の弱い、存在感のない司教だとジュリアンたちは思っていた。

 司教ナサニエルはただの小道具に過ぎないはずだった。

 しかし、彼の声と存在感が次第に場を圧していく。


「――では、このまま続けます」


 ゆっくりとエステルを抱き起してゆっくりと立ち上がらせ、彼女の髪を両手で撫でつけて直し、両肩に優しく手を置いた。


「貴方様の行く道に、必ずや一本の光が差し、善き方へ導きますように」


 二人の眼が一瞬交わり、すぐに離れた。


「この夜に、ありがたいお言葉をありがとうございました。ナサニエル司教」


 エステルは後ろ手に縛られたままだというのに、頭を下げ膝を深く落として最高の礼をナサニエルに向かって行った。

 何度も男たちの手荒な扱いに遭ったとは思えない、優雅な所作だ。


「聖グレジオ教会までの道中が、ご無事であることを祈ります」


 ナサニエルもまた、両手を合わせ深く首を垂れた。

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