2-3 『再起と、【停滞】の足音』

 コンコンと二度、ツグは固唾を飲んで扉を叩く。

 少し待っても反応が無いのが本当に怖い。文字通り災厄となったツグに、彼女らの心象がどうなっているかがわからないのが、怖い。

 焦れたツグは、返事を待たないまま扉に手をかける。セージュはさっき、フォズ達に誰かが入室するかもしれないことは伝えたと言っていた。そっとドアノブに手をかけ、ゆっくりと回し、扉を開き――――、


「…………あ! ツグくんおはよろろろろろろろろろろろろろろ」

「ちょ、ミリア、急に体を起こしちゃ……うっ」

「……………………」


 青ざめた顔で口元を押さえるフォズと、目を回してへにゃへにゃとベッドに倒れ込むミリアの姿に、ツグは呆然と固まることしかできなかった。


******


「こんな状態なら先に言ってくださいよセージュさん……」

「ほほほ。いや何、ツグ様はさっき酷く緊張していた様子でしたし、そこで予め彼女らの体調が悪いことを報告すれば、ツグ様はきっと自らを責めていたでしょうと思いましてな。安心してください。彼女たちの体調不良は、サクラの汁の副作用のようなものです。明日の朝には快復しているかと」

「ああ……フォズが持ってたあの飲み物か。……桜?」

「ええ。朔羅草サクラソウでございます」


 そんなことを、セージュは笑み交じりに、ミリアの体に毛布を掛けながら言った。読み方は同じだが、とりあえずツグの知る桜ではないことはなんとなくわかる。あの液体、いかにも苦そうな緑色だったし。

 そんなフォズは、ツグが差し出したコップの水を、震える手でどうにかちびちびと飲む。本当に苦しそうだ。『明日を犠牲にして今日元気になる』とかいった胡散臭いキャッチコピーは誇張でもなんでもなかったのだろう。

 しかし、セージュはああ言ったが、結局フォズがこのサクラソウとやらに頼らざるをえなくなったのも、元を辿れば『黒い爆発』、もといツグの【死神】の心臓のせいだ。そんな自意識を抱えながら、ツグはどうやって謝罪を切り出そうか考えていると、ミリアの処置を終えたセージュがそそくさと部屋の外へと出て行くのが見えた。気を遣ってくれたのか。

 ならば、ツグもいつまでもウジウジしてるわけにもいくまい


「その節は! 本当に申し訳ありませんでした! あと止めてくれてありがとう!」

「え」

「わお!?」


 突然大声で頭を絨毯に擦りつけ始めたツグに、フォズとミリアが困惑と驚愕に声を漏らす。

 冷静に考えたら、ベッドで横たわる二人には土下座しても見えないなと思い直し、立ち上がって再びツグは深く頭を下げた。


「まあ、その……知らなかったとはいえ【死神】の心臓のことを隠してた感じになっちゃったこととか。フォズに怪我させたこととかミリアに迷惑かけたこととか二人に力を向けたこととか……その辺りの謝罪を」


 特に、ツグが目覚めるにあたっての経緯についてはほとんど知らないが、三人が甚く苦労したのは想像に難くない。


「……正直に言えば、完全に心を許すのは、ちょっと難しい」


 フォズの声が聞こえた。内容は否定的で、しかしツグを不要に傷付けないように言葉を選んでいる様子だった。


「【死神】の心臓については、私もミリアも詳しくない。また急になる可能性への恐怖も、多分これからしばらく拭えない。『不能の無知は罪じゃない』って、わかってるけど……。そこは私も、ごめん。」

「フォズが謝ることじゃない。【死神】の――いや、僕のことは恐れて当然だと、僕も思う」

「うん。……だからまた、お互い頑張ろう、ね?」

 

 一瞬、責任を【死神】の心臓へと転嫁しそうになった自分を、ツグは内心で四度殺した。そして、次いでミリアの方を見ると、ミリアは困ったような、しかしフォズよりは晴れやかな顔でツグを見上げる。


「……こんな世界だからさ、ツグくんみたいに自分の意図しない力を持っちゃう人って、沢山居るんだよ。私の家族は、みんなそうだった。だからその事は気に病まなくていいと思うな。気に留めなくていい、って意味じゃないけど」

「…………ミリア」

「だから! あたしの方は単純!」


 ミリアは、枕元に置いてあった杖を握り、笑顔でツグに先端を向けた。


「次にフォズを傷付けたら、しばく!」

「しばかれるのか、僕」

「うん、しばく。全身に電流流してでも反省させる。……だから、力を自分で御せるくらい、強くなること。あたしも協力するから」


 強くなれ、とツグが最後に自分で言おうとしていた宣言を先取りされ、口元をもにょもにょさせるツグ。フォズに謝らせてしまった自責と、ミリアの叱咤が、心に行き渡る。


「後、あなたに文句を一つ言うなら、何もかもを自分のせいにしすぎ」


 フォズが少し口を尖らせ、息を切らしながら半目でツグを睨んでいた。


「確かに、私の怪我とかはあなたのせい。それは反省して。でも、そもそも一番最初の『黒い爆発』の横槍が無ければ、多分あそこで私たちはやられてたし。二回目も、あなたが居なかったら真っ先にあの鳥に潰されてたのは私。……だから、そこもちゃんと、自分で認めて」

「…………善処します」


 フォズが、布団の中から深紅の結晶を取り出し、ツグにそう言った。

 過剰な自責は、元の世界でもたびたびスティに苦言を呈されていた部分だ。こればかりは生まれつきの性分なので当分やめられそうにないが。

 そろそろ視界が若干潤んできたツグ。この何とも言えない心地よい空気の中で自らの罪と功績を今一度噛みしめながら、ツグはふと、背後、ドアの向こうに人の気配が立っているのを感じた。セージュだろうか。いや、先ほどまでの彼の気遣いから考えるに、無言でドアの前に立ち続けるなんて真似はしないとツグは思ったが。

