2-4 『血縁の情も郷愁も』

 ――――水の神獣、【停滞】。

 ヴァルクの口から出た名前を聞いて、ツグは呟いた。


「神獣……、神の獣、で神獣?」

「厳密には、神に敵う獣、だな。『大転生』の折にウェルト神が排除出来なかった混沌の残滓。かつて、神獣の一体が【水の国シャーレイグ】最大の都市を陥落させたという記録もあるくらいだ」

「要するに、超強い化け物って事か。話の腰を折って悪い。続けてくれ」


 つい口を出してしまったことを反省しながら、ツグがヴァルクに話の続きを促すと、意外なことにフォズも、横から疑問を口にした。


「【停滞】? 水の神獣は、【叡智】という通称だった気がしますが」

「…………まだ、市井には浸透していない話か。【叡智】は討伐された。つい先月、どこの国家でも主立った組織でもない何者かに。時系列的にも、【停滞】が現れたのも同時期だ。水の神獣は『輪廻』したと見ていいだろう」

「えー! 【叡智】って他の神獣と比べても無害だって話だったのに……。はた迷惑なやつらもいたもんだねえ……」

「いや、ごめん。さっき話の腰を折っといてあれだけどちょっと待て待て」


 完全に話について行けていないツグが、ヴァルクに暗に説明を求める。それに対し、ヴァルクは嫌な顔をすることなく、むしろ納得したようにツグの顔を見た。


「あの森でミリアに聞いてはいたが、本当に基礎的な常識も抜け落ちてるのか……。

まあいい、むしろそういう説明のためにこうして時間を取っている」


 そう呟くと、ヴァルクは壁に貼った地図の横に、適当な白紙を貼り付ける。


「『神獣』と呼ばれる存在は、この世界に六体。火、水、風、土……あと、四元素のどれも持たない例外が二体。これらの神獣は、消滅させてもしばらくすれば同じ属性の、しかし全く異なる魔法、性格の神獣が出現する、という性質を持っている。神獣を形作る、何らかの強固な魔力因子のようなものを引き継いでいる、という学説が一般的だな」


 紙にすらすらと記述を重ねながら、ヴァルクが説明慣れした様子で解説する。端的でツグにもわかりやすい説明だったが、ここでも問題が一つ。


「なるほど理解した。あとごめん、僕、文字が読めないみたい」

「何だ、目が悪いのなら始めから……」

「いやそうじゃなくて、その、識字能力リテラシー的に読めない」

「…………………………あ?」


 ヴァルクの表情が大きく歪み、女性陣から「こいつマジか」という視線が飛んでくる。あまりにも言葉が流暢に通じる物だから、文字が違う可能性を一切考慮していなかった。ごめんなさいね、無能で……といつものように自省するツグの前で、ヴァルクが筆記具を放棄して話を続ける。


「六大国の出身ではないとは思っていたが、お前何? ヘブンヘイヴン育ち?」

「そんな変な名前の場所じゃないよ。ニホンって島国、知らない?」

「知るかそんな国。…………話を戻すが、神獣のそういう輪廻性質ゆえに、あえて討伐せずに見過ごされる神獣も存在する。それこそ話題に出た【叡智】や、今の土の神獣【聖域】がそうだな」

「……そういうことか。どうせ別の形で復活しちゃうなら、積極的に危害を加えてこない神獣は倒さずにおくってことね。下手に輪廻して凶暴な奴になったら怖いし」

「その通り。むしろ【叡智】は、千里眼と未来視で人間の目から隠れ続ける、言わば『逃げ』の神獣だった。それをわざわざ執拗に追い回し、殺し果たした悪意がいる。……今はそいつについて考えている余裕は無いが、お前らも頭には入れておけ」


 渋面を浮かべてそう言ったヴァルク。つまり、【停滞】の出現には糸を引く何者かがいるということであり、事態の複雑さはツグにもよく理解出来た。


「ちなみに、【停滞】は見境なく他の生物を殺しにかかっている。仮に討伐してしまっても、諸外国や【光の国リヒタルーチェ】のクソ元老どもに文句は言われないだろう。存分にその鎌を振るうといい」

「戦力として期待されてる……まあそりゃそうか」


 この鎌は何でも断てる、何でも殺せると、先日のヴァルクは言った。『神の心臓アルカナ』の不死も、強大な敵である神獣も、その存在の核となる場所に鎌を叩き込むことができれば、それで仕舞いにできるのだと。

 ツグがこの世界に来る上で必然だった力であり、これからツグの存在理由の大半を担っていくであろう諸刃の剣。早いところ、自分の中でも折り合いを付けなくてはなるまい。


「とはいえ、この【停滞】についての情報はまだ、『ラバーズ・スローン』へと駆け込んできた村の生き残り数名の報告だけだ。進行速度から類推するに、ここに進入するのは早くて十日後。これから何度か偵察や聞き込みなどを行って実戦に臨むことになるが……ま、その辺の話はイルミナギカが後でするだろう」


