真実の愛



 光がゆっくりと静まり、元のさまになる。


 ざわり。

 人々のざわめきがさざ波のように耳に届いてようやく、ナサニエルの術が解けたことにジュリアンは気づいた。


「ふ…………」


 腹の奥から湧き上がってくるものに、彼は喉を振るわせる。


「ふ、ふふふ。はは、ははははは!」


 天井に向かって狂ったように高笑いする王子を、エステルはただ黙って見つめていた。

 笑い終えたところで彼女の存在を思いだしたジュリアンはいきなり激高する。


「頭が高いぞ、下賤の女のくせに!」


 言うなり、手加減なしの蹴りをエステルに繰り出した。

 彼の靴底が太ももに当たり、公女は蹴り飛ばされて床に倒れる。


「エステル様!」


 駆け寄ろうとするナサニエル司教を騎士たちが背後から止めた。


「婚約者でなくなったなら、貴様はただの罪人で傷物の女だ、エステル」


 床に両手をつくエステルに向かってジュリアンはぺっと唾を吐く。


「拘束して、そこに跪かせろ」


 命じられるままに近衛たちはエステルを後ろ手に縛り、引っ立てて膝立ちさせる。


「殿下、令嬢は公爵家の方です。あまりにもそれは……」


「黙れ、ナサニエル。お前も手首を落とされたくなければおとなしくするんだな」


 冷たいまなざしで司教を指さし黙らせたのち、今度はがらりと甘い表情に変えた。


「おいで、オリヴィア」


 見上げてテラスに向かって両手を広げると、ぱあっと顔を輝かせたオリヴィアが階段を降りて駆け寄ってくる。


「ジュリアン様!」


 無邪気なさまで飛び込むオリヴィアを愛おしそうに抱き留めた。


「ずいぶんと待たせてすまなかった、オリヴィア。これでようやく約束が果たせる」


「ジュリアン様……。うれしい」


 二人は人目もはばからず長い口づけを交わす。

 そうしている間に、オリヴィアの父であるネルソン侯爵夫妻や兄弟、そして家門の者たちが彼らを取り囲み、祝福の拍手を送る。

 そのさまを見た日和見な貴族たちはぽつりぽつりと追随の拍手を始めた。


「おめでとうございます、ジュリアン殿下」


 側近の誰かが大声で祝辞を叫ぶと、あちこちから家臣たちの歓声が上がる。


「なんてことだ……」


 ナサニエルの悲嘆にくれた呟きはかき消された。


 この熱狂ぶりはあまりにも異常だ。


 突然の断罪から破婚の儀式、そして『悪役令嬢』を足蹴にして拘束し口づけを見せつける。

 あたかも『真実の愛』を題材にした流行りの劇の最後を体感しているかのようなこの状況。

 ほんの少し前まで伯爵令嬢が殺されたことに恐れおののいたはずの貴族たちが、何事もなかったかのように笑顔で大団円の仲間に加わっている。

 まるで、この大広間全体が何かの術に操られているかのようだ。

しかしあまりの混乱ぶりに、今のナサニエルには罠の一つも感知できない。


「皆も聞いてくれ。先日、めでたくもオリヴィアの腹の中に私との愛の結晶が存在することが分かった」


 ジュリアンは満面の笑みでオリヴィアを抱きしめ、頬に口づけた。


「ネルソン侯爵家とわが王家による正統な血筋の子どもがこれで増えることとなる。魔術師の診断では男子の可能性が高いということだ!」


 場はますます盛り上がり、割れんばかりの拍手だ。


「よって、私、ジュリアン・フェヴ・アシュフィールドは、ネルソン侯爵令嬢オリヴィアと婚約することをここに宣言する!」


 わあああーと、歓声が上がり興奮のるつぼとなる。


「ナサニエル。お前の次なる役目は婚約の儀だ。書類はもうすでに用意している。このまま……」


 ジュリアンは興奮冷めやらぬまま命ずるが、ナサニエル声を低めなるべく小声で答えた。


「今、この場では正式な婚約式は無理でございます、第三王子殿下」


「なに? 逆らう気か」


 ジュリアンの一言で、騎士たちが腰の剣に手をかける。


「いえ。殿下が前の婚約を結ばれた時は大人任せであった故で覚えておられないようですが……。破婚は確かに私ごときでも可能でしたが、婚約は違うのです」


「どう違うというのだ」


「思い出してください。先ほど貴方様の右手の中指から消滅した婚約指輪は、貴方様が十歳の時に婚約式で指にはめられたきり一度も外していない筈です。その間、指の太さはどんどん変わって言ったにもかかわらず、ちょうどよい大きさのままだったではありませんか」


 すっかり身体の一部となっていたイエローサファイアの指輪をジュリアンは思い浮かべる。


「……あれが、必要だと言う事か」


 エステルの指にも確かにアクアマリンの石がついていた。

 言われてみれば、父にせっつかれてあれを嫌々嵌めてやった記憶がよみがえる。


「左様です。魔導士長と大司教が錬成した素材をドワーフ族が彫金し、最後に王が承認の刻印を施すもので、さらに王族立会いの下の儀式を通過せねば、正式な婚約とは認められず、相手の御方との間柄はただの野合とされます」


「な、なんだと!」


「殿下。王子の婚約者は準王族扱いとなり常にこの危険にさらされる立場です。王家の秘密にかかわる事なので、私も詳しいことまでは存じませんが、正式な婚約指輪は婚約者様を守る術が施されると聞いております。ですので、今夜はせめて婚約宣言の宴にとどめられた方が、ネルソン侯爵令嬢とお腹のお子様の立場をお守りできるかと思います。今ここにおられる各国の大使たちの中は既に王太子様方の婚約式に出席された方も見受けられます。後日盛大な儀式を聖教会の大聖堂で行われた方が格も上がるでしょう」


「む……。そうだな」


 ジュリアンは不承不承頷いた。


「どうやらネルソン侯爵も失念されておられたようですね。末席の司教ではありますが、嘘は申しません。どうか殿下の未来のためにも――」


 おそらく、婚約式をそそのかしたのはネルソン侯爵だろう。

 国王夫妻や王太子、そして第二王子が帰着する前に多くの観客の見守る中締結してしまいたかったのか。


 愚かなことだとナサニエルは嘆息する。


 たとえ今ジュリアンが宝飾店に作らせた指輪を使って偽の儀式を行い、後日秘密裏に正式な場を設けたとしても、本物の儀式に列席した経験のある者たちを欺くことはできない。

 愚行がまたたくまに他国へ広まるだけだ。


 いや、もうすでにこの王子とネルソン侯爵家そして協力者たちは。

 今宵を最後に転落の一途をたどる。


 なぜ、このようなことに。


 視線を上げると跪いたままの公女と目が合った。


 稀有な、イエローサファイアの瞳。

 この御方をなぜこの国の人々は大切にしない。

 口惜しさで胸が詰まる。

 まずは、あの方をなんとしてもお助けせねば。

 ナサニエルは心の中で誓った。


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