 つまり――――、


「……何か用事があるなら、別に途中で入ってきても良かったのに」

「背中を押した身ではあるからな、流石に邪魔しちゃ悪いだろ」

「その気遣いがあるなら中途半端にドアの向こうで立ち続けないで? なんか威圧感がしたから何かと思ったよ」

「こっちもイルミナギカの遣いなんでな。あんまり時間かけると面倒が増える」


 扉を開けた向こうで仁王立ちするヴァルクに、ツグは半笑いのため息で応じた。


******


「そういや、僕って結局どうやって正気に戻ったんだ?」


 フォズとミリアのベッドの側に椅子を二つ出し、座りながらツグがヴァルクに問う。流石に病人二人の側で話し続けるのはどうなんだと思ったが、二人はツグ達が部屋に残ることに同意してくれたし、そもそもヴァルクの用事は三人に対するものらしい。

 ちなみに件のフォズとミリアは、ツグの謝罪の際に感情と口を動かしすぎてダウンしている。あまりの虚弱ぶりに、ツグはサクラソウの汁とやらを口にしないことを内心で誓った。

 そうして、二人がまともに話を聞ける状態になるまで、二人で会話でもする流れになったわけだが。


「まあ、俺も聞いただけだから詳しくはわからんが」

「ん? ヴァルク達が頑張ってくれたんじゃないのか?」

「俺もこいつらも頑張ったけど、お前が想像以上に大食いでな」


 ヴァルクはケッ、と言わんばかりに遠い目をしてそう言った。大食い、というのはそれだけ魔力を貪ったことの比喩だろう。


「森中の魔獣を掻き集めても足りなかった。だから最終手段を使おうとしたんだが……どうもあの世話焼きの魔女がわざわざ出張ってきたらしくてな。後で感謝しとけよ。多分向こうから乞い始めるが」


 指でつまんだ花刺繍入りの黒い手袋をひらひらさせながら、ヴァルクはそう言った。


「魔女…………イルミナギカさん?」

「そう。『萌芽の魔女』イルミナギカ。この屋敷、そこら中で変な腕が生えてるだろ。あれがあいつの能力の一端だ」

「……『心臓持ち』、ってことか」

「ご名答。まあ、ここまでわかりやすく『心臓持ち』を公言してる奴はそう居ないけどな。トラブルの種にもなる」


 言外に、ツグが心臓持ちであることは出来るだけ外部に隠しておきたい、というヴァルクの意思を感じた。


「めちゃめちゃ簡潔に説明すると、【死神】の心臓は生物に属してる特定の魔力しか食えない。で、見ての通りイルミナギカ――【恋人】の心臓が生み出す人体の断片は一応生命体として機能しているからな。あれをたらふく食わせて、とりあえずお前の暴走を鎮めたんだと」

「……あれが、僕の体に…………」


 助けて貰ったご身分だが、流石にあれがツグに取り込まれていると聞けば、心穏やかでは居られない。率直に言って、人間の腕が単体で行動する姿って気持ち悪いし。


「ちなみに、今後お前がまた死んでも、あいつの力で鎮圧させるのは勧めない。というか、彼女がそれをしたがらないだろう」

「その心は?」

「あれは言わば、イルミナギカの一部。『種』だ。取り込みすぎれば――」

「……僕もあの腕一本の姿になっちゃったり」

「それは無い……とは言わないが、心が完全にイルミナギカの虜にされてしまう。……そして、あいつはそうやって強制的に他人を懐柔することを良しとしない。フォズ達と同じく、お前があいつのことも大切に思うなら、彼女に頼ればいつでも生き返れる、なんて考えはやめておけ」

「それは言われずとも」


 他人の心を支配できるような力を持ちながら、しかしその不可逆の改心を嫌うイルミナギカ。そう説明され、ツグの内心には、既に『神の心臓アルカナ』なんて碌な物じゃないなという感慨が芽生えていた。とはいえ結論づけるには、ツグはまだこの世界をあまりにも知らないのだが。


「ま、こんなところだろう。そろそろ本題に入る。起きてるか? 二人とも」

「……はい」

「…………(グッ)」


 フォズが小さく返事し、ミリアが無言で親指を立てる。元気なのか違うのかよくわからない反応に、ヴァルクはため息を吐き、部屋の隅の引き出しを開けた。そこから大きな紙を取り出すと、それをフォズとミリアにも見える壁に貼り付けた。ヴァルクに目配せされ、ツグもその近くに寄ると、それは簡単な地図のようだった。


「詳しい話はこの後イルミナギカからあると思うが、話が円滑に進むように、お前達にある程度の情報を共有しておく。今イルミナギカが直面している問題と、この領地……『ラバーズ・スローン』の現状について」


 壁に掛かった地図に、ヴァルクが赤い筆記具で文字や記号を書き込んでいく。どうやら、イルミナギカの領地の区分けや、点在する村集落の場所を簡易に記しているようだった。


「――――『ラバーズ・スローン』近郊に出現し、一夜にして周辺の集落三個を氷漬けにした災害。魔獣とは一線を画す六柱の超常存在、『神獣』の一角。……水の神獣、【停滞】。こいつの討伐あるいは撃退が、イルミナギカ並びに『ラバーズ・スローンが応じねばならない障害だ」


 最後にマップの一点に派手に何重にも赤丸を描き、ヴァルクはそう宣言した。

 

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