 地図に、【停滞】の現在に至るまでの進路を書きながら、ヴァルクが話を一旦締める。ツグへの配慮なのか、地図への書き込みはほとんど図形なのがありがたい。


「ちなみに、さも強制参加みたいな雰囲気を出しておいてなんだが、『戦いを避け、この場から去るのも自由』とイルミナギカは言っていたぞ。フォズ、ミリア」

「僕は?」

「悪いがお前には拒否権なんて無い。そもそも、ここを出て行く当てはあるのか?」

「ははは、おっしゃる通りでございます……」


 元々退く気などなかったが、無情に断言するヴァルクに思わず乾いた笑いが出た。

 別に馬鹿にしているとかじゃなくてな、と前置きし、ヴァルクは横になる二人に語りかける。


「……命に優劣は無い。それでも命の重さが違うように見えるのは、その人に乗った他人の想いの分だと、俺は思う。勝手かもしれないが、俺はフォズに想いを託した人間の事をかなり多く知っているつもりだ。ミリアもその一人だろう。お前でなくちゃ務まらない役割があるわけじゃないし、危険な戦いだ。無理をする必要は、決してない。……それでも戦うなら存分に働いてもらうがな? どうする?」


 最後に悪い笑顔でそう付け足し、あくまで自分は中立で、選択権はあくまで二人にあることを示すヴァルク。その言葉に、やや困ったような表情を二人は見せ、ふと視線をツグに移した。


「…………あなたは」

「ん?」

「神獣と戦う覚悟が、決まっているの? いや、そもそも昨日はなんで命を賭けてまで、私たちのために?」


 少し震えた声でフォズが発した質問。それを受け、ツグは考え込み――しかし出た結論は、あっけらかんとしたものだった。


「僕さ、正直何も無いんだよな」

「え?」

「元々家族はいないようなものだったし、故郷には多分もう帰れないし、唯一の友人は僕の元から去って行ったし……。正直、失う物とか僕がどうにかなって悲しむ人って、ほとんど何も誰も無いんだよ。今のところは」

 

 血縁の情など端から無く、郷愁なんて気が付けば泡沫と消えていた。最後に残った友愛だけを求めて、ツグは今、ここにいる。

 そんなツグの話を、フォズとミリア、ヴァルクまでもが黙って聞いていた。この三人は、恐らくツグがいなくなったら、多少は感情を動かしてくれるのだろう。ツグよりずっと、人間らしい善い人たちだから。


「だから、何というか……嬉しい、かな。僕にしか出来ない役割を与えられて、僕が動くことで大切な人たちが喜ぶんなら、全然命を張れるし頑張れる。生きるために生き続けるより、ずっと幸せで満ち足りてるんじゃないかって。……そもそも、もう滅多な事じゃ死なないしね」


 多分、彼女の反応からするに、神獣という存在は、ツグが思うよりもずっと強大で規格外なものなのだろう。それでも、一撃必殺の破壊力と丈夫で呪われた体を、分不相応にもツグが手に入れてしまったのだ。ツグとて進んで危険に飛び込みたいわけではないが、代えが利かない以上、やるしかない。


「そんな感じで、戦う覚悟ならできてる。さっきも言われた通り、いつか【死神】の心臓を扱いこなせるようになるから、僕のことは心配しないで、フォズとミリアは自分の選択をしてほしい」


 そう言い切り、ツグは深く息を吐いた。最近は元の世界と打って変わって、自分の胸襟を開く機会が多い。むず痒さすら少し感じるなと、椅子に腰を落ち着けたツグを、しかしそれでも三人は黙って見つめるばかりだ。


「ちょっと、時間をくれませんか」

「フォズ……」


 そんなツグの姿に何を見たのか、フォズが顔を背け、ボソリと呟いた。心配そうな声を上げるミリアを差し置き、絞り出すように言葉を続ける。


「ああ。戦い自体はまだ始まらないだろうからな。ゆっくり考えるといい。……戦いのことも、別のことでも。体調悪いところ邪魔したな。行くぞ」

「え、ちょ」


 同じく沈黙を貫いていたヴァルクが答え、ツグの首根っこを掴んで部屋の出入り口まで引き摺る。思い詰めた様子のフォズと付き添うミリアを残し、ドアの外へと出された。


「…………今、お前が話した内容ことだがな」

「うん?」


 立ち上がり、ズボンの裾を手で払うツグに、ヴァルクが背を向けて声をかける。


「悪い意味でよく似ていたぞ。『結晶の魔術師』ウィレイズに」


 それだけ言い残して、そそくさと立ち去るヴァルク。咄嗟に手を伸ばすが、ヴァルクは「これ以上は語らん」と言わんばかりに、手をひらひらと振るだけだった。

 何だかやりきれない気持ちでふと窓の外を見やると、そろそろ完全に日が沈もうとしていた。イルミナギカとの約束の時間が迫っている。気はあまり進まないが。

 一際重たいため息を吐いて、ツグはもう一度、フォズ達の部屋のドアを未練がましく一瞥すると、ゆっくりとイルミナギカの居た部屋へと歩を進めた。



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